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27:つぎはぎだらけの上と下

 姉上と呼ばれたエルフの美女は、髪や体からぽたぽたしずくを垂らしながら、私を睨み、ヴァレンティール王子を睨みつけた。怖い。


「落ち着けだと? 貴様、武具も携えていない者を泣かせているではないか。髪を無様に切られて失っただけでなく、タイドリアン王国の民の誇りも喪失したと見える」

 美女はそう言いながら、棒の先を上げ、王子の喉元に突き付けた。ものすごく危ないような気がする。

「この場で私に裁かれるか、国の母上に裁かれるか、どちらか選べ」

 ヴァレンティール王子は更に青ざめた。

「どっちも絶対に御免だ! 大体私は彼女に何もしていない!」

 美女の目が細くなり、眉間にかすかにしわが寄った。私は急いで口を出した。このままでは彼の身が危うい。

「あの、本当です! 私が、妙な物を見て驚いて泣いてたら、彼が慰めてくれてただけです!」


 美女の耳に青く輝く翻訳耳飾りがあって良かった……。彼女は疑わしそうなまま私の方を見た。

「こ奴を庇う必要なぞ、無用だぞ」

「庇っていません! いや庇ってますけど本当です!」


 彼女はようやく棒を引っ込めた。

「とりあえず、そなたは信じる事にしよう。突然失礼した、私はペラグリア。この愚弟の姉だ」

 ペラグリア、ペラグリア。私は急いでしっかり名前を覚えた。しかし愚弟ときたか。

 えーとペラグリア王女と呼べばいいのかな。

「初めましてペラグリア王女……私は、間宮菜月と申します。弟さんとは、えーと妙なご縁で知り合いまして」

 婚約はまだ口にするのは恥ずかしいなと思っていると、ヴァレンティール王子があっさりと言った。

「ナツキは私の婚約者だ。最愛の女性を私が泣かせる訳が無いだろう」


 最愛と言われて私は赤面したけど、ペラグリア王女は形のいい眉を吊り上げた。

「婚約だと? 貴様がこの女性と?」

「そうだよ……まだ先の事は決まってないけど」

 ペラグリア王女は、今度は長い棒の先でヴァレンティール王子の額をグリグリとこづいた。痛そうだ。

「ほほお。貴様、国を出て音信不通になったと思ったら、こんな妙な所で女性にうつつをぬかしていたのか。不埒者が」

「音信不通にも理由が……いやそもそも、何で姉上がここに……痛い痛い痛い!」

「ふん。貴様の楽器だけが、冥府の砂浜に漂着してな。母上と父上も心配するし、妹たちが探して来いとうるさいので船で探索に出て、大嵐に巻き込まれて、気が付いたらここに放り出された」


 ヴァレンティール王子と同じような状況で、ここに取り込まれたようだ。

 でもまず、ずぶ濡れのペラグリア王女を何とかしないと。本人は全く気にしていないみたいだけど。

 その時、「なんだ賑やかだな。菜月嬢さんは出てきたか?」とか言いながら鱗氏が姿を見せた。


 鱗氏は、水に濡れた銀色に光るペラグリア王女を見てもさほど驚かなかった。

「ほおー新しいエルフの訪問者か。しかしまあ凄い美人だな。店番の知り合いか?」

 ヴァレンティール王子は、額を撫でながら憮然とした表情で言った。

「実の姉のペラグリアだ。姉上、こちらは私がこのダンジョンで世話になったいる店主だ」

 ペラグリア王女は、姿勢を正した。

「突然騒がせて申し訳ない。愚弟が大いに面倒をかけたようで、お礼はあらためて」

 鱗氏は手をひらひらさせた。

「ご丁寧にどうも。まあ互助だから気にしないでください。ここは狭くて変わった世界なんでね。事情はあとでゆっくり聞きますよ。店番、お姉さんを11階の温泉まで案内してやれ。少し歩くが、12階は何も無いからな。ああ、菜月嬢さんも一緒に行って、とりあえず一息ついてくるといい」


 ペラグリア王女も「そうだな、海の水を洗い流してから腹ごしらえをしよう」とうなずいた。


 そういえば私もちょっと空腹だな……ようやく立ち上がって周囲を見渡した。

 ここが12階か。通路は無く、天井は低く、ただ広い広い空間に本の詰まった本棚だけが並んでいる。父親は11階から12階に下りるのは面倒だとメモで愚痴っていたな……その途端、さっき見た父親の姿を思い出してしまった。

 でも鱗氏へ話すのは後にしよう、と決めてナップザックをヴァレンティール王子に持ってもらう。

 ペラグリア王女は、弟に一通り説教をしたら気が済んだのか何も言わずに、珍しそうに本棚を覗き込んだりしている。そして、ふと顔を上げて横にいる鱗氏に尋ねた。

「店主殿は生きた人間では無いな。死者の甦りか?」

「ああ、半分は当たりですよ。一度死んだ幽霊です。この迷宮内では実体はありますがね」

「ふーん幽霊か。なるほど」

 ペラグリア王女は感心したようにうなずいた。驚かないんだ……。


 12階を見回ってから顔を出す、という鱗氏と別れて3人で11階へ続く階段を上る。

 この階段、下りるのはとんでもなく長い時間がかかるけども、上るのはそうでもないらしい。空間が歪んでいるのかな。

 お近づきになりたくて、疲れた様子も見せずに階段を上るペラグリア王女に、右手に持っている棒について恐る恐る尋ねてみると、気さくに答えてくれた。


「これは訓練用の棒だ。私は武器では特に槍が得意だが、狭い場所での訓練で振り回す訳にもいかないからな。しかしこの棒もとても頑丈だから、十分に敵と戦えるぞ」

「へえ凄いですね」

「ナツキにも、私がいずれ護身術を伝授しよう。弟にももちろん格闘技など一通り叩き込んであるが、やはり自分の身は自分で守らぬとな」

 いや遠慮しておきます、というのも悪いかなと返事に困っていると、先を歩いていたヴァレンティール王子が肩越しに言った。

「姉上のナツキへの凶暴な指導など不要だ。ナツキは私が守る」

 ペラグリア王女が棒で弟の頭を素早く叩いた。

「当たり前だ! 我が身に代えても妻子を守らずして、何を守るというのだ!」

「痛い! ナツキの前で乱暴にするな!」

 あのー妻子は先走り過ぎです……でも、この姉弟、結構仲は良いんだろうな。ヴァレンティール王子も何となく嬉しそうではある。


 11階に到着。

 しかし、ここはまた天井がものすごく低い。通路両側の本棚も天井にのめり込んでいるように見える。その分、照明は明るい感じだ。でもこの階には、「滝が落ちる温泉」があるので、楽しみだ。

 ここも棚ばかりか、とぶつぶつ呟いていたペラグリア王女が、急に立ち止まってじっと天井を見上げた。

「どうかしましたか?」

「いや。ここは実に妙な空間だな。さっき上ってきた階段も、ここの天井と本棚と床も、全部違う存在だ」

「階段と天井はわかりませんが、このダンジョンは本棚は無限で床は有限だと、管理している者に聞きました」

「……ふーん。無限と有限が並んでいるのか」

 以前、3階で書庫を見学した時に、司書ウサギが本棚と通路について簡単に解説してくれたけど、意味が良く呑み込めなかった。

 それにしても、ペラグリア王女は妙に鋭いな。さっきも鱗氏が実は幽霊だと気づいたし。


 やはり必要だろうと、まず迷宮案内処に顔を出してペラグリア王女を新しい訪問者だと案内人に伝えておく。案内人も、銀色に輝くエルフの姿には少々驚いたようだけど「はいはい、新しい訪問者ですね。3階に連絡しておきます。近日、登場して挨拶してくださいね」と受け付けてくれた。

 温泉と食事処の場所を教わり、いつものようにレプリカ金貨3枚を払おうと、ジャケットのポケットに手を入れると空だった。

 くそう、あちこちで派手に振り回されたので落としたらしい。慌ててナップザックを開けて、金貨の入った袋にごそごそと手を突っ込み、何枚か取り出す。

 すると、私の様子をじっと見ていたペラグリア王女が妙な事を言った。

「ナツキ、その大きな袋の中には何が入っているのだ?」

「え? ええと金貨の他には、着替えなどの個人的な荷物です。特別な物は入っていませんが」

 私がそう答えても、ペラグリア王女はじっとナップザックを見つめて呟いた。

「そうか……まあいい……」


 そういえば、あの黒髪の妙な女も「何が入っている?」と聞いてきたな。本当に何なのだ。

 ダンジョン内でレプリカ金貨を大量に持ち歩くのは珍しいだろうから、何か気配があるのかもしれないないな、と私はこっそり溜息をついた。これからは持ち運ぶ枚数を減らそうと考えながら、案内人に金貨3枚を支払った。


 再び少し歩いて、温泉に到着。通路には【とどろく温泉 温泉とまんじゅう】と書かれた立て看板が出ている。父親のダンジョン・ガイドブックによると、浴槽から眺めるお湯の滝が迫力満点らしい。


 ……今は楽しそうな事だけを考えよう。考えるのは後だ。


 内部は他の温泉と変わらず木造で、床暖房の広い休憩室に座布団が幾つも置かれ、壁に「まんじゅうとやくそう茶」と張り紙がしてある。

 ヴァレンティール王子は、自分はここで見張り番をしていると私に言った。

「見張り番?」

「実は昨日、吉宝雑貨屋が黒ウサギの集団に襲撃されて、店の商品が大量に強奪された」

「ええええ!? 強奪!?」

「あの連中は、どんどんやる事が大掛かりで悪質になっている。だから温泉でも用心した方がいい」

「……うん、わかった」

 やっぱり、何かダンジョン内が妙な方向に変わっていくようで少し気が重くなる。


 ペラグリア王女は、離れた場所で壁際の低いテーブルの上に置かれた、山盛りのまんじゅうをしげしげと眺めていた。ここで小腹を満たしてから、食事が出来る場所に行った方がよさそうだ。


 ペラグリア王女を「おんな湯」に案内して、更衣室で「ここで服を脱ぎます」と教える。銀色の服は重くて大変だろうと思ったら、実は特殊な金属で出来た鎧で、実際は非常に軽いらしい。

 さっさと裸になったペラグリア王女、やはりというか、グラマーで大変なナイスボディだ。

 銀の鎧は特に洗ったりしなくても大丈夫だと言うので、乾くように籠に広げて置いて、浴場に入った。


 いやーこの眺めは本当に迫力満点。

 見上げるほど高い天井から、岩の間を落ちてくる大きな滝の眺めと音はまるで滝場だ。

 また湯船がとんでもなく広いので、隅につかるだけで山奥にいるような気分になれる。でもちょっと怖い。

 カランで頭からお湯をザブザブかぶって海水を洗い流したペラグリア王女は、ご機嫌でお湯につかっている。

「実に気持ちが良いな。私の国にも湯が沸く山はあるが、こういう設備や眺めは無いからな」

「気に入ってもらえて良かったです」

「しかし、このダンジョンは本当に奇妙な場所だな。この温泉もまた違う存在だ。どこもかしこも、上から下までつぎはぎだ」

 ペラグリア王女は、お湯に首までつかって目を閉じた。


 私は、このダンジョンから出られなくなったかもしれない事を、どうやって説明しようかと内心悩んでいた。ヴァレンティール王子と2人、ここに閉じ込められてしまったかもしれないのだ……。


 ペラグリア王女が目を開けて、空腹を訴えたのでとりあえず湯から上がった。

 銀色の鎧はまだ湿っているようなので、私の部屋着用のグレーのジャージ上下を貸す事にした。楽なようにぶかぶかの大き目サイズだから、ペラグリア王女の体形でも大丈夫だった。

 これは楽でいい、と喜ぶペラグリア王女と更衣室から出て、休憩室でうたた寝をしていたヴァレンティール王子を起こして、3人で座布団に座って、のんびりと薬草茶とまんじゅうを食べた。

 まんじゅうは薄皮であんこがたっぷり詰まっていて美味しい。ペラグリア王女も気に入ったようで、幾つも口に入れていた。

 エルフの美女がグレーのジャージ姿で座布団に座って、首にはタオルを巻いてまんじゅうを食べている……うーん不思議な眺め。


 薬草茶を飲みながら、ヴァレンティール王子から私が姿を消した後の騒ぎを聞いた。

 8階を偵察していたウサギたちが、私が落とし穴に落ちるのを目撃し、すぐに後を追おうと駆けつけてくれたけど、穴は既に消滅したようになっていた。

 しばらくして、4階の店に戻っていたヴァレンティール王子に連絡がいき、飛び出そうとする彼を鱗氏が止め、押し問答をしているまさにその時に、吉宝雑貨屋が黒ウサギ集団に襲われたという一報がウサギの連絡網経由で入り、捕まった黒ウサギを締め上げようととにかく2人で6階に向かおうとした時、黒い子猫が現れたのだった。


「私は初めて見る小動物だったが、店主が子猫だと言っていた。その子猫が階段前で我々にはっきりと言った。血縁者はやがて12階に出現すると。愛らしい姿ではあったが、瞳が紫色で何やら禍々しかったな。子猫はそのまま階段を下りて姿を消し、私はともかく12階に直行してナツキで出てくるのをずっと待っていた。重い落下音がして急いで見に行ったらナツキがいて、本当に安堵した」

「私が迂闊だったよ。子猫が可愛かったのでつい……心配かけてごめんね。でも1日経っていたと聞いて驚いた。そんなに長くはあの妙な場所にいなかったはずだけど……」

「何やら泣いていたが、ひどい目に遭ったのか?」

「それは無い。驚いただけ……何だか良くわからなかったし、落ち着いたら詳しく話すね」

 ヴァレンティール王子は頷いてそれ以上は何も言わず、ペラグリア王女も、私にぺったりくっついている弟の姿を横目で見るだけで黙っていた。

 怖い人ではあるけれど、恋路の邪魔はしないつもりらしい。


 雰囲気を変えようと、ヴァレンティール王子にあんこの作り方を説明していると、ペラグリア王女が薬草茶を片手に持ったまま、じっと私のナップザックを見ているのに気が付いた。

「あの、ペラグリア王女。何か?」

「ナツキの荷物がどうしても気になる。中を見てもいいか?」

「はあ、別に構いませんが」

「女性の個人的な荷物だ。ヴァレンティールは目を逸らしていろ」


 素直に俯いたヴァレンティール王子が小声で私に言った。

「姉上は、とにかく異質な物や隠した物の気配などに敏感で、色々と見抜く。ナツキの荷物にも、ナツキが気づいていない何かがあるのだろう」


 ペラグリア王女は、ナップザックの蓋を開けると中の荷物を取り出しては、眺めて横に積上げた。ほとんど衣類しか入ってないのに、何が気になるんだろう。

 やがて彼女は、一番底のレプリカ金貨の入った布袋を持ち上げた。

「やっとわかった。これだ」

「ええ? でも中はおもちゃの金貨しか入ってませんよ」

「中身じゃない。袋の方だ」

「袋? それは父がダンジョンに持ち込んだ……」

 え? まさか? 


 ペラグリア王女は布袋を逆さまにして、レプリカ金貨を全部床の上に出してしまってから、空の袋を触って言った。


「袋の底が、二重底になっている。ここに何か入っているな」


 やがて、ペラグリア王女が器用に布袋の底の小さな綻びを裂き、金色の何かを取り出してから、そのまま何も言わず私に手渡してくれた。


 薄い金色の布に包まれていたのは、紙の束。

 開いてみると、それは父親から私への手紙だった。

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