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29:ウサギたちが騒ぐので

 ダンジョン11階の「とどろき温泉」を出て、一旦少し離れた【おかみのお宿】に入って私とペラグリアとヴァレンティールの部屋を取り、荷物を置いてから皆で食事に出た。ペラグリアはジャージ姿に、気に入ったというタオルを首に巻き、宿で借りたサンダルである。本人はご機嫌だけども、明日にでも服を見繕った方がいいだろうなあ。


【お食事処 野菜ポトフとごはん】に鱗氏を含めた皆で入店したら、さすがに料理人ウサギもびっくりしたようだった。確かに4人とは、このダンジョンでは大人数だろう。それでもちゃんと出来立て料理が出てくるのは偉い。


 メニューは、大きな器に盛られた、コンソメで煮込んだ野菜とソーセージ入りの熱々ポトフ。冷えた体にほくほくジャガイモとスープがしみる。パンなどではなく炊き立てご飯が一緒に出て来たけど、私としてはこっちも嬉しい。

 でも何だか食欲が無く、もそもそとスープを飲み込んでいる横で、ペラグリアは「これは美味い」とスプーンを操ってもりもり盛大に食べ、お代わりまでしていた。

 満足したらしいペラグリアが、機嫌よく料理人ウサギに声をかけた。

「店主、こちらの世界の酒は置いてないのか?」

「申し訳ありません、酒はありません」

「そうか、残念だな」

 幽霊なので食事はせず、一番奥の席でお茶だけ飲んでいた鱗氏が苦笑した。

「ここで残念なのは、酒類が存在しない事なんだよなあ。幽霊でも酒ぐらいは味わいたいんだが」

 そういえば父親も酒は飲まない人だったな、と何となく思い浮かべる。ヴァレンティールがぼそりと言った。

「姉上はとんでもない大酒飲みだから、酒が存在しない方が有難い。ナツキは酒を飲むのか?」

「少しだけね。友人たちと賑やかに飲むのが好きだな。ヴァレンティールは?」

「私もあまり飲まない方だな。吟遊詩人としてあちこちの国の酒場で飲む必要はあったし、無理に強い酒を飲まされても平気だったから、弱くはないと思うが」

「いつか、一緒にお酒が飲めるといいね。こっちの世界のビヤホールとか、賑やかで楽しいよ」

「そうだな、ナツキとなら幾らでも付き合うぞ」


 お茶を飲んでいたペラグリアは、あまり食の進まない私に気が付いた。

「ナツキ、食欲が無いのか?」

「空腹だし美味しいですけど、でもあんまり……」

「無理でもしっかり食べた方がいい。空腹だとロクな事しか考えないし、頭も動かない」

「はい……」

 でもどうにも食欲がわかない。なんとか食べ終えて、身体は温まったけど怠くてぐったりする。すると、急にヴァレンティールが私の手を包み込むように握った。

「熱がある。また具合が悪くなったようだ。早く休んだ方がいい」


 結局、色々な話は明日以降にする事にして、鱗氏は12階に帰り、私はヴァレンティールに支えられて宿に戻った。

 私の部屋まで付き添ってくれたペラグリアがきっぱりと言った。

「今夜は、私がナツキの部屋で一緒に休む。具合が悪いところを、ヴァレンティールが話してた何者かが悪さを仕掛けないとも限らないから、隣にいた方がいい」

「それは有難いですけど、ペラグリアも疲れているんじゃないですか?」

「心配無用だ。温泉と食事ですっかり回復した」

 私の周囲を「大丈夫か?」とうろうろしていたヴァレンティールは、「ここはナツキの寝室だ、さっさと自分の部屋に行って、マントにくるまって寝ろ」とペラグリアに追い出され、渋々退散した。

 彼も誘拐されて戻ってきて、すぐに私が姿を消したので結局あまりゆっくり休めていないはずだ。さっきもうたた寝をしていたし、今夜は落ち着いて眠って欲しい。


 着替えて横になる間に、ペラグリアが女将に事情を話して、自室からさっさと布団を運んで来て隣に敷いた。素早い。

 そのまま、布団の上であぐらをかいて部屋の中を見回しているペラグリアに、気になっていた事を聞いてみた。

「あのー、ヴァレンティールから、このダンジョンの妙な法則は聞きましたか?」

「ああ、色々と聞いた。ナツキ以外は出入りが不可能だそうだな。どうりで奴が音信不通になった訳だ」

 あっさりと言われて逆に不安になる。

「その、ペラグリアも閉じ込められた事になったんですけど……」

「確かにそうだな。でもまあ、法則ならばじたばたしても仕方ない。生きていれば、どうにかなるだろ」

「……そうですね。私も何とか、出られるようになる方法を見つけたいと思っています」

「ここはちぐはぐで妙な世界だが、しかし私や弟が取り込まれたのには、理由があるのかもしれない」

「え? 理由ですか?」

「弟はナツキと出会ったしな……まああいつにしては根性を見せたようだ」

 ペラグリアは初めて穏やかな目になり、少し笑った。

「焦らなくても、必要ならばそのうちに色々わかってくるだろう。さあもう眠った方がいい」

「はい……」

 何だかひどく落ち着いた気分になって、素直に目を閉じた。お姉さんっていいな……。


 父親と会った、夕暮れの公園の光景を思い出す。

 そうか、これも私の記憶になっているのか。あの記憶庫のどこかにある、私の記憶。

 父親が行きたいと願っていた原風景を、娘の私が記憶する。

 記憶は永遠だ……。

 でも永遠ってなんだか怖いな……。


 原風景……。


 ――なぜ行けるはずも無い場所に憧れる?


 私は、海辺に立っていた。

 目の前には陽光に光り輝く大海原が広がっている。波の音、潮風が心地よい。頭上は雲一つない青空だ。

 巨大な魚がゆったりと海上に浮かんでいる。鱗は真っ黒だけども、全体がまるで虹のように輝いている。

 魚の目が、私の目を見つめた。とても綺麗な目だ。そして不思議な言葉が流れ込んできた。

「あの人がどこに行ったかわからない。あなたは知らないだろうか?」

 私は答えた。

「あの人って誰?」

「私にいつも色々なお話をしてくれた人だ。たくさんお話をしてくれたのに、どこかに行ってしまった。ずっと戻ってくるのを待っているのに」

 ああそうか、と私は思った。

「それは私の祖父だね。ごめんね、どこに行ってしまったのか私にもわからない」

 魚の目が悲しそうになった。

「約束したのに。一緒にピクニックをしようと約束したのに。ビスケットを食べていいと言ったのに」


 ――ピクニック?


 はっと目が覚めると同時に、思い出した。そうだ、『お魚たちの朗読会』だ。

 私が起き上がると、横で座ったまま微睡まどろんでんでいたらしいペラグリアが目を覚ました。

「どうした? 気分が悪いのか?」

「大丈夫です。あの、私の荷物を取ってもらえませんか」

 ペラグリアが部屋の隅に置いてあったナップザックを持ってきてくれたので、中から『お魚たちの朗読会』のプリントアウトを取り出した。この短い小説は、魚たちが色々な場所で自作の詩を朗読して、最後は魚の皆が集まって、海辺でピクニックをするのだ。

 これだ……海辺のピクニック。明日、鱗氏に確認してみよう……。


 急に訳もわからず、締め付けられるように胸が強く痛み、目から涙がこぼれた。

 でも、確かにわかった事がある。

 深海魚は、どこかでずっとずっと待っているのだ。

 たった一人で。


 私が急にぽろぽろと泣き出したので、さすがにペラグリアが狼狽えた。

 心配をかけないように、妙な夢を見ただけと言って、大人しく横になった。どうやら熱が上がってきたようで、頭がぼんやりする。死んだ祖父はどうなったんだろう、深海魚はこのダンジョンのどこにいるんだろう、と考えているうちに、また眠ってしまった。


 女将の元気な声と、ペラグリアの声で目が覚めた。

 熱は下がって、体調は落ち着いたようだ。でもペラグリアがまだ安静にしていた方がいい、と忠告してくれたので鱗氏が来るまで布団にいる事にした。まだ食欲が無いので、女将が持ってきてくれたお茶だけを飲み、ペラグリアは塩お握りの朝食を「ご飯とは実に美味いものだな」と言いながら、私の分も元気に平らげた。やがて、良く眠れたようで少し寝ぼけ眼のヴァレンティールが顔を見せてくれた。

「ナツキ、まだ具合が悪いのか?」

 急いで枕元に座り込んで、私の手を握ってくれる。彼の顔を見ると、心底安心して落ち着く。甘えているなあ。

「もう大丈夫だよ。熱も下がったし」

「しかし、まだ食欲が無いのだろう? 心配だ」

 ペラグリアが、言った。

「ナツキはまだ安静状態だぞ。うるさく引っ付くな」

「落とし穴に姿が消えた後、どれだけ探してもナツキの存在を感じられなかったんだぞ。あんな思いは2度としたくない」

 ふん、と言ってからペラグリアは自分の銀色の鎧を手にして、何やらいじり始めた。


 しばらくして鱗氏が部屋に姿を見せたけど、ひどく難しい顔で私の横に座った。

「すまんがゆっくり話をしている時間がない。これから、3階の司書のウサギたちに会いに行く」

「え、何かあったんですか?」

「12階の本の増え方が異常だ。俺の所に出てくる本は古本の体裁で、冊数は少ない方なのに一晩で倉庫の天井まで満杯になった。こんな事は初めてだよ。だがこれが続くとえらい事になる」

「まさか、深海魚が何か……」

「さあなあ。ともかく、ウサギたちの方は何も無いか確認しておきたいんだよ。あっちはあらゆる本で、普段から冊数が多いからな。万が一、連中の巨大倉庫から本が溢れかえったりしたら、迷宮内が混乱する。12階の事も相談しておきたいし」


 私は急いで、『お魚たちの朗読会』のプリントアウトを鱗氏に見せた。

「鱗さん、一つだけ。この本って、普通に出版されたのもこんな表紙でしたか?」

「いや? 絵とか無い青色の地味な表紙だったな」

「じゃあ、本の中に挿絵も無かったですよね」

「ああ、無かった」

「手製本の方に、挿絵があったかどうかはわかりませんか? あったと思うんですけど」

 鱗氏は少し考えた。

「そこまでは記憶に無いから分からん。しかし凝った手製本だったから、挿絵はあっても不思議じゃない。どうした、何でそんな事が気になるんだ?」

 私は、『お魚たちの朗読会』の表紙の魚の絵を見ながら言った。

「祖父が、久満さんに手製本を借りた理由がわかったんです。剥製の深海魚に、物語の中の魚たちの絵を見せてやろうとしたんです。海辺でピクニックをしている魚たちの絵を」


 鱗氏は、とにかくまた後で会おうと私に言ってから、心配顔のヴァレンティールに「様子がわからなくて危険だから、12階には近づくな」と念を押し、早足で宿を出て行った。

 輝く銀色の鎧を着込み、銀色の長靴を履き、棒の武器を握り締め、でも首にはタオルを巻いた武装モードのペラグリアが言った。

「どうにも空気が不穏だ。12階からなるべく離れて、もう一つ上の階に上った方がいいと思うが」

 ヴァレンティールも賛成し、私もその方がいいと思ったので、宿を出て3人で階段を目指した。

 何事かあった時、11階のウサギや宿の女将や案内人が心配だけども、彼らはいざとなれば「本棚の裏の世界」に避難できるから大丈夫だとヴァレンティールが言ってくれたので、少しだけ安心した。


 階段に到着し、10階へ上る。距離が長いので、私は時々休憩が必要だった。ナップザックを持ってくれているヴァレンティールの腕にしっかり捕まり、寒いので彼のマントにくるませてもらっても、理由のわからない妙な不安と焦りが胸にじわじわと広がる。

 父親も、もしかしたらこんな感じで、焦っていたのだろうか……。


 ようやく10階に到着。

 この階は、珍しく天井から古風で丸い形のランプが間隔を置いて下がっている。でも灯りが点いているようには見えず、ただの飾りぽい。これも祖父のいつかの記憶なのかな。

 まず迷宮案内処を探して、紫色の派手な着物を着た案内人に鱗氏への伝言を頼む。

「はいはい、血縁者は10階に到着したとずいずい伝えておきますね。ダンジョン内が妙にざわざわ賑やかですから、逆さまに気を付けてくださいね」

 やっぱり住民も異変を感じているんだ。

 少し歩くと【本棚チョコレートケーキとコーヒーのみせ】があった。さすがに少し空腹を覚えたので入店して、茶色のエプロンのウサギにケーキセットを3人前注文する。

 暖かな空間の柔らかな椅子にほっと落ち着いたところで、ヴァレンティールが真面目な顔で私に言った。


「実はさっき、店主が私を脇に呼んで小声で言ったのだが。ナツキは一度ダンジョンの外に出た方がいいと忠告してやれと。体調の事をとても心配していた。」

「え……ダンジョンの外に……」

「私もその方がいいのではないかと思う。どちらにしろ、ナツキの世界の決まりで、長くダンジョンに居る訳にはいかないのだろう?」

「それはそうだけど、でも」

 このダンジョンの入り口があるダンジョンパークは、一応お役所の管理下にある。だからダンジョンに入る時は届け出が必要で、そして最長滞在期間日数は30日間となっている。毎日つけているメモを見ると、私がダンジョンに入って今で15日目ぐらいだ。届けは30日間で出してあるけど、最初は一通りダンジョンを見て久満老人の本の事を調べたら、さっさと出るつもりだったのだ。

 まさかこんなに色々な出来事が起こるとは思ってもいなかった……。

「ナツキ、一度外に出るなら私と姉上で1階まで送る。荷物も預かっておくし、外で元気になって、また私に会いに来てくれればいい」


 私は両手を握り締めた。鱗氏の心配してくれている気持ちは嬉しい。私の健康状態に加えてダンジョンで異変が起こっているから、私だけでも一旦脱出させようと考えているのだろう。でも。

「ヴァレンティールを待たせるなんて、絶対に嫌」

「ナツキ、私だって離れたくは無い。しかしナツキの健康を最優先に考えないと。ダンジョンは妙な世界だから、ずっといると体への負担が大きいのかもしれない」

「それでも嫌。ヴァレンティールが、私の事を待っているなんて耐えられない。待たせたくない。外に出たら、あなたや他の皆が心配で心配で余計に具合が悪くなる」

「ナツキ……」

 ヴァレンティールが困ったように溜息をついた時、ウサギがチョコレートケーキと熱いコーヒーを運んできてくれた。私達の会話を黙って聞いていたペラグリアが言った。

「とりあえず、結論は後にしてまず食べよう」

 大きなチョコレートケーキは、生クリームが添えられていて濃厚で甘くて美味しい。ブラックコーヒーとも良く合う。お気に入りのケーキ店のザッハトルテを思い出すなあ。

 あっという間に平らげたペラグリアが満足そうに言った。

「こちらの世界は、甘い菓子も美味いな。この黒い茶も苦いが香りが良い。機会があれば、甘い物好きの父上に食べさせて……」


 いきなり言葉を切って、ペラグリアが店の外、通路の方を見た。

 私も気づいた。かすかに地響きと聞き覚えのある妙な音。


 ――とっすん、とっすん、とっすん。ととっすん。

 ――とっすん、とっすん、とっすん。ととっすん。

 ――とっすん、とっすん、とっすん。ととっすん。


 黒ウサギの集団だ! 彼らが通路の向こうから行進してくる。

 ペラグリアは、物も言わず棒を握り締めて飛び出していき、私は慌ててポケットのレプリカ金貨3枚をテーブルに置いて、ヴァレンティールと店の外に出た。


 出た瞬間、ヴァレンティールと同時に「うわっ!」と叫んでしまった。

 見渡す限り、通路が黒ウサギの大集団でいっぱいになっている!


 前回のように夜にはなっていないけど、でもずっと薄暗くなっている。金色の派手妖精がまた何かしたのだろうか。

 立ち尽くす私とヴァレンティールの背後から、店主ウサギの「何だこれは!」という声が聞こえ、慌てて店内に戻っていった。ウサギの連絡網に伝えに行ったのかもしれない。


 黒ウサギたちは私たちの方は見向きもせず、全員直立不動で、どこか一点を見ている。そしてそのままの姿勢で素っ頓狂な歌を歌い出した。


 ――真っ暗闇でもへへいへーい、僕らは最高黒ウサギ

 ――真っ暗闇でもへへいへーい、僕らは最高何でも見える

 ――真っ暗闇でもへへいへーい、音楽あればもっと最高

 ――真っ暗闇でもへへいへーい、運んで運んでもっと運べ

 ――真っ暗闇でもへへいへーい、音楽あればもっと運ぶ

 ――真っ暗闇でもへへいへーい、なぜなら僕らは最高ウサギ!


 私を胸に庇うように立つヴァレンティールが呟いた。

「何という下手くそな合唱。全く音が合っていないではないか。専用の楽師が必要なはずだ」

 思わず笑いそうになってから、はっと気が付いた。


 黒ウサギたちが見つめる通路の前方が、切り取られたように真っ黒な暗闇になっている。

 すぐ手前まで黒ウサギの集団が立っているけど、その先頭にペラグリアが仁王立ちになって暗闇と対峙している。

 ペラグリアが手の棒を暗闇に突き付けるようにして、大声を出した。


「姿を見せろ、卑怯者!」


 どこからか、大量の水が流れる音が聞こえてきた。


 そして、暗闇の中に、あの暗黒女王が紫色の瞳を輝かせながら、浮かんでいた。

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