目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

30:迷宮大異変

 暗闇の中に浮かんだ暗黒女王は、その場でふわりと回転し、長い黒髪や暗い赤色のワンピースもふわふわ揺れる。前に会った時より、ずっと年上に見えるのは気のせいだろうか。

 暗黒女王の低い声が響く。

「お前に卑怯者と呼ばれる覚えは無いが」


 ペラグリアの凛とした言葉も辺りに響く。

「ふん、この耳の長い者を操って騒乱をまき散らしておきながら、自分は暗闇に隠れている。十分卑怯だろう」

 黒ウサギたちの耳が一斉にパタパタと動き、ペラグリアが振り向いた。

「背後から襲ってくるなら襲ってこい! 耳の長い者ども」


 また暗黒女王が回転した。妙に落ち着きが無いように見える。

 向き直ったペラグリアが右手の棒を高く掲げた。

「私の鎧が不愉快か。魔除けの効能はこの世界でも通用するようだな」

 急に暗黒女王の姿が大きくなった、ように見えた。

「実に不愉快だ。お前は嫌いだ銀色の者よ。嫌いだ嫌いだ嫌いだ」

 紫色の瞳が強く光り出した。

「だがもう遅いお前に逃げ場は無いぞ銀色の者よ他の者も全て」

 ペラグリアが叫んだ。

「逃げ場があっても逃げなぞするか! タイドリアン王国の民の勇猛と誇りを舐めるな!」


 頭の上から地響きと、水が流れる轟音が同時に聞こえた。

 通路にぎっしり並んだ黒ウサギたちが、一斉に耳とヒゲを震わせながら上を見上げた。


 私とヴァレンティールも、天井を見上げた。天井から下がっている丸いランプが激しく揺れて、本棚の上の方から、本が何冊もバラバラと落ちてきた。危ない! こうなると分厚い本は凶器だ。

 けれど、今立っている地面は揺れていない? 私はぞっとした。


 上の階……9階で何か起こってる?


 ヴァレンティールが、私を本棚の隙間に引きずり込みながら叫んだ。

「上から破壊音が聞こえる! 姉上! そこは危険だ!」

「やかましい! 貴様たちは隠れていろ!」

 ペラグリアがこちらを見ずに怒鳴り返すと、そのまま棒を構えて暗闇に突っ込んで行き、姿が見えなくなった。

「まったく気の短い……!」とヴァレンティールが小声でぼやく。


 暗黒女王は急に小さく、遠くに去って行くように見えた。


 私は突然父親の手紙を思い出した。

 ――菜月も出会う事があれば、質問してみるといい。


 そうだ!


 私はヴァレンティールの手を振りほどくと、黒ウサギを突き飛ばしながら通路に飛び出し、大声で叫んだ。

「深海魚はどこにいるの!?」

 暗黒女王は、首を動かすと真っすぐに私を見た。紫色の瞳が細くなる。

「深海魚は迷宮の15階にいる。最も深い深い場所」


 よし、答えがあった。15階? 扉のある階だ!


「どうしてダンジョンが変になったの!?」

「崩壊が始まっただけだ。永遠に存在する物は存在しない。迷宮は終わる。逃げ場は無いぞ」


 勝ち誇ったような言い方に猛烈にむかつく。崩壊だと? 絶対にさせてたまるか。


「あなた、ダンジョンに何かしたの!?」

「私は揺らした。迷宮は水槽だ。揺らせば中の全てが揺らぐ。壊れそして怯えたお前たちの姿が悪あがきする姿が覗き見られる」

 何て悪趣味。暗黒女王は嫌な笑顔を浮かべ、私は大きく息を吸った。

「幾らでも悪あがきしてやるわよ、迷惑女! このダンジョンを、皆を救う方法はあるの!?」


 暗黒女王の姿が急に見えなくなり、声だけが響いた。

「深海魚に聞け。悪あがきをしろ血縁者。血縁者はお前しかいない。悪あがきをする姿を見せろ血縁者。ああ楽しみだ」


 笑い声が遠くに聞こえ、暗闇が消えて通路の向こうが見えるようになった……瞬間、大量の水が、ドオッ! という大音響と共に通路に流れ込んできた。

 あっと思う間もなく、通路に立っていた私と黒ウサギたちは水になぎ倒されたようになり、通路を悲鳴と共に塊になって流された。

 が、幸いすぐに水は止まった。ヴァレンティールの叫び声を聞きながら、ずぶ濡れになって何とか立ち上がる。周囲の黒ウサギたちは、倒れたり座り込んで呆然としている。この水、妙に生暖かいけどウサギって水に弱いんじゃ……。


 ヴァレンティールが黒ウサギを蹴散らし、駆け寄って来て、私の体を彼のマントで包みながら怒鳴った。

「全く無茶をする! あんな危険な場所に飛び出して行って、何かあったらどうするつもりだ!」

 私も思わずカッとなって怒鳴り返した。

「危険かどうかぐらいわかってるわよ! あの女に用があったんだから仕方ないでしょう! あなた、私の事を何でも心配しすぎよ!」

「心配して当たり前だ! これ以上何かやったら、縛り上げて1階に運んで外に放り出すぞ!」

「そんな乱暴な事したら、絶対に絶交するからね!」

「子供じみた事ばっかり言うな!」

「そっちこそ!」


 お互いに睨み合った瞬間、ペラグリアの冷静な声がした。

「痴話喧嘩は後にしろ。今はそれどころじゃない」

 痴話喧嘩あ!? キッとなって横を見ると、私と同じようにずぶ濡れになったペラグリアが厳しい顔つきで立っていた。

「9階へ続く階段が崩壊して通れなくなった。どうやら私たちは閉じ込められたようだ」


 あっという間に水が引いた通路を歩いて、少し先にある階段をヴァレンティールと共に急いで見に行く。

 階段の入り口は、材木や石の瓦礫で完全に塞がれて埋まったようになっていた。

 隙間に本らしき物が見えるのは、もしかして9階の通路にある本棚が崩壊して、階段に雪崩れ落ちたのだろうか。9階がこんな事になって、それより上の階は……鱗氏やウサギたちや、住民の皆は……。

 膝がかくかくと震える。


 私がヴァレンティールのマントにくるまって立ち尽くしている間、ペラグリアはヴァレンティールに見張らせながら、身軽に本棚をよじ登って、10階の天井を調べていた。彼女が履いている銀色の長靴は、何らかの操作で一定の時間だけ身を軽くする効果があるらしい。

 やがて本棚から飛び降りたペラグリアを、ヴァレンティールがちゃんと下で受け止めてやる。何のかんのと言っても、この姉弟は互いを信頼している。


 通路に立ったペラグリアは眉間に皺を寄せていた。

「ここの天井は幸い何ともないようだ。だが9階の気配が全く伝わってこない……やはり崩壊して、無人状態になったと考えた方が良さそうだ」

「9階から上は無事なんでしょうか……」

「今は何とも言えない。ヴァレンティールの話では、本棚の裏に別の世界があるらしいな。そちらが無事ならば、何とか連絡が取れて脱出の方法も見つかるかもしれない。しかしまずは11階の様子も確認してこよう」


 ペラグリアは濡れた姿のまま「ここは任せる」と言い置いて走って11階に向かい、ヴァレンティールが呆けたように通路に座り込んだままの黒ウサギの集団に声をかけた。

「この場のお前たちの中に、首謀者というか責任者はいるのか?」

 黒ウサギたちは、ざわざわと互いに顔を見合わせ一人が答えた。

「いや別にそういうのは……」

 そういえば、以前司書ウサギが、黒ウサギたちは全く統制がとれていない、各自好き勝手をやるウサギ集団だと苦々しげに言ってたな。

 私が横から声をかけた。

「あんたたちの金色の派手女王はどうしたの? 先頭に立って騒いでいそうなのに」

 一人の黒ウサギが情けない声を出した。

「女王は少し前から姿が見えなくなったんだ。みんなでどうしたのか心配していたら、周囲が真っ黒になって、気が付いたらここにいた。急に水に流されてびっくりしたけど……さっぱり訳がわからないよ」

 やっぱり暗黒女王に操られていたようだ。それにしてもあの派手妖精の姿が見えないって……。


 一度に異変が押し寄せてきて、身体が冷たくて固まったようで重い。父親の手紙を思い出す。

 でも、お父さん、私、これ以上頑張れるかな……。


 ぼんやり立っていると、私のナップザックを担いだヴァレンティールがそばに来た。

「喫茶室のウサギはどこかに避難したようで、無人になっている。今から案内処に行こう。あそこは、他の所より他の階と連絡が取りやすいはずだ。濡れたままなのは寒いだろうが、もう少し我慢してくれ」

「……うん」

 ヴァレンティールはいつものように腕を貸してくれるけど、私と少し距離を取っているような感じがする。さっき喧嘩をしたせいかな……彼のマントに包まったまま、しょんぼりと案内処に到着すると、紫色の派手な着物を着た案内人が困った顔で室内を歩き回っていた。

「ああ、ご無事でしたか。しかし全くさかさまにとんでも無い事で。どうぞ椅子にぐいぐいと座っていてください」

「9階への階段は完全に塞がっている。他の階と連絡は出来たか?」

 ヴァレンティールの問いに、案内人は両手を振り回した。


「塞がっている! 何ともはや。それが、連絡網は繋がってはいるようなんですがねえ、どうも反応が無いんですよ。何せ下の階も見えず聞こえずで。閉鎖はどこにも無いですし、あちらからの接触を待つしかないですね」

「そうか……」

「私も、閉じたようで元の世界に戻れなくて困っています。ウサギ世界の通路が無事なら特別に迂回させてもらえるかもですが、これもさかさまで」

「いよいよとなれば、ここを出て通路を歩いて移動する事になるな」

「そりゃまあ覚悟はぐいぐいとしておきますが、この案内処を放置するのは嫌ですねえ。それに、変な事が降ってきましてぽぽんと悩んでいます」

「変な事?」

「温泉のですね、くっきり印がですね、消えちゃったんですよ。隙間が閉じたんじゃなくて完全にどーんとこの階から消えました」

 私は思わず顔を上げた。

「まさか、さっき通路を流れてきた水は温泉から? なんか温かい水だと思ったけど」

「多分そうかもですねえ。理由は不明ですが、案内人用の案内地図から温泉が消えたのなんて、初めてで、さかさまもいいとこですよ。復活するといいんですが、しかしねえさすがに」

 あんな大きくて広い温泉が消えた……10階の温泉ってどんな温泉だったかな。何もかも焦点が合わないようで上手く思い出せない。


 案内人は、もう一度様子を調べてくると言って奥の方に姿を消した。

 黙って座っている私を、急にヴァレンティールが抱き上げ、気がついたら彼の膝の上でぎゅっとマントごと抱き締められていた。

「……さっきは怒鳴って悪かった」

「謝らなくていいよ。心配してくれてたのはわかってたし」

「本当にナツキは私に心配ばかりかける。しかし危険な事や無茶はしないでくれ」

 さっきは、絶対にダンジョンを崩壊させない、皆を助けるために悪あがきをしてやると思ったけど、でも崩壊した階段を見て、怖くて怖くて気力が完全に無くなって、力が消えてしまったような気がする。


 私は、ここで死ぬか消滅するんだろうか……。もうすぐ死ぬ、と一人で手紙に書いて外に出て、一人で死んでいった父親は何を考えていたんだろう。


「ごめんね、ヴァレンティール。こんな妙なダンジョンに取り込まれて、戻れなくなって、巻き込まれて……必ず故郷に戻って欲しかったのに、ごめんね」

「別にナツキが謝る必要は無い。ナツキのせいではないだろう」

 ヴァレンティールが私の髪に顔をうずめた。

「誓っただろう。私は何事があっても、ナツキの側にいる」

 そうだね……私にはヴァレンティールがいてくれる。


 ようやく気分が落ち着いて、彼の胸に頭をぐりぐりこすりつけていると、急に通路の方が騒がしくなった。何やら黒ウサギたちが大声を出したりして、まるで喧嘩をしているようだ。

 その声に混じって、聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえてきた。


「やかましい! お前たちが好き勝手ばかりするからこういう事態になるんだ! おかげで本棚も本も無茶苦茶だ! 落ち着いたら全員倉庫で無償労働をさせるからな! 抗議は受け付けん!」


 司書ウサギの声だ!

 ヴァレンティールと顔を見合わせてから、2人で通路に飛び出した。

 そこに、毛並みもエプロンもくしゃくしゃになった、その上埃だらけになった司書ウサギが立っていた。しかし胸の金色のリボンはしっかり光っている。思わず叫んでしまった。

「ウサギさん! 良かった!」


司書ウサギは、ぺしぺしと顔の埃をはらった。

「おお血縁者に店番の楽師、無事だったか。9階の本棚と通路が突然崩壊して、10階への階段とウサギ世界の通路が使えなくなったので、喫茶室と繋がっている緊急用のウサギ小通路しょうつうろを通ってきた。狭くて通り抜けるのが大変だったから、今後の改善が必要だな」

 私は駆け寄り、司書ウサギに抱き着いた。


「本当に良かった! 心配で心配で……他の皆も無事? 鱗さんは?」

 司書ウサギの両耳がバタバタと激しく動いた。

「あー安心していい、何とか無事だ。9階の皆は本棚の裏に避難して閉じ込められはしたが、少しずつウサギ小通路で脱出している。ただ9階から下の様子が不明だったが、喫茶室のウサギが脱出して、黒ウサギの集団が大騒ぎしていると緊急報告してきたので、状況確認の為に私が来た。後で詳しい話を聞かせてくれ」


 ヴァレンティールの低い声が聞こえた。

「そうか、安堵したぞ……ナツキ、ウサギといえども男性だ。私の前で抱き着くのはやめてくれ」

 司書ウサギがヴァレンティールの少々場違いな抗議にムッとしたような声を出した。

「私には妻がいる。別種族の女性に抱き着かれたぐらいで動じはしないぞ」

 私はちょっと驚いて離れた。

「え? 奥さんがいるんだ」

「驚くような事か? 申し訳ないが、私の妻は血縁者より遥かにしとやかで美人だからな」

 こんな時なのに、何だか声を出して笑ってしまった。そして笑いながら心の中で決意した。


 ――深海魚に会いに、ダンジョンの一番深い場所、15階に行こう。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?