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32:唯一無二の血縁者

 ヴァレンティールが、冷気の塊がダンジョンの天井を走っていると言い出した直後から、通路から足元に冷たい空気が勢いよく流れてきた。うわ、と慌てて避けたけど、急に寒気が背中まで走って気持ちが悪くなってきた。何だこれ。


 このまま資料室を使うという司書ウサギと一旦別れ、私たちは通路へ出ると急いで宿へ向かった。

 ダンジョンの通路を歩いていても、確かに冷風とは違う痛いような冷気がぶつかってくる寒さで、ヴァレンティールのマントに包まっていて彼の腕にすがっていても、震えがきてヨロヨロとしか歩けない。これもダンジョンの異変だろう。

 ヴァレンティールとペラグリアは寒さに強い種族だけども、それでもずっと低温の場所にいると動きが鈍くなってくるらしいし、ウサギたちやダンジョンの住民が寒さに強いとは思えない。


 ――このままダンジョンがどんどん冷えていったら……。


 何とか宿に辿り着き、心配顔の女将に迎えられすぐに部屋に入れてもらった。宿の中はまだ暖かで、ほっとする。

 でも、私の震えは止まらない。

「顔が真っ青だ。何とかウサギ医者に連絡を取って薬を届けてもらうから、ナツキは暖かくして安静にしていろ」と言うと、ヴァレンティールはマントを羽織って急いで部屋から出て行った。


 ペラグリアは宿のシャワールームでお湯を浴びて着替え、私はその間に何とか寝間着に着替えて布団に潜り込んだ。でもまだ身体がカクカクと震える。温泉が消滅したのが恨めしくなってくる。

 私が貸しているグレーのジャージに着替えたペラグリアが、私の様子を見て女将から熱いお茶を貰ってきてくれた。大きなカップでお茶を啜って少し一息つき、布団の中が徐々に暖まるのと同時にうとうと眠ってしまった。やっぱり身体が弱っているんだろうか……。


 どれぐらい眠っていたのだろう。低い話し声でぼんやりと目が覚めた。

「お前、シルヴァリーナのような癒しの技は使えないのか?」

「無茶を言わないでくれ。技は一つしか操れないのは知っているだろう」

「私は技を持たないから、その辺の感覚は良くわからん。メルフィーナスが何をやっているのかも謎だったし」

「姉上の能力は武力と体力に全振りだからな。まあメルフィーナスは石だから確かに分かりにくい。リューミネアの魔除けの技があればナツキを助けられたが……私の技ではナツキを守れないのが腹立たしい」

「お前は、ナツキをひたすら追えばいい。しかしセリナーヴェがいれば、あの黒ウサギ連中をまとめて大人しくできるだろうに」


 4つ子の妹たちの話かな……身動きをすると、ヴァレンティールが気づいて枕元に来て額に手を当ててくれた。

「ナツキ、目が覚めたか。熱は無いが気分はどうだ?」

「ありがとう、大丈夫。身体も温かくなって震えも止まったし」

「通路の妙な風は今は止まっている。それより、店主からウサギ経由で差し入れが届いた」

「え? 鱗さんから」

 ヴァレンティールが嬉しそうにウクレレを掲げて見せてくれた。

「私には楽器、ナツキには薬だ」

 鱗氏が私の体調を心配して、くれぐれも無茶はするなという伝言と共に、医師ウサギに頼んで小型の容器に入った特製薬湯と特製果実水を届けてくれたのだ。これは嬉しい。

 起き上がって頑張って特製薬湯を飲み、口直しにひんやり冷たい特製果実水を飲む。果物のミカンのような爽やかな甘さは久しぶりなので、これで元気が出そうだ。


 私が落ち着いたのを見計らって、ペラグリアが改めて私に聞いた。

「この妙なダンジョンに入り込んでから、立て続けに異変が起きてゆっくり考える暇も無かった。そもそも、ナツキはなぜ、こんなダンジョンと縁が出来たのだ? ヴァレンティールから大体の話は聞いたが、ナツキからもきちんと詳しく聞かせてくれ。原因がわからねば、手助けも守る事も出来ない」

 私は、真剣な表情のペラグリアを見た。

「……そうですね。いい機会だから、ヴァレンティールにもきちんと聞いてもらいます。長い話になりますけど」

 私は、深呼吸をして気持ちを整えた。

「このダンジョンに関しては、実はまだ理解できていない点がもとても多いんですけど。そもそもの発端は私の世界でずっと昔、大陥没が起きて――」


 私は大陥没で屋敷ごと地底に落ちた祖父、その祖父に本を貸していた久満老人、祖父の蔵書を元にして出来上がったダンジョン、やがて土地が隆起して地上に出現したけれど息子である父親しか入れなかった過去を話した。そして父の探索と病死、結果私がダンジョンを相続という形で引き継いで、久満老人の強引な頼みで本の探索の為に血縁者としてダンジョンに入った話をした。そしてダンジョン内で鱗氏から聞いた祖父の最期とダンジョンで本が増え続ける理由の推測を話し、暗黒女王と出会った事と私が見た海辺と深海魚の不思議な夢の話もした。


 最後に私は父親の手紙をナップザックから取り出すと、意味不明の所があるけど……と断ってから、読んで聞かせた。

 手紙を読み終わってから、ヴァレンティールが口を開いた。

「お父上は、本当にナツキを大切に思っていたのだな」

 意外な言葉に私は驚いた。

「え? それは。まあ……でもどうかな。私が子供の頃に家を出て行って、その後はあまり会ってないし……この手紙でも、頼み事だけで別に私の心配なんかしてないし」

 可愛がられた記憶なんてほとんど無いから……私が俯いて手元の父親の文字を見つめていると、ヴァレンティールが静かに言った。

「ナツキにも思いはあるだろう。だが今、間近で見るナツキの手元にある手紙からは、絶対に娘を守るという強烈な思念を感じる。二重底の奥深くに隠されていたのに、姉上が気づくはずだ。ナツキに扉を閉めるように頼んだのは、お父上にとってよくよくの事だったのだろう」


 そういえば、黒ウサギはお宝が入っていると感じてナップザックを持ち去ったし、ヴァレンティールは「黒ウサギにナツキの一部を持ち去られたような感覚」と言っていた。本の妖精や暗黒女王もナップザックの中身を気にしていた。全部、父親のこの手紙が隠されていたからなのかな……もしかして、気づかなくてもダンジョンに入ってから、ずっと私を守っていたのだろうか。


 ペラグリアが指先で手紙に軽く触れて言った。

「ダンジョンの15階に向かう時はこの手紙を懐に入れていけ。必ずナツキを守ってくれる」

「……はい」

 あまり実感は無いけれど、私は素直にうなずいた。


 ペラグリアが妙に楽しそうに言った。

「しかしあの女、暗黒女王などと偉そうに自称しているのか。ナツキとダンジョンの件が解決したら、私は何としても14階に行って、ぶん殴ってやる。必ずな。ダンジョンに興味があろうがなかろうが、ぶん殴って追い払ってから<裂け目>とやらを閉じてしまえば良い」

 ヴァレンティールが呆れたように言った。

「姉上が無茶をするのはいつもの事だが、見た事も無い<裂け目>をどうやって閉じるつもりだ?」

 ペラグリアが不敵な笑みを浮かべた。

「そんな事は、その時になったら考える」


 癖なのか、美しい銀髪をわさわさとかき回しながら、ペラグリアが言った。

「さーて。暗黒女王の件はさて置き、本当に訳のわからないダンジョンだな。本棚と本は無限に増えて、通路の長さは有限か。確かに無限に歩くわけにはいかんからな。しかしナツキのお父上は、本が増えるのを止めれば良いと考えていたようだが、今の事態は遥かに深刻で複雑だぞ」

 ヴァレンティールがうなずいた。

「確かにそうだな。お父上はその深海魚との出会いや接触……は無かったようだが、そこがどうも気になる」

 深海魚……父親は本が増えるのは止めたかったようで色々調べていたし、私にも「無限の記憶庫」の扉を閉めろとは言っている。でも確かに深海魚の事は知っていても、夢などで出会っていないようだし、私のように会いに行こうともしていない。必要は無いと考えたのだろうか?


 ――扉を閉めれば、本の増加は止まり、本棚を増やす必要はなくなり、ダンジョンは安定するはずだ。


 父親がダンジョンの不安定さに危機感を持って焦っていたのは確かだけども、今は既に崩壊が始まっている。恐らく、父親の予想よりはるかに早く。


 もしかして……父親が最後にダンジョンを出て、次に私が入るまでに何かあったのだろうか。


 私という新しい血縁者がダンジョンに入ったのがきっかけかもしれないけど……鱗氏は初めて会った時、思念が揺れて私がダンジョンに入った事に気づいたと言っていた。でも一時的とも言っていた。きっかけかもしれないけれど、異変の規模が大きい。何か他の要因は考えられないだろうか?

 これがはっきりすれば、深海魚に会った時に話や要求がしやすいかもしれない。


 私が考え込んでいると、宿の女将が熱い薬草茶と一緒に夕食を持って来てくれたので、ひとまず休憩にして食事にした。気分転換は大事だ。

 大皿にぎっしり並べられた塩お握りと、大きな器に山盛りになった揚げたてフライドポテト。

 妙な取り合わせだけど、私の好物なので嬉しい。3人で食べながら、タイドリアン王国の盛大なお祭りに関するペラグリアのお喋りを聞いた。海上に煌びやかな船が何十隻も並び、勇壮で美しい眺めだそうだ。


 懐かしそうに聞いていたヴァレンティールが、ふと思い出したように言った。

「そういえば姉上。私が国を出る頃に、母上と父上が進めていた姉上の縁談はどうなったのだ?」

 ペラグリアは塩お握りを頬張りながら、ぷいとそっぽを向いた。

「……あれか。少し前にぶっ壊してやった。一度求愛を拒絶されたぐらいで引っ込むような男に、興味は無い」

「またか? 全く……これで何度目だ。父上の一族の優秀な者だったのだろう? 姉上は母上の後継者なのだぞ。早く夫を決めてきちんとせねば、臣下たちに要らぬ苦労をかける事になる」

 珍しく弟に諫められて渋面で黙ったペラグリアを見て、ヴァレンティールが目を細めた。

「……姉上。もしかして私の捜索というのは口実で、破談の際の揉め事や父上の怒りから逃げるために国を出てきたのではないだろうな? ならば次期女王として思慮が浅すぎるぞ」

「やかましい。妹たちが探しに行けとうるさかったのは本当だ。どちらにしろ、地震が起こったせいで蒼穹神殿の祭壇が崩壊したからな。怪我人は出なかったが、長期間の修復作業が必要になって婚約の儀式などは当分無理だ。ざまあみろ」

「姉上! ナツキの前で乱暴な言葉遣いはやめてくれ」


 普段勇ましいペラグリアの強がりを見て、思わずくすくす笑ってしまった。でも、タイドリアン王国にも地震があるんだな。

「ペラグリア、お国では地震は良く起きるんですか?」

「たまに起きるな。建造物の被害は少ないが、海に囲まれた国だから津波には特に注意している」

「そうですよね。外の世界というか、私の国はとにかく地震が多くて被害も出るんですよ。地震予知もまだ不確かだし」

 今となっては、あの時の地震騒ぎでダンジョンに入るのが一か月も遅れたのが恨めしいよ……。


 ふと、私はカップを持った手を止めた。

 ――地震?


 地震……そうだ!

 あの時大きな地震があって、ダンジョンパークにある他のダンジョンの通路の壁が崩れて、大騒ぎになって一か月の間閉鎖された。ダンジョンは地中にあるから、地震が起これば同じように揺れる。

 異変の進行が早くなったのは、あの時の地震せいじゃないだろうか?

 私はヴァレンティールの方を向いた。

「ヴァレンティール、最近、私と会う前に地震みたいに地面が揺れた事はあった?」

 ヴァレンティールはいきなりの私の問いに驚きつつ、考えてから答えた。

「いや、そういう事は一度も無かったが。どうしたのだ、何か思いついたのか?」


 ……揺れは無かった?

 私は返事をせずに、必死で考えた。

 いや、揺れは無くても……もしかして、地震の度にダンジョンは少しずつ見えない損害を受けて、長い年月の間に歪んでいったのではないだろうか。

 ダンジョンの住民が何も感じないうちに。ここはとても脆い世界なのだから……。


 私は、過去の地震に関するニュースを思い出そうとした。

 ダンジョン内の年月経過ははっきりしないけど、存在しているのは地震大国の地中だ。

 大陥没の時はともかく、地底で深海魚がダンジョンを作り上げてからも、何度も首都が揺れる地震があったのは確かだ。鱗氏が亡くなった事故も地震のせいだし、地表に出現した時もかなり衝撃があったのでは? そして地震の度に歪みが徐々に限界に近づき、私がダンジョンに入る直前のあの地震で、一気に崩れ始めた……十分に考えられる。


 そして私がダンジョンに入った後にも、何度か地震があったとしたら……。

 9階の崩壊と温泉の消滅は規模が大きい……ダンジョンの外、首都でもっと大きな地震が……。

 ぞっとした。また同じくらい激しく揺れる地震が起こったとしたら?


 私は再度、心配顔のヴァレンティールに尋ねた。

「最近、何かダンジョンで普段とは違う現象は無かった? いきなり本棚から本が落ちて来たとか、何でもいいから」

 ヴァレンティールは、しばらく黙って真面目に思い出そうとしてくれた。

「……そういえば。4階の本棚というか壁が妙な事になったな。本棚のための壁がいきなり物凄く長く伸びて、ウサギたちが本棚を作っても作っても空いた壁が出てきて苦労していた。時間外作業の指令が出たと、ウサギが店で愚痴を言っていたな。早朝から夜遅くまで、4階のあちこちで本棚工事をしたり本整理をしていたから、結構うるさかった覚えがある」

「それ、いつ頃だった?」

「うーん。ナツキが初めて店に来た日より少し前だったな。そうだ、ナツキが黒ウサギに襲われた時も、本棚工事をしていたぞ」

「ああ、あの時。確かに通路に大勢ウサギがいたね……壁が伸びた……無限の本棚が妙な事になった……」


 私は顔を上げて、ヴァレンティールとペラグリアを見た。

「ダンジョンが崩壊し始めた原因は、外の世界の地震のせいだと思う。地震が起これば、普通のダンジョンは同時に揺れる。でも、このダンジョンは違う。理由はわからないけど、揺れずにひたすら衝撃を貯め込んで、ウサギや住民が気づけないうちに、どんどん組み合わせの空間が歪んでいって……そして限界が来た。

 暗黒女王は、別の世界からずっと観察していたから、地震の度にダンジョンが歪んでいくのに気づいた。悪趣味だから、崩壊が始まりそうになった時に、本の妖精を巨大化させたり黒ウサギ連中を操ったりして、ダンジョン内を余計に混乱させて、ウサギや私たちの様子を眺めて面白がっていたんじゃないかな」


 そして念の入った事に、本の妖精を言いくるめて本をダンジョンから持ち出させ、ダンジョンそのものに大打撃を与えた。9階の崩壊にも関係があるかもしれない。とことん迷惑で嫌な存在だ。


 ヴァレンティールとペラグリアは顔を見合わせてから、ヴァレンティールが言った。

「確かに、ナツキの推測には一理ある。しかし、ならばどうする?」

 私ははっきりと言った。

「深海魚は、このダンジョンを作った存在だけども、地震で受ける被害や歪みに気が付いていないような気がする。だから会って話をして、もっと頑丈な、水槽なんかじゃない、もっと強固な揺れても大丈夫なぐらいの空間に作り変えるように説得する。それから、父の手紙にあった記憶庫の扉を閉じる。本が増えるのが止まれば、ダンジョンが安定するのは確かだと思うから」

「ダンジョンを作り変える? それは……やりようによってはとても危険だ」

「わかってる。でも、それしか無い。9階の崩壊は、外の世界で大きな地震が起こったせいかもしれない。もしもう一度大きな地震が起これば、それこそもっと大規模な崩壊が起きて、皆が傷ついてしまう。それだけは絶対に避けたい」

 ペラグリアが言った。

「確かに巨大な空間を作り変えるのは危ない賭けだが、ここまで事態が進んでしまえば、危険の度合いは同じだろう。大きな地震は、続けて何度も起こる。さっきの崩壊は何とか助かったが、次は無いかもしれない。我々に逃げ場は無いからな」

「姉上……」

「ナツキは、やるべき事をやると決意した。私もお前もやるべき事をやるだけだ」

 ヴァレンティールは姉の顔を見てから、黙って私の手を固く握り締めた。


 ……ヴァレンティールに辛い思いをさせていると考えるだけで、胸が張り裂けそうだ。でも私がやるしかない。


 私はただ一人の血縁者だ。

 このダンジョンが出来るきっかけになったのは、祖父なのだ。そして父親はダンジョンを救おうとして力尽きた。


 私は、父親の手紙を見た。

 ―私はその世界が、住民の皆がとても好きだ。

 ―たとえどんな理由があっても、一つの世界を終わらせたくない。


 私もだよ、お父さん。


 ダンジョンが崩壊すれば、繋がって存在している「本棚の裏の世界」もただでは済まないだろう。


 巻き込まれたヴァレンティールとペラグリア、鱗氏や雑貨屋の店長、司書ウサギとウサギたち、街灯ネズミ、まだ会った事のない住民たち。 

 絶対に絶対に助ける。


 暗黒女王のあざけりを思い出す。

 ――悪あがきをしろ血縁者。血縁者はお前しかいない。悪あがきをする姿を見せろ血縁者。


 血縁者として、とことん悪あがきをしてやる。そしてペラグリアに、私の分まで暗黒女王をぶん殴ってもらおう。


 それにしても、ここに鱗氏がいれば色々意見を聞けたのにな……と残念に思って、ふと気になっていた事を思い出した。よし、知りたい事は今のうちに知っておいて15階へ向かおう。私はヴァレンティールとペラグリアに言った。


「どうしても尋ねたい事があるから、資料室にいる筈のウサギさんにこれから会いに行く」

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