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第6話 雨宿り、一人と一匹

 パッパー! 

「……え?」

 雨で滑るタイヤの空回る音をまき散らしながら、トラックがこちらに突っ込んできた。

 雨粒の一つ一つがゆっくり落ちてくるように感じた。

 避けなきゃ、もう遅い、赤信号だった、猫野さん、謝りたい、私……。

 ……あれ、前にも似たようなことがあったような?

 プァァアアアァ!!

「柊さん!!」

「うわぁっ!?」

 ドッ! パッシャーン!

 突き飛ばされて水たまりに転がる。

 パッパー!!!! パッ――――!!

 どこ見てんだ馬鹿野郎!! と言わんばかりにクラクションを鳴らしてトラックは雨の道を去っていく。

 猫野さんはびしょ濡れな私をぎゅっと抱き寄せた。

「よかった……柊さん無事だわ。本当によかった……」

「わ……私……猫野さんに謝りたいことが……くしゅん!」

「私の方こそ……ふふ、私達濡れ鼠ね。ちょうど公園の東屋が見えるし、雨宿りがてらそこで話さない?」

「そう、ですね……」

 パタタタタタタタタターー。

 東屋の屋根を強く叩く雨音を聞きながら、私と猫野さんは並んで雨が止むのを待つ。

「ふふ、これってちょうどあの時と逆じゃないかしら。あの日もこんな雨で、柊さんは私をトラックから助けてくれて……」

 微笑みながらいきなり語り出した猫野さん。

「えっと……な、なんの話でしょうか?」

 身に覚えがないので尋ねると、猫野さんは「あっ」と沈黙。

 ……なに今の「あっ」は。

 この沈黙はなに? わ、私聞いちゃいけないことを聞いた?

「……ごめんなさい柊さん、今の話はやっぱり忘れてくれない? 私はこれからも柊さんをからかったり、悪戯したり……柊さんの傍にいたいから。っていうか好きよ!」

 ピッシャーン!!

 稲光と共に、雷がどこかに落ちる音がした。

「うにゃああん!?」

「はべしッ!? な、何? なになに何なんですか!? 目の前が真っ暗に……ん? 濡れていても分かるこの毛の質感、そしてこの肉球は……猫!! どこから現れて私の顔に!?」

「ニャァアアン!! シャアアア!!」

「いだだ、いだだだだ! 爪が! 顔に爪がくいこんでます!! ええい! 離れてください!!」

 やっとのことで猫だと思わしき生物を引きはがすと、隣に猫野さんの姿はなく、代わりに、私が首根っこを掴んでいたのは……。

「……ノラちゃん? 嘘、なんでここに」

「……にゃー、不本意な形でバレちゃったわねぇ」

 え……?

「の、ノラちゃんがしゃべッ、喋った!? しかも猫野さんの声で! 何で!!??」

「あー、バレてなかったのね……。まあ、もう遅いか」

 猫野さんは雷が嫌いらしい。

 猫だから……?

 今はもう猫じゃなくて猫野さんの姿に戻ってるけど。

「じゃあ、熱帯魚を見て食べたいって言ったのは……」

「そうね。全て本心よ。猫だから。受け入れてくれて嬉しい限りだわ」

「それは、まあ……」

 いくらコミュ障な私でも、目の前で人から猫、猫から人の姿になるのを見せられれば信じるしかない。

 雨はまだ止まず、激しく東屋の屋根を叩いている。

「一年前、トラックに惹かれそうになって柊さんに助けられた時、私、すごく安心したのよね。足のケガが治るまでの間柊さんと一緒に過ごせて幸せだった。その時からかしらね、この胸の内で燃ゆる恋情は……」

 無駄に詩的だけども、今は確認せねばならぬことがあった。

「えっと……。ね、猫野さんとノラちゃんと、どっちで呼べばいいですかね?」

「どっちでも柊さんの好きな方で構わないわ」

「じゃ、じゃあ、猫野さんで。し、質問なんですけど、猫野さんはなんでノラとしてじゃなくて猫野さんとして私の前に現れたんですか?」

 ややこしい尋ね方だが、猫野さん=ノラという事実が既に十分ややこしいわけで……わ、私は悪くないもん!

「猫の姿じゃ柊さんに恩返しできないからよ。それに人間の姿ならずっと柊さんの傍にいられるじゃない? まあ、たまには生魚食べたいし猫に戻るけどね」

 生魚食べたいんだ……。

「恩返しってなんです?」

「勿論、一人ぼっちな柊さんを一人にさせないことが恩返しね」

「よ、よけいなお世話ですよ!!」

 でも、猫野さんが転校してきてくれて私の毎日はちょっぴり騒がしくなったのは事実だ。

 そういう意味では恩を返されている……のかも?

「私だけだと柊さんも寂しいかなって、知り合いのカラスとかに援軍を頼んで……そうしたら猫野さんがあまりにもいじめられっ子体質だったせいでカラスたちが獲物と勘違いして襲い始めちゃったのよねぇ……うふふふふふ」

「え、急に笑って……こわ、え? あれ、待ってくださいね? もしかして、私がカラスに襲われるようになったのって……猫野さんのせい、なんですか? なんで止めるように言ってくれなかったんですか!?」

「それは、猫の嗜虐心がくすぐられたと言うか。襲われてたしゅけてーって泣きわめく柊さんがあまりにも愛らしくて……ふふ、ふふふふふふ」

「不気味な思い出し笑いをやめてください! ほ、本当に怖かったんですからね?」

 おかげで、カラスは宿敵になってしまった。

「そう……よね。ごめんなさい。今は反省しているわ。柊さんが絶交って言ったのだって私がそうやってからかってきたからで……」

 しゅんとしょぼくれる猫野さんに、罪悪感がむくむくと沸き上がる。

「あ、いえ、そ、それは違くて」

 自分の事を棚に上げて私はなんてひどいやつなんだ……。

「そうなの? じゃあ、なんで絶交なんて……? どうして? ねえどうして柊さん??」

 さっきまでしょぼくれていたのが嘘のように、猫野さんが迫ってくる。

「そ、それは私が猫野さんの本音を知りたいけど怖かったというか……猫野さんのことを信じたくてというか、なんというか」

 しどろもどろになる私に、猫野さんは即答する。

「本音? 勿論好きの一択よ? むしろ結婚して?」

「ま、真顔怖いです!! 違います! そういうのじゃなくて、ね、猫野さんから見て私は友達に足る存在なのかどうかが、私は、し、知りたいんです!!」

「そう、知りたいのね。じゃあ、教えてあ・げ・る」

 ペロ……。

 猫野さんに猫みたいにほほを舐められて、私は放心する。

「……え」

「うふふ、そんなことで悩むなんて柊さんらしいわ。私はむしろ最初から友達以上の関係を望んでるわよ?」

 いつの間にかザアァアアという雨が弱まってシトシト小雨になっていた。

「い、いつものからかい……ですよね?」

「ふふ、猫は気まぐれだから……そろそろ雨あがりそうよ柊さん」

「は、はぐらかさないでください!」

 私たちは東屋から出て、水たまりを踏みながら夜の街を帰路についた。

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