ルンセント王国は今、魔族の脅威にさらされていた。
魔王の住む城に最も近い場所こそ、ここルンセント王国である。
否が応でも最初に襲われる国として戦力を固め、いついかなる時でも迎撃できるように。
やがてここは、どの国よりも強固な城塞都市へとなっていた。
そのルンセント王国の侯爵令嬢であるマキナ・ブルートは、ルンセント王国の次期国王であるリカルド王子と婚約していた。
次期国王の妻となるからには、いずれ魔族と対峙する際に必要な決断力、判断力、そして戦略的思考を持ち合わせていなければならない。
あるいは騎士団として戦果を上げられるほどの武力を持ってして、国王を支えなければいけないのだ。
マキナは幼い頃にリカルド王子からプロポーズされていた。
子供の頃の、ほんの些細な約束事。
大人たちは誰もがそう思っていたが、やがて強く気高く美しく成長したマキナ。
リカルド王子にプロポーズされるずっと前から彼のことが大好きだったマキナは、王子に相応しいレディになる為に、ありとあらゆる努力をしてきた。
王子の為に、賢くならなければいけない。
王子の為に、強くならなければいけない。
王子の為に、美しくならなければいけない。
「マキナ、僕の目に狂いはなかった。やはり僕の妻には君こそ相応しい」
「リカルド王子、嬉しいお言葉ですわ。王子の支えになれることこそ、わたくしの幸せでございます」
お似合いだと、誰もが思っていた。
突如として聖女の力に目覚めたアンジェリカという少女が現れるまでは……。
***
ルンセント王国の謁見の間、現国王の前に跪くはプラチナブロンドの美しい髪を持った少女だ。
少女が顔を上げると、周囲からため息がもれる。
目鼻立ちの整った美しい顔だけでなく、純朴かつ清楚な面立ちは、まさに聖女としての清らかさが十分に表れている。
「アンジェリカといったか。そなたが聖女の力に目覚めたと聞いたが、それは真であろうな。偽証罪ともなれば、死刑は免れぬと承知で申し出たのか」
威厳と力強さのある国王の声に、アンジェリカは怯むことなく答えた。
「はい。決して嘘は申しません。あたしは一週間ほど前に神の声を聞きました。神はあたしにこう命じたのです。純真な心と体を持つあたしこそ聖女として相応しい、と。神の奇跡の力を行使する聖女となって、このルンセント王国に害をなす魔族を滅ぼすように……と」
その言葉を聞いて、謁見の間にいた者は全員息を飲んだ。
王子の婚約者としてその場に立ち会うことを許されたマキナも、初めて見る聖女のオーラに圧倒されていた。
「あたしは聖女として魔族を滅ぼすべく、こうして国王様にお会いしようと思って参りました」
「しかし口では何とでも言えるだろう。自分が聖女であると証明することはできないのか」
半信半疑であった国王は聖女アンジェリカの力を試す為に、証拠を見せろと詰め寄った。
するとアンジェリカは一礼してから立ち上がると、国王に向かってその手を伸ばす。
国王に危害を加えるかと思った近衛兵が一斉に、持っていた槍をアンジェリカに向ける。国王のすぐそばに控えていた騎士団長もまた、目にも止まらぬ早さで短剣を抜いて、アンジェリカの喉元にぴたりと寸止めしていた。
「国王にそれ以上近付くな。敵とみなして捕らえることになるぞ」
低い声で騎士団長が威嚇する。
だが表情ひとつ変えることなく、アンジェリカは透き通るような声で誤解であることを告げた。
「聖女の力を見せろと言われたから、見せようとしたまでです。国王様は魔族との戦いで、右半身に呪いがかかっていると神父様から窺っております。あたしが神より賜りし奇跡の力で、その呪いを解いてみせましょう」
「そんなことは不可能だと、我が国で最も優秀な治癒術士が言っていたぞ」
「聖女の力ならば可能です」
そう言ったと同時にアンジェリカからまばゆいばかりの光が放たれ、その光がアンジェリカの両手に集まっていく。
光り輝くその両手で国王に触れると、両手の光は国王の右半身に移動して行き、光は国王の右半身に吸い込まれるように消えていった。
みるみる表情が明るくなっていく国王に、まさかと周囲が驚きの声を上げる。
「痛みが、ない? 動くぞ! まさか本当に呪いを解いたとでもいうのか?」
「聖女ならば、どのような奇跡も起こせるのです」
聖女アンジェリカの誕生だった。
謁見の間は喜びの声で沸き立ち、近衛兵も文官も聖女を崇めるように膝をついて讃えている。
騎士団長は聖女に詫びると、短剣を腰のベルトに付いている鞘に収め、頭を下げながら後退していった。
聖女の奇跡を目の当たりにしたマキナも驚きを隠せない。
長い間、右半身を満足に動かすことが出来なかった国王が、今では玉座から立ち上がって王妃を数年ぶりに両手で抱き締めていた。
喜ばしいことだ。
そのはずなのにマキナはどこか不安を拭えない。
愛しい王子の眼差しは、謁見の間に現れたアンジェリカが顔を上げたその瞬間から、ずっとその視線を離さなかったからだ。