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第2話 「婚約破棄」

 やがてルンセント王国では聖女の誕生で賑わっていた。

 戦時中だというのにお祭り騒ぎで、誰もがこの戦いに勝利したと勝手に思っている。


「まだ戦いは終わっていないというのに。みんな気が早いですわ。聖女が現れたからといって、今の戦況が変わったわけではありませんのに」


 そうぼやきながらパーティーを遠くで眺めるマキナは、執務室で書類仕事に追われていた。

 次々と打ち上げられる花火の明るさで、書類が時折赤にも青にも映って見える。


 マキナは戦場に出るほどの戦闘能力がない。

 武器を使えるわけでもなければ、攻撃や回復といった魔法が使えるわけでもなかった。

 戦いの才能に恵まれなかったマキナは、ひたすらに事務仕事や戦術・戦略に関する座学を受け続けてきた。

 リカルド王子と結婚すれば、その妻は何かしらの形で国に貢献しなければいけない。

 そう思ってマキナは筋肉ではなく、頭脳を鍛え続けたのだ。

 だからこそ聖女が現れたというだけで、こうも浮き足立つのは良くない傾向だと。祭りに参加しなかったマキナは、とても不愉快な気分になっていた。


「聖女の力がどれほどすごいのか知りませんけど、でもまぁそれで兵士の士気が高まるのなら……」


 色とりどりに明るく照らされる夜空を窓越しにぼんやりと見つめ、疲れた目をこすりながらマキナは再び書類へと視線を戻す。

 戦いが激化すれば、こうして呑気に座っていられなくなるだろう。

 その時には戦いの指揮をとる為に、自身が持つあらゆる戦略や戦術を駆使して魔族に挑まなければいけない。その為の戦力を、蓄えを……。

 何もできないマキナに今出来ることといえば、こうして書類仕事をこなすことで国の戦力や備蓄、状況を全て把握しておくことしかないのだと――。

 唇を引き締めながらマキナは、聖女の奇跡の力を思い出しながら、一人で書類仕事をこなし続けた。


 ***


 ルンセント王国では若者の育成に力を入れており、魔族との交戦が続いている中でも貴族学校は士官学校として機能していた。

 主に次代の騎士、魔法使いの育成の場であり、卒業生は皆ルンセント王国の騎士団に所属することになっている。


 あらゆる武器を使いこなす、国の要の戦力である騎士部門。

 攻撃、補助、回復魔法で前衛を支える魔法士部門。

 参謀として戦局を見極める能力を養い、国の頭脳となる戦略部門。


 騎士団に入隊希望する者はこの士官学校に入り、各部門に所属することになっている。

 そして体力的にも潜在魔力的にも凡庸ぼんようであったリカルド王子は、消去法で戦略部門に所属していた。

 当然マキナも士官学校に入学しているが、戦闘能力や潜在魔力が平均以下でしかなかったので、リカルド王子と同じ戦略部門に所属し、血の滲むような努力でトップクラスの成績を収めている。


(わたくしは次期国王リカルド様の婚約者! 腑抜けた令嬢でいるわけにはいきませんの! 上に立つ者として、リカルド王子の顔に泥を塗らない為にも、わたくしは誰よりも優秀でなければ!)


 マキナはリカルド王子のことが大好きだった。

 細く青い髪も、キラキラと眩しい黄金色の瞳も、優しく微笑む表情も、耳触りの良い素敵な声も。

 そんな完璧な彼が自分を愛してくれている。

 剣も魔法も使えない自分にプロポーズしてくれた。

 彼の気持ちに応えなければ、というリカルド王子への想いが今のマキナを形作っている。

 その自信こそが今のマキナの原動力なのだ。


 ***


「マキナ、すまないが君とは今日限りで婚約解消だ」


 寝耳に水。

 週末の夜、いつものように婚約者としてリカルド王子とお茶をして過ごすものだと思っていた。

 しかしリカルド王子の談話室に行くと、そこにはリカルド王子と親しげに腕を組んでいる聖女アンジェリカの姿があった。――予想通りの結末。


(そういうことですのね。聖女であるアンジェリカさえいれば、無力なわたくしは不要だと……)


 勝ち誇ったように微笑むアンジェリカだが、リカルド王子が顔を覗き込んでくるタイミングで純朴かつ汚れのない聖女の顔に戻る。――この女狐が、とマキナは思わず心の中で口汚く罵った。


「ですがリカルド王子、わたくしは次期国王となるリカルド様を参謀として支えられるように今までずっと……」


 食い下がる自分がみっともない。

 だけれどここで指を咥えて黙っているのも堪え難い。

 聖女だかなんだか知らないが、自分とリカルド王子の愛はこんなことで消えたりなんか……。


「こんなことは言いたくないが、マキナ。君は士官学校でアンジェリカを酷くいじめているそうだね」

「は?」

「僕の知らないところで、君はアンジェリカが聖女の力に目覚めるずっと前からいじめていたそうじゃないか」

「何を、おっしゃっているんですか?」

「しらばっくれないでくれ! 全部アンジェリカから聞いたんだ! 彼女の悪口を言ったり、彼女のことを貶めるような噂話を流したり、持ち物を隠したり、他にも色々! 婚約者としてなんて恥ずかしい! そんな女性と結婚なんて出来るはずがないだろう!」


 呆れて何も言えなかった。

 マキナがアンジェリカと対面したのは、聖女だと名乗って謁見の間に登場した時が初対面だ。

 それ以前からもちろん会ったことがなければ、その存在すら知らなかった。

 存在すら知らない相手にどうやって嫌がらせをするというのか。

 しかも証言は全てこのアンジェリカただ一人だというところも、完全にマキナを嵌める為の嘘だというのは明白だった。 

 そんな嘘にまんまと踊らされて、騙されているリカルド王子。

 だがここでアンジェリカが嘘を言っているとマキナが反論したところで、すっかり瞳が曇っているリカルド王子には通じないこともマキナにはお見通しだった。

 リカルド王子は純粋すぎるところがある。

 そんなところにも惚れたわけだが、今ではその純粋さが愚かしい。


「リカルド王子、わたくしは決してアンジェリカ様にそのようなことはいたしておりません。神に誓って断言いたします。ですから婚約解消だけは、待ってください」

「マキナ侯爵令嬢様、ここまで言ってもまだわからないの?」


 アンジェリカが口を開く。

 謁見の間で聞いた時のような清廉な声音ではなく、人を蔑むような、低く冷たい声だった。


「リカルド様は、あなたと別れてあたしと結婚したいと言ってるのよ?」

「え……」

「戦略部門に所属しているんだから、もう少し頭の回る方だと思っていたんですけど? お気付きになりませんでした? リカルド様は、聖女であるこのあたしのことを、愛してると言ってくれたのよ」

「ちょ……、アンジェリカ! そんなはっきり言わなくても……」

「あら、はっきり言わないとわからないみたいですよ、こちらの侯爵令嬢様には」


 マキナの体が震える。――それ以上は言わないで。

 わかってるから……!


「リカルド様は、もうあなたのことなんか愛してないって言ってるのよ!」


 その言葉を聞いた途端、マキナは談話室を飛び出していた。

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