これまでの努力が走馬灯のように蘇る。
血反吐を吐くほど勉強した。
睡眠時間を削り、あらゆる知識を頭の中に叩き込んだ。
戦略や戦術だけではなく、王子の婚約者として恥ずかしくないように令嬢としての嗜みも、作法も、必要と思えることなら武力以外に何でも取り入れようと努力した。
それなのに突然現れた聖女と名乗る女に、こうもあっさり愛する人を奪われるなんて……。
(わたくしはマキナ・ブルートよ! 誰よりも努力をした自信がある! そして誰よりもリカルド王子を愛している!)
マキナの想いは爆発した。
同時に遠くで爆発音もした。
「え!? なんですの!?」
途端に周囲が騒ぎ始める。
窓から爆発音がした方へ目をやると、真っ赤な炎と黒い煙。
その上空には飛行タイプの魔物が。
「まさか、夜間に襲撃されるなんて! 見張り番は何をしているの!」
マキナは攻撃された場所へ向かおうと、玄関口まで急いで走り出した。
リカルド王子は恐らく大丈夫だろう。
悔しいが聖女の力を信じるのなら、彼女と一緒にいる方が安全に違いない。
そう判断したマキナは、事態の把握と収拾。
そして怪我人がいないか、民衆の避難を最優先に。
迎撃の為に部隊の再編成も構築させなければ。
(落ち着けマキナ! 部隊の再編成なら騎士団長がやってくれる! わたくしは現場の状況確認と民衆の安否確認を!)
国が攻撃されて大変な事態が起きたから、という理由もあるだろう。
マキナはリカルド王子やアンジェリカに言われた言葉などすっかり頭の中から消え去り、とにかく無我夢中で外へ飛び出した時だ。
マキナは目の前に突然現れた何者かと真正面からぶつかってしまう。
白銀の甲冑を着たその人は騎士団長だった。
騎士団長もまた、扉を開けようとした瞬間に誰かが勢いよく飛び出してくるとは思わなかったようだ。
「失礼……、マキナ様! 申し訳ありません、お怪我はありませんか!」
「えぇ、わたくしなら平気ですわ。それより何事ですの。魔族の襲来だなんて、ここ数年なかったというのに」
「そんなことよりマキナ様、リカルド王子はどうされたのです」
「リカルド様なら談話室で……、聖女様と一緒にいるので安全ですわ……」
騎士団長にリカルド王子のことを聞かれ、一瞬で思い出してしまう。
表情に
どうということはないだろうと気を取り直す。
「迎撃の準備はもう済んでますの? わたくしはこれから現場に行って住民の避難誘導を」
「危険です、マキナ様も城内で安全確保にお努めください」
「何を言ってますの! わたくしはブルート侯爵家として国の為に働く義務がありますの。お城の中でゆっくりお茶なんて飲んでいられませんわ! それよりも迎撃準備はどうしたのか聞いておりますの、騎士団長!」
「……遠距離射撃の部隊をすでに配置していますが、この暗闇の中で空を飛ぶ敵に攻撃を当てるのは至難の業。しかも相手は夜目が利く、むやみやたらに放っても
「この間のバカ騒ぎで使った花火はもう全部打ち上げたとでも言うつもりですの?」
「打ち上げ花火……ですか」
「花火で一瞬でも周囲が照らされれば、我が国の精鋭部隊なら射抜くことが出来るでしょう。出来ないとは言わせませんけれど!」
聖女誕生のお祭り騒ぎで打ち上げられた花火の数、そのおかげで外は随分と明るかったことを思い出す。
同時に憎らしい聖女の勝ち誇った笑顔まで思い出してしまった。あぁ、気分が悪い。
そんなマキナの心情も知らず、騎士団長はその手があったかという表情に早変わりすると、急いで後方に控えていた部下たちに命令して花火を持ち出す為に走らせた。
(いつもむすっとした顔で知らなかったけれど、この騎士団長ってあんな風に笑ったりするのね)
生真面目で有名な騎士団長、その男のことをよく知らないマキナはなんとなく彼の笑顔が気になった。
ルンセント王国近衛騎士団長クラスト・アガトラム。
若くして剣の才に秀でた天才剣士として名高いが、幼い頃からリカルド王子一筋だったマキナは彼のことを一人の男性としてではなく、国に必要な人材の一人としてしか見たことがない。
「はっ、こんなことをしている場合ではなかったわ! 早く避難誘導を!」
気を取り直したのも束の間、踵を返して外に走り出そうとしたマキナは凍り付く。
目の前には大きな鳥の姿をした魔物がマキナめがけて飛びついてきた。
突進するように飛んできたかと思うと、鋭いクチバシでマキナの喉笛を噛みちぎろうと襲い掛かる。
まだ近くにいたクラスト騎士団長であったが、到底間に合わない。
「マキナ様!」
「いやあああ!!」
戦闘に関する訓練をほとんど受けてこなかったマキナは、受け身を取ることも回避することも敵わない。
ただその場で立ち尽くし、顔や首を傷付けられないように両手で覆うことしか出来なかった。――が。
「!?」
鳥の魔物はマキナの腕に食らいついた、はずだった。
だがそれ以上はどんなに噛み砕こうと
何が何だかわからないマキナは閉じていた目を開けて絶叫する。
目の前には大きな鳥の魔物、そいつが自分の腕に食らいついているのだ。
恐怖しないわけがない。
「いやあああ! 怖いからやめなさいよ! わたくしを誰だと思っているの! 焼き鳥になりたくなかったら離しなさい!」
「マキナ様!」
マキナの悲鳴にクラストが剣を一振り、マキナの腕に噛み付いたままの魔物はあっさりと胴体を斬られ殺された。
急いで手当てしようとクラストがマキナの腕を見る。
しかしそこには出血どころか、噛み傷ひとつ見当たらない。
「どういう、ことだ? 確かに噛み付かれていたはずなのに?」
不思議がるクラスト以上にマキナも自分の無傷が信じられなかった。
目を開けて確認した時、確かに間違いなく自分は魔物に腕を噛まれているのを目撃している。
しかしその時は恐怖が勝っていて気付かなかったが、なぜか痛みは全く感じなかったのだ。
何かが腕に当たっているとわかる程度に、触れているだけといった具合に。
二人の目が合う。
その時、上空から大きな音と共に花火が打ち上げられ、周囲が明るく照らされる。
キラキラと赤や黄色や青といった火薬の色が空に浮かび上がり、二人の顔を照らし出す。
それと同時に、高台に控えていた遠距離部隊の弓矢と魔法が、上空の敵を撃ち落としていった。
互いの顔から夜空へと視線を移す。落ちていく敵を眺めながら二人は、のんびりとした口調で作戦が成功したことを口にする。
「うまくいったようですね」
「そのようですわね」
パッと夜空から目の前に視線を戻すと、クラストの手がずっとマキナの腕を握っていたことに気付く。
「も、申し訳ありませんマキナ様! 失礼いたしました」
「いえ、別に気にしていませんわ! それよりも避難誘導でしたわよね! 上空の敵は遠距離部隊が始末してくれるでしょう。わたくしたちは急いで被害が遭った場所へ行きませんと!」
「りょ、了解しました」
そう返事をするとクラストは一礼して先に走り出してしまう。
そこは一緒に向かったりしないんだと、マキナは少し残念に思った。
(な、なんで残念がる必要がありますの!? 彼が単体で走った方が早く到着するに決まっているのに!)
変に胸がドキドキしていた。
こんな気持ちはリカルド王子と一緒にいる時以外で初めてのことだ。
「わたくしにはリカルド様がいるというのに……、どうしてこんなに緊張してしまうのかしら」
上昇していく体温は、きっと緊張のせいだと思い込む。
これほど大変な状況なのだから、心臓の鼓動が早くなっているのもきっとそのせいなんだと、マキナは芽生えかけた気持ちから、必死に意識を逸らせることにした。