――有り得ない。
伯爵家令嬢、クローイ・フォルテは唇を噛みしめた。
王子の隣に立っている、地味でぽっちゃりした黒髪の少女。一体どこの馬の骨だと、社交界の面々はみんなざわついている。それは、少女から感じる魔力の高さを肌で感じ取ってもいるからだろう。
なんせ、この国では身分と同じくらい、魔法のスキルが高い者ほど出世できる仕組みとなっている。高い魔力と魔法の技術を持つ者はそれだけで尊敬され、いい仕事につけると相場が決まっているのだ。それは結婚に関しても例外ではない。
偉大なる『永遠の魔術師』の血を継承する、フェルマータ王家。その長男であり、王位継承者第一位である王子ケリー・フェルマータの婚約者の座を狙う家は多かったはずだ。クローイもその一人である。フォルテ家でも最強の魔女と呼ばれた自分こそが、必ずやクローイの妻の座につくとばかり信じていた。実際、下馬評でも自分が最有力候補だと誰からも噂されていたはずなのに。
「突然申し訳ない」
ケリー王子は困ったような顔で、集まった人々を見回して言ったのである。
「彼女を今回、皆さんに紹介したくて集まって頂いたんだ。紹介しよう……異世界からやってきたという聖女・ジュリアだ。住むところも着るものもないということで、ひとまず我が王家で保護することとなった。どうか、よろしく頼む」
よろしくってなに。
クローイは、わなわなと拳を握りしめる。ただ保護しただけだというような口調だが、このタイミングで社交界の面々に紹介するというだけで明らかだろう。
異世界からやってきたとかいう、聖女。彼女がたった今この瞬間、次期お后様の第一候補になったということだ。
確かに伝説で聴いたことがある。国乱れる時聖女が現れ、国を導き平和をもたらすだろう――と。それは、異世界からやってきた乙女である、と。
実際、彼女からはチートじみた魔力を感じるのは確かだ。彼女が王子と結婚して血を繋げば、フェルマータ王家はますます繁栄できることだろう。王国としてはきっと、悪くない選択であるに違いない。だが
―ーふざけんじゃないわよ!その地位は……あたくしが、我がフォルテ家がずっと狙っていたものなのに!
美しく聡明な王子が、聖女というだけでどこの馬の骨ともわからぬ女を妻にする。そんなバカなこと、許されるはずがない。
大体、ケリー王子に見初められれば、その家はその時点で公爵階級まで格上げされることになる。我が国では、国王の身内には必ずそれ相応の地位が約束されることになるからだ。父もきっと高官に召し上げられるし、未来永劫フェルマータ家は王家から莫大な援助を受けることもできよう。現在暗礁に乗り上げている祖父の事業だってうまくいくかもしれない。だからこそ、クローイは何がなんでも王子の妻にならなければならなかったのに!
――許せない。あんな女の存在なんか、認められるわけがない。
緊張した様子で周囲をきょろきょろきょろ見回す、丸顔の少女。まだ十七歳とかそこらであるように見える。あんな小娘に、自分たちの未来まで奪われてなるものか。
――必ず蹴落としてやるわ……!このクローイ・フォルテが、あんたの存在を徹底的に否定してやるんだから!
そう、クローイは思っていたのだ――この時は。
***
そのはず、だったのだけれど。
「心の底からお願いしますうううううううううううううううううううううううううううう!」
いや、その、えっと。
「本当の本当に、お願いします、このままじゃ困るんですマジでええええええええええええええええええええ!!」
「え、えええええ……?」
三日後。
クローイは自宅屋敷のテラスにて、あっけにとられることになるのだった。
何がなんでもお后候補から蹴落としてやると決めた聖女・ジュリア。なんでその彼女が我が家を訪れた上――今、クローイの前で土下座してるんだろう。
「え、あ、あの、えっと……」
とりあえずクローイは、これも高貴な者の務めと口を開く。
「や、やめてくれないかしら?それに、ここ、昨日雨降ったから……椅子はともかく床はずぶぬれなんだけど。スカート、びちゃびちゃになるわよ……?」
「おおおおおおおおおおおお!この状況で私を気遣ってくれる優しい心!まさに推し!推しの解釈一致!実にありがたや!!」
「は、はあ……?」
ごめんマジで何言ってるのかわかんない。
ややドン引きしながらも、クローイはとりあえずジュリアを椅子に誘導する。ぶっちゃけ、そのまま土下座されたままなのは自分が嫌だ。ていうか、庭で作業している召使たちの視線が明らかに痛い。まるで自分がいじめでもしているみたいではないか。
話がまったく見えない。
正直彼女が訪れた時は、自分に宣戦布告でもしにきたのかと思ったのである。それがどうして、用件も何もかもすっとばして滑らかな土下座を披露されることになっているのだろう。おかげで自分がものすごーくドSな人に見えてしまうではないか。
「……なんで土下座なのよ。わけがわからないわ」
こめかみを抑えながら、クローイは言う。
「貴女、あたくしに何かを頼みたいのよね?で、何を頼みたいのよ」
「そりゃ決まってます。ケリー王子様との結婚です」
しれっと口にするジュリア。
「ぶっちゃけ、王子様と結婚するのはクローイさんでなければ困ります。ものすごく困ります。私そんな気全然ないんで」
「聖女じゃないの、あなた?」
「勝手にそう呼ばれてるだけです。つーか、私望んでここに来たわけじゃありません。早く元の世界に帰りたいんで、そもそもこの世界で結婚とか論外なんですよね」
いわく。
彼女の元の世界での名前は、
「私、普通の女子高校生なんです。早く家に帰ってゲームしようと思って通学路を爆走してたら、突然地面に穴があきまして」
こう、とジュリアは円を作ってみせる。
「落下したら真っ黒な空間で……なんか女神様っぽい人がいました」
「ひょっとして、この国の創造主とされているシャーロット様?」
「あ、はい。多分。金髪で、ひらひらスッケスケの服来たちょっとえっちな姿のおっぱいでかい美女がそれなら、あってます」
「あんたね、失礼でしょうが……」
でも確かにあの女神様、結構はしたない姿してるよなあ、とちょっと思うクローイである。女神様は定期的に行われるお祭りの時のみ、教会に降りてきて皆に姿を現してくれる存在なのだ。美人ではあるが、かなりアレな格好してるなあと思っていたのは此処だけの話。
正直、あんな胸も股間も丸見えの姿で女神名乗るのはどうかと思う。知り合いの伯爵家の男子が「女神様見ると股間がハッスルして困る!」と冗談まじりで話していて、ぶん殴ってやったことがあるほどだ。
「確かに、伝説によれば……聖女が召喚されるのは、この国が危機に陥った時だと聞いたことがあるわ」
しょっぱい気持ちになりながらクローイは言う。
「でもって、危機と言えば危機かもしれないわね。フェルマータ王国、隣国と一触即発で戦争になりかかってるし」
昔からそうだ。フェルマータ王国とスタッカート帝国はすこぶる仲が悪い。大昔は一つの国だったのが、けんか別れして別の国になったという経緯があるから仕方ないかもしれないが。
お互い宗教も違うし、土地の問題でも「うちのだ」「いーえうちのです」を繰り返し主張してバチバチにやりあってきた仲だ。ついには先日、我が国が領土と主張するとある島へ領海侵犯をやられたことで小競り合いになり、さらに緊張状態が高まったばかり。戦争になればお互いの国にミサイルと魔法が雨霰と降り注ぎ、血みどろの戦いとなってしまうだろう。
被害を少しでも軽くするためには、迅速に戦争に勝つ他ない。――議会でも、戦争回避よりそちらに意見が傾きつつある、と言う話も聞いている。ピンチと言えば、間違いなくピンチだ。
「はい、女神様は、この国を守りたいから聖女を召喚すると言っていました」
はあ、とため息をつくジュリア。
「私、元の世界では魔法なんか存在しなかったんで……もちろん魔法使いの素質なんかなんもないんです。でも、異世界転生させると、女神様の力でチートスキルを授けることができるそうで。私に、チートじみた魔法と戦闘スキルを押し付け……与えてくださいまして」
「押し付けって言いかけた?ねえ?」
「で、私に王子様と結婚してこの国を守り、この国の未来を安泰なものにしてほしいと言われたんです」
「……そう」
なんてこと、とクローイは息を吐いた。自分達はずっと、王子と結婚してこの国と家を守るために努力してきたというのに――女神はそんな自分達より、どこぞから無理やり引っ張って来た聖女の方がいいと判断したというのか。あまりにも、馬鹿気た話ではないか。
しかも、自分達は優秀な魔女であるために、血が滲むような鍛錬と勉学に励んできたのである。それなのに、この聖女とやらは元の世界では魔法なんか存在しない、あるのは女神似押し付けられたチートスキルだけという。そんな奴に、何もかも根こそぎ奪われるなんてまったく冗談じゃなかった。だが。
――女神様の意思なら……どうやって、拒否すればいいっていうの。
悲しくて、悔しくてたまらない。忌々しいなんて言葉では足りないほどに。そもそも、自分の気持ちも王子の気持ちも、まったく無視しているではないか。
「が、私からすれば勘弁してくれって話なんですよ」
そんなクローイに、ジュリアはあっけらかんと言う。
「だって異世界に無理やり連れて来られて、いきなり結婚しろとか言われても『はあ!?』って感じじゃないですか。おうち返してほしいんですよね。もっと言うと、私マジで、王子様と結婚とか勘弁なんで」
「なんでよ?」
「だって解釈違いなんですもん」
そして彼女は、とんでもない爆弾を落としてくるのだ。
「この世界、私がプレイしてるゲーム『マジカル・ヴェスティニア』そっくりなんですよね。私の推しCPはケリー×クローイなんで、ケリーと違う女がくっつくのとか無理なんです。それがたとえ、私であろうと!」