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第22話 帰国

 同盟に関する諸々の雑事を終え、ついにルルー王女が紺の王国へ戻る日がやってきた。そして、それはキッドにとっても、この緑の公国の城を離れる日を意味していた。

 この城は、二年間離れていたとはいえ、それまで自分の居場所として過ごしてきた場所だ。戻ってきた当初はどこか知らない場所のようにも感じられたが、しばらく滞在するうちに、かつての日々の記憶が蘇り、次第にこの城を再び自分の居場所のように思うようになっていた。

 だが、それも今日で終わりだ。黒の帝国との戦いが本格化すれば、次にいつここへ戻ってこられるのかはわからない。

 キッドは城の姿を目に焼き付けるように、城内を回っていた。

 魔導士の訓練所へ向かうと、若い魔導士たちが鍛錬に励んでいる姿が目に入る。懸命に魔法を練り上げる彼らの姿に懐かしさがこみ上げた。

 かつて宮廷魔導士だった頃、彼らの師として、手ほどきをすることもあった。あれから時が経ち、あの時の魔導士たちはどれほど成長したのだろうか――そんなことを思いながら、キッドは訓練場の片隅で足を止める。


「キッド、ここにいたんだ」


 馴染みのある声が耳に届いた。

 振り返ると、そこにはミュウが立っていた。ここを見た後にミュウを探しに行こうと思っていたので、その手間が省けたことを喜ぶと同時に、訓練の合間に訓練所の片隅でミュウと語り合った懐かしき日々が頭の中を巡る。


「今日でこの城ともお別れだからな。次はいつ来られるかわからないし、見納めをしておこうと思ってな」

「……そうだね」


 ミュウは静かにキッドの隣へと並ぶ。その距離は自然で、あまりにも馴染んでいた。


(こうしてミュウの顔を見られるのも、今日までか……)


 この城を離れるのも寂しいが、それ以上にその事実のほうがずっと寂しいと感じてしまう。

 ミュウが紺の王国へ使者としてやって来たのは、ジャンの命を受け、キッドの返還を求めるためだった。だが、今や両国の同盟が成立し、派遣という形であるが、ジャンも認めた上でキッドは紺の王国へと戻る。そうなれば、ミュウが使者として紺の王国にいる理由はもうない。

 それはつまり、二人はここで別れる、ということだった。


「久しぶりにミュウと一緒に戦えてよかったよ」


 別れの予感を押し隠すように、キッドは努めて明るく言った。


「でしょ? 改めて私が最高のパートナーだって実感した?」

「ああ、本当にそうだな」


 ミュウは半分冗談で言ったつもりが、素直に同意されてしまい、照れたように顔を赤くする。

 キッドとしては、本当に心から思ったことを答えただけだった。

 たとえば、ルイセとともに戦場に立った時、キッドは何の不安もなくすべてを彼女に任せられた。今やルイセはキッドにとってそれほど頼れる相棒になっている。

 しかし、ミュウへの信頼は、それとは少し違うものだった。

 何も言わずとも、ミュウはキッドの剣のように舞い、迷いなく戦ってくれる。そしてキッドもまた、ミュウの指示がなくとも、彼女が求める場所に魔法を放つ。

 戦場において、まるで二人で一人のようなあの感覚――それは、恐らくミュウとでしか成立しないものだと思えた。


(ここからはミュウなしで戦っていかないといけないのか。……わかっていたこととはいえ、寂しくなるな)


 キッドは、緑の公国に戻ってくるまで、ミュウがいなくなることをそこまで深く考えていなかった。しかし、数年ぶりに並んで戦い、かつての感覚を取り戻してしまった今、それを手放すことの寂しさだけが心に浮かんでくる。


「……ありがとうな、ミュウ」


 これまでの感謝を込め、キッドはぽつりと言葉を落とした。

 それは、あまりにも唐突な響きを持っていたのか――ミュウは驚いたように目を見開き、まじまじとキッドの顔を見つめる。


「突然どうしたの!? ……もしかして、キッド……死ぬの?」

「死なないよ!」


 あまりにも突飛な反応に、キッドは思わず吹き出した。

 つられるように、ミュウも笑い出す。


(そうだよな。別れはお互い笑いあって終わるほうがいい。俺が緑の公国を追放されたときや、山奥の住処から離れるときのような、ミュウの悲しい顔はもう見たくないからな)


 寂しさが消えたわけではない。だが、それでも――

 今回は、笑顔の記憶を残して別れられることに、キッドは心から感謝した。




 緑の公国からの出発の刻がやってきた。

 キッドはルルーとともに、行きと同じ馬車へと乗り込む。


(行きは三人だったのに、帰りは二人か……)


 三人掛けの座席にルルーと並んで座りながら、キッドは無意識に隣の空いた席へと視線を落とした。


(こうして目に見える形で、ミュウがいないことを突きつけられるのは、思った以上にこたえるな……)


 ルルーは奥に詰めて座っているが、座席には十分な余裕があり、キッドもまた自然と彼女との間に距離をとるように腰を下ろした。


(それにしても、なかなか出発しないな)


 御者や護衛の兵たちは、すでに出発の準備を整えている。最後に馬車に乗り込むのが自分たちだったため、これですべての支度は完了したはずだった。それなのに、馬車は一向に動き出す気配を見せない。


(……何かあったのか?)


 訝しく思ったキッドが、外の様子をうかがおうとした、その時だった。


「ごめん、お待たせ!」


 弾むような声とともに、勢いよく馬車の入り口から飛び込んできた影。――それは、つい先ほど、笑顔で別れを告げたはずのミュウだった。

 一瞬、別れの挨拶をしに来たのかと思った。確かに、あのときは互いに最後の言葉を交わしてはいなかった。だが、それはミュウとの再会を疑わなかったからこそだ。

 けれど、目の前のミュウの姿を見て、キッドはすぐに違和感を覚える。

 緑の公国の軍服にスカート姿は先ほどと変わらない。だが、今のミュウは大きめの荷物を抱えていた。まるで旅にも出るかのような、その量。


「ミュウさん、お仕事の方はもう大丈夫なんですか?」


 ルルーが淡々と問いかける。


「はい。元々あってないような仕事でしたから」


 さらりと答えたミュウは、キッドを見て眉をひそめた。


「……ちょっと、キッド、そっちに詰めてよ。私の座る場所がないじゃない」

「え? ああ、ごめん……」


 状況を把握しきれぬまま、キッドはルルーの方へと身を寄せる。すると、空いた席に、当然のようにミュウが腰を下ろした。


「それでは出発してください」


 ルルーの声が響くと同時に、馬車がゆっくりと動き始める。


(……ん? なんだ、この状況は?)


 右の席にルルー、左の席にミュウ――それは、行きとまったく同じ配置だ。

 だが、同じであること自体がおかしかった。


「……ちょっと待ってくれ。どうしてミュウが馬車に乗っているんだ?」

「ん? キッド、何言ってるのよ。……あ、もしかして、ルルー王女から聞いてないの?」


 ミュウが呆れたように眉をひそめる。キッドは問い詰めるような視線をルルーへと向けた。


「あれ? てっきりミュウさんから話があったものと思っていたのですが……」


 ルルーは申し訳なさげな表情を浮かべると、改めて説明を始めた。


「ジャン公王にお願いして、当面の間、キッドの護衛としてミュウさんを客員将校として我が国に迎えることになったんです」

「……………………え?」


 頭の回るはずのキッドが、ルルーの言葉の意味をちゃんと受け入れるまでに数秒の時間を要した。


「そういうわけだから、よろしく。キッドの護衛が私の任務だから、今度は私も戦場に出られるから」


 満面の笑みを浮かべながらミュウが言う。


「……そういう大事なことは、ちゃんと俺に伝えてくれよな」


 キッドは額に手を当て、肩をすくめるようにして息を吐いた。

 しかし、決して困惑しているわけではないことは、明白だった。その口元には、知らずに笑みが浮かんでいる。


(どおりでさっきミュウは最後まで別れの言葉を言わなかったのか……。けど、これほど心強いことはない)


 一緒に来ることを決意してくれたミュウ、その状況を作り出してくれたルルー、そしてそれを許可してくれたジャン――キッドは、三人に心の底から感謝した。

 そして改めて思う。自分は、本当に人に恵まれている、と――。



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