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魔族殺しベルノーク
魔族殺しベルノーク
千王石ハクト
異世界ファンタジーダークファンタジー
2025年06月28日
公開日
1万字
連載中
 毎週木土日18時更新  ベルノーク──それは、幾多の魔族を血祭りにあげ、ついには魔王を打ち倒した戦士の名。  しかし、彼は、魔族による人体改造を受け、敵と同じ力を身に付けた存在だった。  人間だった頃の名は、ルダ・ファレスト。東方の僻地で平和に暮らしていた彼だったが、集落が魔族とそれが率いる魔物に襲われ、彼以外の住民は儀式の生贄として捧げられてしまう。そして、その生贄の果てに生まれた魔核──魔族の心臓を与えられたのは、ルダだった。  魔族となった彼はベルノークという新たな名を与えられ、人ならざる者に変化した肉体でその場から逃げ出す。  不条理に全てを奪われ、不条理に力を与えられた彼は、魔族を皆殺す覚悟で歩き出す。あの夜に失われた、全ての命に報いるために。

第一部 少年少女

ベルノークの誕生

「汝、ベルノークの功績を知るや?」


 ある男がリュートを片手にそう問うと、子供たちは一斉にかのベルノークが倒した魔族の名を挙げだす。


「イゼルハート!」


 一人の子供が声を挙げた。


「そう、イゼルハート。ベルノークを生み出し、その手によって滅ぼされた、最も愚かで最も残酷な魔族……私が語るのは、そんな魔族を何人も打ち倒す英雄の物語だ」


 男は弦を弾き、息を吸う。


「その生まれは、ここからちょうど反対側にあるとある村……なんてことのない、少年だった。それが、一夜にして運命の手によって消し去られる……さあ、始めよう、ベルノークの歌を」





 ルダ・ファレストの生まれは、東の果てにある、小さな農村であった。父は畑を耕し、母は牛の乳を搾る。妹は服を縫い、兄である彼は青い簡素な服に身を包んで家族の食事を用意していた。


 今日は寒いから、夕食はシチューにした。牛乳をたっぷり使ったものだ。鉄の鍋の前に立ち、レードルで中身をかき混ぜる。とろみも十分ついたので、木の皿に少し移して飲んでみる。


「うん、いい感じだ」


 満足した彼は、黒い髪に黒い目を持つ、どこか儚さを持った少年だった。歳にして十六。


「エル、父さんと母さんを呼んできてくれないか?」


 妹にそう頼むと、彼女は嬉しそうに頷いて外に出ていった。どこまで澄んだ夜空に、星々が瞬いていた。


 ルダがシチューを木の椀に注ぎ始めた時、俄かに外が騒がしくなった。誰かが牛乳の缶でもひっくり返したのだろう、と彼は思って特に気にしてはいなかった。


「お兄ちゃん、お母さんが、お母さんが!」


 妹の悲痛な声が聞こえてくる。棘が指に刺さったり、擦り傷ができたりといったこととは違う、涙に濡れた声だ。


 ルダが慌てて駆け出すと、そこは冬の夜空の下に生まれた地獄だった。


 輪郭が炎のように揺らめく、黒い犬が牛を貪っている。火の手も上がって、逃げ出した者が野盗につかまりどこかへ連れていかれている。


 その中には母もいた。父もいる。妹が泣きながら引きずられている。


「返せ!」


 ルダは走り出していた。野盗を率いているのは、右に二本、左に一本の角を持つ存在。二十歳にならない程度の若々しい男性の容姿をしていた。


 畑の傍に置かれていたピッチフォークを拾い上げ、彼はさながら槍兵のような突撃を行う。だが、角を持った青年は、赤黒い魔法の壁でそれを止めた。


「俺に抗うか。面白い。実験はこいつで行う」


 壁と同じ色の鎖が彼の体を縛る。それでも、ルダの目は眼前の青年を睨んでいた。


「いい目をしているな。いい魔族になるよ、お前は」

「魔族……ッ⁉」


 魔族。それは、人類にとって不倶戴天の敵だ。


「暫く寝ていろ。準備が整うまでな」


 静脈血のような色の鎖から、ルダの体に魔力が流し込まれ、眠りに落ちた……。


 目を覚ました時、そこは、即席の祭壇だった。家から強引に剥ぎ取った木材と瓦でできた屋根の下、竈門の石でできた寝台にルダは寝かされていた。


「偉大なる魔王よ! 今ここに、新たなるしもべの誕生を祝福し給え!」


 右手にいる三本角の魔族が、村人たちを前に、胸を広げて天に叫んでいた。逃げ出そうと身を捻るルダだが、手足はがっしりとした鎖で寝台に繋がれていた。左手には、ローブに身を包んだ三人の老人。


「さあ現出せよ、魔核まかく!」


 その一声と同時に、手足を縛られた村人たちが絶叫を上げた。耳を劈くような、内臓を生きたまま引きずり出されているかのような叫びだった。


「何を……やってる!」


 ルダが声を荒げると、魔族は至上の一皿を前にしたような笑顔で振り向いた。


「魂を抽出しているんだよ。ほら、あれが魔核だ……」


 群衆はすっかり静かになったが、その怨嗟が凝縮したような黒い正八面体が空中に浮いていた。


「賢者ども、後のことはやっておけ。俺は寝るよ」


 控えていた三人の老人が前に出て、魔族はどこかへ歩いて行った。賢者と呼ばれた彼らは、その八面体──魔核を掴んでルダの胸の上に置く。


「寝ている間に改造を施した」


 賢者の一人が、囁いた。


「この魔核を移植すれば、君の肉体は魔族のそれと同一になる。だが、心までは失われないように手を加えてあるんだ。だから、頼む。魔王を倒してほしい」

「何言って……」

「君は魔核との適合性が高い、逸材なんだ。魔王に届き得る、私たちが心から求めていた存在。どうか老人の我儘を聞いてくれ!」


 ルダは、本当に何が何だかわからないままだった。


「見ただろう。魔族は多くの命を犠牲にして魔核を作り出す。そして、その魔核を適合者に移植することで数を増やしている。そんなことはやめさせなければならない。憎しみの連鎖を止めるんだ」

「妹は、僕の家族はどうなったんだ。その魔核ってやつにされたのかよ」

「……残念ながら、そうだ。イゼルハート──三本角の魔族の目をごまかすには、こうするしかなかった」


 老人が鎖の鍵を開ける。と、同時に、ルダがその首元を掴んだ。


「返せよ」


 震える声で言う。


「魔王とか魔族とかどうでもいいから、家族を返せよ、村のみんなを返せよ!」


 そっと、老人は彼の体を押し戻した。次いで、胸に魔核をあてがう。


「申し訳なく思っている。だが、世界を救うにはこれしかないのだ……」


 正八面体は服を破らないまま皮膚の下へと入り込み、疑似神経組織を体中に張り巡らせる。その激痛に、ルダは喉が枯れんばかりの声音を響かせた。皮膚は黒ずみ、鋼板のような外骨格が、被服の下の肉体を覆う。


「魔族は人に擬態する……君もそうだ。上手く溶け込むんだ──」


 その声は、届いているのか。のたうち回りながら、ルダは寝台から落ちた。いや、最早ルダという少年ではなかったのかもしれない。全身を黒い甲殻で包み、真っ赤な目を輝かせて立ち上がる。


「ベルノーク。それが、魔族としての名前だ」

「ベル……ノーク……」


 呟きながら、彼は掌を見た。それも漆黒だった。マスクのような顔の甲殻の隙間から、浅い呼吸が繰り返される。


「さあ、逃げるんだ。魔王は大陸西部、オルガクラム王国にいる。行くんだ、早く!」


 急かされるままに走りだした彼に、行く当てがあるはずもない。だが、魔王とやらがこの災厄を呼んだのなら──。


 黒き風となって走る彼の前に、何か人影らしきもの。夜目を強化された彼の視界には、旅人を喰らう、蟷螂を人の形に押し込めたような怪物が映っていた。


「食うか?」

「……あ?」

「そのナリ、お前も魔族だろ。中々美味いぞ、こいつ」


 信じられない提案だった。ルダは震える拳を握りしめる。魔族とは、何かを知りながら。


 彼の拳は、一撃で蟷螂男を遠く吹き飛ばす。木を何本か倒して止まった魔族が、ゆっくりと体を起こす様子が見えた。


「……喧嘩なら、買うぜ」


 蟷螂男の腕が、鋭い刃と変わる。


「ズタズタに引き裂いてやる」


 次の瞬間、蟷螂男はルダの懐に飛び込んでいた。すっと伸びた鎌が、彼の首を狙って振るわれる。どうにか隙間に入り込んで受け止めるか、と思われた腕は、無残にも切断された。


「雑魚は黙って死にやがれ!」


 死ぬ? 彼の脳内でそんな疑問が生まれた。理不尽に家族を奪われ、理不尽に力を与えられ、今ここで理不尽に殺される。そんなことがあってもいいのか。


 生きねば、何も得られない。その火種を爆発させた彼は、渾身の頭突きを繰り出した。蟷螂男の頭蓋が割れ、赤い血が噴き出す。


「僕は、死にたくないんだ。本当に、本当に殺してしまうぞ!」


 ルダの胸で、魔核が輝き出す。それに呼応したのか、腕が再生した。だが、相手の傷もすぐに塞がってしまう。


「まあ待てよ、死ぬまでやろうってんじゃねえ。同じ魔族同士、ちょっとしたお遊びさ……」


 その命乞いが終わる前に、彼は動いていた。何か、状況を打破する一打があったわけではない。しかし、全身に展開され、脳に情報を流し込む疑似神経組織が、魔力の扱い方を教える。


 蟷螂男の首に輝く、赤黒い魔核。そこを狙って、真っ直ぐ拳を突き出した。


 その一撃は、黒い稲妻を纏っていた。直撃した指から、破壊的エネルギーの奔流が相手の魔核に流れ込み、内側から崩壊させていく。


「魔族殺しの、いなず──」


 言葉が終わる寸前に、蟷螂男は倒れた。然るに、勝利の美酒を味わうこともなく、ルダは膝から崩れ落ちる。今、こうして一つの命を消し去ったという事実が、心臓を押し潰さんばかりの苦しみを与える。


 細い息を吐き出しながら、膝をつく。仮面を外したくても外せない。それもそうだ、正確には皮膚から生じた甲殻なのだから。


 とにかく進まねば、と体を持ち上げようとしても肉体は応えない。這いずるように動き出した体は、その重さを時間と共に増していき、ついには止まってしまう。


 やがて、甲殻が消え始める。皮膚に吸収されるようにして、その黒い装甲は見えなくなり、彼に本来の姿を取り戻させる。


 露わになった顔には、涙が流れている。痛かった。苦しかった。殺すしかなかった。子供のように泣き、少しでも死体から離れようとした。


 しかし、彼に何の体力も気力も残ってはいなかった。数メートル行った所でついに体は応答を止め、彼の意識もまた、闇に落ちた。





 夜が明け、朝になった。そばかすの少女が森に入って、倒れた少年を見つける。脈があることを確認した彼女は、人を呼ぶため、薬草の入った籠を抱えて走り出した。


 これが、歩みの始まりだった。長く過酷な、少年の戦いの……。

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