三人の賢者は深手を負った。自らの力で立ち上がることすらできないまま、一人が一枚の羊皮紙を取り出した。
「ディアルクに……伝えねば……」
指先に魔力を込め、ディアルクという男へ告げるメッセージを遺す。君と同じ存在が生まれた、と。
◆
イゼルハートの放つ魔力の礫が、民家の壁に小さな穴を幾つも開ける。その度に悲鳴が上がって、ルダの心を鑢のように削っていく。
「ほらほら、仕掛けねえとどんどん死ぬぞ!」
魔族は笑っている。どうにか間に割って入りたいルダだが、この甲殻が礫に穿たれない、という保証はどこにもない。それでも、彼は一歩前に出た。逃げ惑う人々の盾となり、魔力の塊を受け止めた。
「……へえ、中々の才能だ!」
イゼルハートが歓喜に顔を歪ませた瞬間、火の玉がその横っ腹を襲う。ハアッ、とそれを放ったウーケは確信の息を漏らした。しかし。
「邪魔すんなよ、俺は遊んでんだ」
彼はそのままだった。上半身の服を焼かれ、鎧のような筋肉を露わにしたが、それだけだった。
ゆっくりと、イゼルハートは左手を少女へ向ける。その光景がルダの脳内に電撃のような緊張感を与え、走り出させた。夜闇を切り裂く一筋の風となった彼の体は、減速することなく魔族にぶつかり、数メートル吹き飛ばす。
派手な音を立てて民家に突き刺さったイゼルハートの肉体は、背筋に冷水を流すような恐怖を伴う嗤笑を放った。
煙の中で血が舞って、礫が飛翔する。ルダは咄嗟に腕を眼前で交差させるも、直撃を前に何歩分か後退することとなった。
それが、間違いだった。イゼルハートの狙いは、彼ではなかった。一瞬視界を塞いだ彼の横を通り抜け、エレイオン家宅に飛び込む。待ち構えていた一家は一斉に炎を浴びせる──無意味。
イゼルハートは炎を受け止め、掌の上に集める。自身の魔力も加えて圧縮されたそれは、太陽そのものを生み出したかのような輝きを放っていた。
「お前らは幸運だな」
彼はその太陽を持ち上げて言う。
「魔核を作る魔力は、俺には残ってねえ。だからここで、楽に殺してやる……爆ぜろ」
最後の一言に合わせて、太陽は炸裂した。パンを焼く窯も、食事の途中だったテーブルも、それに着いていたはずの者たちも、全てが跡形もなく消滅した。ただ一つ、イゼルハートという魔族を除いて。
「クッハッハ! 雑魚は群がっても雑魚か!」
呆然と、ウーケは焼け跡を眺めることしかできなかった。脚が震え、杖を取り落とす。
「……そんな」
涙が頬を伝っていく。
「さて、生き残りは、と……」
最早立っていることすら叶わず、へたり込んだ彼女に冷酷なる魔族が近づく。
「女、抱かれてやるなら、明日……いや、明後日くらいまでは殺さないでやろう」
しゃがんで視線を合わせ、イゼルハートはウーケの頭を掴む。
「そばかすに、ほっそい体。尻は良い感じだからな……一晩抱く分にはいいだろう」
ただ泣いているしかない彼女を前に、彼は笑い出す。
「怖がるな──」
言葉を紡ぐ、須臾ほどの時間。その間に、イゼルハートの後頭部を衝撃が襲う。ルダが、固く握った拳で打ったのだ。
「なんでだ」
息を荒くしながら、彼は問う。
「なんで、人を殺して平気でいられるんだ!」
「見誤ったな」
頸椎を叩き割られて、僅かに意識が飛んでいたイゼルハートは呟いた。と思えば、振り向きざまに手刀を繰り出す。ルダは、腕の甲殻で受け止めた。
「お前を殺すには、万全のコンディションじゃなきゃならないようだ」
罅一つ入っていないどころか、纏った黒い稲妻で無意識的な反撃を行う甲殻を前に、彼はそう判断した。
「また会おうぜ、ベルノーク。いつか俺に本気を出させてみろ」
それだけ言って、イゼルハートは忽然と姿を消した。小さな炎を息で吹き消したように。
村は、血に濡れていないものを探す方が難しい有様だった。住宅の八割は倒壊し、同じ程度の割合で村人も死んだ。
ルダは甲殻の納め方もわからないまま歩き出そうとした。しかし、ウーケをそのままにしてくのも躊躇われて、一旦肩を叩いてやった。
「立てる?」
彼女は力なく頷いた。
「僕は……行くよ」
振り向いた彼だったが、一つの声で脚を止める。
「魔族だ! まだいるぞ!」
誰のことか、と思ってしまったルダは、粗末な槍を握った農民が正面から突っ込んでくるという事実を、受け止めきれなかった。既の所でその穂先を握った彼は、その力のままにへし折る。
「だ、誰か! 殺される!」
喚きだした者に声をかける気力もなく、彼は、
「ごめん。僕がいたから、こんなことになったんだ」
とだけ言い残して走り去ろうとした。しかし。
「待ってください!」
ウーケの声。
「私も、連れて行ってください」
「……また、こんな目に合うかもしれないんだ。これは僕一人でやる。この世界から……魔族を消し去るんだ」
平気で人を殺し、大切なものを奪うことが魔族の“生態”ならば、そんな生物は存在してはならない、と彼は確信していた。そして、自らにその力があるならば、猶更自分一人で成し遂げねばならぬ、とも。
「そんなこと、一人でできるわけないじゃないですか。一人で戦うなんて、無謀ですよ。死にたいんですか」
「ああ、死にたいよ。死にたいさ! でも、僕が死んだら、村のみんなは、家族はどうなる⁉ 無駄死ににはしたくないんだ。だから、戦う」
昂ぶりが治まったのか、彼の肉体に吸収されるようにして甲殻が消える。
「ついてきて、どうするつもりなんだ」
「強くなりたいんです。誰も守れないままではいたくないんです。それに、私だってあの魔族を倒したい。だから、一緒に行きましょう」
杖を拾い上げた彼女は、瑠璃の瞳を濡らして言い切る。
「倒すんです。二人で」
真っすぐ彼に歩み寄って、手を握る。
「二人で、か」
そんな彼らに水を差すような、擦れ切った声が響いた。
「無理だな。犬死するだけだ」
声の主は、直剣を佩いた、喪服のように黒い背広を着た男だった。
「どっちがルダ・ファレストだ」
挨拶もないことに不服を覚えつつも、少年が手を挙げた。
「俺はディアルク。連邦軍対魔族部隊の人間だ。お前に、力の使い方を教えに来た」
ディアルクと名乗ったその男は、後頭部を乱暴に掻いた。
「まあそう警戒するな。俺はお前と同じだ。ほら、見てみろ」
彼はシャツのボタンを外し、胸に埋め込まれた正八面体──魔核を見せる。
「三賢者──お前を改造した人間から、同類が生まれたと聞いてな。野垂れ死ぬ前に拾おう、というわけだ」
「……あんたは、僕の何を知っているんだ」
「ナリスティア連邦北東部の村出身。昨日の晩、村の人間全てを使った魔核を埋め込まれ……魔族となった」
それが、今のルダの全てだった。特に反駁する余裕もなく、ルダは膝を地面につけた。だが、倒れ込む前に、ディアルクが担ぎ上げる。
「魔力切れだな。俺が来なければ、村人に殺されていたぞ」
事実、困惑しつつも村民たちは銘々農具なり武器なりを構えて三人を取り囲んでいた。
「嬢ちゃんも来い。魔法の使い方くらいは教えてやれる」
戸惑いを見せたウーケだが、家族を失い、機能の大半を喪失したこの村に留まることもできないだろう、とどこか冷静さを取り戻したような判断をして、歩き出したディアルクの後を追った。
それでも、少し思い残したことがあった。くるりと振り返り、深く、深く頭を下げる。
「お世話になりました!」
激励の一言でも、と期待した自分を、彼女は嗤うことになる。村人たちは武器を下げはしたものの、何も言わずに解散してしまった。
(ルダさんを連れてきたから?)
そんな疑念さえ、浮かんでしまった。