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最終選抜

 最終選抜が始まる。受験者たちは黒い壁で仕切られた部屋を前にしていた。


「あれが魔物の部屋……」


 ソウマやウーケと並んで、ルダは呟いた。ヒューデリックが言うには、この黒い部屋の中で、恐怖を刺激する魔物が待ち構えているらしい。その中で十五分耐えるか、魔物の干渉を跳ね返せば合格、とのことだ。手段は問わない。直接的な攻撃を除いては。


 残る受験者は十五人。当初の四分の一だ。


「ルダさん、ソウマさん、ちょっとこっちに来てください」


 ウーケが二人を連れて廊下の影に入る。


「ちょっと、ずるいことをしましょう」

「ずるって、何さ」


 彼女は杖を立て、小さな声で呪文を唱える。少しした後、ぼんやりとした白い光が少年少女を包んだ。


「精神防護の白魔法です。先生に教えてもらったんですよ」


 第二次選抜の代替試験が終わるまでの、五日間。その時間を彼らが無駄にしたわけではないのだ。今回の選抜は魔物を直接攻撃することが禁じられている。ルダもソウマも、過去を掘り返される訓練を乗り越えた。


「急ごしらえなので、どこまで役に立つかはわかりませんが……ないよりはいいかな、と」

「どう効くの?」

「あはは……」


 笑ってごまかそうとする姿勢。ルダはおおむね悟った。彼女自身、よくわかっていないのだ。


「じゃ、戻ろうか。あんまり離れると怒られそうだし」


 丁度、棺のように黒い直方体から、真っ青な顔をしてとんがり帽子の受験者が出てくる所だった。どうにか十五分耐え抜いたらしく、ヒューデリック試験官から合格を言い渡されている。


 代替試験で一緒になったであろう、恰幅のいい男に背中をさすられて、その彼女は会場の端にある椅子に腰かけた。


「次! ルダ・ファレスト!」


 一声と共に、受験者たちの視線が一斉に集まる。新聞で報じられた英雄の名だ。皆、軽々突破するのだろうと思っている。だが、ルダはどうしても不安だった。見たくないものがあるからだ。


「入れ」


 扉のノブに手をかけると、ドロッとした黒い空気を感じ取れた。踏み込めば帰って来られないような、威圧感にも近いものだ。


「どうした、早く入れ」

「……はい」


 心の奥底へ入り込むような重さを伴う扉を引き、中へ。途端、闇に包まれた。鍵がかけられたような音はない。逃げたければいつでも逃げろ、というわけだ。


 舐められたものだ、と思いながらルダは正面を見つめた。真っ暗闇の向こうから、ぬるりとカエルめいた魔物が姿を現す。


「ゲゲゲッ」


 魔物は下卑た鳴き声を上げ、後ろ足で立ち上がって腹を見せる。そこには鏡のようなものが埋め込まれていた。


 なんだ──怪訝に思った彼が見つめた瞬間、鏡に母が映った。優しく、農閑期にはよく凝った料理を作ってくれた、柔らかな黒髪の母。


 父も映る。言葉数は少ないが、白髪交じりの頭で畑のことをいつも考えていた。耕作で鍛えられた肉体は美しささえあり、何度その腕に持ち上げられたか。


 妹。裁縫が得意で、一家の服は殆ど妹が縫っていた。繊細な指先を思い出す。不格好な料理を美味しいと言って食べてくれた光景が脳裏に浮かぶ。


 だが、それら全てが思い出であることを、冬の夜のような不思議と冷めきってクリアな思考で見抜いていた。戻れるなら戻りたい。それでも、進むと決めたのだ。


 鏡の中で、妹が口を開く。声は聞こえない。涙さえ流しているが、それでもルダの耳には何も届かない。俯瞰したような視点から、今の状況を眺めていた。


 ウーケが施した白魔法が、この魔物から放たれる何らかの精神干渉を撥ね退けている。一歩、ルダは前に出てみた。蛙は気圧された様に退がる。


(一人じゃない)


 心にある、熾火めいた何か。激しくはないが確かに熱を放っている。ぼうっと熱く、彼の冷たい頭とは真逆に目の前の魔物に対して怒りを起こしていた。


「消えろ」


 真っすぐ鏡を見て、彼は命じる。すると、そこに映っていた像は煙のように消え、蛙はすごすごと奥に戻っていった。背後でゆっくりと、扉が開く。


「……合格だ」


 ヒューデリックの一言が彼を出迎えた。





「それじゃ、乾杯!」


 ジンジャーエールの入ったグラスを突き上げ、ルダは大男マゼンダに合わせて声を発した。


「全員合格とはやるじゃねえか! 好きなだけ食え!」


 ここはプルドポークサンドをメインに扱う店だ。よくスパイスを擦り込まれた上で、繊維状にほぐされた豚肉をパンで挟んだその料理は、田舎育ちの少年少女にとって新鮮でありすぎた。


 決して辛くはない。むしろ甘い。だが、何種類ものスパイスを組み合わせて作られたそれは、味を知らないかっぺの舌を混乱させていた。


「どうだ、美味いだろ」

「美味しいんだけど……いや、美味しいよ? でも、初めて食べる味だ……」

「わかるぜ、俺も南の田舎育ちでなあ。軍に入って初めて首都に来たが……飯が美味いのなんの。今更ふるさとにゃ帰れねえな」


 濃厚なチーズソースが、少年少女の口腔を満たす。


ジンジャーエールというものも、ルダは初めて口にするものだった。舌がぱちぱちするような感覚には慣れないが、味は好みだ。


ちらり、ウーケの方を見る。その小さな口には、大ぶりなサンドイッチは入りきらない。少しずつ食べ進めていた。


「チビ助たち、幾つだ」

「僕は十六。もうすぐ誕生日だけど」

「その歳で戦場、か。ほんとは、大人が頑張ってやらなきゃいけねえんだけどなあ」


 マゼンダが空に向かって言う。


「おっと、すまねえな。祝いの席で暗いこと言っちまって。でも、大人を頼れよ。魔物をちまちま倒すのは、俺らがいくらでもやってやる」

「マゼンダさんの目って、何かの病気?」

「俺だから許してやるがな、そういう言い方は良くねえぞ。俺はオルメアって種族だ。巨人になれるんだぜ」

「それはごめん……でっかくなるところ、見せてよ」


 マゼンダはにやりと笑って、ジョッキに入ったラガービールを飲み干す。


「俺と一緒に戦場へ出れば、見せてやる。魔物なんざ紙屑みてえなもんさ。拾って投げりゃあ、あっという間にダウンよ」


 左腕に力瘤を作って叩いてみせる巨漢は、大口を開けて豪快に笑う。


「そこのセリアード……ソウマだったか? お前も十六そこらだろ。どこ生まれだ」

「ここから西に行った村さ……こんな都会、来るとも思っていなかった」


 マゼンダは追加の酒を注文する。ちらりルダの方を見て、そちらの飲み物も頼んだ。


「魔法使いの嬢ちゃんは、何だってこの二人とつるんでんだ」

「私もよく知らないんですけど、行き倒れてるルダさんを拾って。そのままディアルクさんに見つけてもらってから、ルダさんとソウマさんが仲良くなったので」

「縁、ってやつか。大事にしろよ。人との繋がりってのが、いざって時に助けになる」

「は、はあ……」


 ビールと、何やら真っ黒な炭酸飲料が運ばれてくる。シュワシュワと音を立て、飛沫を散らしている。


「これコーラって言うんだけどよ、最近出てきて結構流行ってんだ。美味いぜ」


 毒蛇が動かないように見つめるような視線で、ルダはそれを暫く観察してから口に運んだ。


「甘ッ!」


 今まで経験したことのない甘みに、つい声を発してしまった。そんな新鮮な反応を見せた少年へ、マゼンダは再び明るい笑い声を浴びせた。


「砂糖たっぷりだ! 俺も最初はビビったさ。でもな? 意外と癖になるのさ」

「都会の人って毎日こんなもの食べたり飲んだりしてるの?」

「流石に祝い事の時くらいさ。結構高いしな」


 自分はここにいていい。ルダはそんな肯定感を得ていた。遅れてやってきたディアルクに肩を叩かれ、店は活気を増していく。彼の人生は、こうして大きな転換点を迎えたのだった。

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