「えーーーっと……。
弥七郎とは何も有りません。絶対、嘘では有りません。
本当に夜伽をさせた事は有りません。この前も、昼も、夜もです。今夜も当然です。
貴方の気を惹きたくて、手を色々と尽くしているのにこうも疑われるとは心外です。
そもそも、近習に取り立てたばかりの弥七郎をどうして知っているのですか? 正直、貴方がちょっと怖いです」
戦国時代にタイムスリップして、もうすぐ四年目。三度目の春を迎えた。
影武者としての日々に慣れるので精一杯な一年目と上洛の旅の道のりを自分の足で歩いた二年目に比べたら、三年目は平穏な毎日だったと言える。
椿がたまに巻き起こす騒動を除いて。
今だって、椿からラブレターという名の詰問状が届いた為、燻り始めた火種を消そうと返事の文面に頭を悩ませているところ。
「……って、駄目だな。
こんな事を書いたら、また泣いてすっ飛んで来るに違いない。書き直そう」
筆を走らせていた文面が気に入らず、バッテン印を大きく入れた後、その紙を無造作に丸めて放り投げる。
だが、目標のゴミ箱は既に失敗作が山積み状態。幾つかの失敗作と一緒にゴミ箱の外にこぼれて散らばった。
「はぁぁ~~~……。」
筆を置き、溜息を深々と漏らしながら墨を硯に擦る。
煮詰まり感が苛立ちを併発させて、投げ出したい気分に駆られるが我慢、我慢。
どんなに面倒だろうと、ここで放置したり、対応を誤ったりしたら、今以上の面倒事が待っているのは去年の経験で解っている。
それに全ての発端が自分自身にあるのだから諦めるしかない。
そう、復讐心に我を忘れて、椿にズブリとやってしまったのが駄目駄目の大失敗だった。
あの夜を境にして、椿は大きく変わった。
第三者が同席している時は問題は無い。城代の職務だって、きちんと全うしており、評判は良い。
しかし、俺と二人っきりになった途端、明らかに女と解る顔をするようになった。
俺自身が『高坂昌信』の正体が椿で女性と知ったせいもあるが、それまで椿は俺の前でも『高坂昌信』をあくまで貫き通していたにも関わらず。
アピールも積極的になった。
俺と二人っきりになりたがり、二人っきりになったらなったで誘ってくる。今では俺の方が押し倒されてばかりいる。
そして、大きな問題が嫉妬深いを通り越して、ちょっと病み気味なところ。
冬の雪深い時期ですら手紙が一週間に一度、雪が降らない春、夏、秋は三日と空けずに届き、その返事をつい疎かにすると、次の手紙は文量が増えるか、届く間隔が縮まるか、最終的に自身が佐久から馬を走らせてやってくる。
挙句の果て、やってきたらやってきたでなかなか帰ろうとしない。
三日間の滞在は当たり前。一週間以上に渡る事も多くて、宥めて、宥めて、叱り、やっとの思いで佐久へ帰らせている。
おかげで、諏訪と佐久の遠距離恋愛をちっとも感じさせない。
最初は椿に遠慮をしていた桃も最近は椿が訪れると不機嫌さを隠そうとせず、そのご機嫌取りもまた大変になる。
だが、本当に逃げ出したくなるくらい大変なのは側室『諏訪の方』との確執。
諏訪の方は晴信の四男『勝頼』を産んだ母親の妹であり、姉が若くして亡くなった後、勝頼の諏訪家後継を確かなものとする為に晴信の側室になった女性である。
諏訪湖の南にある諏訪大社上社近くの上原城に住んでおり、この屋敷と近い事もあって、以前は俺か、諏訪の方のどちらかが月に二度か、三度の頻度で相手の居を訪れる交遊が続いていた。
ところが、それが変わった。
椿の訪問が多くなると、諏訪の方の訪問も多くなった。
今では何処から聞きつけてくるのか、椿が訪問すると諏訪の方もかなりの高確率で訪問するようになっている。
無論、二人は大人の女性で立場も有る。
髪を引っ張り合うような乱闘にはならないが、この屋敷全体がギスギスとした緊張感に包まれ、嫌味を交わし合うその間に立たされる俺は堪らない。
特に夜が酷いと言うか、しんどい。心が休まらない。
二人が泊まる客間のどちらかを夜に訪れる必要があり、どちらに訪れたかの一悶着が翌日に必ず起こるばかりか、遠く離れた相手の客間に届けといつも以上に大きな睦む声をあげる為、桃まで不機嫌になる。
この問題に関して、信繁さんを始めとする何人かに助けを求めたが駄目だった。
全員が全員、触らぬ神に祟り無しと関わりを持とうとせず、助けになった事と言ったら、諏訪の方が何故にこうも椿を目の敵にするかが解ったくらい。
本来、こうした問題を解決するのは正室の役目だが、晴信の正室は鬼籍に入っている。
晴信が正室を娶ったのは十歳になったばかりの頃。相手は三十歳以上も年上で完全な政略結婚である。
その為、継室となった三条の方が事実上の正室となるが、晴信と三条の方は出会った当初から不仲で義務的な関係が続き、武田家が信濃へ進出して、晴信が甲斐を留守にする事が多くなると次第に疎遠となったらしい。
実際、晴信の側室、妾、愛人はこの屋敷へ最低一度は訪れているが、三条の方は一度も訪れていない。
義信が武田家の家督を継いだ時、感謝の手紙を一回だけ送ってきただけであり、それさえも義務的で短く簡素な手紙だった。
その結果、諏訪の方が正室の役目を自然と担うようになった。
武田家が信濃を侵攻する際、諏訪が必ず通り道になる為、晴信の寵愛が高くて、諏訪家は三条の方を除いたら側室、妾、愛人の誰よりも古い歴史を持つ名門だったからだ。
晴信もそれを許した。
諏訪の方が住む上原城と三条の方が住む甲斐の武田家本拠地の躑躅ヶ崎館は距離が程良く離れており、問題は起きなかった。
しかし、椿が出現が諏訪の方に危機感を募らせた。
高坂昌信が晴信の深い寵愛を受ける衆道の相手と噂に聞いて知りながらも、性別が違うのだから同じ土俵に立つ必要性は無いと感じて、その顔すら確認していなかったが、椿が女を積極的に出すようになった為、武田家の公然の秘密が発覚。俺との仲睦まじさを噂に聞いたその日の内に屋敷へやって来た。
なにしろ、高坂家は諏訪家と比べても遜色ない家格。
その上、椿は諏訪の方より若くて、自分には行けない戦場へ高坂昌信として赴き、自分よりも圧倒的に長い時間を俺と共有する事が可能なのだから嫉妬するのも無理は無い。
つまり、俺は悪くない。晴信が全て悪い。
確かに俺は致命的な失敗をしてしまったかも知れないが、結局は晴信のツケを払っているだけ。
「あーーー……。駄目だ、駄目だ! 止め、止め!」
苛立ちが収まらず、鼻息をフンスと強く吹き出して立ち上がる。
このまま続けても満足するものは出来そうにない。本日、三回目になる休憩を取ると決めた。