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第2話

 普通の人が見たら、この行列をどう思うだろうか。少なくとも花嫁行列だとは思わないに違いない。


(俺が着てるのだって白無垢ってやつじゃないしな)


 見た目は死に装束にも見える真っ白な着物だ。近くで見れば蝶の刺繍模様が入っているのがわかるが、それも白糸だから遠目ではわからない。

 そんな真っ白な着物に真っ白な帯をつけた俺を取り囲む人たちは、全員が真っ黒な着物を着ていた。そんな集団がぞろぞろと寺の本堂に向かって歩いているのだから、葬式の列だと思われてもおかしくない。しかもいまはお盆の時期だ、より一層そう見えるだろう。


(花嫁行列なのに葬式だなんて、縁起でもない例えだな)


 救いだったのは花嫁行列の歩く場所が寺の敷地内のため、大勢の目にさらされずに済んでいるということだろうか。

 母屋から庭をぐるりと回るように本堂へと行列が進む。懐かしい景色を見ながら「まさか花嫁になって戻って来るなんてなぁ」と感慨深くなった。しかも宴会の後には初夜まであるらしい。


(初夜ってなんだよ)


 これもしきたりの一環だと聞いた。同じ部屋で並んで一晩寝るだけなんだろうが、言葉の響きがなんとも言えない気持ちにさせる。


(イッセイの花嫁になるって言っても、戸籍上は地蔵の養子に入るだけなのに)


 一歳のときに母さんが再婚し、俺は一度地蔵の家の子どもになった。十歳のときに両親が離婚したため母さんの大貫おおぬき姓に戻ったが、それがまた地蔵になるだけの話だ。ちょっとややこしいことにはなるものの、八年前までの暮らしに戻るのだと思えばなんてことはない。


(それに母さんも地蔵の家に入るって話だし)


 俺の嫁入りに合わせて母さんも地蔵の家で一緒に暮らすことになった。一人残される母さんを心配していたが、それなら安心できる。なにより元父親を想い続けてきた母さんもうれしいはずだ。元父親のほうも再婚はしていないし、二人のやり取りを見る限り互いに思い合っているように見える。それなのにどうして離婚したのだろうと疑問に思ったが、万事うまくいくのならしきたり上の花嫁になるのも悪くない。

 そんなことを考えているうちに花嫁行列が本堂に到着した。入り口に立っているのは住職の元父親と兄たち、それに真っ白な着物を着たイッセイだ。久しぶりに見たイッセイは驚くほどいい男になっていた。


「ようこそ、花嫁殿」


 低すぎない艶やかな声に耳がぞくりとする。


(声までかっこいいなんて卑怯だろ)


 八年前は俺より少し高かった程度の身長は頭一つ分も差がついていた。真っ白な着物もよく似合っていて、もしかしたら花婿用なのかもしれない。


(そうだよな、イッセイは俺の花婿になるんだもんな)


 イッセイが俺の花婿……そう思ったら急に気恥ずかしくなって顔が熱くなった。「いやいや、ただのしきたりだぞ」と言い聞かせるものの体まで火照ってきて仕方がない。

 俺は赤らんでいるであろう顔を見られたくなくて、そっと下を向いた。そのままイッセイに付いていくように閻魔堂に入り、借りてきた猫のように大人しく正座をする。これも儀式の一環なのか元父親の読経が聞こえてくるが、それを聞く余裕すらない。

 閻魔堂を出ても気恥ずかしさが消えることはなかった。そんな状態だから、宴会が始まっても隣に座るイッセイを見ることなんてできるはずがない。ひたすら前を向き、集まった人たちの祝いの言葉をぎこちない表情で聞き続けた。


「輝智、お疲れ様」

静真兄シズマにい


 全員分の挨拶を受け終わると、すっかり大人の男になった次男の静真兄がコップを差し出しながら目の前に座った。


「喉、渇いたでしょ」


 昔と変わらない笑顔にホッとする。


「ありがと」


 言われてみれば祝い酒代わりに何杯も飲まされた甘酒のせいで喉がカラカラだ。俺は受け取ったコップの麦茶を一気に飲み干した。


「おっ、いい飲みっぷり」

「甘酒めちゃくちゃ飲まされたからさ」

「特別な花嫁に特別な甘酒を勧めるのは誉れだっていう話だからね」

「酒粕の甘酒だったら酔っ払ってたかも」

「うーん、それはそれで可愛かっただろうなぁ」

「何言ってんだよ。俺もう十八だよ?」


 笑う静真兄を少しだけ睨むと、「輝智くらい可愛い子はほかにいないぞ?」という声が聞こえてくる。


静哉兄セイヤにいまで何言ってんのさ」


 静真兄の隣に座ったのは長男の静哉兄だ。相変わらずの二人に思わず苦笑してしまう。


(ぎこちなくなったらどうしようって思ってたけど、全然そんな感じしないな)


 こうしていると八年間も会っていなかったなんて思えないほど違和感がない。もちろん兄たちも大人になっているが雰囲気は昔のままだ。


(しかも相変わらず俺のこと「可愛い」なんて言うし)


 この年になってもそんなことを言うのはこの人たちくらいだろう。


(いつもこんなだったから、あの頃は義理の兄弟だなんて思いもしなかったっけ)


 三人の兄たちと血が繋がっていないと知ったのは離婚した後だった。それもショックで地蔵の家のことを思い出さないようにしてきた。


(みんな仲良かったけど、一番はやっぱり……)


 兄たちの中で一番仲が良かったのがイッセイだ。そんなイッセイと離れ離れになるのがつらくて、そのつらさから逃れるために思い出をすべて封印した。

 イッセイとは一歳しか年が違わなかったからか、とにかく何をするにもウマが合って楽しかった。いつも一緒で、むしろ隣にいないことに違和感を抱くほどべったりだったのを覚えている。


「また兄弟に戻れてうれしいなぁ」

「俺だってそう思ってるよ、静真兄」

「会えなかった八年分、たっぷり可愛がってやるからな」

「だから静哉兄、俺もう子どもじゃないって言ってるだろ」

「僕にとってはいつまで経っても可愛い弟だよ」

「そうだな。八年も会えなかったのがどれだけつらかったことか」

「そうそう。何度顔を見に行こうと思ったかなぁ」

「あのつらい日々も今日からのことを考えればなんてことはない」


 兄たちの笑顔に俺も微笑み返した。相変わらず過保護なところは変わっていないようだが、それさえも懐かしくてうれしくなる。


「輝智は昔もいまも俺たちの弟だ。昔のように本当の兄だと思って甘えればいい」

「そうそう、一静の花嫁って形ではあるけど、そんなこと関係ないからね。もし一静に意地悪されたらすぐに言うんだよ? 僕たちが懲らしめてやるからさ」

「おまえは大事な俺たちの弟だ。昔のように地蔵の本当の息子だと思って過ごしてほしい」

「はは、ありがと」

「本当は僕の花嫁として戻ってきてほしかったんだけどなぁ」

「それをいうなら俺もだ。いや、いまからでも遅くはないか?」

「そうだよね。輝智が望むなら僕たちどちらかの花嫁になってもいいんだよ? それとも僕たち二人の花嫁って手もあるか」

「そうした前例もなくはない。輝智が望むなら俺たちが叶えてやる」

「ちょっと兄さんたち、何言ってんのさ」

「俺たちは本気だ」

「輝智がそう望むなら、僕たちが叶えてあげる」


 何を言い出すのかと思わず笑ってしまった。しきたり上の花嫁ということは兄たち三人の誰が相手でもよかったのだろう。それがなぜイッセイに決まったのかはわからないが、昔から過保護すぎる兄たちなりの気遣いに違いない。


「冗談はよせってば」


 そう笑いかけたが、なぜか二人の兄は笑みを浮かべたまま何も言わない。


「静哉兄? 静真兄?」


 宴会の賑やかな声が段々と遠のいていく。やんやとうるさいおじさんたちの声が少しずつ小さくなり、そんなおじさんたちを注意したり一緒に笑ったりしているおばさんたちの声まで遠くなっていく。


「本当なら俺が輝智を嫁にもらうはずだったんだがな」

「それを言うなら僕だってそうだよ。この家に来たときから可愛がってたのに、一番下に持っていかれるなんて思わなかった」

「足元をすくわれるとはこのことだ」

「まさか、あの部屋でそんな大事な約束してたなんて思わないもんなぁ」

「餓鬼だと思って油断した。こんなことなら風呂に入れているときに気持ちを伝えておけばよかった」

「僕だって寝かしつけてるときにあの手この手で籠絡すればよかったって、いまでも後悔してるよ。あの頃なら僕にだって十分可能性はあったのに」

「末っ子が一番油断ならなかったということだ」


 二人の兄たちはいったい何の話をしているんだろうか。どうして俺をそんな目で見ているのだろう。やけに熱く、まるで獲物を狙う獣のような赤い――。


「兄さんたち、少し口が過ぎるんじゃないかな」


 不意に声が聞こえてきた。振り向くとイッセイがこちらを見ている。


「そんな怖い顔をするな。冗談だ」


 静哉兄の声はいつもと変わらないのに、俺を見たままの眼差しにうなじがぞわっと粟立った。


「僕としては冗談じゃあなかったんだけど……やだな、横槍なんて入れないよ。そんなことをしたら閻魔様のご不興を買ってしまうからね」


 冗談めかしてそう口にした静真兄の目も俺を見たままだ。鳥肌が立つようなゾワゾワした感覚にそっと視線を逸らした。するとイッセイが「そのとおりだよ」とにこやかに答える。


「そもそも今回のことは俺たち二人で決めたことだ。これにはカガチの意思も含まれている」

「わかっている。だからこうして宴席にも顔を出しているだろう」

「花嫁自身が一静を望んだんだし、仕方ないか」

「そういうこと」


 そう口にしたイッセイがにこりと微笑んだ。途端に宴会の賑わいが耳に入ってきた。


 ガシャン!


 酔って足元がふらついたのか、おじさんの一人が派手に尻もちをついて酒をこぼしたのが見えた。それをおばさんたちが呆れながらもテキパキと後始末をしている。


「カガチ、そろそろ部屋に行こうか」

「え……?」


 ぼんやりとしたままイッセに視線を向けた。立ち上がったイッセイが、眩しいくらいの笑みを浮かべながら俺に手を差し出している。


「あ、あぁ」


 触れた手は少し冷たかった。一瞬引っ込めかけた手をグッとイッセイに掴まれた俺は、手を引かれたまま賑やかな広間を後にした。

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