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ujasiri
ujasiri
パレット太郎
文芸・その他ノンジャンル
2025年06月29日
公開日
9,987字
完結済
遠い山間の村「ブラーニョ村」に、古より語り継がれる“イヌガミ”の伝承があった。しかし今や誰も信じず、伝承は子供の唄に残るだけ。そんな村の片隅、祖父母に育てられた少女・ウジャは、家族の死を経て山の上で孤独に生きていた。 ある夜、ウジャは人ならざる獣“イヌガミ”の襲撃に遭遇。村へ警告するも、大人たちは彼女を狂人扱いし、嘲笑して取り合わない。亡き祖父の残した弓矢と、祖母の教えを胸に、ウジャは自ら山を要塞化し、連夜の戦いに身を投じていく。 この物語は、信じる者が見捨てられたとき、それでも「守る」ことを選んだひとりの少女の記録である。

第1話 イヌガミが来た!

山の裾野に、夜の帳が降り切る頃。


「た、大変だ!!!おーーーい!みーーーんな!!イヌガミが来たぞ!!」


甲高く、震えた声が谷間を走る。声の主は、ウジャ。夜風を切り裂くような叫びに、いくつかの戸がきしみ、怯えた顔がのぞく。


「食料無くて、山から降りて来てるだ!!!年寄りと子供は、家隠れろ!!!大人は、加勢してけれ!!!!」


息を切らし、目を見開いた少女――山に育ち、祖母の死とともに村の記憶から薄れかけた存在。ウジャの小さな背は、弓と鉈に引っ張られるように傾いていた。


だが村の空気は冷たい。


「………なんだぁ?……こげな夜中に…イヌガミ?そんななぁ、いねぇだろがよ…」


灯の洩れる縁側で、茶を啜る老人が鼻を鳴らす。


「だいたい、誰だぁ?気狂いしたよな、声ぇ出して叫んでんのはよぅ……」


別の声が返す。ゆっくりと湯呑を置く音と、ため息。まるで厄介な雨音を遠ざけるような調子で。


「あぁ…あれだぁ、アイ婆さまんとこのウジャとか言ってたかぁ…」


「……あの小汚ねぇのが……ナンでもイヌガミ?だと…」


かつて村の賢女と呼ばれたアイ婆の家。今では屋根の藁も朽ちて、そこに住む子どもは“野良”のような扱いを受けていた。


「まぁ、今年はよぉ……変なさ、天気が続いてよぅ、山の下でも不作続きだからよなぁ……」


呟く言葉に、どこか恐れの匂いが滲むが、誰もそれを口にしない。村には“黙っていれば平穏”という風習が、土に染みるように根付いていた。


「とりあえず、戸……しっかり閉めてさぁ、寝んべよぅ……」


重い木の戸がひとつ、またひとつ、音を立てて閉まる。


残されたウジャの足元には、冷たい夜露が降りていた。

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