目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第4話 ロザリーの勝利──新たな未来へ

1. 王都に巡る噂と“婚約破棄ざまぁ”の余波


 王太子エドワード・カミル・レグノードの王太子剥奪と国外追放──それは、王都ばかりでなく王国全土を揺るがす大きな事件だった。もともと「聖女の出現」という触れ込みで注目を集めていたセシリア・ブランシュも、実は偽の神託を掲げていた詐欺師だったと暴かれ、彼女もまた国外追放が決定される。

 この事態に、民衆は驚きの声を上げる一方で、どこか“納得”したようにも見えた。なぜなら、あまりにも“奇跡”の正体が曖昧だったことや、王太子の軽率な行動が目に余ったからである。とりわけ大きく取り沙汰されたのは、「公爵令嬢ロザリー・フォン・アーデンという優秀な女性を捨てて、偽の聖女とやらに入れあげた殿下は、いったい何をしていたのか」という話題だ。

 王都のあちこちで、こんな囁きが交わされるようになった。


> 「ロザリー様を蔑ろにした王太子なんて、大馬鹿者よ。あれだけ聡明な女性を失うだなんて。」

「そもそも政略婚だろうが何だろうが、あのロザリー様なら国を良くしてくださっただろうに……。やっぱり、騙されやすい王太子はダメね。」

「国外追放されると聞いたわ。もっと早く目を覚ませばよかったのに。セシリアとかいう女も、二度と帰ってこられないんでしょう?」




 実際、民衆だけではなく、多くの貴族にとってもエドワードの失脚は“当然の結末”と映った。王家を欺き、財政を乱用した事実が明らかになれば、どれほど王族といえども処罰は免れない。国王陛下としても、もはや息子に情けをかける状況ではなかったのだ。

 こうして、王太子を失った王宮は次なる継承者を模索し始める。一方、社交界では「ロザリー・フォン・アーデンこそ、将来の王妃に相応しかったのではないか」という声がますます強まっていた。



---


2. 社交界での“ロザリー・フォン・アーデン”コール


 そんな空気を反映するかのように、ロザリーのもとには連日、様々な貴族からの招待状や訪問が絶えなかった。これまでも公爵令嬢としての地位と名声は高かったが、“婚約破棄された被害者”という同情にとどまらず、“国を救ったヒロイン”としての評価を得たことで、さらに一目置かれる存在になっていたのである。

 王都の豪奢な屋敷では、次々と夜会や昼餐会が催され、そのたびにロザリーは華やかなドレスを纏って姿を現す。もちろん、彼女自身は騒ぎ立てられることにあまり興味はない。だが、アーデン家の令嬢として社交界に顔を出し、時には政治的な話題にも触れる必要があるとわきまえていた。

 ある日の午後、ラトレイン子爵夫人主催のお茶会に招かれたロザリーは、周囲の貴婦人たちから矢継ぎ早に声をかけられた。


「ロザリー様、このたびの件は本当にご苦労なさったでしょうね。まさか王太子殿下があんな醜聞を……。」


「婚約破棄のこと、私たちも本当に驚きました。最初は同情いたしましたが、今やロザリー様のほうこそ被害者というより“救世主”ではありませんか?」


 多くの婦人たちが口々にロザリーを称賛する。その言葉にロザリーは苦笑しながらも、柔らかな微笑で応じる。


「皆さま、お気遣いありがとうございます。わたくしはただ、国王陛下と重臣の皆さまに正しい情報をお伝えしただけですわ。偽りの神託で国が乱れるのを見過ごすわけにはいきませんでしたので。」


 そう言うと、一部の淑女たちは感嘆の溜息をつくように頷く。


「やはり、あのロザリー様。王太子妃に相応しいご器量とご見識をお持ちだわ……。」


「ええ、そうよね。今回の一件で改めてわかったの。ロザリー様こそ、真の王妃にふさわしいのではないかしら。いえ、それこそ“女王”とお呼びしたいくらい……。」


 冗談半分の言葉ながら、その場にいた人々は頷き合う。エドワードの破滅ぶりとセシリアの醜聞を知る今、誰もがロザリーなら国を滅ぼすまいと思っているのだ。こうした世論や社交界の噂話が、巡り巡ってさらにロザリーの評価を押し上げている。

 ロザリーはそんな会話を耳にしながらも、決して威圧的になったり高飛車になったりはしない。常に落ち着いた態度で、必要なときには微笑み、必要なときには毅然とした意見を述べる。それこそが、彼女がアーデン家の令嬢として長年にわたって磨いてきた高貴さであり、“エドワードに捨てられた被害者”などというイメージとは無縁の姿だった。


(こんなに多くの方から評価されるなんて、以前なら想像もしていなかったわ。婚約破棄された直後は、まさかここまで状況が変わるなんて……。)


 ロザリー自身、心の中で小さく驚きを覚える。だが、同時に改めて思うのだ。誰かに寄りかかって生きるのではなく、自分の力と意思で道を切り開いてこそ、本当の自由や尊厳が得られるのだと。

 王太子という存在に縛られ、将来を決められていた日々。それを脱却した今のロザリーは、広い視野を得ている。だからこそ、彼女のもとには新たな選択肢と出会いが次々と舞い込んでくるのだろう。



---


3. 打ち捨てられた王太子の末路


 一方、エドワードとセシリアの行方はというと、もはや王国の記録にもろくに残らないほど惨めなものであった。正式に国外追放の処分が下された二人は、王都を出た後、どこか遠い土地へと流れ着くしか道がない。

 彼らを乗せた古びた馬車が、城の裏門から出て行った瞬間を目撃したある衛兵は、後にこう語ったという。


> 「あのとき、王太子殿下はまるで魂が抜けたような顔をしていた。偽の聖女も、目に涙を浮かべて殿下の腕にすがっていたが、どうにも二人とも生気がなかったな……。やっぱり、ロザリー様を失ったのが致命的だったんじゃないか。」




 どんなに偽の神託を喧伝しようとも、もはや誰も耳を貸さない。王家の信用を裏切った時点で、国民はもちろん、教会もまったく二人を擁護しない。財産や称号を奪われ、ささやかな荷物だけを抱えて辺境の地へ向かうしかない。

 その様子を遠巻きに見送った人々は、


> 「ああ、なんという馬鹿げた結末だろう。ロザリー様を捨てた殿下の自業自得だ。」

「あれじゃ王家の恥として歴史に名を残すしかないな……。」




 などと思い思いの言葉を投げかける。

 当のエドワードは、王宮を出る際にわずかに呟いたという。


> 「ロザリー……君を手放すべきでは、なかった……。」




 しかし、その後悔はあまりにも遅すぎた。もはや彼が王宮に戻る道はなく、国の財政を乱した大罪人として名を残すだけだ。セシリアとの“真実の愛”も、偽りから生まれた関係である以上、これからどんな生活が待っているかは想像するまでもない。

 エドワードとセシリアがどうなったかを気にかける者は、王都にはもうほとんどいなかった。ロザリーにとっても、彼らはもはや過去の存在に過ぎない。



---


4. 隣国からの正式な求婚──王クラウスの到来


 そんなある日のこと。ロザリー・フォン・アーデンのもとに、一通の書簡が届いた。差出人は隣国の王、クラウス・アレクサンドル。

 王位に就いてまだ若い彼は、以前から“名君”として評判が高く、自国の発展と国際関係の強化に力を注いでいる人物だった。これまでもアーデン公爵家とは商会を通じたやり取りがあり、ロザリーも公的な場で一度顔を合わせたことがある。彼女の外交能力や知的センスに感銘を受けたクラウスが、以前から何度か小さな接触を図っていたのは周知の事実だ。

 しかし、今回の書簡は今までのような“交易や政治の話”ではなく、はっきりとした求婚の意思を示す内容だった。


「私は貴国に深い敬意を抱く者ですが、とりわけアーデン公爵令嬢――あなたに特別な思いを抱いております。

 その聡明さ、美しさ、そして何より誇り高き魂に惹かれました。

 もしよろしければ、私の王妃として隣国を共に支え、未来を切り開いていただきたい。

 正式に求婚を申し上げたく、近くそちらへ伺う予定です。

 ――クラウス・アレクサンドル**


 読み進めるうち、ロザリーは思わず息を止めた。以前から彼が自分に好意を示しているのは薄々感じていたが、まさかここまで直接的な言葉を送ってくるとは思わなかったのだ。


「ロザリー様……もしかして、これって……。」


 侍女のリーゼルが、はしゃぎを抑えきれない様子で声をかける。ロザリーは顔をほんのりと赤くしつつ、書簡をそっと机に置いた。


「ええ……どうやら、正式な求婚みたいね。近々こちらにお越しになるとも書いてあるわ。」


「わぁ……なんだか夢みたい! クラウス王といえば、若くして隣国をしっかり治められている有能な方ですもの。王太子殿下のように軽率なところもないと聞きますし……。」


 リーゼルは興奮気味に言葉を続けるが、ロザリーはまだ落ち着かない表情だ。

 確かに、クラウス王は魅力的な人物だという話はよく耳にする。その王としての資質のみならず、人柄も温厚であり、民にも慕われている。もし彼の求婚を受ければ、ロザリーは隣国の王妃として新たな人生を歩むことになるだろう。そして、それは今の国との同盟関係を一層強固にするという政治的メリットも大きい。


(でも……わたくしは、本当に王妃として暮らしたいのかしら。再び大きな責任を背負い、婚約破棄のような悲劇を繰り返す可能性はないのか……。)


 心の奥に、ほんの少しだけ不安がよぎる。いくらクラウス王が誠実だとしても、王家という立場が彼女に与える圧力は計り知れない。前の婚約では、結局エドワードの裏切りで大きく傷ついたのだ。

 ロザリーは自室で書簡を読み返しながら、自分の心と向き合う必要を感じていた。



---


5. クラウス王との対面──揺れるロザリーの心


 それから数日後、クラウス王は少人数の従者を連れてアーデン公爵家を訪れた。王族の公式訪問ともなれば華やかな行列を思い浮かべるが、今回ばかりは“求婚”という私的要素が強いため、あえて大々的にはしないという配慮があったのだろう。

 公爵邸の客間で、ロザリーは父ルパートの隣に立ち、クラウス王を迎えた。クラウス王は想像以上に落ち着きがあり、柔らかな笑みを湛えている。身長は高く、金茶色の髪が陽光を浴びて輝いていた。


「ようこそ、クラウス陛下。遠いところをお越しいただき感謝いたします。アーデン公爵家当主、ルパート・フォン・アーデンです。」


「こちらこそ、ご招待ありがとうございます。公務の合間を縫っての訪問となり恐縮ですが、どうしてもロザリー・フォン・アーデン殿とお話ししたく……。」


 丁寧な挨拶を交わした後、クラウス王はロザリーをまっすぐ見つめた。彼の瞳は穏やかでありながら、芯の強さを感じさせる光を帯びている。

 ロザリーは少しだけ緊張しつつも、微笑みを返した。


「わたくしも陛下とこうして改まってお会いするのは初めてです。いつも公務の場などで、遠くからしか拝見できませんでしたもの。」


「ええ。本当ならばもっと早くお会いしたかったのですが……先日まで、そちらの王太子殿下の一件もあり、バタバタとした様子を拝見しておりました。あの騒動、さぞかしお疲れだったでしょう。」


 クラウス王はまるで親しい友人を気遣うような口調で言う。その優しさに触れて、ロザリーは思わず胸が温かくなるのを感じた。


「お気遣いありがとうございます。王太子殿下の件は……いろいろと大変でしたが、ひとまず国が混乱から救われただけでも良しとしなければなりませんわ。」


 クラウス王は深く頷き、ロザリーの様子をうかがう。


「その国を救った立役者が、あなたです。私はあなたの行動力と知略、そして何より正義を貫く意志に感銘を受けました。実は、以前からあなたがアーデン公爵家の商会を通じて行っている経済活動や領地管理の手腕も素晴らしいと評判で……私はあなたのことをもっと知りたいと願っておりました。」


 この言葉は決して社交辞令だけでなく、彼自身の本音であるように感じられる。ロザリーは少し視線を伏せ、改めて彼の言葉を噛み締めた。

 クラウス王はすぐに本題に入らず、ルパートやロザリーの話を静かに聞く。経済や貿易に関する意見を述べ合い、王都の現状や隣国との交流のあり方など、実りある会談が続く。きわめて誠実で、政治的にも知識が豊富なことが会話から伺えた。

 やがて一通りの話を終えたあと、クラウス王は椅子から立ち上がり、ロザリーの前へと歩み寄る。そして、少しだけ視線を下げ、柔和な笑みを浮かべた。


「ロザリー・フォン・アーデン。私は先日、正式な書簡を送らせていただきましたが……改めて、この場でお伝えしたい。どうか、私の王妃になっていただけないでしょうか。」


 部屋の空気が静まり返る。ルパートは言葉を挟まず、黙って娘の反応を見守っていた。ロザリーもまた、胸の鼓動が早まるのを感じながら、そっと口を開く。


「……陛下からの熱いお言葉、光栄に存じます。ですが、わたくしはかつて婚約破棄という辛い経験をしており、まだ戸惑いがあるのも事実です。」


「もちろん承知しています。急に返事を迫るつもりはありませんよ。ただ、あなたと共に未来を築きたいという私の思いだけは、どうか受け取ってください。」


 クラウス王の瞳には誠意が感じられた。ロザリーは数瞬の沈黙の後、静かに微笑む。


「ありがとうございます。少しだけお時間をいただけますか? 今度はわたくし自身が、心から“この道を行きたい”と思えるように整理をしたいのです。」


「もちろんです。あなたの答えを、私はいつまでも待ちますよ。」


 その言葉に、ロザリーは安堵の息をつく。以前の婚約は政略の色が強く、自分の意思を尊重する余地が少なかった。しかしクラウス王は“あなたが望むなら”という姿勢で求婚してくれている。それこそが、ロザリーの心に響く最大のポイントだった。



---


6. 迷いと決意──王妃の道を歩むか否か


 クラウス王がアーデン公爵家を後にしたあと、ロザリーは書斎にこもり、自分の心と向き合う時間を持った。机には、王太子エドワードとの破談後に社交界で得た地位や信頼を象徴する書簡や贈り物が山積みになっている。

 あの頃、婚約破棄を宣言されて屈辱を味わった自分が、今ではこんなにも人々から評価され、隣国の王にまで求婚される立場になっている。人生とは、時に残酷であり、同時に面白いものだと痛感する。

 だが、ロザリーは流されない。彼女にとって、“王妃”としての生活はかつて憧れでもあったが、同時にプレッシャーでもあった。エドワードが引き起こした悲劇を見れば、王家との結びつきがどれほど大きな責任と重圧を伴うかは明白だ。

 書斎の扉がノックされ、侍女のリーゼルが顔を覗かせる。


「ロザリー様、少し休まれませんか? 今日はずっとお部屋にこもったままですし、お食事もあまり召し上がっていないようで……。」


「ありがとう、リーゼル。ちょうど一息つきたいと思っていたところよ。」


 ロザリーは立ち上がり、リーゼルが用意したハーブティーを受け取る。ほんのりとした香りが心を和ませ、彼女は窓辺の椅子に腰を下ろした。

 リーゼルは心配そうに尋ねる。


「やはり、クラウス王の求婚のことでお悩みでしょうか?」


「……そうね。お優しくて誠実な方だとわかっているからこそ、わたくし自身が中途半端な気持ちでお受けするのは失礼だと思うの。万が一、わたくしが昔のように婚約者に捨てられるのではないかと疑心暗鬼になったら……それは陛下に対しても失礼だし、王妃としての役目を全うできないでしょう?」


 リーゼルは微笑みながら首を振る。


「ロザリー様。エドワード殿下の件があったからこそ、今のロザリー様は誰よりも強いお方だと思います。以前のロザリー様は、王太子妃という責務の中で自分を抑えてきた部分も大きかった。でも今は違う。ご自分の意思で道を切り開き、国まで救ってしまったじゃありませんか。」


「……それは、そうかもしれないけれど。」


「もし再び王家の人間として生きることを恐れているのなら、私はその恐れを乗り越えるだけの価値がクラウス王にはあるように思います。噂だけでなく、実際にお会いして感じたんでしょう? 陛下は信頼できるお方じゃないかって。」


 ロザリーはリーゼルの言葉にしばし考え込み、それからそっと笑顔を浮かべる。


「ええ、確かにそう思ったわ……。あの誠実さは、きっと本物なのでしょうね。」


 部屋の中には、静かな午後の日差しが差し込んでいる。穏やかな光を浴びながら、ロザリーはゆっくりとハーブティーを飲み干した。



---


7. ロザリーの答え──新たな未来へ


 そして、クラウス王が隣国へ戻ってからほどなくして、ロザリー・フォン・アーデンは自ら手紙を書き始めた。

 王妃になるという重責を恐れないわけではない。しかし、彼女の胸には**「もう一度、自分の意思で未来を築こう」**という新たな希望が芽生えつつある。エドワードに破棄された過去は痛みを伴うが、それがあるからこそ、今はもう決して“相手に振り回されるだけ”の自分ではない。


「陛下へ……。“あなたの誠意と志を尊重し、私もそれに応えたいと感じました”……。」


 そうした文面を丁寧に綴り、封蝋を施す。まだ正式に「婚約」を交わすわけではないが、少なくとも“前向きな意思”を伝えることをロザリーは決めたのだ。

 アーデン公爵家の使用人に手紙を託し、隣国へと送る準備をさせる。急な出来事に、父ルパートは少しだけ驚いた様子を見せるが、すぐに笑顔で頷いてくれた。


「ロザリー、お前が本当に望むのなら、私は全力で応援しよう。今度こそ、お前が自分の幸せを掴み取る番だ。」


「ありがとうございます、父様。」


 ロザリーは深々と頭を下げ、胸の奥に決意を固める。かつてのように、ただ“公爵令嬢”の名を背負わされているだけではなく、もう彼女自身が自らの意志で行動しているのだ。王太子殿下の婚約者としてではなく、「ロザリー・フォン・アーデン」という一人の女性として。



---


8. “婚約破棄ざまぁ”からの逆転を超えて


 こうして、かつて婚約破棄を宣告され、裏切られたはずのロザリーは、結果的に誰よりも輝かしい未来への道を開いた。

 王都の民たちも、彼女に対しては“あの時ロザリー様を捨てたエドワードは本当に愚かだった”と痛感しており、口々に「ロザリー様こそ我々の誇り」と称える。アーデン公爵家の名声も、王太子破滅の一件でさらに高まり、今ではロザリーが顔を出すだけで社交界の話題をさらうほどだ。

 しかも隣国の王から正式な求婚を受け、彼女自身もまんざらではない様子──王都の貴婦人や令嬢たちの間では、そのロマンスに胸をときめかせる声さえ聞こえてくる。


「ロザリー様が隣国へ嫁ぐとなったら、私たち寂しくなるわねえ。でも、きっと素晴らしい王妃になるでしょう?」


「ええ、そう思いますわ。今度こそロザリー様の幸せを祈っています……!」


 人々は口々にそう言い合い、ロザリーを祝福するムードが広まっていた。かつての王太子妃候補だった頃とは、まるで空気が違う。あの頃は誰もがロザリーを“完璧な貴族令嬢”と見る一方で、彼女の内面まで深く知る者は少なかった。しかし婚約破棄の騒動を経て、ロザリーの人柄や行動力がより多くの人々に伝わり、その結果として本当の意味で受け入れられたのだ。



---


9. 邂逅とエドワードの幻影


 ロザリーが隣国の王との文通を始めてから、さらに数週間が過ぎたころ。彼女は王宮近くを通りかかった際、ふと昔の記憶が蘇る。ここは、かつて王太子エドワードに初めて“婚約者”として正式に紹介された場所──王立庭園へ続く道だ。

 今はもう、あの人はここにいない。国外追放され、二度と戻らない。ロザリーは庭園の入り口に立ち止まり、しばし遠くを見つめる。


(そういえば、あの日もこんな風に晴れやかな空だった。王太子殿下は“君とならきっと素晴らしい未来が築ける”なんて口にして……結局、約束は破られてしまったけれど。)


 嘆きや後悔はない。ただ、微かな郷愁のような感情が胸をくすぐる。あの頃は若く、婚約者という肩書きに期待もしていたし、多少なりとも好意のようなものが芽生えかけていたのかもしれない。それが今や“破棄ざまぁ”の結末を迎え、自分はまったく別の道を歩いている。

 そこへ不意に声がかかった。


「ロザリー様……。珍しいところにいらっしゃいますね。」


 振り向くと、王宮の近衛騎士の一人が敬礼していた。彼はエドワードがまだ王太子だったころ、宮廷警護に就いていた人物だ。今は国王の直轄部隊に配属されている。


「おや、あなたは確か……王太子殿下を護衛されていた?」


「ええ、そうでした。でも、今は国王陛下の近衛騎士として働いています。……先日の一件では、ロザリー様には頭が上がりません。私たちも殿下のことをもっと早く気づかせるべきだったのかもしれません。あのセシリアという女性に、殿下があそこまで振り回されるとは……。」


 騎士は苦い表情で言葉を続ける。ロザリーは小さく首を振った。


「いいのです。どのみち、彼があのような行動をとったのは自分の選択ですから。誰のせいでもありません。」


「ロザリー様は、お強いんですね……。私たち騎士の間でも“ロザリー様は偽りを暴いた英雄”だと噂されています。次の王妃は、ああいう方が相応しいだろうと、みんな口を揃えて言っていますよ。」


 彼の言葉に、ロザリーは微笑み返すしかなかった。もう王妃にはならない──そう思っていた時期があったが、今や隣国王から求婚を受けている立場だ。世の中はわからないものだと、改めて実感させられる。

 騎士は一礼し、王宮のほうへ戻っていく。ロザリーは再び、静かな庭園の方角へ視線を向けた後、踵を返した。


(わたくしはもう、過去を振り返ることはしない。エドワード殿下と、偽の聖女セシリアの幻影はここに置いていくわ。わたくしの道は、この先にある……。)



---


10. 未来への一歩──「考えさせていただきますわ」


 それからしばらくの月日が流れ、隣国との文通を通じて少しずつ関係を深めたロザリーは、クラウス王と改めて会談の場を持つことになった。

 場所は王都から離れた離宮の迎賓館で、アーデン公爵家と隣国の王室が合同で開催する小さな晩餐会という名目だ。大勢の人々を招かず、両家と近しい関係者だけで静かに行われる。もちろん、ロザリーも出席し、テーブルを囲む形でクラウス王とおだやかな会話を楽しむ予定である。

 晩餐会の途中、ふとクラウス王が立ち上がり、ロザリーに声をかけた。


「ロザリー・フォン・アーデン。少し外の空気を吸いませんか?」


「ええ、喜んで。」


 そうして二人は離宮の庭へ出る。夜の静寂を紺碧の空が包み込み、星が瞬いている。クラウス王は星空を見上げながら、ふと口を開いた。


「実は、あの後からもずっと、あなたのことが頭から離れなかった。私の国に迎えるだけでなく、あなたと共に新しい時代を切り開きたいと思っている……。改めて言わせてくれませんか?」


 ロザリーは胸が高鳴るのを感じながら、クラウス王の瞳を見つめ返す。以前とは違い、もう迷いは少ない。自分の意思をきちんと伝えられると確信していた。


「陛下。わたくしは、過去に婚約破棄を経験したこともあり、王家の暮らしに多少の不安を抱えているのは事実です。でも、あなたが示してくださった誠意や、わたくしの意志を尊重してくださる姿勢に、心から感謝しています。」


 そう言って一度息を整える。遠くで小さな夜風が、庭の草花を揺らしていた。


「ただ、今すぐ“はい”とお返事するのは、まだ慎重でいたいという気持ちもあるの。わたくし自身が、もう少し冷静に将来を考える時間が欲しいからです。」


 クラウス王は神妙な面持ちで頷く。


「もちろんだ。あなたが納得するまで、私は待つ。婚約破棄の傷はそう簡単には癒えないだろうし、王妃の責務は大きいからな。」


「ありがとうございます。……とても失礼な言い方かもしれませんが、やはり一度痛い目を見ているからこそ、わたくしも慎重にならざるを得ないのです。」


 彼は微笑み、ロザリーの言葉を受け止めるように軽く頭を下げる。


「いいえ、失礼だなんてとんでもない。あなたが本当に私を必要だと思ってくれるまで、私はこの想いを大切に温めておきますよ。」


 夜空の下、二人はしばし見つめ合う。以前のロザリーなら、ここで“公爵家の使命”や“国の期待”を優先して、すぐに受諾してしまったかもしれない。だが、今の彼女は自分の気持ちを大事にしたいと思っている。誰かに決められた結婚ではなく、自ら選ぶ結婚でありたいと。

 そんな彼女の思いを理解してくれるクラウス王なら、きっと……──ロザリーの胸にほのかな確信が芽生え始めていた。ゆっくり歩み寄り、お互いの瞳を確かめ合う。


「陛下、どうかもう少しだけ……考えさせていただきますわ。」


 その言葉は拒絶ではない。むしろ、新たな一歩を踏み出すための“猶予”だ。クラウス王は嬉しそうに微笑み、ロザリーの手をそっと取った。


「わかりました。あなたがいいと思うタイミングで、答えを聞かせてください。私はあなたを信じ、待っています。」



---


11. そして、真の自由へ──エピローグ


 こうして、“婚約破棄ざまぁ”として始まったエドワードとセシリアの転落劇は、最後にロザリーの大逆転で幕を下ろした。捨てられたはずの公爵令嬢が、結果的に国を救い、社交界の頂点に立ち、さらには隣国の王からも正式な求婚を受けるという、最高の結末を勝ち取ったのだ。

 もちろん、まだロザリーは最終的な答えを出していない。隣国の王妃として生きるのか、それともこの国で公爵令嬢として影響力を発揮し続けるのか……。いずれにせよ、選ぶのは彼女自身の意思であり、もはや誰かに強制されるものではない。


 王都では、いまだにエドワードを嘲る声が後を絶たない。「あの時ロザリー様を見捨てた王太子は、なんという大馬鹿者だったのか」と、人々は口々に語る。今はもう遠い地で惨めな生活を強いられているであろうエドワードの耳に、その声が届くことはないが、もし届くのであればどれほどの後悔を募らせるだろうか。

 一方、ロザリーはそんな声に耳を貸すこともほとんどない。彼女は自分の仕事に邁進し、アーデン家の領地や商会を発展させるべく日々奮闘している。人々から称賛されることに慣れつつも、決して慢心することなく、あくまで静かな気品を保ち続けるのが彼女の生き方だった。


(過去の痛みが、今のわたくしをつくっている。エドワード殿下に捨てられたことを、もう恨んでいないわ。むしろ、あの経験があったからこそ強くなれたのだもの。)


 時折、そんな風に思い返しては、ロザリーは小さく笑う。人生は予測不可能で、時に思いもよらない方向へ進む。けれど、悲しみに囚われず前を向けば、新しい幸せはいつだって手を差し伸べてくれるのだ。

 やがて、もしロザリーがクラウス王との結婚を決意し、隣国へと嫁ぐときが来るなら、その未来はきっと輝かしいものとなるだろう。政略結婚ではなく、心からの納得と愛情で結ばれる関係。そちらの国で王妃として君臨しながらも、“ロザリー”として自由に行動し、国を支え、隣国との同盟をより強固にする――まさに彼女にしかできない新時代の幕開けとなるかもしれない。

 あるいは、今の国に留まって公爵家を継ぎ、政治や経済の面で手腕を発揮する道もあるだろう。どの道を選ぶにせよ、ロザリーはもう二度と誰かに振り回されることはない。自分が本当に望む未来を、自分の手で掴み取れると確信しているからだ。





この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?