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第3話 婚約破棄の真相──王太子と聖女の醜聞

 王太子エドワード・カミル・レグノードと、平民出身の“聖女”セシリア・ブランシュとの婚約騒動から、早数週間。王宮内外では、依然として混乱が尾を引いていた。婚約破棄の被害者であるはずのロザリー・フォン・アーデンは、しかし公爵令嬢として毅然とふるまい、社交界に顔を出し続けている。そのため、王太子を見限る貴族たちは徐々に増えつつあり、また逆に、セシリアを“真の聖女”として支持する貴族も少数ながら存在していた。

 しかし、それらの表層的な動きとは別に、ある重大な情報が陰で収集されていた。ロザリーが独自に放った密偵が、エドワードとセシリア、さらには裏で糸を引いている汚職貴族の暗躍を探り始めていたのだ。そして、その報告が遂にまとまった形でロザリーのもとに届く。



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1. 疑惑と確証──密偵からの報告


 アーデン公爵家の邸宅にある書斎。いつも整然としているこの空間だが、今日ばかりはロザリーと執事のニコラス、そしてロザリーの腹心として動く密偵数名が集まり、重苦しい空気に包まれていた。

 机の上には分厚い調査報告書が並び、ところどころに挟まれた手紙や文書には見慣れない署名が付されている。彼らは、小声で打ち合わせをしながら一枚一枚の証拠を整理していた。


「ロザリー様。こちらが神殿周辺を調査した結果の書簡です。セシリア・ブランシュが『聖女』として神の託宣を告げられるようになった経緯には、やはり疑わしい点が多々あります。」


 そう言って差し出された紙には、セシリアが王宮に召し抱えられる以前から、ある神官と深く接触していた記録が残されていた。その神官は“聖女”を祭り上げて民衆を扇動し、時に政治に介入してくる危険な一派に属していると噂されている。公的には認められていないが、過去にも似たような事例を起こしているという。


「やはり……。彼女が突然、神託を受け取ったなどという話そのものが作り物だった、という可能性が高いのね。」


 ロザリーは冷静な面持ちでうなずく。だが、その瞳にはわずかに怒りの色が宿っていた。


「偽りの神託を作り出し、それを王太子殿下に『運命』として吹き込んだ。まるで殿下が“真の王”であるかのように。その結果、殿下はロザリー様との婚約を簡単に破棄した……。」


 ニコラスが言葉を継ぐ。

 報告によれば、セシリアはこの神官との出会いを機に、王宮に出入りするルートを確立した。そしてエドワードがもともと抱えていた「公爵家との政略結婚に対する抵抗感」や、「真実の愛を求めたい」という隙を巧妙に突き、瞬く間に彼の心を支配していったのだ。


「そこまでして、セシリアは何を狙っていたのかしら。」


 ロザリーがそう呟いたとき、別の密偵が口を開く。


「セシリア・ブランシュは、“聖女”の名目で国王陛下から資金援助を得ると同時に、裏で汚職貴族と手を組んで、王室財政を私物化しようとしていました。ヴィッカース伯爵家や、その縁戚関係にある貴族たちが彼女のバックに付いている模様です。王太子殿下は、彼らにとって“操りやすい存在”だったのでしょう。」


「王太子殿下を動かせば、王家の大きな権限を自分たちに都合のいいように使える、と……。そのために“真の愛”や“聖女の力”を装って、殿下を完全に取り込んだのね。」


 ロザリーの声は凍るように冷たかった。

 エドワードが愚かだと言ってしまえばそれまでだが、彼が“愛”に飢えていた背景を思えば、セシリアたちの手口はあまりにも悪辣だ。にもかかわらず、当のエドワード自身は“自分の意思で選んだ愛”だと信じて疑わない。

 ロザリーは報告書を手にとって一通り目を通すと、思考をめぐらせる。ここに記された事実をそのまま公開すれば、セシリアはもちろん、エドワードもただでは済まない。それこそ王宮内で一大スキャンダルが起き、王太子の地位は大きく揺らぐだろう。


「ニコラス。この証拠を、重臣たちに送りなさい。国王陛下にもきちんと目を通していただくよう、慎重に手配を。……殿下を直接糾弾するのは最後でいいわ。まずは、セシリアとその背後にいる連中がどんな反応を示すか見極めたいの。」


「承知しました、ロザリー様。」


 そう言うとニコラスは深く頭を下げ、早速行動を開始した。

 すでに決定的な証拠を握っている以上、下手に動けばセシリア側が先手を打つかもしれないが、アーデン公爵家としては一切隙を見せるつもりはない。ロザリーは書斎の窓辺に立ち、遠く王宮の方向を見やりながら、静かに息を吐いた。


「……あの方が、どんなに私を蔑ろにしようが構わないわ。でも、王国を混乱に陥れるような行為は見過ごせない。この国の未来は、殿下ひとりの所有物なんかじゃないのだから。」


 ロザリーの瞳には、決して折れることのない意志が燃えていた。



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2. 王宮を蝕む闇──汚職貴族との結託


 エドワードとセシリアが王宮で行ってきた悪行は、一見すると「恋に浮かれた王太子が、平民出身の聖女を優遇している」という程度にしか見えなかった。だが、その裏で動いていたのは、もっと大掛かりな政治的陰謀だった。

 まず、セシリアは“聖女の地位”を利用し、民衆から寄付を募っていた。名目は「王太子と共に、国を神の加護で満たすための信仰組織を立ち上げる」というもの。ところが、その大半の資金はヴィッカース伯爵家やその他の汚職貴族が横流しし、王太子殿下の周辺にも大金が流れ込む仕組みになっていた。

 エドワード本人は、この金がどこから来ているのか詳しくは知らなかったらしい。セシリアが「神への捧げもの」と説明し、彼は素直に信じたに過ぎない。とはいえ、王家の財政を大きく揺るがすだけの莫大な資金が動いているのに、王太子自身がそれを把握していなかったというのは、あまりに無責任だ。


「王太子殿下、どうかもう少し慎重になさってください。これは正規の税収でもなければ、王室の正式な賦課でもございません。我が国の信仰体系に照らしても、異例なやり方です。」


 ある日、王宮の一室でエドワードに進言したのは、古株の宮廷書記官だった。彼は真剣な面持ちで、エドワードの机上に積まれた書類を指し示す。


「ここには、王室の名義で集めた寄付金を、セシリア殿が自由に使えるように承認した記録があります。しかし、具体的に何に使われたかの報告がありません。これでは、いずれ国王陛下が疑念を抱かれますぞ。」


 ところが、エドワードは彼の忠告に耳を貸そうとはしなかった。むしろ、苛立ちをあらわにし、その書記官を「陰湿な疑いをかけるな」と責め立ててしまう。


「書記官。君は私の決定を疑うのか? セシリアは神の声を受け取り、この国に多大な恩恵をもたらしてくれる存在だ。彼女に自由に動ける資金を提供して何が悪い?」


「しかし、殿下……!」


「もう下がれ。君には関係のないことだ。」


 顔を赤くして声を張り上げるエドワードに、書記官は苦渋の表情を浮かべながら退室していくしかなかった。

 こうしたやり取りが幾度となく繰り返されるうち、王宮内で正論を唱える者は次々とエドワードの周囲から遠ざけられ、逆にセシリアを持ち上げる者だけが取り立てられていく。

 そして、その“取り立て”を受けるのが汚職貴族たちである。彼らはセシリアを称賛し、王太子の“真実の愛”を後押しする。エドワードはそうした称賛に酔いながら、より一層セシリアを特別扱いし、さらなる資金と権限を与えていく……。

 しかし、彼らの暗躍もそろそろ終わりが近い。なぜなら、ロザリーが掴んだ証拠は決定的であり、重臣たちの多くも、その内容を信ぴょう性の高いものと認め始めていたからだ。国王陛下がこれを看過するはずもない。



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3. ロザリーの決断──王宮への告発準備


 アーデン公爵家の邸宅。ロザリーは父ルパートと対面し、今回の一連の証拠をどう扱うか協議していた。

 ルパート公爵は椅子に深く腰掛けながら、娘の成長した姿を目にし、感慨深そうに微笑む。


「お前がここまでよく調べあげたな。王太子殿下がどれほど愚かな行為をしていたのか、私も正直目を背けたいくらいだが……現実から逃げるわけにはいかん。」


「本当に……。私だって、エドワード殿下がこんな形で転落するのを望んでいたわけではありません。でも、セシリアたちの行いが王国全体に悪影響を及ぼす以上、もう放置することはできない。」


 ロザリーの表情には、かすかな哀しみがある。かつては婚約者として“共に国を良くしよう”と願い、努力していた相手が、このように最悪の形で転落していく。それを“ざまぁ”と嘲笑う気分よりも、むしろ虚しさや呆れが上回る。

 とはいえ、ロザリーにも誇りがある。自分を踏みにじったエドワードを、このまま好き勝手にさせておくわけにはいかない。ましてや国そのものを混乱に陥れる行為は断じて許せない。


「父様、この証拠を国王陛下に直接お渡ししたいと考えています。わたくし自身が行くより、重臣たち経由で陛下にお伝えするほうが波風が立たないかもしれませんけれど……」


「いや、ロザリー、お前が持参したほうがいい。私の見解では、陛下も王太子の愚行にはかなり手を焼いておられる。アーデン家の令嬢として、堂々とこの事実を訴えることで、お前自身の立場もより強固になるだろう。」


「わかりました。」


 公爵は席を立ち、ロザリーの肩に手を置く。


「辛いだろうが、これはお前にしかできない役目だ。王太子殿下の失態を暴く形になるが、同時にセシリアの不正を追及しないと、もっと多くの人々が被害を被ることになる。……私もお前の後ろでしっかり支える。」


「ありがとうございます、父様。」


 ロザリーの瞳には一瞬涙が浮かびそうになるが、彼女はぎゅっと唇を引き結んで耐えた。今さら涙を流したところで、あの婚約者が帰ってくるわけでもなければ、過去が覆るわけでもない。

 だからこそ、今は前を向いて進むしかないのだ。



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4. エドワードへの揺さぶり──偽の神託の正体


 ロザリーが国王への直訴に動く一方、王太子エドワードの周囲も慌ただしくなっていた。

 ある日、エドワードはセシリアとともに宮廷の庭園を散策していた。満開のバラが咲き乱れ、美しい噴水がきらめいている。しかし、エドワードの表情はどこか落ち着かない様子だ。


「セシリア……最近、どうも周りの雰囲気がおかしい。重臣たちが私を避けるような気がするし、国王の側近も冷たい。まるで私たちが何か悪いことをしているかのようだ。」


「そんなはず、ありませんわ。殿下は正々堂々と“真実の愛”を貫いておられるのですもの。私を王太子妃にしてくださると仰ってくださったあの日から、ずっと……。」


 セシリアは儚げに微笑み、エドワードの腕にそっとしがみつく。彼女の透き通るような瞳には、一見すると純粋な愛情が宿っているように見える。

 だが、エドワードはまだ不安を拭えない。


「でも……その、父上はともかく、王弟フィリップ叔父上までが私たちに疑いの目を向けているのが気になるんだ。叔父上は普段、宮廷の政治に口を出さない人なのに……。先日も『お前はどこからその寄付金を得ている?』などと訳のわからないことを聞かれた。」


「それは、殿下を陥れようとしている輩がいるのですわ。きっと、ロザリー様の差し金に違いありません。」


 セシリアはそんなふうに言い切り、エドワードを強く見つめた。


「殿下こそが、この国を導く“真の王”です。私は神の声を受け取り、そのように告げられました。……ロザリー様やその他の貴族が何を画策しようと、私たちの愛は揺るぎませんわ。」


「……そうだな。セシリア、私は君を信じている。もしロザリーが何をしようと、それで私たちの立場が変わるわけではない。」


 エドワードは少し安堵したように微笑む。だが、その胸の奥には拭いがたい不安が渦巻いていた。

 そもそも、この恋が本当に“神の導き”なのかどうか、彼自身まだ確信を持てていないのだ。にもかかわらず、ここまで突き進んでしまった手前、後戻りはできない。

 実際、ここ数日でエドワードのもとには、「セシリアに関わる悪い噂があるが、本当か?」という問い合わせがひそかに届いている。かつては彼を諫めようとしていた家臣や貴族たちが次々と離れていき、彼のそばに残ったのはセシリアを含むごく一部の者たちだけだ。

 周囲が敵だらけの状況に追い込まれつつあることを、エドワードは薄々感じていた。だが、それでも“セシリアは自分を選んでくれたたった一人の女性”だと信じ、すがるように彼女の手を握り返す。



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5. 国王への直訴──揺らぐ王太子の地位


 王宮の奥深くにある謁見の間。ここは普段、国王陛下が外国の使節や大臣たちと公式に会う際に用いられる場所だが、今日は異例の場が設けられていた。

 ロザリー・フォン・アーデンは、父ルパートに付き添われながら、国王の面前に歩みを進める。玉座には厳格な表情の国王が座り、その背後には数名の重臣と近衛騎士が控えていた。


「アーデン公爵令嬢、ロザリー・フォン・アーデンよ。そなたが今回、王太子エドワードとセシリア・ブランシュの動向について重大な告発を行うというのは本当か?」


 国王はそう切り出し、静かな視線をロザリーに向ける。ロザリーは深く一礼し、隣にいたニコラスが差し出した書類を国王へと進呈した。


「はい、陛下。こちらの書類には、セシリア・ブランシュが偽の神託を用いて王太子殿下を操り、さらに汚職貴族と手を組んで王室財政を私物化しようとしている証拠がまとめられております。王室の信用を失墜させる大罪であり、看過すれば国全体が混乱に陥る恐れがございます。」


 その言葉に、国王の眉間の皺がさらに深くなる。周囲の重臣たちも、緊張した面持ちでロザリーの報告を聞き守っている。

 王弟フィリップは黙って腕を組み、ロザリーが差し出した書類を横から覗き込んでいた。どうやら、彼もまた独自にエドワードの不穏な動きを嗅ぎつけていたようだ。


「ロザリー・フォン・アーデンよ。そなたは王太子との婚約を破棄された身であるが故、私情で陥れようとしているわけではなかろうな?」


 国王はあえて厳しい口調で問いただす。だが、ロザリーはひるまず、はっきりと答えた。


「わたくし個人の感情など、今は関係ありません。問題は、セシリアが“聖女”として偽の神託を振りかざし、王太子殿下の名を用いて不正を働いている事実です。これを放置すれば、王家や貴族の秩序が崩れてしまいます。」


「……ふむ。」


 国王は書類に目を走らせている。そこにはセシリアの出自や、接触した神官、ヴィッカース伯爵家の資金移動記録、さらに多数の証言が克明に記されていた。これらが真実であれば、セシリアが“聖女”であるどころか、ただの詐欺師に過ぎないことは明白だ。

 そして、その詐欺にまんまと乗せられたのが、自分の息子である王太子エドワード……。国王は書類を閉じ、大きく息を吐いた。


「アーデン公爵令嬢、よくぞここまで調べてくれた。……殿下とセシリアがこのような愚行に及んでいること、正直信じたくはなかったが、証拠が揃っている以上、疑いようもあるまい。」


 国王の声は低く、謁見の間にこだまする。その瞬間、ロザリーは胸の奥が痛むような感覚を覚えた。かつて婚約者だった相手が、王国の恥を晒す大罪人として断罪される可能性が高いのだ。けれども、彼女はあくまで毅然とした態度を崩さなかった。

 国王は周囲に目を配し、近衛騎士に向けて命じる。


「王太子エドワードを呼び出せ。今すぐにだ。彼にも弁明の機会は与えねばならぬ。……だが、もしこの証拠の通りならば、相応の処罰を科すしかあるまい。」


 こうして、国王による正式な“追及”が始まった。



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6. 父王の裁き──暴かれた偽の聖女


 エドワードが謁見の間へ連れて来られたのは、それから小一時間ほど経ってからだった。彼はセシリアを伴っており、まるで国王に歯向かうかのように威圧的な態度すら感じさせる。

 しかし、国王の顔を見るや否や、その余裕も一瞬で吹き飛ぶ。玉座の前には、ロザリーや重臣たちがずらりと並び、明らかにただならぬ雰囲気を放っていたからだ。


「父上……これは、一体どういうことです?」


 エドワードは戸惑いを隠せず、セシリアもまた怯えた顔でロザリーたちを睨む。すると、国王は低く咳払いしてから、先ほどの証拠書類を取り上げた。


「エドワード。お前は王太子であるにもかかわらず、セシリア・ブランシュと結託し、王室の財政を私物化していたという疑いがある。さらに、彼女は偽の神託を用いてお前を操っていたそうだが、何か釈明はあるか?」


「なっ……!?」


 エドワードは顔を真っ赤にして、怒りと困惑が入り混じった表情を見せる。


「父上、それは誤解です! セシリアは正真正銘の聖女であり、私は彼女の力によって真実の愛に目覚めたのです! ロザリーやその取り巻きが、私たちを陥れるために偽の情報を流しているに違いありません!」


「それでは、お前はこの資金の流れをどう説明する? “聖女のための寄付”という名目で集めた金が、一部貴族の懐に消えているという事実がここにある。」


 国王が示す書類は、どれも決定的な証拠がそろっていた。エドワードは必死に否定しようとするが、一方のセシリアは涙を浮かべながら小声で呟くだけだ。


「私は、神の御心を伝えただけ……そんな汚職なんて知らない……。」


「セシリア、お前……。」


 エドワードはセシリアを見るが、彼女はそっと視線を逸らす。そこには“聖女の清らかさ”など微塵も感じられず、ただ追いつめられた人間特有の醜さが浮かび上がっている。

 王弟フィリップがここで言葉を挟んだ。


「王太子殿下。もし本当にセシリア殿が聖女であるならば、こうした金の動きに不明瞭な点など生じるはずがないでしょう。しかも、あなたが彼女を妄信するあまり、正規の報告を行わずに勝手な決裁を重ねた事実もある。国王陛下としては、これを重大な背信行為とみなさざるを得ない。」


「叔父上……あなたまで……!」


 エドワードは唇を震わせる。だが、この場にはロザリーをはじめ、重臣たちや国王の近い側近が集っており、彼を擁護する者はほとんどいなかった。ひときわ力のある貴族も、多くはセシリアに懐疑的であり、特にアーデン家が握っている証拠には太刀打ちできないことを悟っている。

 こうして、エドワードが必死に取り繕おうとしても、その嘘はもはや通じない。



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7. 王太子剥奪──父王の容赦ない宣告


「……エドワード、もはや弁明の余地はない。」


 国王の言葉に、謁見の間の全員が息を飲む。奥で身を縮こまらせていたセシリアは、顔面蒼白で今にも泣き崩れそうだ。

 国王は重苦しい沈黙の中、玉座からゆっくり立ち上がる。視線は厳しく、そこにはわずかな情も見えない。


「お前のしたことは、国家を揺るがす愚行だ。王太子としての務めを忘れ、偽の聖女に惑わされ、王室の名を汚し、国民を欺いた。その罪はあまりにも重い。」


「父上……ま、待ってください……!」


 エドワードは必死に声を張り上げる。しかし、国王は容赦なく命じた。


「王太子エドワード・カミル・レグノード、ここにおいてその地位を剥奪する。お前はこれより王位継承権を失い、いかなる職務にも就けぬ。……さらに、セシリア・ブランシュを伴い、国外へ追放とする。」


 その瞬間、謁見の間が凍りついた。王太子の地位剥奪のみならず、国外追放という極刑にも等しい処分が下ったのだ。エドワードはあまりの衝撃に膝から崩れ落ち、セシリアは泣き叫びそうな顔をして声も出ない。

 重臣たちの中には同情の眼差しを送る者もいたが、国王の決定に口を挟む者はいなかった。国を思えば、今までの行状を見逃すほうがよほど危険であることは明白だ。

 王弟フィリップが溜め息をつきつつ、ぼそりと呟く。


「まさかここまでとは……。だが、仕方あるまいな。」


 近衛騎士たちが、呆然とするエドワードとセシリアの両腕をつかみ、立たせようとする。エドワードは最後のあがきのようにロザリーへ視線を向けた。その眼差しには混乱と後悔が入り混じっている。


「ロザリー……お前は、これで満足なのか……。君は僕を……恨んでいたのだろう……?」


 彼の唇が震え、顔には悔恨とも絶望とも取れる表情が浮かぶ。ロザリーはその視線をまっすぐ受け止めながら、静かに首を振った。


「エドワード殿下、わたくしは恨みなど抱いておりません。ただ、あなたが私たち――この国と、その国民を裏切り、セシリアという危険な人物とともに国家を私物化しようとした事実が許せなかっただけです。これが、当然の結果でしょう。」


「……っ……!」


 エドワードは何か言い返そうとするが、うまく言葉にならない。セシリアも縋るようにエドワードの腕をつかむが、国王の宣告を覆す術はもはやなかった。

 こうして、王太子エドワードとセシリアはともに王宮から連行される。国外追放という過酷な処罰が待っている以上、もう二度とこの地に足を踏み入れることはないだろう。



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8. 婚約破棄の真相と世間の反応


 翌日、王宮から公式な発表がなされた。内容は「王太子エドワード・カミル・レグノード、地位剥奪と国外追放処分」「偽の聖女セシリア・ブランシュも同様に国外追放」という衝撃的なものである。

 王都の人々はこれに大いに驚き、同時に、婚約破棄されたロザリー・フォン・アーデンへの同情と称賛が高まった。なぜなら、もともと“完璧な公爵令嬢”と目されていたロザリーを捨て、平民出身の聖女に走ったエドワードを酷評する声が少なからずあったからだ。いざ蓋を開けてみれば、その聖女は偽物で、エドワードは詐欺に加担した形になっている。世間は「それ見たことか」と言わんばかりだった。


「王太子殿下は、あの優秀なロザリー様を捨ててまでセシリアとかいう女性を選んだのに、結局こんな無様な終わりか……。」


「しかも国家財政を私物化したんでしょう? とんでもない話だよ。もっと早くロザリー様が王太子妃になってくれていれば……。」


 街角ではそんな噂が飛び交い、各地の貴族の間でも「エドワードは大馬鹿者だった」「ロザリー・フォン・アーデンはやはり見識がある」という評判が定着していく。

 実際、ロザリーの姿勢は賞賛に値するものだった。自らの恋愛感情やプライドを超えて、国家のために動いたのだ。彼女が集めた決定的な証拠がなければ、セシリアの悪事はさらに拡大していたかもしれない。



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9. ロザリーの静かな勝利


「ロザリー様、これでエドワード殿下とセシリアは完全に失脚しましたね。」


 邸宅の応接室で、侍女のリーゼルが明るい声で言う。ロザリーは微笑みを返しながらも、その表情はどこか寂しげだった。


「ええ。わたくし自身、ここまで大事になるとは思っていませんでしたが、仕方ないことですわ。」


「王都では“ロザリー様を見捨てた王太子は何という愚か者か”と大騒ぎですよ。王室の恥となって、殿下の名は長らく歴史の汚点として刻まれるかもしれません。」


 リーゼルは少しはしゃいだように話すが、ロザリーは静かに首を振った。


「……そうやって人を嘲笑うのは、わたくしの本意ではありません。それに、殿下は自業自得とはいえ、最初から悪人だったわけではないでしょう。彼にも迷いや悩みがあったのかもしれない。」


「それでも、ロザリー様が受けた仕打ちを思えば……。」


 リーゼルの言葉に、ロザリーは淡い笑みを浮かべた。


「大丈夫よ、リーゼル。わたくしはもう、エドワード殿下のことなど気にしていませんわ。むしろ、こうしてアーデン家や国全体の安定を守ることができた。それだけで十分です。」


 その言葉は嘘偽りではなく、ロザリーの心からの想いだった。愛してはいなかったとしても、かつては婚約者として彼を支えようと努力した日々があった。だが、今となっては過去の出来事に過ぎない。

 ロザリーはこの国の未来を真剣に考え、行動できる自分に誇りを持っている。必死に守ろうとした相手が王太子としての地位を失ったとしても、彼女には新しい人生が待っているのだ。



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10. 新たなる求婚──隣国王クラウスの申し出


 そんなロザリーのもとに、さらなる朗報が舞い込んだ。隣国の若き王クラウス・アレクサンドルが、正式に彼女へ求婚を申し込んできたのだ。

 実は以前から、アーデン公爵家と隣国クラウス王との交流は細やかに進んでいた。クラウス王は賢明な統治を行うことで知られ、自国の発展だけでなく隣国との関係強化にも積極的だ。ロザリーが政務の手腕を見せるたびに、「あの公爵令嬢は尋常ならざる才覚を持つ」と興味を示していたらしい。


「ロザリー・フォン・アーデン。私はあなたの聡明さと美しさ、そして何よりあなたの強さに惹かれました。私の王妃になっていただけませんか?」


 書簡にそうした文面が綴られ、王都でも噂が広がっている。かつて“王太子妃になる”はずだったロザリーが、今度は隣国の王に求婚されているというのだ。

 アーデン公爵邸では、父ルパートが穏やかに微笑みつつ、娘の意思を尊重している。


「ロザリー、どうするかはお前が決めて構わない。クラウス王は決して悪い話ではないと思うが、お前が望まなければ断ってもよい。」


「ありがとうございます、父様。……もう少しだけ考えさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 ロザリーは即答を避け、慎重に判断しようとしている。エドワードとの政略婚が破綻したばかりであり、自分が再び“王妃”という立場を望むのかどうか、心に問いかけていた。

 しかし、世間では早くも「今度こそロザリー様にふさわしい相手が現れた」と好意的な声が多い。アーデン公爵家の威光もあり、王族からの求婚となれば、周囲は色めき立つだろう。

 リーゼルが興奮した面持ちで言う。


「隣国のクラウス王はご年齢も近いですし、何より聡明だと評判ですよね。それに、ロザリー様が王妃となれば、この国との同盟関係も格段に強まるわ。良いこと尽くしじゃありませんか!」


「ふふ、そうね。でも大切なのは、私自身がどうありたいかだと思うわ。」


 ロザリーはそう言って笑い、窓の外を眺めた。エドワードとの婚約が破棄された悲しみや憤りは、もう遠い過去のことになりつつある。今はただ、公爵令嬢として自分にできることをしっかり果たし、それからゆっくりと次の人生を考えたい。

 そんな彼女の想いなど知る由もなく、かつての王太子エドワードは、セシリアともども惨めな形で王都から追われていった。国外追放の身となり、城から出て馬車で運ばれていくその姿を目撃した貴族や市民たちは、口々に「なんという大馬鹿者だ」と嘲笑する。

 エドワードは窓から見える景色をぼんやりと眺めながら、かすれた声で呟いたという。


「……ロザリー、君を手放すべきではなかった……。」


 けれども、その後悔はあまりにも遅すぎる。ロザリーはもう彼のことなどまったく気にしていない。自分の誇りを取り戻し、新たな未来を歩んでいくのだから。



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──そして新たな未来へ


 エドワードとセシリアの騒動が終息したあと、王都には静かな日常が戻りつつあった。国王はあらためて王太子の後継ぎ問題を検討し、国政の立て直しに奔走している。汚職貴族の一部も摘発され、宮廷内の浄化が進む見込みだ。

 一方、ロザリーは社交界での存在感をいよいよ強めていた。かつては「王太子殿下の婚約者」としての名声も大きかったが、今や「公爵家の有能な令嬢」として、確固たる地位を確立している。多くの貴族や商人から尊敬を集める立場となったのだ。


「ロザリー様、次はどのような計画を?」


「そうですね……しばらくは国内の復興と、隣国との新たな交易ルートの確立に力を入れたいと考えています。政治も経済も安定していなければ、国民が安心して暮らせませんから。」


 そんな彼女を、かつて婚約破棄を通告した王太子はもういない。

 それでもロザリーは前を向いている。エドワードを憎む気持ちはなく、ただ一人の女性として、そしてアーデン公爵家の令嬢として「この国をより良い方向へ導きたい」という思いがあるだけだ。

 隣国の王クラウスからの求婚は、まだ答えていない。だが、彼女の周囲は少しずつ未来への期待に満ちていく。もしかすると、近い将来に“隣国の王妃”としてその才覚を発揮するかもしれない。あるいは、公爵家の令嬢としてこの国に留まる道を選ぶかもしれない。

 どちらにせよ、もうロザリーが過去の悲痛や屈辱に囚われることはない。


 ――破滅したのは、偽りの愛に溺れた王太子エドワードと、詐欺師の聖女セシリア。

 ――勝利をつかんだのは、婚約破棄されたはずの公爵令嬢ロザリーだった。


 彼女はこれからも自由に歩んでいく。自ら選んだ道をしなやかに、堂々と。





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