「ところで、このことを知っているのは、あなた達だけなの?」
葛西の母親が、ボクたちのためにお茶を出す準備をしてくれている間に、三浦先生は、小声でボクたちにたずねる。そして、担任教師の問いかけに、ボクたち生徒は、肩をすくめながら、首を二度横に振った。
「クラスのグループLANEで話題に出す生徒は居ないので、多分、知っているのはボクたちだけです」
率先して、そう返答すると、
「そう……わかっていると思うけど、ご家族の気持ちもあるし、勝手に情報を拡散しないこと。いいわね?」
と、念を押してきた。
「もちろん、自分たちが情報源になろうとは思いませんけど、いまの時代、情報なんて、すぐに行き渡るんじゃないですか? 本人のSNSアカウントに、なにかしら、そうしたことを匂わせる書き込みがあるかも知れませんし……」
亡くなった葛西本人の親友であることを自負する同級生を横目で見ながら返答すると、
「そんな……昨日まで、稔梨は、おかしなことなんてポストしてなかったのに……」
クラスメートのその一言に、ボクは葛西家を訪れてから二度目の違和感を覚える。
ただ、そのことを口にする前に、事件当事者の母親が麦茶をお盆に置いて、こちらに戻ってきた。
「本当にね……あのコが、なにかを悩んでいるようすなんて無かったんですけど……親バカと言われるかも知れませんが、これまで親を困らせるようなこともない、しっかりしたコでしかたから……三浦先生、稔梨は学校で何か悩み事でもあったんでしょうか?」
生徒の母親からのすがるような問いに対して、先生は、沈痛な面持ちで答える。
「いいえ、私の方でもなにも……担任として、力不足で申し訳ありません」
深々と頭を下げる、その奥ゆかしく健気な三浦先生の言動は、殊勝というフレーズがピッタリな感じだった。
まあ、親友を自負する生徒や本人のことを一番良く知っているはずの家族が見過ごすような兆候を高校の担任教師が気付くということは、難しいかも知れないけど……。
ただ、そんな先生の態度に恐縮したのか、葛西稔梨の母親は、
「いえいえ、こちらこそ、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
と、麦茶のコップをテーブルに置いたあとのお盆を胸に抱きながら、ペコペコと頭を下げる。
我が子を亡くした母親、教え子が亡くなった担任教師、親友あるいは同級生が亡くなったクラスメート、それぞれ立場は異なり、また、亡くなった葛西との心理的距離に違いはあるものの、身近な人間が、この世から居なくなってしまったという事実に変わりはない。
そして、これ以上、生徒の家に居ても全員の気持ちが落ち込むだけだと考えたのか、三浦先生は、ボクたちも一緒に退去することをうながす。
「あまり長居をしても、ご迷惑かと思いますので、私たちはこれで……」
「ちょっと、先生! わたしは、まだ話したいことが……!!」
そう、抗議の声を上げる教え子に、「湯舟さん……」と困ったような顔でたしなめる担任教師の表情を見ると、どちらに加勢すべきかは、考えるまでもなかった。
「湯舟、今日は、もう失礼しよう。ご家族にも負担は掛けられない」
クラスメートを諭そうと声をかけると、彼女は、キッとした表情でボクに厳しい視線を送ってくる。
ただ、そんなボクたちのようすに気をつかってくれたのか、葛西の母親は、弱々しい笑顔を作り、こんな提案をしてきた。
「そうね、これから、あのコを迎える準備もしないといけないし……お話しは、お通夜のときに、落ち着いてしましょう? 葬儀の日にちが決まるのは、あのコが戻ってきてからになると思うけど」
親友の家族の言葉を耳にして、それまでの言葉とは打って変わって、シュンと沈んだ
「わ、わかりました……お通夜にも来て良いですか?」
と、葛西の母親に確認する。
「えぇ、是非あのコに会ってあげて。そうだ、
その言葉を合図に、ボクたちは席を立つことにした。湯舟が、葛西の母親との会話を望んだように、たしかに、リビングで腰を落ち着かせてから、間もないことではあったけど……。
親友の母親を待つクラスメートをリビングに残し、「それでは、私たちはこれで……」と言って、三浦先生とボクは、一足先に葛西家の玄関をあとにする。
「意外だったわ。あなたと湯舟さんが、そういう関係だったなんて……葛西さんのことも含めて、生徒の交友関係を把握していないなんて、担任失格ね」
自嘲気味に苦笑する担任教師に、ボクは、「はぁ?」と露骨に顔をしかめて返答する。
「残念ですけど、湯舟さんとは、そういう関係じゃありません。偶然、駅前で会っただけです。彼女が葛西と仲が良かったことを知ったのも、駅からここまで歩いて来る間のことですよ。先生が担任失格なら、ボクも二人のクラスメート失格です」
ボクとしては迷惑半分、担任の顔を立てること半分といった気持ちで言葉を返したのだけど、先生は、こちらの気持ちなど意に介していないようすで、質問を重ねてきた。
「それで、あなたはどこまで今日のことを知っているの? 叔父さんから、お話しを聞いているんでしょう?」
その言葉からは、担任としての威厳と言うか責任のようなものが感じられる。
「どこまで……と言っても、葛西が、
担任教師の意を汲んで、ボクは、知り得た情報を駅で出会ったクラスメートの一人以外には口外していないことを伝えた。
すると、三浦先生は、ホッとしたような表情になり、「そう……それなら良かった」と、弱々しい安堵の笑みを浮かべる。
「クラスのみんなには、学校の連絡網を使って、こちらから伝えるので、そのつもりでね」
その言葉から、言外に「グループLANEなどで情報を拡散させるな」というニュアンスを汲み取ったボクは、
「はい、わかりました」
と、物わかりの良い優等生を演じることにする。
そこまで会話が終わったあと、葛西家の玄関から、クラスメートの湯舟敏羽が出てきた。
「お疲れさま、湯舟さん。野田くん、彼女をお宅まで送ってあげて。
微かに笑みを浮かべた担任教師は、そう言って、ボクらが歩いてきた祝川さくら道とは正反対のJRの駅に向かって去って行く。
「ねぇ、野田くん、三浦先生とナニを話していたの?」
いぶかしげな表情でたずねるクラスメートに、ボクは答える。
「いや、大したことじゃないさ。それより、気になることがあるんだ」
「気になることって、なによ?」
「キミが言っていたように、葛西は自殺なんてしていないかも知れない」