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第2章・第2話

 ボクたちが葛西稔梨かさいみのりの自宅に到着したのは、太陽が大きく西に傾き始めた頃だった。彼女の自宅のようすは、二日前とすっかり変わっていて、玄関には白と黒の二色の幕が張られ、敷地を取り囲む塀には葬儀用の花輪が立て掛けられている。


 その中のひとつには、ボクと湯舟にも馴染みのある名が記されていた。


 向陽学院 教職員一同


「先生たちから、花輪を出しているんだ」


 湯舟敏羽が、独り言のようにつぶやくそばで、ボクは彼女に耳打ちする。


「その隣のは、理事長からだ」


 ボクが指さした花輪には、


 向陽学院 理事長 山本昌志


という名前があった。


「先生たちだけでなく、理事長も? それだけ、学校も重大なことだと感じているってことかな?」


 小声で問いかけてくるクラスメートに、ボクは、「そうかもね」と言ってうなずく。

 二色の幕の案内に従って、玄関ドアではなく、庭手の方に向かうと、葛西稔梨かさいみのりはガラス張りの和室に安置されていた。


 庭の方から、湯舟がガラス戸をノックすると、先日もボクたちを応対してくれた葛西の母親が出迎えてくれた。


「ありがとう、敏羽ちゃん。稔梨の顔を見てあげて」


 うながされて、庭手から和室に上がらせてもらったボクたちは、白い棺桶に収まっている同級生に対面させてもらった。


「親の立場から言うのもなんですが、綺麗な顔でした」


 一昨日、この家を訪ねたときに葛西の母親が言っていたとおり、クラスメートの顔は、穏やかな表情に見えた。

 水死体というものは見るのに忍びない。全身が巨大に膨れて、遺族には見せられないと何度か憲二さんから聞かされていたけど、葛西稔梨の遺体からは、そうした痕跡がほとんど見られない。


「稔梨……」


 つぶやきながら、遺体を隔てるガラスにそっと手を置いた湯舟敏羽は、叶わなくなった親友との対話を心から惜しんでいるようだ。そんなクラスメートの表情を見ていると、なんとしても、葛西稔梨の無念を晴らしてやりたい、というボクの中の気持ちが、より一層強くなってきた。


 そして、顔の周りだけが開かれたガラス張りの棺桶から、わずかに見えた葛西の衣装は、襟元に黄色の模様が施された浴衣だった。

 湯舟が気にしていたのは、この着物のようだ。かすかにのぞく襟元の模様は鮮やかで、たしかに、これから命を絶とうという人間が、こんなに華やかな衣装を身にまとうのか、ということを考えると、自殺として結論を出すことには疑問を感じざるを得ない。


 そんなことを考えていると、背後から、


「あなた達も来たのね」


と、ボクたちは声をかけられた。


「三浦先生……」


 ボクの言葉に反応し、つられて湯舟も伏せていた顔を上げる。


「他の先生や山本理事長も来ているわ」


 担任教師の視線を追うと、ふすまを取り外した隣の部屋には、彼女の言葉どおり、理科の専科の斎藤正樹さいとまさき先生と山本理事長が目に入った。


「本当に、娘のために、先生方や理事長様にお越しいただいて申し訳ありません」


 深々と頭を下げる葛西の母親に対して、三浦先生は恐縮しながら、微笑をたたえて優しい声色で返答する。


「本校の生徒に起きたことですから、当然です」


「先生、ありがとうございます」


 ふたたび、頭を下げる生徒の母に軽く目礼し、三浦先生は、ボクに軽く視線を送ってきて、


「野田くん、ちょっと良い?」


と、ガラス戸の向こうの庭に出ることをうながしてきた。


 葛西との対面を続けている湯舟を残し、ボクは先生と一緒に縁側のようになっているガラス戸から庭に出る。

 二人だけになったことを確認して、担任教師が語りかけてきた。


「葛西さんのご遺体は、今朝お宅に戻ってきたそうよ」


「なにか、わかったことはあるんでしょうか?」


「検視というのだったかしら? その結果、自殺と考えられるらしい、とご家族には伝えられているらしいわ」


「ウチのクラスには、どんな風に伝えるんですか?」


「葛西さんが亡くなったということだけ。それ以上はね……明日のお葬式も内輪だけのものになるそうよ。クラスのみんなには、彼女と親しかった生徒だけ来るように伝えるわ」


「そうですか」


「あなたは、どうするの?」


「まあ、湯舟さん次第ですね」


「彼女は、葛西さんと親しかったの?」


「中学時代までは親友と言って良い間柄だった、と湯舟さんは言ってました」


「そうだったの?」


「先生も知らなかったんですか?」


「本当は、そういうことも把握しておかなきゃいけないでしょけどね……私は、教師失格かしら?」


「昔のドラマの熱血教師じゃないんだから、いまの時代、そんなことを求めてる生徒なんていないと思いますよ?」


「ところで、あなたの方は、なにかわかったことは無いの?」


「ボクは、ただのクラスメートで、今日ここに来たのも湯舟さんの付き添いです」


「でも、叔父様が……」


「叔父は、ウチでは仕事の話はしません。そもそも、コソ泥の小さな犯罪を担当している部署にいるので、こんな大きな事件には関わりませんよ?」


「そうなの……」


 ボクの素っ気ない返答に、困惑したのか、三浦先生は、なにかを言い淀むような仕草を見せたものの、すぐに、「わかったわ。今日のことは、他の生徒に話さないこと」と教師の威厳を持って語る。


 そこに、ガラガラと音を立ててガラス戸を開け放った湯舟敏羽が割り込んできた。

 その表情は、さっきまで、亡き親友と言葉にならない対話をしていたような穏やかさとは打って変わり、なぜだか、険しいモノになっていた。


「野田くん、いつまで先生と話し込んでるの? これから、浮き庭に行こう!」


 その一言に困惑したように三浦先生はたずねる。


「湯舟さん、浮き庭って……?」


「先生、知らないんですか? グリ下のところに壁が作られたから、いまは、みんなそこに集まってるんです。さぁ、行こう! 野田くん」


 湯舟敏羽の一言に、ボクの表情が、一気に青ざめたのは言うまでもない。

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