「テ、テスタロッサ――――――?」
三浦先生に付き従って到着したマンションの駐車場で案内された担任教師の愛車を目にしたボクは、しばらくの間、絶句してしまった。そんなボクの反応に、先生は少しだけ嬉しそうに返答する。
「さすが、男の子ね。詳しいじゃない」
「まあ、祖父が、外国のクルマやバイクが好きだったので……」
亡くなった
先生が愛車として紹介したフェラーリ・テスタロッサは、言わずと知れたスポーツ・カーのメーカー、フェラーリ社が製造したスーパーカーで、状態の良いものは、中古市場でも3000万円の価格をくだらないはずだ。
一戸建ての家1軒を買えそうな金額の外国車を目の前にしたボクは、相変わらず、ほうけたように口にするしかない。
「先生が、クルマ好きなんて知りませんでした」
「私は、特別に詳しいわけじゃないけど、『このクルマ、カッコいいな』って言ったら、譲ってくれる人がいてね」
その一言で、数千万円もするスーパーカーを譲ってくれるなんて、どんな親切な人なんだ……?
呆気に取られているボクに、先生は「さあ、乗って」と、助手席に座ることをうながす。
祖父も、いわゆるスポーツカーやスーパーカーを何台か所有していたと記憶しているけど、実際に乗せてもらったことはないので、初めての高級車乗車体験に緊張しながら、助手席に腰を下ろす。
「ホントは、このまま
サングラスを掛けながらハンドルを握る姿が、映画に出てくる女優のように見える担任教師は、口元にだけ笑みを浮かべながら冗談めかした口調で語った。
「それは魅力的な提案ですけど、この時間帯は、西日がキツそうですよ」
先生が言った
ボクの返答に、「それもそうね」と、ふたたび口角を上げた先生は、マンションに面した
幹線道路に入ったテスタロッサは、順調に東に向かって進んだ。
そして、先生のマンションを出て、40分ほどで到着した自宅前で、ボクは予想もしなかった光景を目にする。
「憲二さん、ナニしてるの?」
助手席から降りたボクが、駐車場の前で1世代前のカローラを洗浄している叔父に声をかけると、相手は、こちら以上に驚いた顔で返答する。
「いや、ナニって、今日は早く上がれたから、日のあるうちに洗車をしておこうと思ってな。それより、耕史こそどうしたんだ? スーパーカーから降りて来るなんて」
まあ、憲二さんがビックリするのも無理はない。祖父さんが亡くなって以降、我が家には縁のなかった高級外国車から甥っ子が降りてきたのだ。ただ、その直後、ボクは叔父がさらに驚いた表情をするのをめにすることになる。
「いったい、誰がこんなクルマで……」
憲二さんが、そこまで口にしたあと、運転席からボクのクラスの担任教師が顔を出した。
「昨夜は、お世話になりました」
テスタロッサから降り立って、サングラスを外してから軽く会釈をした三浦先生の姿を確認した叔父は、洗車に使っていたホースの水が際限なく流れることも気に留めることなく、ポカンと口を開けている。それは、つい40分程前に、ボクが先生の愛車を初めて見たときの表情よりも間が抜けているだろう、と断言できる。
「三浦先生……これは、どうも……わざわざ、耕史を我が家まで……ウチのが、迷惑を掛けて申し訳ありません」
水道の蛇口を捻って水を止めてから、恐縮してるのだろうか、硬い表情でお礼の言葉を述べる憲二さんに、先生は柔和な笑みを浮かべて応える。
「いえ、野田くんには、今度のことで少しお話しを聞かせてもらったので……お礼代わりとして、ご自宅まで送らせていただきました。こちらこそ、ご迷惑ではありませんでしたか?」
「そんな、迷惑だなんて! 三浦先生の隣の席なら、自分が代わりに乗りたいくらいで……」
あたふたしながら、言うに事欠いて、とんでもないことを口走る叔父に対して、
(おいおい、ナニ言ってるんだよ……)
と、焦ったボクは、手にしていた荷物を思い出し、危うい方向に流れそうな会話の流れを強引に引き寄せる。
「そうだ、憲二さん! 今日は、憲二さんにプレゼントがあるんだよ! 時間があるなら、洗車を終わらせちゃって、ちょっと見てみてよ」
「あら、お邪魔じゃなければ、私も確認させてもらって良いかしら、野田くん?」
「えぇ! ぜひ、そうしてください、三浦先生! やっぱり、選んでくれた人に目の前で見てもらった方が良いと思いますから」
前向きなノリで、叔父のために自分で選んでくれた服のチェックを申し出てくれた担任教師にボクは、笑顔で応じた。
「おい、耕史。いったい、なにを考えているんだ?」
会話の流れに一人、取り残された憲二さんは、困惑したような表情を浮かべながら、自宅の玄関に入るボクたちを黙って見守るしかなかったようだ。