〜6日目〜
枕元で安眠を妨げる音が鳴り始めた。
木琴が奏でる甲高いLANEの通話着信音で目が覚めたボクは、寝ぼけた頭で、昨夜のことを思い出す。
三浦先生が我が家をあとにしたのは、日付が変わる頃だった。
先生は、憲二さんに付き合って、白ワインを何杯も飲んでいたような気がしていたけど、数時間も経てば酔いもおさまったようで、Bluetooth機器とスマホアプリを連携させた機器でアルコールチェックを行ったあと、丁寧にあいさつをして帰って行った。我が家に、久々に成人女性が立ち入った名残を惜しんでいるのか、憲二さんは、ウイスキーの角瓶を取り出してチビチビと飲んでいたことを覚えている。
ボクも、我が家に担任教師が住むことになる、という自分の妄想……に対して、現実が近づきつつあるという手応えを感じながら自室のベッドに潜り込んだ。
その心地良い睡眠を妨げる元凶を掴んだボクは、「拒否」のボタンをタップしようとしたのを誤って、「応答」のボタンに触れてしまった。
とっさに、以前と同じく音声ガイダンスの声帯模写を行う。
「お掛けになった電話番号は現在使われて――――――」
そこまで言ったところで、通話の相手は静かに切り出した。
「おはよう、野田くん。昨日は、何度も連絡したのに返事も出来なかった?」
「昨日は、家の用事で忙しかったんだ。ゴメン」
「それは、LANEのメッセージも送れないくらい?」
「思わぬ来客があったからね。夕方から、ウチの叔父と一緒に歓待していたんだよ」
我が家への来客の名前を告げずに答えると、湯舟は、ため息をつきながら、こんなことを言ってきた。
「それなら、しょうがないけど……どうして、教えてくれなかったの?」
「教えていない、ってナニを?」
「クラスのグループLANEを見ていないの? 仲田さんのこと、もうウワサになってる。当然、野田くんは、知っているんでしょう?」
「あ、あぁ、仲田のことか……そうだね」
「『お互いにわかったことを情報共有するのは、また明日にしよう』って言ったのは、野田くんでしょう? 昨日は、ずっと連絡を待ってたのに……その上、仲田さんのことがグループLANEで流れてくるし……」
「そうか……それは、すまない」
「なにか、理由があるなら聞かせてくれない?」
「昨日は、その……湯舟と話したくない気分だったんだ」
「なにそれ!? それって、どういう意味?」
「ちょっと、簡単には説明できない」
「どうして? ハッキリ言ってよ」
「まだ、頭が眠ったままなんだよ。ボクは低血圧だからね」
「つまらない言い訳は良いから! ちゃんと説明して!」
「あとで説明するから」
「いま説明してよ」
「いや、気持ちを作らなきゃ、話せない」
「そんなこと良いから、ちゃんと話して! わたしは、野田くんの考えていることを聞きたい。それとも、わたしには話せない理由があるの?」
「いや、それは……」
「誰なら話せるの? 三浦先生?」
「な、なんだよ! 担任の先生は関係ないだろ?」
「どうして、焦ってるの? やっぱり、怪しい!」
「これ以上は話せない。もう切るよ」
「ほら、わたしには話せないんだ。この軟弱者! わたしに話せないなら三浦先生に聞いてもらえば?」
「いい加減にしろよ! 一回キスしたくらいで調子に乗るな! それに、キミの母親が、ウチの保護者と仲良くやってくれてりゃ、ボクが三浦先生のことを気に掛ける必要なんてなかったんだ!」
口に出してから、「マズい……」と思ったもときには、あとの祭り。もしくは、時すでに遅し、というヤツだった。
「わかったわ……」
と、湯舟敏羽は冷静な声でつぶやいたあと、
「そんなにベッドが恋しいなら、ゆっくり寝かせてあげる。そのまま、ず〜っとベッドで眠ったままで人類が滅びるまで寝てなさい!」
そう言って、通話を切ってしまった。
はぁ…………。また、やってしまった。
思えば、夏休みに入る直前まで交際していた上級生の
(公園でのキスのこともそうだけど、今回のことに関係ない彼女の母親のことを口にするべきじゃなかった)
憲二さんのことばかり心配していたけど、実際のところ、女性との付き合いに向いていないのは、自分の方なのかも知れない……。
そう考えると、自分の性格の不甲斐なさと、通話を終えたばかりの相手に対する申し訳なさで、鼻の奥がツンと痛くなるのを感じた。
そうして、自己嫌悪に陥りながら、自室から昨夜は楽しい時間を過ごすことが出来たリビングに移動すると、憲二さんが朝のワイド番組を見ながら朝食をとっていた。
よく見ると、昨日、三浦先生が選んでくれたナイロンストレッチのオープンカラーシャツを着ている。
「思った以上に着心地がいいな。これで、今日は快適に過ごせる気がする」
ボクの顔を見るなり、新しい服の感想を述べた叔父は、「それじゃ、行って来る」と言って、玄関に向かう。
すぐに女子を怒らせてしまう自分のことは良いから、とにかく、憲二さんだけは幸せになってほしい、と願いつつ、ボクは出勤する叔父の姿を見送った。