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第3章・第15話

 憲二さんを見送ったあと、つけっぱなしになっていたリビングのテレビを見るともなしに見ながら、朝食を食べる気力もなく、ソファーに身体を預ける。

 昨夜のダイニングテーブルの光景を思い出しながら、


(もしも、本当に三浦先生がこの家に住むことになったら、朝食も自分で用意する必要もなくなるのかな……)


などと考える。


 そんな空想が頭をよぎったとき、突然、ピンポ〜ンと、玄関のチャイムが鳴る音がした。


(こんな時間に宅配が来る予定なんてあったっけ?)


なんて不思議に思いながら、インターホンを確認すると、そこには、この時点で、ボクがもっとも会いたくない女子生徒の姿があった。


 彼女に対する罪悪感から、顔を合わせたくない相手であるとは言え、居留守を使うわけにもいかない、と考えたボクは、渋々ながら玄関に向かい、ドアを開ける。

 玄関の前には、ムッスリとした表情で湯舟敏羽ゆふねとわが立っていた。


 こちらから、「なにしに来たの?」と、たずねるまえに、クラスメートが口を開く。


「この前のアイスのお金を返しに来た。もう、クラスでも話すことが無いかも知れないから」


「いや、わざわざ、いいよ……」


 ボクは、我が家の敷地面積に見合うほど、好き勝手にお金を使える訳じゃないけれど、それでも、せいぜい税込み200円もしないドラッグストアで購入したアイスの代金を返してもらうほど、困っている訳でもない。


「奢られたままじゃ、わたしの気持ちが収まらないから受け取って!」


 クラスメートは、そう言って、握りしめた100円玉二枚をボクに向かって突き出す。その有無を言わさぬ迫力に、コンビニでお釣りを受け取るときの要領で、思わず手を出してしまった。


 ボクの手のひらの上に、二枚の硬貨が収まったことを確認すると、湯舟敏羽は、ボクの視線を見据えて、こう言った。


「わたし、男の子とキスするなんて初めてだったんだから……」


「そうか、進んでるんだな……ボクは、男の子とキスしたことなんて、一度もない」


 そう返答すると、キッと睨みつけるような目つきになった彼女は、素早く平手打ちを繰り出し、ボクの左ほおには、赤い痕が残った。


「こんな人だとは思わなかった! もう、二度と話しかけないで!」


 そう言って、湯舟敏羽は踵を返し、去って行く。

 ほおにヒリヒリとした痛みを感じながら、数十分前に通話が終わったとき以上の罪悪感を覚え、自分の性格のどうしようもなさに腹を立てながら室内に戻る。


 クラスメートの来訪前と同じく、そのまま、ソファーに全身を委ねていると、リビングの時計が午前8時になったことを告げ、やはり、つけっぱなしになっているテレビでは、朝のニュースショーが始まった。


(そろそろ、なにか胃に入れおくか……)


 そう思って立ち上がり、キッチンへと移動する途中、不意に玄関の外に目を向けると、門の前には、まだクラスメートのベスパが停まっているのが目に入った。


(まさか、まだ帰ってなかったのか?)


 ボクはすぐに駆け出し、玄関ドアから飛び出して、門までのアプローチをダッシュする。

 我が家の敷地と公道の境目を示すフェンスには、地面にしゃがみ込むような姿勢の湯舟敏羽が、両手で顔を覆っていた。


 ついさっき、「もう、二度と話しかけないで!」と言われたばかりだけど、さすがに声をかけない訳にはいかない。


「ボクが悪かった……そんなところで、座り込んでたら熱中症になっちゃうよ。ウチに上がって、話しをしないか?」


 ボクの言葉に、コクリとうなずいた彼女を立ち上がらせるために、手を取ろうと、しゃがみ込む。

 ぞんざいな対応を取ったことへの申し訳なさと、まだ朝の8時とは言え、炎天下と言って良い屋外で座り込んでいることに対する憐憫の情から、彼女の表情をのぞき込もうとしたんだけど、


「顔は見ないで……」


と、拒絶されたので、黙って彼女の手だけを取り、ゆっくりと立ち上がるのを手伝う。


「暑かっただろう? シャワーを使ってくれて良いから」


 門を通って我が家の敷地に入り、玄関アプローチを連れ立って歩く間、湯舟に声を掛けると、無言でコクリと頷く気配を背中越しに感じた。


 シャワーを使えるように給湯器の設定をオンにして、まだ使ったことの無地のTシャツとボクサーパンツを用意する。


「ドライヤーは好きに使ってくれて良いし、着替えは、洗面台の横に置いておくから、良ければ使って。あと、着ている服を洗濯するなら、洗濯機を回せるようにセッティングしておくよ。シャワーが終わったら、洗濯したモノを浴室に干しておいて。干し終わったら、浴室乾燥するから」


 ボクが一息に告げたことを、またもコクリとうなずいて了承したクラスメートは、数十分後、コチラが話した内容をコンプリートしてリビングに戻ってきた。

 夏の朝のシャワーの効果だろうか? さっきまでと打って変わって、サッパリとした表情になった湯舟敏羽の姿を目にして、思わず顔が紅くなってしまうことに気づいた。


 考えてみれば、昨夜は学院内ナンバー1の美人教師が、そして、今朝は同じく生徒のミスコンがあれば優勝候補筆頭の女子生徒が我が家に来ているのだ。

 冷静に状況を分析すると、こんなことを知られた日には、学内の全男子生徒からの憎悪によって呪い殺されても、文句は言えないシチュエーションなのかも知れない。


 そんな恐ろしいことを考えていると、ソファーに腰掛けた湯舟敏羽は、おもむろに口を開いた。


「こんな屈辱を受けたのは、生まれて初めて」


 そして、さらに言葉を続ける。


「でも、野田くんが涙ながらに反省の態度を示すなら、今度のことは水に流してあげる。実は、かっちゃんから気になる情報が上がってきたの。野田くんが良ければ、探偵事務所の活動を再開しない?」

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