幾何か時間が経ち──バスローブ姿の私は、仁王立ちで睨みを利かせていた。
その前で、私の新たな婚約者……処刑人アゼルが正座してちょこんと座っている。
見たところ、彼は180を超える長身で、立ち姿はまさに彫像のようだった。が、今は肩を丸めて縮こまっている。肩幅が広いくせに、妙に可愛い。
「……何をされていたのです?」
彼はビクリと震え、私を怖々と見上げた。
「ヴィオた──いえ、ヴィオレシア様からずっと、いい匂いがしたから……馬車で汗ばんでたの見たらの興奮して……。ずっと憧れてたから、婚約できたのが嬉しくて」
そして興奮のあまり、衝動的に脱衣所に忍び込み、脱いだ靴下に……手を出したらしい。
……うん。
あの闇深・甘やかイケメンが変態だと、誰が想像する?
私はこめかみに手を当て、目を伏せた。
F**ZA・DLs*te……などなど。成人向けの漫画やCGを売っていた身だ。性癖の地雷なんてほとんど踏破済みだが、まさか自分が対象になる日が来ようとは思っていなかった。
……確かにヴィオレシアは可愛い。
悪役令嬢キャラとはいえ、その風貌は泣き顔が可愛いマルちゃんの姉なだけあって可愛いのだ。
ツンとした雰囲気はあれど、ぱっと見はふんわりとしている。
──長く淡いライラックの髪はふわふわのサラサラで、マルちゃんと同じ蜂蜜のような琥珀の瞳。白磁の肌にぷるっとした桃色の唇。それも背丈は低めで小柄。……なのに、丸みのある部分には肉がそれなりについている。
正直、今の自分の身体でなければ、汚いおじさんに囲われる絵を描きたいくらいだ。ガータリングに札束挟んで、太股に正の字を描いて……。
『わたひぃ……おじさまから貰う“おちんぎん”だいしゅきれしゅ』
なんて言わせてる、蕩けた顔のダブルピースが描き……って脱線したわ。いけないいけない。
私は、はぁとため息をつき、正座したままのアゼルを見た。
……にしても靴下を食べるって、なかなかに極まってるなぁと。
もう“吸ぅ~~~ンンン~~”とか言ってた時点で、薄汚いモブおじさんの行動と一致してるの。なのに何、このビジュアル詐欺。
処刑人のくせに、性欲どう拗れてるの?!
それにこれ、女性向けロマンスの世界よね?
裏設定でしょうが、作者、最高すぎよね? 前世で喋ってみたかったわ。
……で、どうすれば正解なのだろう。
困惑する私に、彼はぽつりと呟いた。
「破談に、なりますよね」
気持ち悪い事して、本当にごめんなさい。俺、普通じゃないんです、きっと。
そう謝って深く頭を垂れるその姿に、私の記憶の欠片が散った。
……私がハードコア・ピーナッツだった頃。
将来の約束をしていた人と破談になった。
『絵を仕事にしている』と言ったが、やはり猟奇絵を描くなど表立って言えるものではなかった。だから“少女漫画を描いてる”と言って誤魔化していた。
だが、真実を明かさなくては一生一緒になんていられない。
しっかり真っ向から話せばきっと大丈夫。彼ならきっと平気。そう思っていたが、それは呆気なく砕けた。
絵を見た彼は、明らかな嫌悪の面輪だった。
気持ち悪いと。ありえないと。あっさり別れを告げられた。
交際期間二年以上。
つい先週のデートで式場の見学に行こうだとか、親への挨拶だとか話していたのに、呆気なく恋は死んだ。
不倫・NTRだのそういった趣向も背徳だが、猟奇はそれ以上のものだと私だって分かっていた。普通ではない、一般的に到底受け入れられない特殊性癖だと分かっている。
だからこそ弁えるべきだと、“本当の人でなし”にならぬように礼節を大切にしていたのに。
そう──今目の前に居る彼は恐らく私と同じ。
それが分かって、私はアゼルに顔をあげるように言った。
「別に、アゼル様が女性の靴下を食べたい変態でも、ショーツを口に詰めたい変態でもいいです」
「いや、ショーツはしてないです。したいとは思ってますが。あとそれ、ヴィオレシア様限定で」
即答かい。
……でも、“私限定”というのは、なんだかズルい。
ふっと笑ってしまった私に、彼はきょとんとした顔をした。
本編ではヴィオレシアの首を刎ねてるのに。
そんな裏設定が用意されてるなんて。とんだ最高な贈り物だ。声をあげて笑ってしまうと、アゼルは私を見上げて何度も目をしばたたく。
「ヴィオレシア様?」
「ふふ。じゃあ、私もアゼル様にひとつ“良い事”を教えてあげますわ」
もう言って良いだろう。
そうして、私は身を屈めると、アゼルの肩に手をついて、耳元に唇を寄せる。
「私ね、貴方と同じ“ド変態”なの。猟奇趣味で、女の子の泣き顔とか、絶望する表情とか、だぁいすき。貴方の“お仕事”に興味があるから着いてきたのよ?」
そう甘く囁くと、アゼルの頬にどっと朱がさした。
「え……え? え、ヴィオレシ……ア様?」
「貴方が私を“婚約者にしたい”って言ったんですよ? 貴方の瞳の奥にある暗さ、纏わり付く死臭に食いついた蛆虫みたいな女ですの。どう? 気持ちが悪いですか?」
紅潮するアゼルの頬を両手で包み、彼の脚を跨いで膝立ちに。
真っ正面から見つめると──彼は唇をワナワナと震わせながら「違う」と首を振る。
「ねぇ。アゼル様、こんな私を“お嫁さん”にする覚悟はありますか?」
笑みつつ言うと、彼は何度も頷いた。
そして──
「勿論です」と彼は真っ直ぐに私を見上げる。
「ヴィオレシア様は、手に届かない高嶺の花でした。どこか棘があって、でも可愛くて。……ずっと憧れてたんです。王太子様がマルガレータ様にうつつを抜かしてるだとか噂もあって。それが事実ならば、妹様に少しの意地悪をしたくなるのも当たり前じゃないですか。あんな婚約破棄、見てられなかった。俺だったら絶対ヴィオレシア様だけを大切にするのに……」
──どんな事情であれ、公衆の面前で婚約破棄なんてして、一生の傷に残るような恥なんてかかせないのに。
その言葉に、私は目を大きく瞠った。
ドクドクと、ひどく鼓動が高鳴る。
ああ。私、この人を、きっと……この人なら。
「でも怖かったですよね、さっきの。本当にごめんなさい」
アゼルの言葉に、私はふっと笑う。
「まぁ……あんなのやるの、脂ぎったおじさまくらいかと思ってましたもの」
冗談めかして言うと、彼は気まずそうに頬を掻いた。
「あと……“ヴィオたん”でいいですわよ? 私、貴方より年下ですし敬語なんて使わなくていいです」
──私の旦那様になるんでしょう? と、聞くと、彼は柔和に笑んで頷いた。
「じゃあヴィオたん。ならば、俺からも。俺に畏まらないで? 婚約者になったんだから。俺、君と親しくなりたいよ。うんと幸せにしたい」
甘やかで優しい言葉。それでも全てを明かした上で“親しくなりたい”なんて!
私は堪らない程嬉しくて、心から笑顔になった。
「ふふ。分かったわ、アゼル!」
そう答えると、また彼の頬は再び赤みを帯びた。
***
「そうそうアゼル。私、今ね。どうしてもお願いしたい事があるの……」
部屋に戻る時、アゼルに話を振ると彼は首を傾げて私を見る。
「作りたい魔導具があるの。資材も買いたくて……通貨の両替、お願いしてもいいかしら?」
訊くと、彼はすぐに頷いてくれた。
「お安いご用だよ。費用も全部出すよ。指輪の前に何かプレゼントしたいって思ってたし。甘えてよ。俺、ヴィオたんを甘やかしたいもん」
さらっと言われて、顔が熱くなる。
……この人、変態だけど、スパダリかもしれない。ほんと、何なのよもう。
それでも。
唾液でぐちゃぐちゃに濡れたソックスを咥えていたこの男が、こうして優しく隣を歩いてくれる事が、なんだか少し、擽ったくて。
……悪くないかもしれない、なんて。ちょっとだけ、思ってしまった。