今日は凪野のバイト初日だ。
相変わらず学校で凪野と話してはいない。でも、たまに目が合うようにはなった。目が合うとあいさつ代わりか、少し微笑んでくれる。その微笑みはすぐに他の誰かに奪われてしまうけど、バイトの事で連絡ができるように連絡先も交換したし。
なにより、もう知らない仲じゃない。
俺はさっそくメッセージを送ることにした。
『十七時に駅の南口で待ち合わせでいい?』
ポチポチ文字を打ち込んでいると小島が振り返り、首を伸ばす。俺はすかさず構えた携帯を引き寄せた。
「なになぁに~、いきなり隠しちゃって」
「なんでもないし」
「東谷くぅ~ん、隠しちゃってる時点でアリアリなんですけど。なに? 彼女とかできちゃった?」
す、するどい。いや、相手は凪野なんだけど。
彼女じゃなくても、こいつは絶対騒ぎ立てる。そしたら当然周りの連中にも知れ渡って、相手が他の誰でもない凪野だとばれたら余計に大騒ぎだ。まさにスキャンダル。
「んなんじゃないし、できるわけないし」
「なんだよぉ~、諦めんなよぉ~。一緒に頑張ろうぜぃ! 今日遊びに行く?」
バチバチ肩を叩いてくる小島の手を払い退ける。
「バイトだよ」
「あら残念。じゃぁ、こんどだな!」
チラッと凪野の方を見ると、凪野もこっちを見ていた。でも微笑んではなくて、その視線もフイと避けられ、凪野を囲んでる連中に向けられていつもの笑顔になった。
なんだよ……。
気分は一気に急降下したけど、一応送信ボタンを押した。
チャイムが鳴り、ざわざわとみんなが席に着きだしてすぐポケットの携帯がブーンと震えた。コッソリ机の下でチェックすると凪野からだった。
『わかった』
たった一言のメッセージを眺めていると、またスポンとメッセージが表示された。
『十七時ね』
やっぱり一言だったけど、ゆっくり口角が上がっていくのを感じた。
* * *
学校が終わって速攻でシャワーして駅へ向かった。ちょっと早めに着くな。なんて思ったけど、待ち合わせ場所にはすでに凪野が立っていた。
細身の黒いパンツに、薄いグレーっぽいよくわからん色のロンTを着ていた。よくわからん色なのに、凪野が着てるとおしゃれっぽく見える。しかも、Vネックで緩い感じが妙に色っぽいっていうの? 鎖骨もろ見せだし、色めっちゃ白いし。
さすがパパ活してただけのことはある。
……コンビニのバイトなんだけどな。
手を挙げたきり、黙りこくってしまった俺に凪野がお得意の首をコテンと傾げ、ん? と顔を覗き込む。
「あ、早かったね。履歴書大丈夫? 写真撮った?」
「うん、持ってきたよ」
ショルダーバッグからひらりと白い封筒を出して見せる。
「じゃぁ、ちょっと早いけど、行く?」
「うん」
本当ならこのままカフェとか寄りたいところだけど、そこまでの時間もない。俺たちはコンビニに向かって歩きだした。
「凪野は今までバイトとかしたことある? あぁ、パパ活以外で」
「ないよ」
「そっか、もちろん仕事は教えるから安心して。わかんないコトとかも聞いてくれたらいいから」
「うん、頼りにしてる」
長い睫毛から覗く紅茶色の瞳。ふっくらした涙袋。微笑む口角は綺麗に上がっていて、明るい時間に近くで見る凪野の破壊力が半端ない。同じ高校生とは思えないほど肌きれいだし。
「顔見すぎ」
「えっ! あ! ごめん」
「べつにいいけど」
クスッと笑う凪野は絶対自覚してる。自分がどれだけヤバイかを。
こんなの連れて行って店長大丈夫だろうか……パパになんなきゃいいけど。
「店長ー、連れて来た。電話で話した凪野」
バックヤードの事務所にいる店長に声をかけるとPCに向かって仕入れ作業中の店長がクルッと振り替える。
「おぉ~、美人だな」
「店長!」
凪野を見るなりドストレートの感想が飛び出しギョッとした。慌てて凪野を見ると当の本人は平然としてちょこんと会釈していた。
「ハハ、悪い悪い。ちゃんと男の子」
「当たり前でしょ!」
まったく小島といい、店長といいなんで俺の周りはこんな直球なヤツらばっかなの?
「凪野朔真です」
「履歴書持ってきた?」
「はい」
俺をよそに着々と手続きが行われ、俺は横でバイト服に着替えた。着替えたと言っても、制服のシャツを上から着るだけだけど。
「これが凪野くんの制服ね。ロッカーは東谷の横を使ったらいいから、名札はできるまでこれつけといて。仕事に関しては……」
制服を着た凪野を見て店長の説明が途切れる。
「あぁ、ちょっとデカいか? 袖余ってるな」
「まぁ、大丈夫ですよ」
「そうかぁ? じゃぁ、いいけど」
凪野がどう? といわんばかりにこっちを見た。
「うん、似合ってる」
「そこぉ~イチャイチャすんなぁ~」
「ちょっ! 店長イチャイチャなんてしてないっすよ!」
反論したのに二人して俺に生暖かい眼差しを向けてくる。
なんで凪野までそっち側なんだよ!
自分が仕掛けてきたくせに……。
その時電話が鳴った。
「あ、悪い。東谷、研修動画見せて、いろいろ教えてやって。電話してくるわ」
「はい。行ってらっしゃい」
「じゃあ、凪野くん頑張ってね」
店長は慌てて事務所から出て行った。
「大丈夫だよ。前も研修生の面倒みてるし」
店長の椅子に座って指示通り研修動画をつける。内容はざっくりした経営理念や心構えみたいな紹介が流れ、身だしなみの注意、接客マニュアルだ。五分程で終わる。
「じゃあ、店舗の案内するね。ついて来て。覚える事多いからメモしとけばいいよ」
「わかった」
バックヤードの在庫や、冷蔵室、ゴミ置き場、トイレに商品棚の配置と最後にレジに入る。レジ場にはホット系食品を作る簡単な調理場もある。冷蔵庫含め一通り注意事項を説明した。
凪野は頷き、細かい説明なんかの時はメモを取ったりしていた。
こうやって見てると、本当に素直ないい子に見える。いや、別に凪野が悪い子っていってるわけじゃないんだけど。特殊な面を見ちゃったから、もっと擦れてるのかな? なんて勝手に想像してた。
今の凪野を見てると、あぁ、同じ高二だなってちょっとホッとする。
「説明はこれで終わり。今日は初めてだし、とにかく俺にくっついて仕事して。レジも少しずつやってもらうよ」
「うん」
「セルフレジはお客が勝手にやってくれるからいいんだけど、みんなが使ってくれるわけじゃないし。クーポンとか、支払いの代行とかは普通のレジでしかできないし、弁当の温めとか、ホット系買うお客もこっちに来るからけっこう忙しいよ。弁当買いにきたら、温めますか? って必ずきいてね。もちろん冷たいまま食べるやつは聞かなくってもOK。あ、客きたね。見てて。いらっしゃいませ」
レジにドサッと置かれる弁当とペットボトル。
「有料袋の画面タッチお願いします。弁当は温めますか?」
「うん。あと、チーからとハッシュドポテトも」
お客さんが画面をタッチしながらホットスナックの注文をした。
とりあえず、一回目だし。凪野には見ててもらった方がいいか。
袋を用意して弁当とペットボトルのバーコードを通す。凪野をちょいちょいと手招きしレジ画面を指さし、ホットのボタンを押す。注文の項目をタッチした。
「チーからとハッシュドポテトですね。全部で千五百六十円になります。支払いボタンのタッチをお願いします」
凪野に目くばせして手を洗い、ホットスナックを取りに行く。消毒スプレーを吹き付け、スタッフ用の商品値札を確認するように指さして、商品を取りレジへ。ちょうど温めが終わった弁当とホットスナックを袋へ入れる。
「ペットボトルも一緒に入れてしまっても大丈夫ですか?」
お客にOKをもらいペットボトルも入れる。
「お待たせしました。ありがとうございました」
商品を渡して客を見送り振りかえると、凪野は目をまるくしていた。
「すご」
「いや、別にすごくはない。凪野だってコンビニで買い物したことあるだろ」
「あるけど、改めて店員さんのやってることを見ることなんてなかったもん。めっちゃいろいろ動いてんだね」
「あぁ、まぁ慣れだよ。次ぎお客さんきたら、凪野がホット系とってくれる?」
「うん、わかった」
「取る時なるべく手洗って、消毒もしてね。お客さん見てる人は見てるから。もちろん連続で取るときはいちいち洗わなくっても大丈夫だから」
「うん」
「あぁ~、他のものとか触ったら消毒だけはやってね。シュって」
他になにか教えといた方がいいコトはと。目に入ったタバコにこれだと思いつく。
「あとタバコはだいたい番号で言ってくれるけど、中には銘柄しか言わない客もいるから暇があったらだいたいの場所を覚えておくといいよ。わからないときは、素直に何番ですか? って聞けばいいし。俺に聞いてくれてもいいし」
「了解」
凪野はちょっと顔を強張らせた。緊張してるのかな?
「徐々にでいいよ。俺のことどんどん頼ってくれていいし」
タバコの棚から俺を見た凪野はニコッと笑った。
「うん、頼りにしてる」
こ、これは……キラー過ぎる……。
「なぁ、凪野」
「なに?」
「今の店長にしたら絶対ダメだからね」
「え、なんで?」
「店長逮捕されちゃうから」
「え~?」
クスクス笑ってるけど、絶対自覚あるだろ。
「東谷はいいの?」
「俺はいいよ」
「捕まんない?」
「捕まんない。だって、もしそうだったら、もうとっくだろ?」
「ふ~ん」
凪野は覗き込むような上目遣いをスッと放し、つまらなそうに宙へ目を向けた。
本当は俺だってあんまりよくないけど……だって、それがお前でしょ? 全部禁止しちゃったらキツイじゃんね? 俺の前では素の凪野でいて欲しいし。