1.王宮の朝の光
白亜の石造りで統一された王宮は、朝陽を浴びて美しく輝いていた。わたくし、シャーロット・ウィンスレットは、その光を背に受けながら長い回廊を歩んでいる。
――王太子エドワード・レムナント殿下の婚約者。
――そして、王国にとって唯一無二の“聖女”と呼ばれる立場。
重責ではあるけれど、わたくしはこの役目に誇りを持っていた。なぜなら“聖女”と呼ばれる存在は、神からの加護によって癒しの力や祝福の力を民に与えることができる。そして、その力を正しく行使し、苦しむ人々を救うことが、わたくしの生涯をかけた使命だと信じていたからである。
もともと、わたくしはウィンスレット伯爵家の次女として生まれた。家柄は伯爵位でこそあるものの、王宮内でそれほど大きな権勢を誇る家ではない。それゆえ、「伯爵家の令嬢が王太子の婚約者になるなんて畏れ多い」と、周りは騒いだものだった。しかし、幼い頃にわたくしが“聖女の兆し”を示し、当時の国王の勅命によって王宮へ招かれた――そんな経緯がある。
その幼少期のエドワード様との出会いは今でも鮮明に覚えている。王宮の広い中庭で、わたくしは彼と初めて言葉を交わした。まだ小さな少年だった彼は「君は不思議な力を持っているんだって?」と興味深そうな目をしていたのを思い出す。
それが始まりだった。王太子と“聖女”としてのわたくし。最初こそぎこちなかったものの、一緒に学んだり、礼儀作法や政治の勉強を共にするうちに、いつしか婚約者として扱われるようになり、わたくし自身もその運命を受け入れていた。
今朝も、いつもと変わらぬように朝食を終え、日課となっている礼拝堂での祈りを行うため、大理石の回廊を歩いている。長い金髪を軽くまとめ、淡いベージュ色のドレスを身にまとったわたくしの姿に、すれ違う侍女や近衛騎士たちは皆、敬意を払ってくれる。
「おはようございます、シャーロット様」
「おはようございます」
穏やかな挨拶を交わしながら進む道の先に見える礼拝堂。ステンドグラスから射しこむ朝陽が美しく、わたくしはその風景が好きだった。
しかし、この平穏な朝は、実は――わたくしにとって最後の穏やかな時だったのだと、後から思い知らされることになる。
2.聖女としての務め
礼拝堂に入り、神に祈りを捧げる。青や赤のステンドグラスを通してきらめく光がわたくしの周囲に注がれ、神聖な空気に包まれる。
「神よ、今日も国の民が平穏でありますように。そして、わたくしの力を正しくお使いいただけますよう――」
わたくしは幼い頃からこの祈りを欠かしたことはない。祈りを捧げることで、聖女としての力をより安定させ、人々を癒せると教えられてきたからだ。実際、祈りを終えた後は、心が清らかになり、不思議と体中に力がみなぎってくる。
祈りを終えたわたくしを待っていたのは、王宮の侍女長であるユーニスだった。彼女はもう四十代半ばを過ぎているが、凛とした姿勢と鋭い眼光を持つ、いかにも“宮廷仕え”という雰囲気の女性だ。
「シャーロット様、王太子殿下が大広間にお集まりくださるよう、お呼びです」
「あら、エドワード様が?」
朝の祈りが終わってすぐにお呼び出しなんて、少々珍しい。わたくしは首をかしげながらも、急ぎ大広間へ向かった。
3.王太子の冷たい瞳
大広間の扉が開き、わたくしの目に飛び込んできたのは、すでに多くの廷臣たちが集まっている光景だった。貴族や官僚、軍部の上層部、さらには王宮の魔導士団の長まで揃っている。朝早くからこのように廷臣を集めた場を設けるとは、ただ事ではないのだろう。
その中心に立っていたのは、わたくしの婚約者である王太子エドワード様。そして、その隣には――見慣れない女性がいた。いや、全くの初対面ではない。最近になって王宮へとやってきたという噂は聞いていた。名をリリアン・アーデルというらしい。
耳まで届く長い銀髪に、控えめでありながら気品のあるドレスをまとい、まるで清楚な花のように佇んでいる。彼女をちらりと見る廷臣たちの目は、畏怖と敬意、そしてどこか酔いしれるような感情が入り混じっていた。
(……彼女は、一体?)
王太子の隣に立つほどの身分の女性であるなら、貴族の娘か、あるいは特別な使命を帯びている者かもしれない。わたくしがそう考えていると、エドワード様がわたくしを手招きした。
「シャーロット、こっちへ来い。皆の前で大事な話がある」
「はい……」
その口調はやや冷たい気がする。以前の彼なら、もう少し柔らかな態度だったが――どこか突き放すような視線を感じる。胸の奥がざわつくのをこらえながら、わたくしはエドワード様の前へ歩み寄った。
4.宣告される“婚約破棄”
そして、エドワード様の口から発せられた言葉は、わたくしの想像をはるかに超える衝撃だった。
「シャーロット・ウィンスレット――お前との婚約を、ここに破棄する」
大広間が一瞬にして静まりかえる。わたくしはその瞬間、頭が真っ白になった。
「……え……?」
思考が追いつかない。“婚約破棄”とはどういうことだろう。わたくしは確かに彼の婚約者であり、王宮も公式にそれを認めているはずだ。それなのに、なぜ。
騎士や貴族たちからどよめきが起こる。その中で、リリアン・アーデルが静かな微笑みを浮かべていたのが目に入った。
「どうして、急に……?」
わたくしの問いに、エドワード様は答える代わりに、リリアンの手をとって皆に示した。
「……この方が、神に選ばれし“真の聖女”であることが、先日の神事によって判明した。よって、お前の存在価値は失われたのだ」
「まことに、申し訳ございません。わたくし、リリアン・アーデルと申します。これまで私がお仕えしていた神殿の神官さま方から、私が“神に選ばれた”というお告げがあったのです……」
リリアンは控えめな声音でそう言いながら、恭しく頭を下げる。その仕草に、不思議な艶やかさを感じる廷臣たちも多いのだろう。周囲からざわめきが再び広がる。
(……“真の聖女”? それなら、わたくしは偽物だとでも言うの?)
わたくしは困惑した。確かにわたくしはずっと“聖女”として王宮に仕えてきたが、本来は“ただひとり”であるはずの聖女が、もう一人現れたということなのか。
「お前の力が偽物だとは断言しない。だが、リリアンの奇跡を見れば一目瞭然だ。彼女こそが神の祝福を余すところなく受け、真の力を行使できる存在であると証明された」
エドワード様の声に迷いはなかった。
「証明……? わたくしは民のために幾度も癒しの奇跡を行使してまいりました。それでも、偽物だとおっしゃるのですか?」
心臓がひどく痛む。まさか、これまでの働きを否定される日が来ようとは思わなかった。
「お前の力では限界がある。それに、お前は王太子妃としては問題が多すぎる」
「問題……?」
「“情に流されすぎる”――それがお前の弱点だ。聖女であるがゆえ、弱者に手を差し伸べることは大切だが、そのせいで国の方針に従わない場面もあっただろう。王太子妃となる者には、時に冷徹な決断が必要だ」
わたくしは思い出す。確かに先月、王国の財政難を理由に一部の救済事業が打ち切られそうになった際、わたくしは国王陛下に直訴して中止を止めてもらったことがあった。貧困地区の人々が苦しむのを見過ごすことができなかったのだ。
(あれが、まずかったの……?)
エドワード様の中で、わたくしは“甘い存在”なのかもしれない。だが、それでも――。
「それが婚約破棄の理由だとおっしゃるのですか?」
「そうだ」
彼の言葉は冷たい。かつてわたくしを“優しいところが魅力だ”と褒めてくださった人と同じとは思えないほどに。
大広間は、静まり返っている。廷臣たちも、この場に立たされたわたくしを哀れと思うのか、あるいは王太子の決断を支持するのか、その表情はさまざまだ。
(どうしてこんなことになってしまったの……?)
わたくしは気づけば唇を噛みしめ、彼の顔をまっすぐに見る。――しかし、彼は目を逸らし、リリアンの手を取った。
「リリアン・アーデルは近い将来、私の正妃となる。シャーロット・ウィンスレット、お前は即刻この王宮を去れ。今後、二度と王宮には足を踏み入れるな」
5.唯一の味方――騎士団長レオン
「お待ちください! それはあまりにも一方的です!」
声を上げたのは、この場でただひとり、王国騎士団長レオン・バルフォアだった。漆黒の髪と鋭い青い瞳、鍛えられた体躯を持ち、王国随一の剣技を誇る騎士。その姿は頼もしさを感じさせる。
「レオン……」
わたくしは思わずレオンの名を呼ぶ。彼はわたくしの幼馴染でもあり、剣術の稽古場などで顔を合わせる機会が多かった。
「シャーロット様が偽物の聖女だなんて、私は到底信じられません!」
レオンは臆せずにエドワード様を真っ直ぐ見据える。だが、王太子の名を呼び捨てにするわけにはいかないため、言葉を選んでいるのがわかる。
「お前が信じようと信じまいと、それが真実だ。レオン、私に反抗するのか?」
エドワード様の声は冷酷ですらある。レオンは拳を握りしめ、苦々しい表情を浮かべながら、しかし頭を下げた。
「……いいえ。私はあくまで王国騎士団長として、殿下のご命令に従います。ただ、シャーロット様のこれまでの功績を思うと――」
「過去の功績など、今は関係ない。これ以上の口出しは許さぬ」
その場の空気が張り詰める。レオンは悔しそうに唇を噛んだが、王太子の権限は絶対に近い。彼はそれ以上言葉を重ねることができなかった。
わたくしは胸にこみあげてくる悲しみを飲み込む。――ここで騒ぎ立てても事態は好転しない。
「……わかりました。わたくしは王宮を去ります」
声を震わせないように、必死にこらえながら宣言する。王太子殿下にとって、わたくしはもう“不要”なのだ。ならば――誇りを失ってまでしがみつく必要はない。
「本当に、それでよいのか?」
エドワード様はわずかに眉を寄せる。わたくしはかすかに微笑んだ。
「ええ。けれど、わたくしは偽物の聖女ではありません。そのことだけは、はっきりと申し上げておきます」
そう言い放ったわたくしを取り巻く廷臣たちは、息を呑むかのように沈黙した。――しかし、エドワード様の“決定”が覆ることはなかった。
6.追放命令と冷たい視線
その日のうちに、王都を離れるよう命じられたわたくしは、自室へ戻り荷造りを始めた。荷物といっても、それほど多くはない。もともと“聖女”として王宮での暮らしが中心だったわたくしには、贅沢な宝飾品など興味もなかったし、必要最低限の衣類や書物があれば十分だったからだ。
「シャーロット様……本当に、行かれるのですか」
侍女のアリシアが泣きそうな目で訴えてくる。彼女はこの数年、わたくしの身の回りを世話してくれた優秀な侍女だった。
「ええ。エドワード様の決定ですから、仕方ありません。……あなたは王宮に残ったほうがいいわ。わたくしについて来ても、苦労をかけるだけですもの」
アリシアは唇を震わせながら首を横に振った。
「そんな……! 私はシャーロット様に仕えていたいんです! それに、こんな理不尽な追放、納得できません!」
その言葉が、わたくしの胸を刺す。彼女ほどの優秀な侍女なら、王宮に残れば安定した生活を送れるだろう。だが、わたくしとともに追放されるとなれば、行く先はわからない。見知らぬ土地での生活は、どれほど過酷なものになるか想像もつかない。
「……ありがとう、アリシア。けれど、わたくしはあなたをそんな危険に巻き込みたくないわ。もしわたくしを心配してくれるなら、遠くから見守っていてくれるだけで十分よ」
「シャーロット様……」
アリシアは悔しそうに涙をこぼした。わたくしは彼女の両肩に手を置き、優しく抱きしめる。きっと、この抱擁が最後になるだろう。
7.幼馴染の想い
翌朝、わたくしは早々に馬車へ乗せられ、王都を出立することになった。護衛の騎士が数名ついてくれることになっているが、それも“表向き”の話であって、どこまでわたくしを保護してくれるかは怪しいところだ。
「シャーロット、これを受け取ってくれ」
見送りに来たレオンが、わたくしに小さな包みを手渡す。それを開くと、中には簡素な短剣が入っていた。鞘にはウィンスレット伯爵家の紋章が刻まれている。
「これは……」
「お前がまだ子どものころ、一度だけ使ったことのある練習用の短剣を、鍛冶師に改良してもらった。念のため、自衛の手段は持っておいたほうがいい」
「レオン……ありがとう」
視線を上げると、レオンは悔しそうな目をしている。彼がどれだけわたくしのために怒ってくれたか――昨日の大広間での彼の態度がすべて物語っていた。
「もしも何かあったらすぐに知らせてほしい。たとえどこにいても、俺が駆けつける」
彼の言葉は、王国騎士団長として、いや、“幼馴染”としての真心から来ているのだろう。わたくしは頷き、短剣をしっかりと握りしめた。
「それでも……やはり、危険を覚悟の上なのだな」
「ええ。エドワード様のお心変わりを、わたくしにはどうすることもできません。だから、せめて――自分を信じて、新しい道を歩むしかないのです」
レオンはわたくしをじっと見つめ、何かを言いかけたが、結局それを飲み込んだようだった。王太子の決定に真っ向から反対することは、騎士団長の職を失うばかりか、下手をすると“反逆”とみなされかねない。
「気をつけて行け、シャーロット」
「はい。あなたも、お元気で」
8.王都との別れ
こうして、わたくしを乗せた馬車は王都を出発した。護衛の騎士が三名、馬に乗って周囲を固めている。もっとも、彼らが真にわたくしを守ってくれるかどうかは、まだわからない。
朝靄の残る石畳の道を馬車がゴトゴトと進む。後方を振り返ると、巨大な城壁と王宮の尖塔が遠ざかっていくのが見えた。
――わたくしは、ここで生まれ育ったも同然なのに。まるで他人のように追い出されるだなんて、夢にも思わなかった。
馬車の中には、わたくしの最小限の荷物と、思い出の品がいくつか。あとは短剣があるだけだ。行く先については何も言い渡されていない。国外へ出て行け、という漠然とした命令だけがあるだけだ。
「……まさか、本当にわたくしを捨てるつもりだとは」
ぼそりと呟いた自分の声が虚しく響く。婚約破棄をされたショックはもちろんだが、それ以上に感じるのは、王太子殿下や王宮が“わたくしをまったく必要としない”と切り捨てた事実の重みだった。
“聖女”としてのわたくしは、ただの捨て駒にすぎなかったのだろうか――そう思うと、胸が痛む。
9.異変の前触れ
馬車は王都を出て半日ほど走り続けた頃、周囲に人気がほとんどなくなった山道へと差しかかっていた。木々が生い茂り、道もやや険しくなる。街道の主要ルートはもっと北側にあるのだが、なぜか護衛の騎士はこの道を選んだようだ。
「ここはあまり人が通らない道では……?」
気になって問いかけても、護衛の騎士たちは「問題ありません」とそっけない返事をするだけ。わたくしの不安は次第に大きくなっていく。
王都を遠ざかるほど、心細さが増してくるものだが、それに加えて彼らの態度に何とも言えない違和感を覚える。――まるで、わたくしを安全に送り届けようという意志が感じられないのだ。
そして、馬車が深い森の中を抜ける手前で、突然、前方を行く騎士が馬を止めた。
「……休憩にしましょう。シャーロット様、馬車から降りていただけますか」
わたくしは少し警戒しながらも、足を伸ばしたいという気持ちもあって馬車を降りた。森の入り口で、薄暗いが涼しさを感じる風が吹き抜けている。しかし、一向にキャンプの準備を始める様子もない。
「皆さま、ここで野営をするのですか?」
尋ねてみても、誰一人返事をしない。護衛の騎士の一人が、妙に凶暴な目つきでわたくしを見ている。
(――嫌な予感がする……)
10.明かされる陰謀――暗殺未遂
「……さて、シャーロット様。悪いが、ここでお前には消えてもらう」
護衛の騎士が背中に差した剣を引き抜き、冷酷な声で言い放つ。わたくしは思わず息を飲んだ。
「どういう……ことですか?」
「どうもこうもねえよ。“不要”になった聖女なんざ、生かしちゃおけない。王都で余計な噂を広められても困るし、リリアン様の立場を揺るがす可能性もある。だから――ここで死んでもらうんだよ」
彼の言葉に、背筋が凍る。やはり、わたくしをただ追放するだけではなく、完全に抹殺するつもりだったのだ。
「……嘘でしょう。エドワード様がそんなことを……!?」
「さあな。殿下のお考えはわからねえが、俺たちには“国外追放ついでに始末しろ”とだけ言われてる。まあ、国王陛下も黙認ってところだろうよ」
護衛の騎士が口元を歪めて笑う。わたくしは大きく後ずさった。
「まさか……そこまで……」
――王宮が、わたくしの存在自体を否定し、消そうとしている。
不意に浮かんだのはレオンの顔だった。彼があの場で必死に抵抗してくれたのは、こうなることを薄々察していたのかもしれない。
(わたくし……死ぬの? こんなところで……?)
恐怖で脚が震える。けれど、ここで屈してはいけない。わたくしはレオンからもらった短剣を握りしめた。
「おや、抵抗するつもりか? 聖女様が武器なんぞ持って、何ができる?」
騎士の嘲笑混じりの声が耳に届く。確かに、わたくしの剣の腕前など知れている。もとは護身程度の練習しかしていないのだから。
「それでも……死にたくない……!」
わたくしは恐怖と悔しさを振り払うように、短剣を構えた。心臓の鼓動が乱れていて、手が汗ばんでいるのがわかる。
「チッ……覚悟があるようだな。ま、さっさと終わらせてやる」
護衛の騎士たち――正確には暗殺者たちは三人。連携を取りながらわたくしを囲もうとする。
11.絶体絶命――そして“助け”
いよいよ剣がわたくしに向かって振り下ろされようとした、その瞬間――鋭い金属音が鳴り響き、火花が散った。
「……!? 何だ、お前は……!」
「貴様らこそ、何のつもりだ」
凛とした低い声。その主は、漆黒の鎧を身にまとった騎士――レオン・バルフォアだった。
「レオン……!」
思わず叫ぶわたくしの目に、彼の姿がしっかり映る。王都から出てきたはずなのに、どうしてここに……? しかし、そんな疑問を抱くよりも先に、わたくしは安堵感で体の力が抜けそうになる。
「どうして……レオン、あなたは王宮に残ったはずじゃ……」
わたくしの言葉に、レオンは剣を構えたまま、こちらをちらりと見やる。
「お前が本当に国外追放されるだけで済むと思えなかった。心配で、こっそり後を追ってきたのさ。……案の定だな」
彼の声には怒りがにじんでいた。自分の主君である王太子の命令を疑う形になるが、それでもレオンはいてもたってもいられなかったのだろう。
「くそっ、騎士団長が出張ってくるとは聞いてねえぞ!」
暗殺者の一人が悪態をつきながら攻撃を仕掛ける。しかし、レオンはそれをいとも容易く受け流し、逆に鋭い斬撃を返す。
「ぐあっ……!」
たちまち、暗殺者の一人が倒れ込む。あと二人が連携してレオンに襲いかかるが、彼の剣技はさすが“王国最強”と謳われるだけある。激しい攻防の末、暗殺者たちは次々と地面に伏せた。
「はあ、はあ……」
レオンも少々息を切らしているが、それでも立ち姿は崩さない。わたくしはその場にへたりこむように座り込み、短剣を握ったまま震えていた。
「シャーロット、お前、怪我はないか」
レオンが駆け寄ってくる。わたくしは必死に首を振り、震える声で答えた。
「だ……大丈夫……。ありがとう、レオン」
救われた――心の底から、そう思った。あのままでは命を落としていただろう。
レオンはわたくしをそっと抱き起こし、周囲に目を配る。倒れた暗殺者のうち、まだ意識のある者がこちらを恨めしそうに睨んでいた。
「クソ……なぜお前がここに……」
「貴様らに教える必要はない。今すぐ王都に戻って、自分のやったことの罪を償うがいい」
そう言い放つレオンの青い瞳には、激しい怒りが宿っている。騎士団長として、王宮の騎士がこのような卑劣な暗殺行為に関わっていることが許せないのだろう。
12.運命の決断
こうして、わたくしは死の淵から救われた。しかし、問題はまだ山積みだ。王宮を出て行けと言われたどころか、暗殺まで仕掛けられる始末。もはや王国に戻れるはずもない。
わたくしはレオンの顔を見上げ、静かに尋ねる。
「レオン……わたくしは、どうすればいいの?」
「お前は、このまま王都へ戻れば再び狙われるかもしれない。いや、ほぼ確実に殺されるだろう。……だから、国外へ出るしかない」
国を出る。それは、わたくしにとって初めての経験だ。家族のもとへ帰るにも、伯爵家と王宮はつながりが深く、わたくしを受け入れれば彼らも危険にさらされるだろう。
わたくしは意を決して、レオンに願い出た。
「レオン、お願い。わたくしと一緒に来てほしい。あなたがいなければ、わたくしはすぐに殺されるかもしれない」
レオンはわずかに瞳を見開いた。そして、少し戸惑うように視線を彷徨わせる。
「それは……俺にも立場がある。騎士団長として、王宮を離れることは反逆に等しい。それでもいいのか?」
「反逆……確かに、そうかもしれない。でも――」
わたくしは言葉を続ける。
「それでも、わたくしはあなたの力がどうしても必要です。あなたがいなければ、きっと乗り越えられない」
レオンは苦渋の表情を浮かべ、しばらく黙り込んだ。風が木立を揺らし、ざわざわと葉音が響く。
「……ああ、もう仕方ない。放っておいたらお前が殺されるのは目に見えてる。シャーロット……俺がついていく」
そう言って、レオンはかすかに苦笑した。その笑みには、王太子エドワードへの怒りと、幼馴染であるわたくしを守りたいという強い意志が感じられる。
13.新たな旅立ち――第1章の終わりに
かくして、わたくしは王宮に捨てられ、暗殺者に狙われながらも、レオンの助力によって生き延びた。これまでの日常は完全に崩れ去り、これからは見知らぬ地で、わたくし自身が歩むべき道を切り拓いていかなければならない。
――“追放”という形で、わたくしの人生は大きく転換する。
けれど、わたくしにはまだ“聖女としての力”がある。そして、心からわたくしを信じてくれるレオンが隣にいてくれる。それだけが今のわたくしの心の支えだ。
「シャーロット、俺たちが向かう先は……隣国のグレイシャ王国になる。そこなら、きっとお前の力を正しく評価してくれるかもしれない」
「グレイシャ王国……。確か、わたくしたちの国とは同盟関係にあるものの、距離があるわね」
「そうだ。しばらくは旅が続くだろう。途中で王国の追っ手が来るかもしれないが、その時は全力で守る」
レオンの決意に満ちた声を聞きながら、わたくしは心の奥に小さな希望の灯を見出す。追放され、“偽物の聖女”呼ばわりされても、わたくしの誓いは変わらない――“人々を救うために力を尽くす”ということ。それがわたくしの生きる意味であり、誇りだ。
(王太子殿下……エドワード様。あなたはあのリリアンという女性こそが真の聖女だと信じ、わたくしを捨て去った。けれど、いつか真実が明らかになる日が来る。たとえその日が来なくても、わたくしは必ず生き抜いてみせる)
馬車を捨て、レオンと二人、険しい山道を進む。暗殺者に追われる身となった今、できるだけ目立たないルートを選ぶ必要がある。もはや、わたくしが貴族令嬢として優雅に暮らす日は二度と戻ってこないだろう。
しかし、それでも――ここからが本当の物語の始まりなのだと、わたくしの心は囁いている。
「捨てられた聖女」 としてのわたくしが、これからどのような運命に翻弄され、どんな試練を乗り越えていくのか。それはまだ誰にもわからない。けれど、ひとつだけ確かなのは、わたくしはもう昔の“聖女シャーロット”ではないということ。王宮を追われ、誇りを踏みにじられ、暗殺されかけた――そんな経験が、わたくしを強くしている。
(わたくしは、決して折れない。絶望の淵に立たされても、最後まで自分の正義を貫いてみせる)
そう心に誓い、わたくしはレオンと共に歩み始めた。霧深い山道の向こうに、微かに朝陽が差し込んでいる。あれはまるで、わたくしたちの新しい未来を照らす光のようだった