1.霧深き山道の行軍
――夜明け前、わたくしは重いまぶたを開いた。
あたりは、まだ薄暗い。そばにいるはずのレオンが気配を殺して外を警戒しているのだろうか。それとも夜通し疲れて眠ってしまったのだろうか。王国を出てからの日々は殺伐としていた。何しろ、“聖女”の座を奪われ追放されただけではなく、暗殺者まで差し向けられたのだ。
わたくし――シャーロット・ウィンスレットは、幼い頃から王宮で育ち、その“癒しの力”をもって民を救済する役目を担ってきた。にもかかわらず、ほんのわずかのあいだにあらゆる立場を失い、いまや国境付近の山道をさまよっている。
「……もう少しで、グレイシャ王国の領域に入るのよね」
わたくしは寝袋をたたみながら、そっと自分に言い聞かせる。向かう先は同盟国である隣国・グレイシャ。しかし、一介の追放者であるわたくしを、そう簡単に受け入れてくれるものかはわからない。
不安は拭えないけれど、今はただ前に進むしかない。ここ数日の険しい山道の行軍で、わたくしの身体はすでに悲鳴を上げている。それでも、あと少し――あと少しだけ頑張れば、王国の手が及びにくい隣国へと辿り着けるはずなのだ。
2.峠の茶屋と女主人エルナ
追手を避けるため人里離れた山道を選んだものの、山は深く霧が濃い。しかも足場の悪い崖や急な坂が多く、歩くだけでも注意を要する。そんな道中、ひっそりと立つ“茶屋”を偶然見つけたのは、わたくし達にとって大きな救いとなった。
「いらっしゃい、お客さんかい? こんなところで会うのは珍しいね」
そう声をかけてきたのは、小柄な老女――茶屋の女主人エルナ。外観は年季の入った掘立小屋だが、中には囲炉裏があり、吊るされた薬草が風に揺れている。
エルナの茶は独特の苦みがあるが、体が芯から温まる。疲労を和らげ、また気力を回復させてくれる不思議な効能があった。
わたくし達は少し警戒しながらも、半ば行き倒れのような状態だったため、しばしこの茶屋で休息を取ることにした。
(1)エルナの薬草談義
囲炉裏を囲んで話していると、エルナは薬草の知識に長けているだけでなく、かつては多少の魔術も習得していたという。彼女の年齢からは想像もつかないほど、含蓄ある言葉が多い。
「この『ミーナグラス』は擦り潰して患部に塗れば化膿を防いでくれるし、煎じて飲めば高熱にも効く。こっちは『ホークリーフ』。沸騰したお湯で煮出せば、呼吸が楽になる」
生きるすべを自分の手で開拓してきた人の知恵なのだろう。わたくしは思わず興味をそそられ、話に聞き入る。医術や薬草の知識は、聖女としてのわたくしにも欠かせないもの。――もっと学びたいという気持ちが強くなる。
すると、横で黙って話を聞いていたレオンが口を開いた。
「シャーロット、王宮にいた頃も薬草学の本をよく読んでただろう。あの頃は忙しくてなかなか実地で学ぶ機会がなかったが、今こそ必要かもしれないな」
「ええ。これまで“聖女の力”に頼りきりだった部分があったから……自分の手で人を助ける術を身につけたいの」
わたくしがそう言うと、エルナは穏やかな笑みを浮かべる。
「いい心がけだよ。あんたがどんな事情で国を出たのかは聞かないけど、そういう気持ちがあるのならきっと大丈夫さね」
(2)山奥での襲撃――エルナの魔術
ところが、せっかく安らかなひと時を得たわたくし達に、再び剣呑な影が忍び寄る。――王国の追っ手だ。
「おい、この茶屋に女と騎士の二人組が来なかったか?」
昼下がり、扉を破るようにして乱入してきた男たちは、狩猟や戦闘に慣れた風貌をしていた。いかにも“王宮直属”の刺客といった雰囲気で、明らかにわたくし達を探し回っている。
エルナはしれっと「ここにはわししかいないよ」と嘘をついてくれたが、既にわたくしの姿は男たちの視界に入ってしまっている。
「そこだ! あの女だ……! 間違いない、あいつがシャーロット・ウィンスレット! 殿下の命令で連行するぞ!」
男たちは一斉に武器を構え、わたくしに迫る。すかさずレオンがわたくしの前に立ちふさがり、鋭く剣を抜いた。
「これ以上は通さない!」
狭い室内での斬り合いは危険だ。しかも、エルナの家まで戦闘に巻き込んでしまう。わたくしは【祝福の光】というサポート系の奇跡を発動し、レオンの身体能力を強化しようとする。だが、複数の敵がいる上に狭い環境では集中が難しく、すぐに息が上がってしまった。
その時――思わぬ援軍が現れる。
「おいおい、わしの家で勝手に暴れないでもらおうかね……!」
エルナが杖を地面に突き立て、小さく呪文を唱える。すると床から緑色の蔦のようなものがニョキニョキと伸び、男たちの足に絡みついて締め付け始めた。
「な、なんだ……魔術だと!? くそっ、婆さんが妙な力を……!」
男たちは動きを封じられ、レオンの攻撃を受け止めることができなくなった。こうなれば一方的。瞬く間に追っ手は無力化され、リーダー格の男が忌々しそうに舌打ちをする。
「……このままじゃ、埒があかねえ! 一旦引くぞ!」
そう言い捨て、男たちは引きずるようにして退散していった。
(3)エルナとの別れ
やっとの思いで追っ手を追い払ったが、せっかくの茶屋は室内の家具や調度品が散乱し、被害を受けてしまった。
「すまない……俺たちのせいで」
レオンが頭を下げ、わたくしも合わせて謝罪する。ところがエルナは頑強な婆さんらしく、まるで気にしていない素振りを見せた。
「気にしなくていいよ。わしも久々に腕を振るえたしね。それに、あいつらが根に持ってまた来るかもしれない。あんたたちは急いでここを出たほうがいい」
お世辞にも安全とは言えない状況だったが、わたくし達は身を守るすべも限られている。エルナの忠告に従い、わずかばかりの休息の後、すぐに茶屋を出発した。
「エルナさん、もしまたお会いできたら、その時はぜひあなたに恩返しさせてください。……それまで、どうかご無事で」
「おうよ。あんたたちも死なないようにな。わしはこの山に生きるのが性に合ってるから、どこへも行かないさ」
エルナはそう言って不敵に笑い、わたくし達を見送ってくれた。
(なんて頼もしい方なの……。こんな山奥でも、自分の力を信じてしっかり生きている)
わたくしもいつか――自分の力を真に活かしながら、自分の意志で人生を切り拓きたい。その想いが強く胸に湧き上がったのを感じた。
3.峠を越えて、隣国へ――国境地帯の村
エルナの茶屋を後にしてさらに山道を進み続けたわたくし達は、ようやく隣国グレイシャ王国の領域へと入った。国境付近は険しい山々に囲まれつつも、少しずつ道は開け、やがて村らしき人家が見えてくる。
「見ろ、シャーロット。あそこに村がある」
レオンが指し示す先、霧が晴れかけた山麓に簡素な木造の家々が点在していた。遠くには小川が流れ、畑のような場所で農作物を栽培しているらしい人影が見える。
「やっと、人里に……」
わたくしは心の底から安堵する。王国から必死に逃れてきた以上、“別の国”に足を踏み入れたからといって完全に安全とは言えないが、それでも何らかの方法で身を隠したり、新しい生活の糸口を探すことができるかもしれない。
(1)小さな宿屋での一夜
村に入ると、通り沿いに看板を掲げた小さな宿屋を発見した。どうやら“旅人向け”に簡単な宿泊施設を提供しているらしい。看板にはグレイシャ語で何やら文字が書かれているが、王国の言語とよく似ていて読みにくくはない。
「ここで宿を取ろう。さすがに野宿を続けるのは限界だろうし」
「ええ。わたくしも疲れたわ……」
宿屋の扉を開けると、陽気な中年の宿屋主人が出迎えてくれた。
「おや、珍しいお客さんだ。もしかして山を越えてきたのか? いやはや、あの峠は危険だって噂だが……。おっと、立ち話もなんだ、部屋なら二階が空いてるよ」
レオンが宿賃を交渉し、わたくし達は銀貨二枚で一晩を過ごすことにした。二階の一室はそれほど広くはないが寝台が二つあり、清潔な毛布も用意されている。
「ここなら、少しはゆっくり眠れそうね……」
「そうだな。明日はどう動くか、計画を立てよう」
レオンが荷物を置きながら視線を巡らせる。どうやら、この宿屋は地元の農民や商人が立ち寄ることもあるらしいが、夜になれば酒場がわりになるとか。
(今のところ、王国の追っ手らしき人影は見えないけど……本当に大丈夫なのかしら)
わたくしは安堵と警戒が入り混じった複雑な気持ちで、部屋の窓から村の中心を眺める。日が傾き始め、家々から立ち上る煙が淡いオレンジ色の夕暮れに溶けていくのを見ていると、何とも言えない郷愁が胸にこみ上げるのだった。
(2)グレイシャ王国への入国手続き
翌朝、わたくし達は宿屋の主人に軽い朝食を用意してもらい、その際に“グレイシャ王国へ正式に入国するにはどうすればいいか”を尋ねてみた。
「そうだね、普通は南東にある関所へ行って手続きをするのが一番手っ取り早いよ。身分証や通行許可がなくても、旅人なら小額の関税を払えば通れるはずさ」
「関税……。もともと国を出た時点で公式の書類は持っていないのですが、問題ありませんか?」
「国境警備隊の気分次第だね。特に怪しまれるところがなけりゃ、大丈夫だろう。君たち、どこから来たんだい?」
宿の主人はそう言って軽く笑ったが、わたくしとレオンは眼を合わせて少し言葉に詰まる。まさか「王国を追放された聖女と、それを救った騎士団長です」などと言えるわけがない。
レオンがなるべく自然な態度を装って答える。
「山間の村から来た。王国のほうはあまり暮らしやすくなくてな……。グレイシャを放浪してみようと思っている」
「そうかい。まあ、観光客には見えないけど……あんたら、目つきがやけに鋭いからね」
主人は苦笑いするが、それ以上深く詮索はしてこない。こうして、わたくし達はグレイシャの関所を目指すことにした。
4.街道を行く――偶然の同行者
小さな村を出立し、関所へと通じる街道を進む。ここはさほど険しくない道で、時折、荷馬車を引く商人の一行や、行商らしき人々とすれ違う。王国側よりも警戒は緩やかで、どこかのどかな雰囲気すら漂っている。
「この辺りは物騒な盗賊も少ないらしいし、しばらくは安心できそうだな」
レオンはそう言いながら、しかし常に周囲を警戒している。王国の追っ手がこれ以上出張ってくるかどうかはわからないが、暗殺者の手が回る可能性はゼロではない。
すると、向こうから一台の荷馬車がやって来るのが見えた。御者台にはまだ若い女性が座っており、馬を操っている。荷馬車の荷台には、いくつもの木箱や袋が積まれているのが見える。
その女性はわたくし達を見つけると、少し迷ったような表情を浮かべて、やがて馬車を止めて声をかけてきた。
「あの……すみません、あなた方は旅の途中でしょうか? もしよかったら、この先の関所までご一緒しませんか?」
わたくし達は顔を見合わせ、レオンが問い返す。
「何か事情でもあるのか?」
「はい。実は、私、怪しい人影にしつこくつけられているようで……。一人で街道を進むのは心細いんです。男性と一緒なら、盗賊も手を出しにくいかと思いまして……」
彼女はそう言って、申し訳なさそうにうつむく。明らかに怯えている様子だが、わたくし達も彼女の素性を知らない。下手に受け入れていいものか、レオンは一瞬迷ったようだった。
しかし、彼女の瞳には作為的なものは感じられない。むしろ、恐怖を隠しきれない普通の行商人という雰囲気だ。
「わかりました。俺たちも関所へ行くところだ。道中、一緒に行こう」
レオンが了承すると、彼女の表情がパッと明るくなる。
「ありがとうございます! 私、フィアといいます。見ての通り、雑貨や布などを積んでいて、これを関所を越えて町で売る予定なんです」
「そうか……俺はレオン。こっちは、シャル……いや、シャーロットだ」
危うく偽名を使うタイミングを逃しかけたが、ここで急に不自然に名乗るのも逆に怪しまれそうだ。とはいえ、彼女がわたくしの“正体”を知らないことを祈るしかない。
**5.フィアの不安――街道での奇襲戦】
それからわたくし達はフィアの荷馬車に同乗する形で、関所を目指すことになった。歩くよりも格段に楽だし、彼女一人では心細いだろうから、お互い利益がある。
フィアは雑貨や日用品を扱う商人で、定期的にグレイシャ王国内を巡回しながら商売をしているという。比較的平和な国と言われるグレイシャだが、街道を移動する行商人は盗賊に狙われることも珍しくないらしい。
「私、今回はいつもより荷が多いんです。いい仕入れ先があって、張り切ってしまって……。でも、そのぶん盗賊に目をつけられるリスクもあって……」
フィアはそう言って肩をすくめる。
「確かに、お前一人でこの荷馬車を守るのは大変だろう。俺たちもできる限り協力するよ」
レオンが言うと、フィアはホッとしたように微笑んだ。
道中、わたくしはフィアにグレイシャ王国の様子をそれとなく尋ねてみる。どんな王が治めていて、どんな国柄なのかを知りたかったのだ。
「グレイシャ王国の王は……まあ、そこそこ穏健派と言われていて、国民から大きく嫌われてはいないですね。でも、ここ数年は隣国――あなた達の出身国も含めた外圧がどうとかで、軍備を増強しているらしいです」
「そうなの……」
わたくしは複雑な心境になる。王国を出た今となっては、自国がどのように動いているのかも分からない。しかし、もし本格的に武力を強化しているのだとしたら、いずれグレイシャ王国とも緊張が高まるかもしれない。そうなれば、わたくしやレオンが逃れてきても安泰とは言えないだろう。
そんな話をしている最中――わたくしの胸に嫌な予感がよぎった。まるで“視線”を感じる。
「レオン、何か……おかしくない?」
わたくしが小声で尋ねると、レオンはすでに微妙に眉をひそめ、周囲の気配を探るようにしていた。
「……草むらの向こうに、人影がある」
フィアもそれに気づいたのか、わたくし達の視線を追いかけて顔を強張らせる。
「ま、まさか盗賊……? 昨日あたりからつけられてるような気がしてたけど……!」
すると、荷馬車の前方に2、3人の男が飛び出してきて、行く手を塞いだ。背後からも複数の足音が近づいてくる気配がある。
「くそ……完全に包囲するつもりだな」
レオンが剣の柄に手をかける。男たちの風貌は粗野で、まさに盗賊の類だ。武装している者もいれば、棍棒を手にしている者もいる。
「よぉ嬢ちゃん、荷馬車にいいモン詰んでるじゃねえか。さっさと置いて行きな。そうすりゃ怪我しなくて済むぜ?」
リーダー格らしき男がニヤリと笑う。フィアは怯えた表情で、言葉も出せない。
「……悪いが、ここで引き下がるわけにはいかない。俺たちも商売なんでな」
レオンが静かに剣を引き抜く。すると、男たちは互いに目配せをして、一斉に襲いかかってきた。
(1)レオンの奮戦、シャーロットの加護
荷馬車を守るため、レオンは素早く前衛に立つ。わたくしは【祝福の光】を発動し、彼をサポートするが、やはり戦闘慣れした盗賊集団相手では安心できない。数が多すぎる。
最初の数人はレオンの剣さばきで瞬く間に倒されるが、背後から回り込まれたらわたくしやフィアが危ない。
「シャーロット、荷馬車の下に隠れてろ! フィアさんも!」
レオンがそう叫ぶが、わたくしもじっとしてはいられない。敵が複数方向から来れば、いくらレオンでも全員を止めるのは難しい。
(どうにか、相手の動きを制限できる手段は……)
この前エルナが使ったような蔦の魔術は、わたくしは扱えない。けれど、聖女としての“浄化”の力なら、一時的に相手の意識を混濁させることができる――という話を昔、師匠から聞いたことがある。
ただし、それは悪しきモノや呪いに対しての効果が強いため、人間に対して効くかどうかは未知数。それに、大勢を対象にするなど至難の業だ。
(でも、やるしかないわ……レオンだけに任せっきりにはできない……!)
わたくしは荷馬車の脇に身を伏せつつ、両手を組んで小さく祈りの言葉を唱える。――すると、指先から淡い金色の光が生まれ、わずかに渦を巻くようにして敵のほうへ伸びていく。
「うっ……なんだ、目が……」
「ぐああっ、何だこの光……!」
一部の盗賊が目を眩ませ、一瞬動きを止めた。どうやら意識を混濁させるほどの効果はないが、視界を奪うには十分らしい。レオンにとっては、格好の好機だ。
「喰らえッ!」
レオンは一気に間合いを詰め、剣の背で相手の顎や脇腹を打ち据える。あっという間に数名が地面に転がり、残る者たちも仲間が次々と倒されるのを見て怯えたように後ずさる。
「くそ……こんなやつらとまともにやり合ってられるか、逃げるぞ!」
リーダー格の男がそう叫ぶと、生き残った盗賊たちは散り散りに逃げて行った。
(2)フィアの感謝、そして疑惑の視線
戦いが終わり、わたくしは安堵のあまりその場にへたり込んだ。フィアもまだ震えが止まらず、荷馬車の車輪にすがりつくようにして座り込んでいる。
「はあ、はあ……。レオン、助かったわ……」
「いや、お前の光も役立った。背後の相手を止めてくれたのは大きい」
レオンは汗を拭いながら、微かに笑みを浮かべる。これだけの盗賊集団相手に大きな怪我もなく切り抜けられたのは奇跡的と言っていいだろう。
一方、フィアは荒い呼吸を整えながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、あなた達を巻き込んでしまって……。本当にありがとう、心から感謝します」
「いや、俺たちも同じ道を行くんだ。互いに協力しただけだ」
レオンの言葉に続いて、わたくしも微笑んでみせる。
「無事で何よりです、フィアさん。荷馬車は……大丈夫そう?」
「ええ、少し傷ついたけど問題ないわ。あなた達の身のほうが心配よ……。その、今の光は何かしら? すごく神秘的だったけど……」
フィアは不思議そうな顔をしてわたくしを見つめる。迂闊に“聖女の力”だと言ってしまうのは危険だ。追及が深まれば、わたくしの正体につながりかねない。
「ええと……幼い頃から神殿で学んだ“祈りの術”のようなものです。人の心を落ち着かせる作用があって……」
できるだけ曖昧に答えてお茶を濁す。するとフィアは「ああ、なるほど」と納得したのか、あまり深くは追及してこなかった。
――ただ、レオンのほうが少しだけ警戒している表情をしていた。わたくしの力を目撃して、今後フィアが何か情報を漏らす可能性を考えているのだろう。
6.関所到着――いざ、入国手続きへ
街道での盗賊との一悶着を乗り越え、わたくし達はフィアの荷馬車と共に、ようやく関所へ到着した。そこには大きな門と、それを守る兵士たちが数名配置されている。両脇にはチェックポイントのような建物があり、役人が手続きを行う仕組みらしい。
「すみません、わたくし達、こちらの国に入国したいのですが……」
先頭に立ったレオンが、門番の兵士に声をかける。兵士はフィアの荷馬車を見やり、「行商か?」と尋ねる。フィアは慣れた様子で行商人証を提示した。
「なるほど、グレイシャ商人ギルド発行の身分証か。あんたは問題ない。で、そっちの二人は?」
わたくし達に向けられる視線は鋭い。王国でもそうだが、国境警備隊は入国者に相応の警戒を示す。
「山間の村から出てきた旅人です。しばらくこの国を回るつもりでして……。身分証はありませんが、税はきちんと払います」
レオンは静かにそう述べ、あらかじめ用意していた銀貨を差し出す。すると兵士は眉をひそめながら、わたくし達の容貌を確認するようにしばし睨みつけた。
「ふむ……。怪しい連中には見えんが、念のため腕の検査をさせてもらう。おい、お前たち、こっちへ来い」
兵士に促され、わたくし達は役所のような建物へ連れられる。フィアは「私も一緒に行く」と申し出たが、「行商人は別の窓口だ」として止められた。
(何だろう、“腕の検査”というのは……?)
少し嫌な予感がしつつも、わたくし達は命令に従うしかない。
(1)入国審査――“腕輪”の存在
役所の中に入ると、受付の奥には魔術師のようなローブ姿の人物が立っていた。表情は見えないが、どうやら検査担当らしい。
「ここに来い。お前たちは魔術や呪いを帯びた者ではないか、王命により確認させてもらう」
そう言われるがままに、わたくし達は腕を差し出す。すると、そのローブの人物――男性か女性かも判別しづらい声で呪文を唱え、小さな水晶玉を腕にかざした。
すると、水晶玉が淡く光り、わずかな波紋のようなものが広がる。それが消えていくと、ローブの人物は何やら手元の書類にメモをしている。
「問題なし……特に強力な呪いの痕跡や、国外追放の刻印などは認められない……」
ほっと胸を撫でおろしそうになるが、“国外追放の刻印”という言葉にわたくしはドキリとする。王国で罪人などに刻印を施す処置があるという話は聞いたことがあるが、まさかここまでチェックされるとは。
「次に、こっちの腕にはめる腕輪を……そうだな、この銀色のものにしておこう。はい、しばらく外さずに着けてもらう」
ローブの魔術師が取り出したのは、銀色のリング状の金属だった。魔石のかけらのようなものが埋め込まれており、見た目は飾り気が少ない。
「何ですか、これは……?」
わたくしが恐る恐る問うと、ローブの人物は淡々と答える。
「グレイシャ王国における、国外出身者用の識別腕輪だ。偽名や不法滞在の多発を防ぐため、一定期間これを着用してもらうことになっている。外そうとすれば簡単には外れないし、外せば魔力で痕跡が残る」
「……そんな制度が」
わたくしは予想外の対応に驚きを隠せない。レオンも渋い顔をしている。これでは、わたくし達の動きがある程度把握されてしまうことになるではないか。
「おい、これってどのくらいの期間つけるんだ?」
レオンが険しい声で尋ねると、ローブの魔術師は書類を捲りながら呟く。
「最長で三ヶ月。その間に国外へ出るか、正式にグレイシャ国籍を取得する手続きを済ませれば腕輪を外せる。あと、犯罪行為に及んだ場合は即時追放の対象だ」
(思ったよりも厳しい制度……だけど、仕方ないわ。わたくし達は“正規の身分証”を持たない外国人なのだから)
わたくしとレオンは互いに目を合わせ、やむなく腕輪の装着を受け入れた。こうして、わたくしの左手首には銀色の腕輪がはめられ、レオンも同じく右手首に装着される。妙にひんやりして、微弱な魔力を感じる。
(2)関所を通過――先行き不透明なスタート
一連の検査を終えると、兵士は淡々と入国許可証を発行してくれた。名前も一応尋ねられたが、わたくしとレオンは本当の名を名乗ることにした。どうせ腕輪に登録されている以上、偽名がバレたときのほうが厄介だろう。
「行商人のフィアと合流して、先の町に向かう予定ですが、何か気をつけることはありますか?」
わたくしが尋ねると、兵士はそっけなく言う。
「他国の者が町に滞在するのは珍しくない。変な真似をしなければ気にすることはないが、もし問題行動を起こせば腕輪が反応して罰則が科されるから注意しろ。以上だ」
(なんて不自由な……でも、今は仕方がない)
わたくしは小さく溜息をつきながら、レオンと共に関所の門を通り抜ける。
外へ出ると、フィアが荷馬車を待機させていた。彼女のほうも荷物検査や税金の支払いを済ませていたらしく、ホッとした表情で手を振っている。
「あなた達、大丈夫だった? ちょっと時間がかかったみたいだけど……」
「ええ。しばらく腕輪をつけろと言われたわ。でも一応、通れたから大丈夫よ」
そう言って腕輪を見せると、フィアは気の毒そうに首を振る。
「最近、国境を越える外国人には皆あれをつけさせるのよ。以前はそこまで厳しくなかったんだけど……。まあ、とりあえず通れて何よりだわ」
こうして、わたくし達は正式にグレイシャ王国の領内へ足を踏み入れた。とはいえ、腕輪という“枷”をはめられている状況で、自由に動けるのかどうかは不安が残る。
(でも、これで少なくとも王国の追っ手はここまでは簡単に来られない……はず)
自分にそう言い聞かせ、わたくしはレオンの顔を見やる。彼はどこか複雑そうな表情で、まだ腕輪の感触に慣れないらしく手首を気にしていた。
7.新たな旅の始まり――グレイシャの町へ
グレイシャ王国の街道を進むわたくし達は、フィアの荷馬車に同乗させてもらい、最寄りの町を目指すことになった。そこには彼女の取引先もあり、市場が開かれているという。
「きっとあの町なら、人も多いし賑わっていると思うわ。泊まれる宿や食堂もあるし、当座の生活基盤を探すにはもってこいじゃないかしら」
フィアがそう提案してくれるのはありがたい。とはいえ、わたくし達は国外追放の“逃亡者”であることに変わりはない。腕輪をつけているせいで、万が一素性を疑われればトラブルに発展し得る。
「まずは落ち着ける場所を見つけて、今後の方針を考えよう。シャーロットの力を活かせる仕事があれば、それが一番なんだが」
レオンが小声で言い、わたくしは頷く。癒しの奇跡や、多少学んだ薬草の知識を使えば、医療関係の仕事に就けるかもしれない。それが叶えば、自分自身が生活する糧を得ることができるし、わずかでも人々の役に立てるだろう。
一方で、レオンは優秀な騎士ではあるが、この国でいきなり兵士になれるわけでもないし、傭兵稼業をするのもリスクがある。とはいえ、王国騎士団長だった彼の剣技は紛れもなく超一流。護衛仕事やトラブルシューターのような立場に収まれば、そこそこやっていけるかもしれない。
「一歩ずつ……だね」
わたくしはつぶやく。王太子に捨てられ、“偽りの聖女”と貶められた過去を思えば、もう後ろを振り返っても仕方がない。新しい未来を切り開くしかないのだ。
8.第二章・幕引き――新天地への期待と不安
こうして、わたくし達のグレイシャ王国での生活が始まろうとしていた。とはいえ、まだ何も定まってはいない。実際に町へ行ってみなければ、人々の様子や、この国の制度がどれほど厳しいものかも把握できない。
――だが、わずかでも光は見えている。少なくとも、王国にいた頃のように偽りの聖女と罵られ、暗殺に怯えるだけの日々からは抜け出したのだ。
ここから先、グレイシャ王国でどんな出会いがあり、わたくしとレオンがどんな波乱に巻き込まれるのか、それはまだ誰にもわからない。フィアとの縁が新たな道を拓いてくれるのかもしれないし、あるいは、思わぬ形で王国の陰謀が迫ってくる可能性だってある。
それでも、わたくしは歩き続ける。
追放された“聖女”としての誇りを胸に、今度こそ自分自身が納得できる生き方を見つけるために。レオンと共に歩む道の先に、きっと“本当の幸福”があると信じて――。