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第3話 町での試練と、新たな仲間


1.グレイシャ王国の町へ――到着と戸惑い


 広い街道をフィアの荷馬車に揺られながら進むこと半日、わたくし達はようやく目指していた町に辿り着いた。

 石造りの城壁と堅固な門が見える。町を囲むように低い丘が連なっており、町の周囲には麦畑や牧草地らしき区画が広がっていた。王国の王都ほどの規模ではないものの、門付近には商人や旅人が数多く行き来しており、雑然とした活気を感じる。


 「ここがガルディアの町。この辺り一帯の中心都市と言える場所よ」


 荷馬車を操りながら、フィアがそう教えてくれた。

 聞けばこのガルディアの町は、グレイシャ王国の中でも比較的豊かな地域だと言う。交易が盛んで、多様な人々が行き交う。確かに、人々の装いも様々で、わたくし達のように腕輪をはめた外国人らしい姿も混じっているのがわかる。


 「よし、まずは宿を取りましょう。フィアさんは取引先に荷を下ろすんですよね?」


 わたくしが尋ねると、フィアは荷馬車の停止位置を見計らいながら頷いた。


 「ええ。私は市場で商品を卸した後、取引先の倉庫へ行くつもり。その後はいつもの宿屋に泊まるわ。あなた達も同じ宿に泊まる?」


 正直、初めての町では何もかもがわからない。少しでも心強いフィアと行動を共にできるなら、その方が安心だ。レオンもわたくしに目配せをしてきたので、わたくしはうなずいた。


 「そうしていただけるとありがたいです。勝手を言ってすみませんが……」


 「ううん、私もあなた達が一緒なら安心だもの。手伝っていただいた恩もあるしね」


 こうして、わたくし達は一度市場のほうへ足を運ぶことにした。フィアの荷馬車は市場の入口で係員に確認されるが、彼女は商人ギルドの証を持っているためスムーズに通される。町の外観は整然としているが、中へ入ると通りは縦横無尽に伸び、その両側に色とりどりの店が軒を連ねていた。



---


2.市場の賑わいと“腕輪をはめた外国人”


 ガルディアの市場通りは活気があり、香辛料や果物、布地、金物など、ありとあらゆる品が並んでいる。行き交う人々の間からは異国語が飛び交い、王国にはなかった独特の熱気が漂っていた。

 「すごい……本当に、こんなに賑やかなんですね」


 わたくしは目を輝かせながら、人混みを進むフィアの荷馬車について行く。レオンは相変わらず警戒を緩めず、周囲の視線をしきりにチェックしている。


 「シャーロット、あまりはぐれないようにしろよ。人も多いし、治安が悪い場所がないとも限らない」


 「わかってるわ。でも、こんな場所に来たのは初めてだから……ちょっと緊張する」


 王国の王都ともまた雰囲気が違う。どこか自由で、多国籍な香りがする――しかし、それだけに“人々の目”も様々だ。

 腕輪をはめたわたくし達に気づくと、不審そうに眉をひそめる者もいれば、まったく気にしない者もいる。中には、同じく腕輪をはめていると思しき他国出身らしき旅人が、ちらりとこちらに視線を寄越す場面もあった。


 ――外国人として暮らすということは、こういう視線に常に晒されることなのだろうか。


 少し心がざわつく。しかし、ここで立ち止まっているわけにはいかない。わたくしとレオンはフィアの案内に従い、やがて市場通りの一角に立つ木造の倉庫へと辿り着いた。


(1)フィアの取引先にて――知られる“シャル”の力


 倉庫の前では、フィアの取引先だという小太りの商人が待っていた。彼女が乗ってきた荷馬車を確認すると、さっそく荷下ろしが始まる。

 「よしよし、布地に革製品、良い仕入れだ。フィア、今回もよく頑張ったな」


 小太りの商人――バーグと名乗った男は、フィアに満足げな笑みを向ける。ところが、荷下ろしを手伝っていた若い衆の一人が、重い木箱を誤って足に落としてしまった。


 「うわっ……痛っ……!」


 彼は苦悶の声を上げ、地面にへたり込む。足首を押さえ、顔を青ざめている。どうやら捻挫か、もしかすると骨にひびが入ったかもしれない。


 「おい、大丈夫か!? しっかりしろ……」


 周囲が慌てる中、わたくしは思わず足早に駆け寄った。


 「すみません、少し見せてください」


 わたくしの申し出に、若い衆は戸惑いながらも足首を差し出す。そこはすでに腫れてきており、指で軽く触れただけでも激痛が走るようだ。


 (ここで迂闊に“聖女の力”を使っていいものか――)


 けれど、目の前で苦しんでいる人を見捨てることなどできない。王国で捨てられた身とはいえ、わたくしの誇りは変わらないのだ。

 荷馬車から取り出した布切れで患部を軽く固定しつつ、わたくしは静かに祈りを捧げる。


 「神よ、この者の痛みを和らげ、傷を癒やし給え……」


 掌から淡い光がこぼれ、若い衆の足首を包み込む。その様子を見ていたバーグやフィア、周囲の人々は驚きに眼を見開く。


 「な、何だ……? 光……? これが魔法か?」


 「いえ、“癒しの術”です」


 わたくしは控えめにそう答えつつ、しっかりと治癒の力を込める。――捻挫程度なら、すぐに痛みが引くはず。

 やがて光が消えると、若い衆は恐る恐る立ち上がり、足首を動かしてみせた。


 「……あ、あれ。痛みがかなり楽に……。おい、もしかして、治っちまったのか?」


 彼は驚きと感激が入り混じった表情で、何度か足踏みをしてみせる。そしてそのまま深々と頭を下げた。


 「ありがとうございます。あんた、ただ者じゃねえだろ?」


 その問いに、わたくしは言葉に詰まる。考えてみれば、まだグレイシャ王国に来たばかりで、身分をどう名乗るのかもはっきり決めていなかった。

 横で見ていたバーグが興味津々に口を挟む。


 「こりゃあ驚いた。フィアの仲間だって言うから普通の旅人かと思ったら……。もしや、あんたは“神殿関係者”か何かかい?」


 フィアも同じような視線を向けてくる。わたくしはなるべく自然な笑みを作り、やんわりと誤魔化すことにした。


 「小さい頃に、神殿で“祈りの術”を習っただけなんです。医術を独学で学んでいる途中ですので、あまり大した力ではありませんよ」


 もちろん、あの奇跡が大した力ではないわけがない。だが、今ここで正体を明かすのは得策ではない。


 ――不審に思われたらどうしよう。そんな不安もあったが、バーグはあまり深く詮索はしなかった。ただ、にやりと笑うと、わたくし達を値踏みするような眼差しを向ける。


 「へえ……これは面白い。フィア、今回は良い仲間を連れてきたじゃないか。いざという時に“治癒の力”があると、商隊としては心強い。あんた達、興味があったらウチの護衛仕事なんかどうだ?」


 突然の提案に、レオンは少しだけ身構える。


 「護衛仕事、ですか……?」


 「ああ。俺たちは普段、あちこちの町や村を回って荷を卸してるんだが、最近は盗賊の類も増えてな。実際、フィアも山道で襲われかけたって言うし、こっちも用心したいんだ。腕の立つ奴と、怪我を治せる術者がいれば心強い」


 バーグは商魂たくましい笑みを浮かべつつ、わたくし達を歓迎しようとする。フィアも「うん、もしシャルとレオンが参加してくれたら、私も安心できるわ」と同調する。


 実のところ、わたくし達としては当面の滞在費や生活費を稼ぐ必要がある。護衛仕事を請け負うのはリスクもあるが、合法的に収入を得る手段としては悪くない。グレイシャ国の内情を知るうえでも、商人と行動を共にすれば情報が集めやすいかもしれない。


 しかし一方で、王国から狙われている状況で目立ちすぎるのも危険だ。


 「レオン、どうする?」


 わたくしは小声で彼に問う。すると、レオンは眉間に皺を寄せつつ、低い声で答えた。


 「少し考えさせてほしい。ここに来たばかりで、町の様子もよく知らない。バーグさんには悪いが、すぐには決められないな」


 わたくしは同意するように頷く。バーグに即答を求められるほど押しの強い様子はないので、とりあえずは保留という形を取ることにした。



---


3.宿探しと“外国人”の壁


 バーグとの会話を済ませた後、フィアの案内でわたくし達は町の大通りへと戻った。夕暮れが近づくにつれ、帰宅する人々や観光客のような姿でごった返している。


 「ここから少し進んだ先に、私がいつも泊まっている宿屋があるの。リーズナブルな価格だし、女将さんもいい人よ」


 フィアが自信ありげに言うので、わたくし達はそれを信じてついて行く。途中で露店が並ぶ一帯を横目に見ながら、少し古びた看板を掲げる二階建ての宿へ入った。


 「すみませーん。宿を取りたいんですが……」


 カウンターには恰幅の良い女性が立っていて、フィアを見るや「おや、フィアじゃないか。おかえり!」と明るく声をかける。

 ところが、レオンとわたくしの姿を一瞥するなり、少し曇った表情を浮かべた。


 「そちらの二人は……外国人さんかい? 腕輪をはめてるね」


 「うん、私の友達。ちゃんと関所で手続きを済ませて入国してるから問題ないよ。二人も部屋を借りたいんだけど、大丈夫?」


 女将はレオンとわたくしを交互に見やる。まるで値踏みするようなその視線に、少しだけ胸が締め付けられる。やはり外国人には根強い警戒感があるのかもしれない。


 「……部屋は一つしか空いてないよ。それでもいいかい? それもあんた達、男と女だろう? 別々がいいなら無理だけど」


 それを聞いて、わたくしは赤面してしまった。レオンも少し目を伏せ、困ったような表情を見せる。だが、宿を選んでいる余裕はあまりない。


 「そ、その……わたくし達は一緒に旅をしているだけなので、仕切りがあれば大丈夫です。もちろん、女将さんのご都合が最優先で……」


 慌ててそう答えると、女将は「ふん」と鼻を鳴らした後、どこか含みのある笑みを浮かべて言った。


 「じゃあ、一晩銀貨三枚でどうだい? 普段よりちょい高いが、外国人相手ならこのくらいはもらわなきゃね」


 (高い……けど、断るわけにもいかない)


 普段がいくらかは知らないが、この町の相場としてはやや割高なのは間違いない。その理由が「外国人だから」となると、内心では複雑な思いも湧く。しかし、宿なしで夜を越すのはあまりに危険だ。


 「わかりました、お願いします」


 わたくしが財布から銀貨三枚を取り出そうとすると、フィアが「あ、私が出すわ!」と声を上げた。


 「フィアさん、だめよ。あなたに甘えっぱなしになっちゃう」


 「いいのいいの。私が二人に守ってもらった借りがあるし、気にしないで。今後また手伝ってもらうかもしれないしさ」


 そう言って、フィアはわたくしを制し、先に会計を済ませてしまった。やはりここでも“外国人”への風当たりを感じているのだろう。彼女としては、いくら少し高いと言っても地元民価格よりはマシだという計算かもしれない。

 女将は銀貨を受け取り、「じゃあ二階の奥の部屋を使いな。夕飯は大広間で出すからね」と言い渡す。


 「……ありがとう、フィアさん。助かるわ」


 「ううん、お金のことはいいの。でも……」


 フィアは申し訳なさそうに視線を落とす。


 「……ごめんね、やっぱり、外国人ってだけで色々と大変なの。今の女将さんも根は悪い人じゃないんだけど、どうしても警戒心があるみたいで……。私も力になれることがあったら言ってね」


 わたくしは思わず胸が熱くなる。王国で裏切られた経験があるだけに、こうして異国の地で親切にしてもらえるのは本当にありがたい。



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4.宿での談笑、そして“思い出される痛み”


 こうしてわたくし達は、ガルディアの町での最初の夜を迎えることになった。二階の奥の部屋はあまり広くはないが、最低限のベッドとテーブルがある。壁の向こうは別の客室か倉庫らしく、時折物音がする。


 わたくしは荷物をテーブルの上に広げ、持ってきた薬草を整理し始めた。山道を抜けるときにエルナから教わった薬草もあるし、途中の村で買い足したものもある。少しでも医療知識を磨きたいという思いがあるのだ。


 レオンは窓際に立ち、外の景色を眺めていた。月明かりが差し込み、彼の黒髪を淡く照らす。わたくしはその背中に話しかける。


 「……ねえ、レオン。私たち、この先どうするべきかな?」


 護衛仕事の話もあるし、治癒師としての活動もあり得る。ただ、いずれにしても“王国からの追っ手”という脅威はついて回る。隣国に来たからといって、絶対に安全とは言えないのだ。


 レオンは少しのあいだ黙っていたが、やがて振り向き、静かな声で答えた。


 「まずは、ここで生活の基盤を作るしかない。金が尽きたら追い返されるのは目に見えてるしな。……バーグさんの護衛仕事を受けるのも一つの手だと思う。そもそも俺には戦うしか能がないからな」


 自嘲めいた笑みがこぼれるのを見て、わたくしは胸が苦しくなる。元は王国の騎士団長という誇りある地位にいたレオン。彼が“反逆者”同然の扱いを受け、新天地で一からのスタートを切らなければならないのは、どれほどの重荷だろう。


 「そんなことないわ。レオンは騎士としての誇りを持っているし、強さだけじゃなく、人を守る心もある。それができるのは、誰にでも真似できることじゃない」


 わたくしの言葉に、レオンははにかむように笑って、わずかに視線を落とした。


 「ありがとう。でも……俺は、王国を捨てた。裏切った。自分が正しいと信じた道を選んだとはいえ、これでよかったのかと思うこともあるんだ」


 その声には、苦悩が滲んでいる。王国に残れば彼は騎士団長としての地位を保てたかもしれないが、シャーロット――わたくしが命を失うのを黙って見ていることなどできなかったのだろう。


 「……ごめんなさい、レオン。私のせいで、あなたまで追放者のようになってしまって」


 わたくしは視線を落として唇を噛みしめる。ほんの数日前までは、わたくしが“聖女”として王宮に仕え、レオンが騎士団長として王太子を支えるのが当たり前の未来だった。それが一瞬にして崩れ去ったのは、リリアンの登場とエドワードの裏切りによるもの。

 ただ、もしレオンがわたくしを選ばずに王宮に残っていたら、もっと安全な道を歩めただろう。そう思うと、自責の念が湧いてしまう。


 レオンはわたくしの近くへ歩み寄り、そっとその肩に手を置いた。


 「お前が謝ることじゃない。俺は自分の意志で選んだんだ。……それに、こうして一緒に来たからこそ、お前を守れる。俺にとってそれ以上の意味はないよ」


 彼の言葉に、わたくしは胸がきゅっと締まるような感覚を覚える。王宮での日々とは違う、どこか切実で、しかし温かい安心感。

 ――けれど、それは同時に、わたくしの中にまだくすぶる不安と申し訳なさを増幅させる。


 「ありがとう、レオン。わたくし……あなたがいてくれなかったら、きっともう死んでいた」


 ポツリと呟くと、レオンはどこか照れたように僅かにうつむき、そして小さく笑った。


 「俺だって、お前がいなきゃただの剣馬鹿だ。生きる意味がわからなくなる」


 それは、今まで何度も顔を合わせてきた“幼馴染”としてのやりとりを越えた、微妙な感情が入り混じった言葉だった。わたくしはそれ以上口に出せず、ただ俯くしかない。


 ――ほのかに伝わる互いの体温。この国で、わたくし達はどう生きていくのだろう。今はまだ混乱と不安が大きいけれど、少しでも光を見出すため、一歩ずつ進んでいくしかない。



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5.町の現実――貧困、そして病


 翌朝、わたくし達はフィアの案内で町の中を巡ることにした。レオンは武具の手入れなどをしたいと言って宿に残り、わたくし一人がフィアと行動を共にする。市場や商店街の様子を知るのはもちろん、大まかな地理を把握するのに役立つだろう。


 「シャルが興味ありそうな場所と言えば……薬師の店や医療施設かしら。ガルディアにはそういう施設がいくつかあるの」


 フィアの言葉に、わたくしは胸を躍らせる。もし医療関係者と繋がりができれば、癒しの力や薬草知識を活かせるかもしれない――そんな期待が湧くのだ。


 ところが、フィアが連れて行ってくれたのは、町の中心部から少し離れた貧困地区だった。レンガ造りの建物が密集し、あちこちで不衛生なゴミが散乱している。空気は淀み、路地裏にはやせ細った人々の姿が。


 「ここは……」


 「貧困層の人たちが多い地域よ。王国でも似たような場所はあると思うけど、ここも大差ないわ。国の支援が行き届かず、食べ物や仕事に困っている人がたくさんいるの」


 そして、フィアは低い声で続ける。


 「最近、よくない病気が流行り始めていてね……。衛生状態が悪いと、どうしても感染症が広がりやすいでしょ? お医者さんも足りないから、困っているみたい」


 路地を進むと、小さな薬師の店があった。木製の扉には薬草のシンボルが描かれ、入り口には数人の患者が並んでいる。しかし、見るからに疲弊しきった様子で、咳き込んだり、衰弱している者も少なくない。


 「これが……グレイシャの町の現実なんですね」


 わたくしは息を呑む。日本――ではなく、王国の頃も貧困地区を見てきたが、今目の当たりにする惨状は想像を超えているかもしれない。


(1)臨時の診療所へ――思いがけない手伝い


 フィアは薬師の店を素通りし、さらに路地を奥へと進んでいく。やがて、古い教会を改装したらしい建物へと辿り着いた。外壁はひび割れ、一部崩れかけているが、扉を開けるとそこは簡易的なベッドがいくつも並び、患者らしき人々が休んでいた。

 「こっちが臨時の診療所。信仰心の厚い有志が、資金を出し合って運営してるらしいの。でも、お医者さんが一人しかいなくて、手が足りないのよ」


 わたくしが中を覗くと、細身の青年が懸命に患者を診察しているのが見えた。部屋の隅にはホコリをかぶった聖像があり、ベッドの周囲には薬草や包帯が雑然と置かれている。

 フィアに促され、わたくしは一歩踏み出した。


 「こんにちは、少し様子を見てもいいですか?」


 青年医師は一瞬だけ動きを止め、焦げ茶色の瞳でわたくしをちらりと見る。腕輪に気づいたのか、わずかに怪訝そうな表情を浮かべるが、すぐに丁寧に頭を下げた。


 「あなたは……外国の方ですね。ここは見ての通り、無償の診療所です。治療を受けたいのなら、遠慮なく言ってください」


 「いえ、わたくしは……実は、少し薬草の知識と治癒の術を心得ています。何かお手伝いできることがあればと思いまして」


 その言葉を聞くと、青年医師は目を丸くしてから、安堵の笑みを浮かべた。


 「そ、それはありがたい。正直、患者は増える一方で、手が足りなくて困っていたんです。お名前は?」


 「シャ……シャーロット・ウィンスレットと申します。こちらの方は……フィアさんで、行商をされています」


 「僕はジュードといいます。見ての通り医者ですが、まだまだ未熟で……」


 ジュードと名乗る青年はそう言いながら、近くの患者を指さす。そこには、血色の悪い中年男性が横たわっており、高熱でうなされていた。


 「彼は急性の感染症らしく、高熱と咳がひどい。普通の解熱薬ではあまり効果がなくて……免疫が弱っているのかもしれません」


 わたくしはさっそく患者の傍へ近づき、額に触れてみる。ひどく熱い。呼吸も浅く、胸の奥から痰が絡むような咳が出ている。


 (これは……肺を冒す病気かしら。王国でも一度流行ったことがあったけど、もしかすると同じ病原かもしれない)


 わたくしはそう判断すると、持ち歩いている薬草の袋を取り出し、エルナから教わった薬草や、王宮で学んだ調合法を思い出す。

 「ジュードさん、煎じ薬の道具はありますか?」


 「え、ええ、あそこに薬草を煎じるための小さな鍋とか、道具はいろいろ……」


 臨時の診療所には、最低限の調理用具や火が使えるスペースがある。わたくしはフィアに火起こしを手伝ってもらいながら、水を沸かし、何種類かの薬草を一緒に煮込んでいく。


 (『ホークリーフ』を少し多めに入れたら……呼吸を緩和する効果が見込める。そこに咳止め効果のある『ユルネア』を加え……ただし、どちらも刺激が強いから、量を少し調整しなきゃ)


 王宮で学んだ薬草学の知識と、エルナから学んだ実践的な知恵がここで役に立つ。煮立たせすぎないように気をつけながら、わたくしは慎重に成分を抽出する。


 「……できた。ジュードさん、これを飲ませてみませんか?」


 「は、はい……」


 ジュードは訝しげにしながらも、患者の口元へスプーンで少量の煎じ薬を運んだ。苦いのか、患者は一瞬顔をしかめるが、次第に呼吸が落ち着いてくるのがわかる。


 「……少しだけ楽になったようです。すごい……どうやって配合を……?」


 「わたくしが昔習った方法を、少しアレンジしただけなんです。これからもしばらく、数回に分けて飲ませてみてください。あと、タオルで体を拭いて差し上げるといいかもしれません」


 ジュードは感心した様子で、わたくしの用意した鍋を覗き込む。


 「まさか……腕輪をはめた外国人に、こんなに頼れる人がいるなんて。助かりますよ、本当に」


 その目は心底ほっとした色を帯びていた。わたくしは微笑んで「いえ、慣れない土地ですが、困っている方を見過ごせませんから」と答える。

 フィアはそんなやり取りを誇らしそうに見守っている。


(2)小さく広がる評価と、忍び寄る不安


 こうしてわたくしは、臨時の診療所で数名の患者を手伝うことになった。軽い外傷を治癒の力で和らげるだけでも、ジュードや患者たちから感謝され、評判が広がり始める。

 「やっぱりシャルはすごいわ。こんな短時間で、あんなに患者さんをラクにしてあげられるなんて……」


 フィアが嬉しそうに囁く。その言葉に、わたくしは控えめに首を振った。


 「本当にすごいのは、こうして無料で診療所を続けているジュードさんや有志の皆さんよ。わたくしはたまたま力が使えるだけで、もしこの場所がなければ治療もできなかったと思う」


 そう言いつつも、実際にはもう少し設備が整えば、もっと多くの患者を救えるのに……と思う場面が多々あった。薬も足りないし、ベッドも不足している。

 そして、気になるのはジュードが言っていた感染症だ。もし病が本格的に広がれば、町の人々だけでなく、わたくし達外国人にも影響が及ぶだろう。防疫体制などがあるのかどうか。


 (王国時代にも疫病が流行ったことがあったけれど、その時は王宮の魔導士や神殿が率先して広範囲の浄化を行った。でも、ここではどうなるの?)


 この国の“聖女”制度は王国とは異なるらしい。そもそも、わたくしが「偽りの聖女」として追放されてきたことを考えれば、この地には独自の宗教観や神事があるかもしれない。それが貧困層にまでどれほど行き渡っているのか。


 少なくとも、ジュード一人では手が足りない。わたくしが力になれるなら積極的に協力したいが、果たしてそれが周囲にどんな波紋を呼ぶだろうか。



---


6.王国の影――忍び寄る危機


 臨時の診療所から宿へ戻る頃には、すっかり夜が更けていた。フィアは自分の宿に帰り、わたくしはレオンが待つ宿屋の部屋へ向かう。

 階段を上がって部屋のドアを開けると、レオンは木の椅子に腰掛けたまま、窓の外を見ていた。


 「ただいま。だいぶ遅くなっちゃった」


 「おかえり。随分と大変だったようだな。フィアから大まかな話は聞いたよ。診療所を手伝っていたんだって?」


 レオンは優しい眼差しを向ける。その瞳には少し心配も混じっているように見えた。


 「うん。でも、すごく疲れた……。思った以上に患者さんが多くて。医療環境があまり整っていなくて、病気も感染しやすいみたい」


 わたくしはベッドに腰を下ろし、肩を回す。朝からほとんど休みなく動いていたため、身体もクタクタだ。

 しかし、レオンはそんなわたくしの表情を見て気遣ってくれつつも、何か言いづらそうに口を開いた。


 「シャーロット、さっきちょっと嫌な噂を耳にした。俺が昼間、武具屋や酒場を回っていた時に聞いた話なんだが……どうやら、ここ数日、この町に“王国の使節”が来ているらしい」


 「王国の……使節?」


 思わず声が上ずる。使節というと、表向きは外交や貿易交渉のためにやってくる要人のはず。だが、その裏で“探し人”の情報を集めていてもおかしくない。

 「うん。まだ確証はないが、どうも“高位貴族”の使いと名乗る人間が町の有力者たちに挨拶回りをしているらしい。貴族の名前は伏せられているが、もしかすると……」


 ――もしかすると、エドワードやリリアンの差し金でわたくしを捕まえようとしているのかもしれない。背筋がひやりとする。

 王国にとって、わたくしは“いなくなってくれた方が都合がいい存在”だった。しかし、万が一わたくしが無事に生き延び、真実を広められるようなことがあれば、彼らの立場を危うくする可能性もある。


 「でも、まだここに来てそれほど日も経っていないのに……そんなに早く情報が回るものなの?」


 「おそらく、王太子の命令で王国中に『シャーロットとレオンを見かけた者は報告せよ』という通達が出ているのかもしれない。俺が騎士団長を辞めてまで逃げたわけだし、警戒しているんだろう。外部に真実を漏らされるのが怖いんだ」


 わたくしは思わず拳を握りしめる。あの王太子――エドワードがわたくし達を完全に抹消しようと躍起になっていても不思議ではない。追放時、暗殺まで企てたことを思えば、なおさら。


 「……どうしよう。せっかく診療所を手伝ったり、薬草の知識を活かせそうな場所を見つけられそうだったのに」


 わたくしは頭を抱える。もし再び居場所が割れてしまえば、また逃亡生活を余儀なくされる。今度はグレイシャ王国の当局に“国外引き渡し”の要請がかかることだってあり得る。


 レオンはわたくしの隣に腰を下ろし、そっと背中に手を当てた。


 「焦るな。まだ、使節が俺達の存在を掴んでいるかはわからないし、それに……」


 そこまで言って、彼は少し苦笑いを浮かべる。


 「……お前は今日、一日でいくつもの命を救ったんだろう? たとえ明日には逃げなきゃならなくなったとしても、その事実は誰にも否定できない。それがお前の本当の強さだよ」


 その言葉に、わたくしの心はほんの少し救われる。たとえわたくしが捕まったとしても、“人を助けるために力を尽くす”という信念は消えない。

 ――それでも、できればここで逃げずに、正々堂々と治癒師として活動したい。もう二度と居場所を失いたくはない。



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7.光と影――新たな仲間、そして訪れる決断


 翌日。わたくし達はバーグの商隊の護衛依頼を正式に受けるかどうか、回答するために再び市場へ向かった。もしかすると町に長く留まるのは危険かもしれないが、逆に移動し続けることで追っ手に発見されるリスクもある。どちらを選んでも茨の道だ。


 「やあ、待ってたぜ。考えてくれたか?」


 バーグは大柄な体を揺すりながら笑う。フィアや他の商人も集まり、色とりどりの荷物を積んだ馬車が並ぶ様子は、一種のキャラバンのようだ。護衛をするなら、こうしたキャラバンと共に各地を回ることになるらしい。


 レオンはわたくしと視線を交わし、一歩前に出る。


 「……引き受けようと思います。ただ、当面の契約にしてください。こちらにも事情があるので、いつまでも同行はできないかもしれない」


 バーグは「構わないさ。あんたたちがいる間だけでも助かる」と快諾する。フィアも「嬉しい! これで安心して荷を運べるわ」と頬をほころばせる。

 バーグいわく、このキャラバンは明日の朝出発し、町からそう遠くない別の交易拠点へ向かう予定だという。そこでも商売を終えて、数日後にはまたガルディアへ戻ってくるらしい。滞在期間はトータルで一週間程度か。

 町に留まる選択肢もあったが、もし王国の使節がわたくし達を探しているとすれば、動き回っていたほうが捕捉されにくい――そんな読みもある。


(1)ジュードの迷い――もっと多くの人を救うために


 ただ、出発前にわたくしには気がかりなことがあった。昨日手伝った診療所――あそこでは依然として患者が増え続けており、医師のジュード一人では手が足りないのだ。

 それでも、わたくしがキャラバンについて出発すれば、しばらくはこの町を離れることになる。患者たちを見捨てるようで、胸が痛む。


 夕方、診療所を覗きに行くと、ジュードが薬の調合をしながら青い顔をしていた。


 「ジュードさん、具合が悪そうですね。大丈夫ですか?」


 「いや……患者が増えて休む暇もなくて、僕自身も少し疲労が溜まってるみたいだ。昨日、あなたがいなかったら、もっと大変だったよ」


 彼は苦笑いして、「どれだけ感謝しても足りない」と言う。けれど、わたくしは申し訳ない思いでいっぱいだった。


 「明日、わたくしは町を出ることになりました。護衛の仕事を頼まれまして……。本当はここを手伝いたい気持ちもあるんですが」


 「そう……か。残念だけど、仕方ないね。あなたにも都合があるんだろう」


 ジュードはそう言いながら、ほんの少し肩を落とす。わたくしは微かに唇を噛み、「ごめんなさい」と頭を下げた。


 「いいんです。あなたが謝ることじゃない。この町にずっといてくれる義務もないわけだし……」


 そう言いつつも、ジュードの表情には複雑な苦悩が滲んでいる。患者を前にしてもなお、治療が追いつかず苦しむ医師の姿――わたくしには、かつての自分を重ねるような部分があった。


 (私だって、本当はもっと多くの人を救える道を探したい。でも、王国の追っ手がいる限り、安住なんてできない……)


 互いに苦しい立場を抱えている。わたくしは手近にある紙切れに、簡単な薬草の配合や調合のメモを書き留め、それをジュードに手渡した。


 「これ、あまり大したものではないけれど、今後の治療に役立つかもしれません。薬草の組み合わせと、煮込む時間の目安をまとめました」


 ジュードは目を見開き、それを大切そうに受け取る。


 「ありがとう。これは、きっと役に立つはずだ……。あなたは優しいんですね。会って間もないのに、ここまでしてくれて」


 「いえ、困っている人を見捨てたくないだけなんです。わたくしも、いつかまたここに戻れたら……」


 そう言いかけたところで、不意に外のほうから大きな物音がした。誰かが足早に診療所へ駆け込んでくる。


 「ジュード先生! 大変だ! 路地裏で暴行事件があって、重傷の人がいるって……!」


 慌てた様子の男性が訴える。その瞬間、ジュードは急いで道具を掴み、走り出そうとする。わたくしも思わず後を追おうとするが、彼は振り返って首を横に振る。


 「これ以上あなたを巻き込むわけにはいかない。気持ちは嬉しいけど、明日の出発に備えて休んでくれ。ここは僕に任せて」


 わたくしは胸が苦しくなりながらも、それ以上は何も言えなかった。彼が決死の覚悟で患者を救おうとしているのが伝わってくる。

 (この町を離れることが、こんなにも心苦しいなんて……)



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8.旅立ちと決意――そして“新たな道”へ


 翌朝、町外れの広場にはバーグのキャラバンが集結し、大量の荷馬車が並んでいた。レオンは護衛のリーダー格として、商隊の武装メンバーに指示を出している。わたくしは端のほうで準備をしながら、最後までモヤモヤした気持ちを抱えたままだ。

 フィアは嬉しそうに「よろしくね、シャル!」と手を振っているが、内心ではわたくしがこの町に未練を残していることに気づいているようだ。


 「シャル、大丈夫?」


 「……うん、平気。ここで足踏みしていても仕方ないし、バーグさん達の力になれるよう頑張るわ」


 そう自分に言い聞かせる。いずれまた戻ってくる機会があれば、診療所を手伝うこともできるかもしれない。何より今は王国の追っ手をかわすためにも、動き続けることが得策なのだ。


 ガルディアの町を出発するキャラバンは、総勢二十名ほど。行商人や荷馬車の御者、それを護衛する戦士や傭兵風の男たちが混じっている。わたくし達のように明確に“外国人”とわかる人は少ないが、珍しいわけでもない。レオンが剣を携えていることは、むしろ頼もしく思われているようだ。


 「よし、出発するぞ! しっかり隊列を組んで、道中の警戒を怠るな!」


 バーグの掛け声で、荷馬車が一斉に動き出す。わたくしは手綱を握るフィアの隣に座り、カタカタと揺れる荷馬車の音を聞きながら町を振り返った。

 城壁の向こうに見えるのは、まだ眠っているように静かなガルディアの街並み――そして、その奥には病に苦しむ人々や、奮闘するジュードの姿があるはずだ。


 「……また、戻ってきますね」


 わたくしは心の中で小さく呟く。今はまだ力不足かもしれないが、いつかもっと多くの人を救えるようになりたい。

 レオンは馬を駆け、わたくし達の周囲を見渡しながら先導役を務めてくれている。彼が時折、こちらに視線をやり、手を振って合図してくる様子が頼もしい。


 ――こうして、新たな旅立ちが始まった。

 王国を追放され、異国で居場所を求めるわたくし達。仲間が増え、新たな目標もできつつあるが、王国の使節や暗殺者の脅威はまだ消えてはいない。グレイシャ王国の中でも、どんな波乱が待ち受けているのかわからない。


 それでも、わたくしは進む。

 どれほど困難な道であろうと、二度と“何もできない存在”には戻りたくないから。レオンと共に見つめる未来には、きっと新たな希望が待っている――。



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