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第21話 神崎に逆らえば誰も助けてくれない


中村和生にとって、神崎梨紗は腹黒い女にしか見えなかった。自分の条件が平凡だと分かっていながら、腎臓を差し出すことで無理やり紀康と結婚したのだ。


もし紀康が彼女に気があるなら、友達としても何も言うつもりはなかった。しかし、紀康は梨紗に全く興味がなく、梨紗は宗一郎の後ろ盾を頼りに、どうしても離婚に応じようとしない。


この八年の結婚生活で、紀康が家に帰った回数は数えるほどしかない。こんな関係に、何の意味があるのか。


いくら名門大学を卒業していようが、結婚してからは家で子育てもろくにできず、息子の拓海はしょっちゅう体調を崩す。紀康の仕事の役にも立たず、足を引っ張るだけの存在だった。


それに比べて若菜はまるで違う。ここ数年で業界トップクラスの人気女優となり、商業的価値も抜群だ。


紀康が彼女に仕事を与えれば、彼女は神崎グループの広告塔として大きな利益をもたらす。まさに理想的なウィンウィンの関係だと、和生はずっと思っていた。紀康にはこういうパートナーこそふさわしい。


「この件は玲奈が前に話してただろ。大したことじゃない。」

紀康の声は冷静そのものだった。


「お前が彼女を好きじゃないのはいい。でも、だからって浮気させるのは違うだろ?周りはお前たちの関係なんて知らないし、彼女が愛情を憎しみに変えたらどうする?」

和生の口調は焦りを帯びていた。


「他に用がなければ切るぞ。」

紀康は本当に急ぎの用事があるらしく、さっさと通話を終えた。


和生はスマホの写真を見て、鼻で笑った。梨紗が何か企んだところで、清和雅彦のような切れ者に通じるはずがない。あの男は一見チャラそうに見えるが、実は鋭い。梨紗程度の手口など、まるで相手にもされないだろう。


―――


梨紗が撮影現場に到着すると、すでに若菜と紀康の姿があった。昨夜、紀康は大雨の中を本宅を出ていき、今こうして若菜と一緒にいる。二人が一晩中一緒に過ごしていたことは明らかだった。


紀康は大雨の夜でも若菜のために動く。自分は一体、何なのだろう――。


監督が準備を急かす。今日はキスシーンがある日だ。現場の誰もが知っている、若菜は紀康の大切な人。ヌードシーンはもちろん、キスシーンさえも代役が必要だ。


この世界では、資本がルールなのだ。


梨紗は眉をひそめ、紀康の方を見た。何か言おうとしたその時、彼の電話が鳴り、彼はそのまま席を外した。


その様子を若菜も見ていたが、目が合った瞬間、彼女は露骨に嫌悪感を示して顔をそむけた。まるで、梨紗が目障りな汚れ物でもあるかのように。


監督は動かない梨紗に苛立ちを露わにした。

「何してるの?早く着替えて!」


梨紗は静かに言った。

「このシーンはできません。」


監督は一気に怒りを爆発させ、彼女を指差して怒鳴った。

「神崎梨紗!自分を何様だと思ってる?昨日は紀康の指示でヌードの代役は免除されたけど、今日はキスシーンまで拒否するつもりか?何の特権があるっていうんだ!」


「私は既婚者です。」


梨紗の声は小さかったが、その一言は水面に投げ込まれた石のように、現場を一瞬で静まり返らせた。


梨紗は顔立ちも綺麗で、少し手を加えれば十分に目立てる。しかしこの業界で顔だけでは通用しない。


梨紗は過去に監督からの不快な誘いをきっぱり断ってきたこともあり、エキストラ仲間からの評判も悪くはなかった。たまに「神崎社長に取り入ったら?」と冗談を言われても、彼女はいつも首を振るだけ。家族について語ったことはなく、年齢も若く見えるので、既婚者だとは誰も思っていなかった。


監督は一瞬驚いたが、すぐにさらに怒りを募らせた。

「結婚してようが関係ない!この仕事を選んだ以上、プロ意識を持て!嫌なら契約違反で賠償金を払ってもらうぞ!」


「いくらですか?」

梨紗は冷静だった。


監督は彼女の態度に苛立ちを隠せない。

「神崎梨紗!俺に逆らうのはまだしも、紀康に逆らったらどうなるか分かってるだろ!君は紀康の紹介で来たんだ、俺たちが選んだわけじゃない!」


結局、全ては紀康の意向次第だった。


その時、紀康が電話を終えて戻ってきた。

監督はすぐに梨紗を指し、「紀康、どうしましょう……」と厄介ごとを押し付けた。


紀康は監督に向かって言い切った。

「他の人に代役を頼んでくれ。今後、ヌードやキスシーンの代役は彼女にさせる必要はない。」


周囲から見ると、これで梨紗は完全に紀康から見放されたことになる。代役のくせに文句ばかりで、ついに紀康の堪忍袋の緒も切れた。もうこの業界で生きていけないだろうと、皆が思った。


梨紗には分かっていた。紀康が止めたのは、彼女が「神崎家の妻」であることを明かし、若菜に批判が及ぶことを恐れていたからだ。彼は何もかも若菜のために動く。


紀康は梨紗に向かって言う。

「しばらく出番はない。もう来なくていい。」


「分かりました。」

梨紗はあっさりと答え、監督や周囲の視線を気にすることなく、その場を後にした。


若菜の唇には微かに冷たい笑みが浮かんだ。紀康は元々梨紗など気にかけていない。彼女が公然と既婚だと発言したことで、さらに面倒なことになった。もし「神崎家の妻」であることまで言い出したら、誰にとっても良いことはない。紀康が彼女を切り捨てるのは当然だ。


梨紗が現場を出ると、携帯が鳴った。小田監督からだった。


「美帆、前に『もっと世間を知りたい』って言ってたでしょ?今夜、業界の交流会があるんだけど、著名な脚本家も何人か来るよ。興味ある?」


「どなたが来られるんですか?」梨紗が聞くと、小田監督は彼女が憧れていた大物の名前を挙げた。


「本当ですか?すごく嬉しいです!何か準備しておくことは?」


「こういうパーティーは初めて?」


「はい。」


「じゃあ、きちんとしたドレスと、あまり派手すぎないメイクで来てね。」

小田監督がアドバイスする。


「分かりました。」梨紗は快く返事をし、タクシーを拾うと、そのままデパートへ向かった。今夜にふさわしい服を用意しなければならない。


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