紀康はたびたび早乙女若菜を庇い、誰もが彼が表面上は冷静でも、彼女にだけは特別に思いを寄せていることを知っていた。
その後、早乙女若菜に対して軽率な態度を取る者は誰一人いなくなった。
「彼、あんなに早乙女若菜を気にかけてるなら、いっそスパッと離婚してしまえばいいのに!なんでダラダラ引きずるの?」
「昨日、本社に行って離婚の話をしようとしたの。」
「で、何て言われたの?」
梨紗は一瞬言葉を詰まらせた。昨夜、紀康が会ってくれなかったことを美咲に知られれば、きっと怒りが爆発するだろう。
「…彼、昨日はずっと忙しくて会えなかったの。もう一度時間を作ろうと思ってる。」
「分かった!この結婚は絶対に終わらせよう。もう我慢することなんてないよ!」
詩織はきっぱりと言い切った。
梨紗は小さく頷いた。
会社に着くと、河田裕亮もニュースを見ていたようで、梨紗を一瞥した。
「大丈夫か?」
「もうすぐ離婚するし、そんなこと気にしても仕方ないわ。」
梨紗は話題を変えた。
「そうだ、この前送ってくれた名刺の件、何か返事はあった?」
「今のところはない。ただ、清和メディアとは電話で話をしたよ。」
「清和さんは、君の四作目の脚本が通ればすぐにプロジェクトを動かすって言ってた。」
「うん。」梨紗は頷く。「じゃあ、一度清和メディアに行こう。」
「分かった。」
清和メディアに到着すると、清和雅彦は不在だった。
彼の関心は依然として病院にあり、会社はプロのチームが運営していた。
「暁美帆」本人が来社したと知り、スタッフたちは皆興奮を隠せなかった。
脚本の審査には手順が必要だが、直接持参することで誠意を示せる。双方とも、より深い協力関係を期待していた。
オフィスに戻ると、業務用の携帯が鳴った。瀬戸潤一からだった。
「暁美帆さん。」瀬戸はやや詰問するような口調だった。
「どうして急に僕を外したんですか?もうずいぶん前から決まっていたでしょう?」
「口約束だっただけです。瀬戸さんもこの業界は長いでしょう。契約書がなければ、何が起こっても不思議じゃありません。」梨紗は淡々と返した。
「僕が早乙女若菜を推薦したから?彼女の何が問題なんですか?この役は彼女にとって転機になるし、将来にも大きく関わるんですよ!それに、倉本監督もいる。あなたの脚本と彼女の演技、最強の組み合わせでしょう。これであなたも一流の脚本家になれるのに!」
梨紗の判断を責める言い方だった。
「瀬戸さん、脚本は私のもので、最終的な決定権も私にあります。それに、まだ著作権も私の手元です。自分で制作すると決めても構わないでしょう?」
「暁美帆さん、それはさすがに不義理じゃないですか?」
「もし出演したいなら、考えてもいいです。でも、主演が早乙女若菜というのは絶対にあり得ません。三日間だけ猶予をあげます。考えがまとまったらいつでもサインしてください。」
梨紗はこれ以上関わるのも面倒とばかりに電話を切った。
瀬戸潤一からはその後、連絡はなかった。
小橋里衣にはまだ話をしていなかったが、彼女は適任だと梨紗は思っていた。だが、瀬戸潤一が第一候補であることも事実で、この三日間が彼への最後のチャンスだった。
*****
梨紗は弁護士との面談を予約した。弁護士の藤原翔太が資料を確認し、こう言った。
「ご用意いただいた証拠と、こちらでさらに集めた資料で十分です。斎藤主任に直接交渉に行きますか?それとも私が代理で行きましょうか?」
「一緒に行きます。」
二人が出発しようとしたとき、河田裕亮が声をかけた。
「一緒にご飯でもどう?」
「これから弁護士と約束があるの。彼の事務所に行くわ。」
河田は頷いた。「会社のことは任せて。」
「ありがとう。」
その日、斎藤主任は病院にいて、那須家のおばあさんの検査結果を丁寧に説明していた。
早乙女若菜が祖母のそばに付き添い、那須太郎も同席していた。紀康は彼らを自ら車で病院まで送ってきた。
「コンコン」
ノックの音がして、斎藤主任が顔を上げると、梨紗と見知らぬ男性が入口に立っていた。
早乙女家と紀康の視線が、一斉に梨紗たちに向けられる。
梨紗はドアの外で、斎藤主任が那須家の老婦人に敬語で説明する声を聞いていた。自分の祖父のことをあれほど軽んじた人々に、これ以上遠慮するつもりはなかった。
「斎藤主任、お話があります。」
梨紗の声ははっきりしていた。
斎藤主任は助理に目配せし、助理がすぐ近づいた。
「ご用件がある場合は、まず予約をお願いいたします。」
梨紗はそのまま助理を押しのけ、斎藤主任の前に進み、藤原翔太を見た。
藤原はうなずき、書類を斎藤主任の机に力強く置いた。
「訴訟を起こす前に、正式にご通知します。一ノ瀬真治氏への不適切な対応は、既に刑事事件に該当する可能性があります。経済的な賠償だけでなく、法的責任も問われます。上訴することも可能ですが、私たちは証拠を追加し続けます。」
斎藤主任は書類をめくり、顔色をどんどん悪くしていった。思わず紀康に目をやり、そして梨紗に向き直る。
「…一体、どうしたいんだ?」
梨紗は早乙女家の非難の視線を無視した。
「斎藤主任、もし最初に謝罪し責任を取っていれば、私はここまでしなかった。私は筋を通す人間です。でも、あなたは私の祖父を死にかけさせておきながら、全く反省もしなかった。だから私は法の力で祖父のために戦います。」
「筋?ここは病院だぞ。ルールぐらい分かってるだろう?」
斎藤主任は依然として過ちを認めず、権威で押し切ろうとした。
「病院だからこそ、職務怠慢は許さない。正当な権利を守るのは当然です。」
梨紗は一歩も引かなかった。
早乙女家の人々は口を挟みたそうだったが、紀康がいる手前、梨紗との関係を明かすことはできなかった。
紀康は梨紗を連れ出そうとしたが、藤原がすぐに梨紗の前に立った。
「依頼人への接触はご遠慮ください。万が一何かあれば、法的に責任を追及します。」
紀康は眉をひそめ、苛立ちを隠さない口調で言った。
「梨紗、もういいだろう?お祖父さんはもう大丈夫だし、俺も補償すると言ったはずだ。いつまでこんなこと続けるつもりなんだ?」