「お母さんはもう、あの人の代わりじゃないわ。自分の仕事もあるの。」
「ママ、本気で芸能人になりたいの?芸能界って、そんな簡単に入れるもんじゃないよ!ママも綺麗だけど、スターっぽい雰囲気はないし!早く僕と果々のそばに戻ってきてよ!」
父親とうり二つの物言いでそう言うと、電話は一方的に切れた。
神崎拓海から何度も電話がかかってきたが、梨紗は取らなかった。
チャリティーガラディナーは寄付が必須。
コネ作り目的の芸能人は顔だけ出して、寄付をしない人もいる。
梨紗と河田裕亮は遠慮がちに、それぞれ百万円を寄付した。
財布に余裕はなかったが、気持ちの問題だ。
会場に入ると、見知った顔ぶれが紀康と若菜について噂していた。
「こういう場では、若菜さんは一銭も出さずに、いつも神崎さんが全額払うのよね。しかも、出し方が本当に桁違い。」
「今回いくら寄付したの?」
「毎回のことだけど、二千万円。名義は若菜さんだけど、中身は神崎さんのお金。若菜さんが普段寄付してるお金も全部神崎さん持ちだって話よ。本人の収入は全部自分のものにしてるらしいわ。」
「男のお金の使い道で、その人の本心が分かるって言うけど……はぁ、神崎さんほど一途で情熱的な御曹司、少女漫画の世界みたい!」
業界人は色々見てきているので、実際は実業家の多くが浮気者だと知っている。
でも神崎さんだけは例外で、若菜と初恋からずっと変わらず一途だ。
河田裕亮は、女優たちが盛り上がるのを聞きながら、呆れたように鼻で笑った。
「彼女たちが理想化してる男なんて、実際は最低のクズだよ。」
「梨紗、本当に結婚のこと公表しないの?若菜が不倫女扱いされるし、あのクズ男の会社にもダメージ与えられるのに。」
「思織も同じこと言ってた。でも私は、離婚してきちんと貰うもの貰ったら、それで終わりにしたいの。今公表してスッキリはするけど、もし離婚がうまくいかなくて、逆にあの人に引きずられでもしたら、一銭ももらえないどころか借金まで背負う羽目になるかもしれない。割に合わないわ。」
「なるほどね。ちゃんとお金もらってから手を引く。それが一番だな!」
河田は心の中で計算していた。
手にした金でスターライト・メディアに投資するつもりだ。
今は資金が足りないが、これからの事業拡大にはもっと投資が必要。何事も計画的に進めるべきだ。
河田裕亮と梨紗に気が付く人もいた。
監督や脚本家の中には、梨紗が暁美帆という脚本家だと知っている者もいたが、多くは若菜の代役女優としてしか知らなかった。
二度も河田と一緒にいる姿を見て、「リチャードに取り入って彼の作品に出たいのだろう」と噂する者もいた。
女優たちは心中穏やかでいられない。
「ただの代役になんでリチャードの日本初ドラマの主演なんて話があるのよ?」
確かに綺麗だけど、実績はゼロ。
代役は所詮代役、業界で代役から這い上がった人なんてほとんどいない。
笑止千万だと、みんな河田に自分を売り込もうと群がった。
河田はその意図を見抜き、梨紗の方を見やった。
梨紗は肩をすくめるだけだった。
小田監督が河田に囲まれているのを見て、梨紗をそっと引き寄せた。
「小野田蕭一とは連絡が取れたよ。彼も頑なだった。若菜に出演させたくないなら、彼自身も出ないと言ってた。」
「問題ないわ。小橋里衣は?」
「声をかけたよ。他の仕事を断って、いつでも参加できるって。」
梨紗はうなずいた。
少し離れたところで、すでに来ていた中村和生たちが、梨紗と小田監督の様子を見て囁いた。
「梨紗もやるもんだね、小田監督とつながりができた。もしリチャードと小田監督が組んで、彼女を起用したら、ちょっとした出世コースだよ。なかなか野心的じゃないか。」
そうは言っても、中村は梨紗がブレイクするとは思っていない。
リチャードは海外では有名だが、脚本が日本に合うとは限らない。
小田監督も名のある人だが、必ずしもヒットが約束されているわけじゃない。今回こける可能性もある。
若菜もその様子をじっと見ていた。
梨紗が小田監督のそばにいたと思えば、今度は河田の隣。心の中で冷笑した。
どうやって二人を味方につけたのか知らないが、昔から梨紗はしたたかだった。
あの紀康と結婚できたのも、ある意味たいしたものだ。
でも自分を超えようなんて、二十回生まれ変わっても無理な話だ。
紀康は少し顔をしかめ、梨紗に一言「忠告」した方がいいと感じていた。
そんな中、高橋青石だけは、どこか感心したような眼差しを梨紗に送っていた。
小西監督が自ら若菜に声をかけてきた。
若菜は丁寧に挨拶を返し、ふと思い出したように切り出した。
「小西監督、先日のパーティーで脚本家の暁美帆先生にお会いされてましたよね?もしよければ、お話を取り次いでいただけませんか?彼女の新作に本当に出たいんです。次は監督としても彼女の脚本に挑戦してみたくて……」
小西監督は笑いながら言った。
「早乙女さん、あなたはすでに女優としてトップを走っているのに、監督までやられたら私たちの仕事がなくなりますよ。」
「そんな、監督の足元にも及びません。ただ、色々挑戦してみたいだけです。」
「今日も暁美帆先生は来てますよ。まだ会ってないですか?」
全員が驚いた。
「いらしてるんですか?」
「ええ、さっき小田監督と話していましたよ。」
小田監督と話していた人は何人もいるが、その中には梨紗もいた。
まさか梨紗が暁美帆先生? もしそうなら紀康が知らないはずがない。
中村和生が紀康にささやいた。
「寄付者リストを確認してきます。」
紀康はうなずいた。
すぐに中村が戻ってきた。
「本名で寄付したみたいで、『暁美帆』の名前はなかったです。本名は今のところ誰も知らないようです。」
紀康も自分で調べたが、やはり分からなかった。
今の業界でリチャードと暁美帆の代わりになる人はいないのは、中村も分かっていた。
若菜の今後のキャリアも、この二人の脚本がなければ厳しい。
だが二人とも出演を断っている以上、どうにもならない。
若菜は困り顔で小西監督に頼んだ。
「どうして私、暁美帆先生に嫌われちゃったんでしょう……小西監督、どうかご協力を。ご恩は必ず忘れません。」