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第59話  警告


「……分かりました。できるだけ頑張ってみますが、もしダメでも気にしないでくださいね。」

「ありがとうございます、小西監督。」


小西は、紀康に一つ借りを作っておきたいという思いが強かった。

もし今回うまくいけば、神崎財閥とのパイプもできるだろう。


梨紗がトイレに行ったとき、偶然那須太郎に出くわした。

人混みで気づかなかったが、彼のような人物が出席できるのも紀康のコネに違いない。


「梨紗、最近小田監督やリチャードと親しそうだって聞いたぞ?何か紀康を裏切るようなことでもしたのか?」


無視するつもりだった梨紗は、その一言で足を止めた。


「もし私が何かしたなら、あなたはむしろ喜ぶんじゃない?私が家を出ていけば、あなたの娘がすぐにでも正妻になれるでしょ。」


那須太郎は得意げに笑った。


「梨紗、まだ分からないのか?若菜が結婚したくないだけだよ。今はキャリアの絶頂期、未来がいくらでも広がってる。結婚なんかしたら、仕事にも響くし、子供でもできたらキャリアに大きく影響するだろう。」

「紀康は若菜には甘いから、何でも彼女の望み通りにするさ。だから君と離婚を渋ってるのも、若菜が今は結婚したくないからだ。」

「愛人の分際で、よくそんなに偉そうにできるね。さすがはあなたの娘だわ。」梨紗は冷笑した。


那須太郎の顔色が一変した。


「何言ってるんだ!誰が愛人か分かってるのか?紀康と若菜はもともと一緒だったんだ、横入りしたのはお前の方だろ!お前の母親と同じだ!」


母のことを持ち出され、梨紗の表情は一気に冷たくなった。

じっと那須太郎を睨みつける。


那須太郎は梨紗の様子に気づき、上から下まで値踏みするように見た。


「どうした?父親を殴るつもりか?」

「外で自分が私の父親だって言えるの?」


梨紗の声は氷のようだった。

那須太郎は目をそらした。


「それはどうでもいい。とにかく、紀康に迷惑だけはかけるな。恥をかくのはお前だぞ!」


そう言い残して、那須太郎は足早に去っていった。


那須太郎と顔を合わせるたび、梨紗は母の死を思い出し、体が無意識に震えてしまう。

誰かが肩に手を置くまで、その震えは止まらなかった。

梨紗は振り返った。


「雅彦さん?」

「そっか、若菜さんは君の異母姉なんだね。」


雅彦は納得したように言う。トイレの近くで人の出入りも多い、聞こえても不思議はない。


「雅彦さん、こんなところで何を?」

「中がうるさくてさ、ここでゲームしてたんだ。偶然聞いちゃったよ。君たちがそんな関係だとは思わなかったな。」


雅彦の態度は相変わらずだ。何があっても、どこか他人事のような雰囲気を崩さない。


「お恥ずかしいところを見せました。」

「いや、恥ずかしいのは君じゃないよ。」


雅彦は意味深に言った。

梨紗は少し驚く。


「安心して、口は堅いから。」


そう言って、雅彦はそのまま立ち去った。

梨紗は彼の後ろ姿を見つめ、ふと口元にほのかな微笑みを浮かべる。

江家とのいざこざなんて、一生誰にも知られなくていい。


去ろうとしたその時、紀康が突然現れ、梨紗を壁に押し付けた。鋭い目で睨んでくる。


「梨紗、自分が既婚者だって忘れてないか?」


背中が壁にぶつかり、傷の痛みが走る。

だが紀康は、彼女が同情を誘うために大げさにしていると思っているらしい。痛みで顔をしかめる梨紗を見て、さらに苛立ちを募らせた。


「その前に、神崎さん自身に問うべきじゃない?」梨紗は痛みに耐えながら言い返す。

「俺と若菜は違う!」

「何も違わないわよ。まずは自分を律したらどう?」梨紗は力強く彼を押し返した。


再び紀康は彼女を引き寄せ、睨みつける。


「俺なら何かあっても全部収められる。でも君は?君が二人の男と関係してることが父親にバレたら、どうなると思う?」

「何度も警告したはずだ。君が何をしようと構わないが、俺の父に迷惑をかけたら絶対に許さない!」


梨紗の目に浮かぶ怒りと憎しみ。その激しさに、一瞬紀康は自分が悪いのではと錯覚しかけた。

だが、何が悪い?

悪いのは――彼女の方だ。


「どいて!」


梨紗の声は冷たかった。

紀康は一瞬たじろぐ。

最近の梨紗はまるで別人のように反抗的だ。


「病気なら病院に行けよ。うちの父にだけは知られるな!」


そう吐き捨てて、紀康は先に立ち去った。

梨紗は呆れた気分だった。

自分の行動を顧みず、よくもここまで偉そうに警告できるものだ。

本当にダブルスタンダードもいいところだった。



トイレから出ると、小西監督がようやく梨紗を見つけた。


「暁美帆先生、やっとお会いできました!」

「小西監督、どうかされましたか?」


小西は落ち着かない様子で手をもじもじさせる。


「ちょっとお願いがありまして……小田監督からも聞いてますが、どうしても一度頼んでみたくて。」


「以前オンラインでもやりとりしましたし、友達みたいなものですよね?」

何とか親しみを込めて話す。


梨紗は黙って続きを待った。


「実はさっき神崎さんたちに挨拶したら、お二人から頼まれまして。早乙女さんが先生の脚本を気に入ってて、新作にぜひ出演したいと。それに、次回作は自分で演出もしたいと……」


話し終わって小西は緊張した面持ちで梨紗を見た。

先ほど小田監督から事情を聞いて、期待は薄いと分かっていたが、紀康とのコネは魅力的すぎて、断れなかった。


梨紗の表情が冷たくなり、小西は焦って付け加える。


「もしご迷惑なら、もちろんお断りいただいても構いません!あくまで伝言なので……」


この業界で一番怖いのは人間関係のトラブル、とりわけ暁美帆先生が今スターライト・メディアにいると聞けばなおさらだ。


「小西監督がここまで頼むなら、顔を立てないわけにもいきませんね。」


梨紗は口元にかすかな笑みを浮かべる。


「でしたら、若菜さんが本当に私の作品に出たいなら、全く問題ありません。実は次回作に清掃員の役があって、結構重要な役なんです。ぜひオーディションを受けてみてください。」


小西監督「……」


業界でも暁美帆先生と若菜さんに接点があるなんて聞いたことがない。

この対応は、まるでわざと恥をかかせるようなものでは……?


梨紗は小西に軽く会釈し、その場を颯爽と後にした。

小西監督は、この話を若菜や紀康に伝えるなんて怖くてできるはずもなかった。

それはまさに、自分で自分の墓穴を掘るようなものだった。

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