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第62話 商人の誠意


紀康の怒りが収まらないのを見て、若菜は柔らかく言った。


「もしかしたら……あの時、他にも誰かいたのかもしれませんよ?」

「そこはVIP用の駐車場だ。関係者以外は入れない。仮に誰かいたとしても、そんな面倒なことはしないだろう。」


紀康は、特別な立場の者しか立ち入れない場所だと強調した。だからこそ、梨紗の仕業だと疑い続けている。


若菜は、犯人が誰かには特に興味がなかった。

芸能人として、パパラッチがどこにでもいることはよく知っている。

紀康ほどの権力者でも、無謀な者は必ず現れる。紀康が梨紗を疑ってくれるならそれでいい——自分が手を下さなくても、梨紗の評価はまた下がる。

梨紗、あなたのお母さんも男を繋ぎ止められなかった。あなたも同じね。


今回の件は、情報を抑えきれず、逆に若菜が表舞台に立つきっかけとなった。

薄化粧で、どこか怯えたような表情を浮かべて記者会見に臨む。


「皆さん、ご心配いただきありがとうございます。犯人はまだ捕まっていませんが、神崎さんが責任を持って対応してくださると約束してくれました。」

「神崎さんは私を守ろうとして怪我をしましたが、腕だけで済み、すでにきちんと治療されていますので、ご安心ください。」

「改めて、皆さんのご厚意に感謝いたします。」


記者たちが一斉に声を上げる。


「神崎さんは早乙女さんを守るために怪我したんですよね?お二人は本当に恋人同士なのですか?結婚のご予定は?」

「神崎さんほど素敵な方、早乙女さん、いつお返事するんですか?」

「そうですよ!神崎さんの想い、みんな知っています!」


若菜は口元にわずかな自信の笑みを浮かべた。


「神崎さんには本当によくしていただいていますが、皆さんが想像されているような関係ではありません。誤解しないでくださいね。」

「そんなはずない!信じられません!」

「そうだよ!付き合うならぜひ教えてください!私たち、応援しています!」


若菜はそれ以上答えず、新ドラマの宣伝に話題を切り替えた。


もちろん、彼女が公の場で関係を認めるほど愚かではない。もし本家の神崎宗一郎に知られたら、今まで積み上げてきたものがすべて水の泡になる。


梨紗は記者会見のライブ配信を見て、ただただ皮肉な気持ちになった。


芸能人の芝居にすぎない、と。


紀康は、スキャンダルが出るたびに、すぐに対処しなければならない。本家に知られることを、いつも恐れているのだ。


三日間の期限が過ぎ、小野田蕭一からは何の連絡もなかった。梨紗は契約の原則に従い、メッセージを送った。


——三日間の約束が過ぎました。

ご返答がないため、新ドラマ出演は辞退されたものとみなします。


小野田蕭一はメッセージを見ても返信しなかった。暁美帆先生は優れた脚本家だが、彼の調べでは三流俳優しか使わないという。若菜も他の脚本に興味を持ち始めており、彼はやはり若菜との共演を選ぶつもりだった。


二人の人気があれば、同時期に放送される暁美帆先生の新ドラマを優位に立たせるのは簡単なこと。場合によっては、暁美帆先生の方からお願いしてくるかもしれない。業界のことは、彼が一番よく知っている。


梨紗は小田監督に状況を伝え、小橋里衣に連絡を取った。


小橋里衣のマネージャーは、突然の知らせに驚愕した。世間では、暁美帆先生の新作は小田監督と小野田蕭一のタッグだと噂されていた。まさか、それが小橋里衣に回ってくるとは。


契約書にサインするまで、小橋里衣とマネージャーは本当だと信じられなかった。


アシスタントが高橋青石の来訪を告げ、梨紗は彼からのオファーをすっかり忘れていたことに気づいた。


高橋青石と対面しても、梨紗の表情は変わらない。彼が紀康の友人でなければ、とっくにこの話に乗っていたかもしれない。


高橋青石は梨紗の正面に座り、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。


「この数日、検討していただけなかったようですね?」


梨紗は率直に答えた。


「はい、手が回りませんでした。」


「想定内です。でも、私がこうして直接伺ったことで、誠意は伝わったかと思います。」


梨紗は少し沈黙し、問いかけた。


「なぜ私たちと組みたいんですか?暁美帆先生やリチャードがいるからですか?」


「それも理由の一つです。」


高橋青石は率直に答えた。


「私は商売人ですから、利益が一番大事です。それは私だけでなく、紀康たちも御社の将来性に気づいているはずです。」


「もう一つは、御社のスタイルが世界的に見ても珍しいからです。普通、脚本家がスタジオを持っても、チームは一人のために動き、名前が出るのは脚本家だけ。でも、御社は業界に新しい血を入れ、新人脚本家を育てようとしている。成長の可能性は大きい。先手を打たなければ、この波に乗り遅れるでしょう。」


高橋青石の穏やかな口調には説得力があり、梨紗の心を捉えて離さなかった。


しばらくして、梨紗は「少し考えます」と答えた。


「分かりました。」


高橋青石はすぐに立ち上がった。


梨紗は軽く眉をひそめて呼び止める。


「高橋さん、何度もご自身でいらっしゃる必要はないと思いますが、なぜそこまで?」


高橋青石は振り返り、春風のような笑顔を浮かべた。


「先ほども申し上げた通りですよ。私たちの関係性を考えれば、私が直接来ない限り、高橋グループを候補に入れてすらもらえないでしょう。今回私が来なければ、あなたはこの話をもう忘れていたはずです。」


梨紗は気まずさも見せず、事実を受け止めた。


「ご縁があれば、ぜひ」と高橋青石は去っていった。


裕亮が外から入ってきて、高橋青石の背中を見送りながら梨紗に聞いた。


「彼、梨紗のこと好きなんじゃないですか?」

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