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第64話 悔しさ


梨紗は、扉を開ける勇気を突然失ってしまった。

無理やり中に入って騒ぎ立てたところで、結局傷つくのは自分だけだろう。

そう思い、踵を返してその場を去ろうとした。


窓の外を見ていた果々は、すでに梨紗の姿に気づいており、心の中で彼女が来るのを楽しみにしていた。しかし、梨紗が背を向けて歩き去ろうとするのを見て、思わず声を上げた。


「おばちゃん!」


玲奈は無意識のうちに窓の外を見たが、そこには誰もいなかった。若菜の視線に気づき、果々の頭を強く叩いた。

「何を叫んでるの!ママが言ったでしょ?この人が本当のおばちゃんよ」と、若菜の方を指さした。


果々には大人たちの事情など分からない。

記憶の中で一番自分を可愛がってくれたのは梨紗であり、こっそり「ママ」と呼んだことさえあった。それが本当の母親に知られて叩かれたことも。

しばらく梨紗に会えず、寂しさが募るばかりだった。やっと梨紗に会えたのに、また母親に邪魔される。

こみ上げる悔しさと悲しさに、果々は大きな声で叫んだ。


「この人はおばちゃんじゃない!お兄ちゃんのお母さんが本当のおばちゃんだよ!さっき外でおばちゃんを見たもん!出て行っちゃったよ!すごく悲しそうだった!この人なんか知らない!大嫌い!」


若菜の機嫌を損ねるのを恐れて、玲奈は果々の頬を思い切り叩いた。


「またそんなこと言って!」


果々は呆然とし、大きな瞳には涙が溢れた。間違ったことは言っていないのに、なぜ叩かれるのだろう?

「ママなんか大嫌い!」と泣きながら叫び、部屋を飛び出していった。


玲奈は果々の後ろ姿に向かって怒鳴った。

「そう、大嫌いなんでしょ!やっと本音を言ったわね!私はあんたの母親よ!どこまででも逃げてみなさい!」


その後、玲奈は若菜に愛想笑いを浮かべた。

「ごめんなさい、お義姉さん。果々はまだ子供で、きちんと叱っておきますから。」


若菜は立ち上がった。

「子どもが外に出てしまうのは危ないですよ。早く探しに行った方がいいです。」


玲奈は慌てて止めた。

「いいえ、今は少し厳しくしないと、いつまでも分からないんです。ここは雲錦荘ですし、迷子になることはありません。」


神崎雅子も険しい表情で口を開いた。

「果々は梨紗に甘えすぎたのよ、いつも他人ばかり庇って。若菜、あなたはそのままでいいわ。すぐに戻ってくるでしょう。」(本当の理由は、梨紗はいつかこの家を出て行く人間だから、果々が依存しすぎてはいけない。もし紀康に執着されたら困るからだ。)


神崎拓海は自分がいいところを見せられると思い、若菜のそばに寄った。

「果々はいつもあんな感じなんですよ。若菜おばさん、気にしないでください。」


「でも、妹でしょ?」若菜は拓海の頭を撫で、優しく微笑んだ。女優として、本心は決して表に出さない。


「妹はあんな性格だから、放っとけばそのうち戻ってきますよ。」拓海は気にも留めていない様子だ。


若菜は紀康の方を見た。

紀康は淡々と言った。

「しばらく落ち着かせましょう。まだ帰ってこなければ、あとで人を探しに行かせます。」

若菜はそれを聞いて、ようやく頷いた。


梨紗はあてもなく歩き続け、頭の中ではあの家族の和やかな光景と、斎藤医師の皮肉な言葉が交互に浮かんでいた。

ぼんやりとショーウィンドウを見つめていると――


「おばちゃん!」


涙声が聞こえ、振り返ると、果々が駆け寄ってきた。


梨紗は慌ててしゃがみ込み、驚きと心配でいっぱいになった。

「果々?どうしてここに?誰も一緒じゃないの?」と辺りを見回すが、大人の姿は見えなかった。不安が一気に押し寄せる。


「おばちゃん、会いたかったの!」

果々は今にも泣き出しそうな顔で、梨紗にしがみついた。


梨紗は胸が締め付けられる思いだった。拓海の世話だけでなく、果々のことも我が子のように大切にしてきたのだ。ぎゅっと抱きしめる。


「おばちゃん、どうしてずっと会えなかったの?」果々は声をあげて泣いた。


梨紗の胸は痛みでいっぱいになる。


「泣かないで。おばちゃんはここにいるから。」果々の涙を拭いながら問いかける。

「どうして一人で出てきたの?もし迷子になったらどうするの?」

「さっきおばちゃんが見えたのに、なんで入ってこなかったの?おばちゃん、怒ってるの?」果々はしゃくり上げながら聞いた。


梨紗はどう説明していいか分からなかった。この家で本当に自分に心を寄せてくれるのは、宗一郎と果々だけだ。自分の人生も、まんざら捨てたものじゃない、そう思いたかった。


「怒ってないよ。」梨紗は優しく答える。

「でも、果々が出てきたこと、みんな知ってる?」


果々は頷いた。


梨紗は違和感を覚える。知っているなら、どうして誰も追いかけてこないのか。


「もしかして、何か言ったの?」


果々は素直に答えた。


「この人はおばちゃんじゃないって言ったの。おばちゃんが本当のおばちゃんだって。そしたらママに叩かれた……」と、うつむいた。


梨紗はその頬が赤く腫れているのに気づき、胸が張り裂けそうになった。


「果々、今はうまく説明できないけど……これからは『おばちゃん』じゃなくて、『お姉ちゃん』って呼んでね。」梨紗の声は少しかすれていた。


「どうして?」果々は納得できない。


「いつか分かるから。」

梨紗は立ち上がり、果々の手を取った。

「さあ、家に戻ろう。みんな心配してるよ。」


だが、果々は梨紗の脚にしがみついて離れない。

「帰りたくない!おばちゃんと一緒がいい!」


梨紗はため息をつく。

「分かった。じゃあ、しばらく一緒にいよう。ご飯は食べた?」


果々は首を横に振る。


「じゃあ、一緒にご飯食べに行こう。」梨紗は手を引いた。


その時、雅彦がこちらに歩いてくるのが見えた。


果々は彼のことが少し苦手で、梨紗の後ろに隠れた。


「おじさん……」


雅彦は眉を上げて言った。

「俺はそんなに怖いか?」


果々はますます梨紗の陰に隠れる。


梨紗は思わず笑い、果々を前に出した。

「大丈夫よ、おじさんは優しい人だから。」


雅彦は皮肉っぽく笑った。

「俺が優しいだなんて、よくそんなこと言えるね。世の中でそう思ってくれるのは君くらいだろうな。」

彼はいつも型破りな行動をして院長すら手を焼く存在だが、医術には卓越している。時に辛辣だが、梨紗は彼が何度も助けてくれたことをよく覚えていた。


「雅彦さん、ご飯はもう食べました?果々と一緒に何か食べに行こうと思ってるんですけど、一緒にどうですか?」と梨紗は声をかけた。

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