梨紗は雅彦の言葉を思い出した。「神崎家は代々、常識がないんだ」と。神崎雅子は血縁ではないものの、神崎家に嫁いだ時点で、その一員であることは間違いない。
「もう言うべきことは全部言ったわ。さっさと社長を呼んできなさい」と神崎雅子が命じる。
梨紗は動かない。
神崎雅子は鋭い視線を向け、圧をかけてくる。
「私はここにいるし、梨紗の義母よ。それでも逆らうつもり?」
梨紗は立ち上がり、「分かりました。社長をお呼びします」と応じた。
会議室を出ると、裕亮がすぐに駆け寄る。「どうだった?」
「社長に会いたいって。何を言っても聞かないの。あなた、行ってきて」と梨紗。
「了解」と裕亮は状況を察し、梨紗の肩を軽く叩いてから、会議室に入った。
社員たちは紀康が何度も断られていることを知ってはいるが、社長の判断には口出しできず、黙って見守るしかなかった。
神崎雅子が去る時、顔には冷たい表情が浮かんでいた。
「あなたたちの会社、将来有望だと思っていたのに、こんなにも視野が狭いとはね!」
「私たちから契約を持ちかけてあげたのよ。もし私たちが自分で新しい会社を立ち上げて、脚本家を集めて同じことをしたら、あなたたちに勝ち目はあると思う?」
「三日間、考える時間をあげるわ。もし協力しないなら、どうなるか分かるでしょ!」と、捨て台詞を残し、梨紗に鋭い視線を投げて出て行った。
梨紗は裕亮を見て、裕亮は肩をすくめてみせる。「これで紀康がどうしてあんな性格なのか、よく分かったよ。本当に親子は似るものなんだな」
会議室の中で神崎雅子の圧迫感たっぷりな言葉を聞いていた梨紗は、裕亮の苦労も容易に想像できた。
梨紗は裕亮の肩をポンと叩く。「気にしないで、自分たちの仕事をしよう」
スターライト・メディアは正式に発表した。暁美帆の新ドラマのヒロインは、広島絢菜と小橋里衣に決定。
世間は騒然となった。
若菜と小野田蕭一のファンコミュニティはさらに大きく、彼らは一斉に暁美帆の新作に反対の声を上げた。
梨紗はそんなことには慣れていた。ファンの熱狂はいつものことだし、彼女のドラマはファンの支持がなくても評価される自信があった。重要なのは一般の視聴者層の支持だ。
噂では、暁美帆が小野田蕭一を外したのではなく、単に若菜を拒否したからだと言われていた。小野田蕭一が「愛のため」に降板したとされ、ファンたちは彼を「男らしい」と持ち上げる一方で、梨紗には激しいバッシングが浴びせられた。
予想はしていたが、実際に罵詈雑言を目にすると、やはり心が痛んだ。裕亮は「もう見るな」ときつく言った。
そんな中、高橋青石の会社がタイミングよくコメントを出した。「脚本家こそキャラクターを一番理解している。彼女の選択には理由があるはずだ」と。
しかし、ファンたちは聞く耳を持たず、高橋家の公式SNSまで批判にさらされた。
梨紗はそのことを知り、高橋青石に電話をかけた。「私のために発言しなくても大丈夫です」
「本当は、トレンドからあなたの名前を消してあげたかったけど、出しゃばりすぎると思ってやめたんだ。今回のコメントは、私の本気の協力姿勢を見せたかっただけ」
「あなたの提案は、条件も良かった。でも……」
「分かってる。ゆっくり考えてくれればいい。無理に返事を急がせるつもりはない」
どんなに高橋青石が損得勘定で動いていたとしても、その言葉に梨紗は少し救われた。会社の株は梨紗が多く持っているが、裕亮の意見も大切にしている。
裕亮は「俺は気にしないよ!ドラマが良くなればそれでいい。もらった30%の株で十分。これ以上は望まない」と明るく言った。
梨紗は苦笑するしかなかった。
高橋家との協力は、しばらく保留となった。
「もうすぐクリスマスだし、三人で独り者同士集まろうか?」と裕亮が笑顔で提案した。
「織は独身で当然だけど、私は“未亡人みたいな結婚”だから、独身みたいなもの。でも、あなたは違うんじゃない?」梨紗はからかった。普段は裕亮のプライベートにあまり口を出さないが、イメージ管理だけは気を付けてと釘を刺していた。
「日本の男性もなかなか面白いよ。すっかり慣れた」と裕亮は眉を上げる。
「それでも私たちと一緒に過ごす余裕あるの?」
「ただの遊びだし、特に深い関係じゃないから!もし恋人ができても、君たちを優先するよ。一緒にどう?」
「途中で置いていかないでね」
「それは絶対ない!」
織に連絡すると、最近気になる男性ができて、バレンタインにアタックするつもりだと言う。
梨紗と裕亮は顔を見合わせた。
そこまで言われたら、止める理由もない。
裕亮は勢いよく梨紗の背中を叩いた。「安心しなよ!織が君を見捨てても、俺は絶対に見捨てないから!」
……と思いきや、当日になって裕亮も来なかった。
梨紗は気にも留めなかった。毎年一人で過ごしているのだから、今年も同じだ。
本当は外出するつもりはなかったが、冷蔵庫がほとんど空だったので、ネットスーパーではなく久しぶりにスーパーに買い出しに出かけた。
街にはカップルが溢れ、女の子たちはバラの花束を抱えて幸せそうな笑顔を浮かべている。
スーパーに入ろうとしたその時、若菜も大きくて豪華なバラの花束を手にしているのが見えた。どうやら紀康を待っているようだ。
紀康が現れ、ギフトボックスを差し出すと、若菜は満面の笑みを見せた。
梨紗はそのまま通り過ぎようとしたが、誰かに呼び止められた。
「梨紗、まだ分からないの?あなたは彼の体だけを縛れても、心までは縛れないのよ!」と玲奈が睨みつけてくる。まるで梨紗がその幸せなひとときを壊すかのような勢いだ。
「彼が結婚してるってバレてもいいの?」
「あなたが黙っていれば、誰も言わないでしょ?梨紗、警告しておくわ。このことが父に知れたらどうなるか分かってるよね?彼はあなたに優しかったじゃない!」
「そもそも父がいなければ、あなたは兄と結婚できなかったでしょ?それに、あなたが兄を騙さなければ、兄と若菜おばさんはこんなに気を使う必要もなかったのに」