梨紗が会社に着くと、受付で宅配便を預かっていると言われた。
特に気にせず、そのままオフィスに持ち帰った。
午前中は社員研修があり、開封する暇もなかった。
やっと箱を開けたとき、オフィスに短い悲鳴が響いた。
河田裕亮が慌てて駆け込むと、梨紗の机の上には、なんと死んだネズミが置かれていた。
彼の顔色が一気に変わる。「誰か、これを片付けてくれ!」
外で様子を伺っていた女性社員たちは、恐ろしくて近づけない。
一人の男性社員が意を決して入り、ネズミを処理してくれた。
「ちょっと待って」
「捨てる前に、差出人の情報があるか確認してもらえる?」
「分かりました」
すぐに写真が送られてきたが、宛先しか記載がなく、差出人は空欄だった。
河田は受付にも確認したが、やはり手がかりはなかった。
「次からは、宅配便や配達物が届いたら必ず連絡先を控えて。しっかり頼むよ」と注意して受付を後にした。
梨紗の元に戻ると、彼女は少し落ち着きを取り戻していた。
「この件は無視できない。宛名までしっかり書いてるし、何か意図があるはずだ」と河田は険しい表情を崩さない。
「昨夜、スーパーの近くで無理やり箱を渡されて、中身は……汚物だったんです」
梨紗は、今回も偶然ではないと考えていた。
「何か心当たりは?」
河田の目に一層の緊張が走る。
梨紗は首を振るだけだった。
「心配しなくていい。すぐに正体が分かるはずだ。今後、君宛の宅配は一度僕のところで預かるように受付に伝えておくよ」
梨紗は無言でうなずいた。
少し気持ちが落ち着いたものの、不安の影は消えない。脚本家としてこうした展開は何度も目にしてきたが、まさか自分の身に降りかかるとは思っていなかった。
物語のセオリー通りなら、これで終わらず、今後は配達物だけでなく、尾行や更なる嫌がらせが続くかもしれない——そう思うと身震いがした。
警察に相談するべきか? だが、まだ被害が拡大していない以上、動いてくれるかは分からない。
彼女は昼休みに護身用スプレーを買いに行くことを決めた。
予想通り、その後も梨紗宛てに不気味な「宅配便」が届き続けた。
偽物の切断された指や、血のついたぬいぐるみ……どれも見るだけで背筋が凍るものばかり。
自分の平静さを過信していたと気づく。家に一人でいるとき、恐怖はすぐそばにあり、誰かが突然押し入ってくるのでは、と不安で仕方がなかった。
夜は枕元に果物ナイフを置いて眠るほどだった。
警察にも通報したが、毎回配達に来る人間は違い、残された連絡先にかけてもすでに使われていない番号。調べても通信会社ではすでに解約済みとのこと。
明らかに計画的な嫌がらせだった。
河田と早川思織は心配し、しばらく梨紗の家に泊まることにした。
数日間は何事もなく平穏に過ぎた。
「もう大丈夫。警察も動いてるし、相手もこれ以上は手を出せないでしょう。もう迷惑かけたくないので、そろそろ帰ってください」
梨紗にそう言われ、二人も納得し、それぞれ自宅へ戻っていった。
社員研修も終わり、皆が自主的に作品作りに取り組み始めていた。
梨紗と河田が採用した人材は有望で、どのチームも順調だった。
梨紗自身の脚本も、いよいよ大詰めを迎えていた。
新ドラマのクランクインが正式に決まる。
梨紗が現場に入ると、「暁美帆先生」として彼女が脚本家であることを知ったスタッフたちは驚きを隠せない。
彼らの中で梨紗は、これまで「若菜」の代役というイメージしかなかったのだ。
なぜ代役をしていたのか、誰も深くは追及せず、天才作家が現場体験を重視する独特のやり方だと思っているようだった。
廣島絢菜と小橋里衣は感激し、このチャンスを何よりも大切にした。
「暁美帆先生、本当にありがとうございます! 絶対に期待を裏切りません!」
「そうです! 先生、私たち最近ずっと練習していたんです。何かあれば、ぜひご指導ください!」
「私は自分の脚本には厳しいですよ。覚悟しておいてくださいね」
「もちろんです! この仕事は細部までこだわってこそ、観客に届けられると思っています!」
二人の真剣な態度に、梨紗も安心した。
一方、もう一つのドラマも制作発表された。
金花という名義で知られる作家の、最新作である。
金花はファンタジー時代劇を得意とし、どの作品も大ヒットを記録している。
今回の新作は自他ともに認める最高傑作らしく、主演には若菜を熱望していた。
ついにその願いが叶い、相手役には小野田蕭一が決まった。
このニュースが出るやいなや、ファンコミュニティは大盛り上がり。放送前から話題沸騰だった。
河田が記事を見て、鼻で笑う。
「分かったか?君が若菜を断ったから、小野田蕭一もそっちに行った。完全に勝負を仕掛けてきてる。放送時期もぶつかるだろうな」
「テーマもターゲットも違うから、私は気にしてない」
梨紗は落ち着いて答える。
ファンタジー時代劇は一定の人気があるが、若菜と小野田の影響力は絶大だ。しかし梨紗の脚本は、子供から大人まで幅広い層に親しまれる内容で、必ず家族が楽しめる要素を盛り込んでいる。
河田は口元を緩める。
「それで余裕なんだな。面白い」
今回のキャストは、実力派のベテラン俳優が中心で、いわゆる人気タレントはいない。
梨紗の意向で、ベテランには相応のギャラが支払われたが、廣島と小橋も全く異論はなかった。
その日の仕事を終え、家路につく途中、梨紗はふと背後に気配を感じた。
思わずバッグの中の護身スプレーに手を伸ばす。歩調を緩めると、後ろの足音も遅くなる。
逆に速めると、それにつられて後ろの足音も速くなった。
その人影は……確実に、梨紗の後をつけていた。