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第79話 致命な誤解と父の決断


逃げ出した拓海は、レストランの隅に身を潜めながら、再び紀康に電話をかけた。そしてこっそりと店内の様子をうかがっている。


「今度は何だ?」

電話越しに微かに注文の声が聞こえ、拓海はすぐに尋ねた。


「お父さん、今、若菜ばあちゃんと一緒にいるの?」

「ああ。」

「お父さん!どうして僕を連れて行ってくれないの?おじいちゃんとお母さんとご飯なんて嫌だよ、もううんざり!」

「我慢しなさい。おじいちゃんが、拓海に会いたくて来たんだよ。」

「でも、二人とも本当に面倒なんだよ!さっきお父さんに電話した後、おじいちゃんが何かお母さんに言って、それでお母さん泣いちゃった!まだご飯も食べてないし、僕もうお腹ぺこぺこだよ!」拓海は不満をぶつけた。

「おじいちゃんたち、若菜さんのことを話したのか?」

「ううん、有名な女優さんのことを話してただけ。たぶん若菜ばあさんのことだと思うけど。」


電話口からは息が詰まるような沈黙が伝わってくる。今にも爆発しそうな怒りが感じられた。


「わかった。」


拓海が「わかった」内容を理解する間もなく、電話は一方的に切られた。実はお父さんに迎えに来てほしかったし、家のご飯にも飽きていたけれど、これ以上電話をかける勇気はなかった。


その時、梨紗の携帯が鳴った。紀康からだ。


神崎宗一郎が先に気づき、すぐに携帯を手に取る。彼が口を開くより先に、紀康の氷のような声が響いた。


「梨紗、少し時間をくれ。話がある。」

「話ならここでしてくれ!」宗一郎が怒鳴る。


紀康の表情は今にも雨が降り出しそうなほど暗い。梨紗はやはり手強い、すぐにお義父さんに電話を渡すなんて——。


「これは僕と梨紗の問題です。」

「恋愛なら口出ししない!だが、君たちは結婚したんだぞ!私が来た二日目でもう家で食事をしない?仕事を言い訳にするな!今の立場で、断っても誰も文句は言わん。つまり、君はこの家に帰りたくないだけだろう!」

「私がいない時はどうなんだ?その時も同じじゃないのか?」


紀康は父に逆らえず、黙り込んだ。電話越しに、レストランのざわめきがかすかに聞こえる。

宗一郎はさらに詰め寄る。「答えろ!今、誰と食事しているんだ!」


「家に戻ってから話します。」紀康は一方的に電話を切った。


宗一郎は梨紗の方を向き、最後の望みをかけて問いかける。

「梨紗、正直に言ってくれ。紀康は外に女がいるんじゃないか?」


梨紗は平静を装ったが、その沈黙が宗一郎には肯定に映った。


激しい痛みが宗一郎の胸を襲う。顔色が真っ青になり、苦しそうに胸元を押さえた。


「お義父さん!」梨紗は青ざめ、すぐに薬を探しに走る。


松本真紀が慌てて水を持ってきて、宗一郎に薬を飲ませる。


「お義父さん!お願いですから、どうかご無事で……!」梨紗は涙声で訴える。


宗一郎は荒い息を吐きながら、梨紗を見つめる。その目には深い後悔が浮かんでいた。


「梨紗……この家で辛い思いをさせてきたね。助けたいと思っていたのに、結局、負担ばかりかけてしまった……もしあの時、君をこの苦しみに巻き込まなければ……」


「お義父さん、もうやめましょう!ご飯にしましょう?ね?」梨紗は話をさえぎり、これ以上宗一郎が動揺しないよう必死だった。


「いくら君たちが私の前で取り繕っても、もう隠せない……二人の間は、他人よりも遠い。私の責任だ……」

「なぜここまでこだわったか分かるか?紀康は私の息子だからだ。彼の心にも、君への想いがないわけじゃないと感じた。私のエゴで、彼に後悔させたくなかったんだ……」

「君がずっと離婚したがっていること、分かっていた……全部、私のせいだ……」


梨紗の頬を、静かに涙が伝う。


宗一郎は梨紗を見つめ、最後の願いを込めて言った。


「どうか、これが最後のお願いだ。もし今回でもう本当に無理だと思ったら……私は何も言わない、君を自由にするから……」


宗一郎の切なる目に、梨紗は胸が張り裂ける思いだった。八年も経ったのに、紀康が少しでも自分を思っていたなら、もうとっくに振り向いてくれていたはず。それでも、宗一郎の願いを、どうして断れるだろうか——。


その時、冷たい空気をまとった紀康が突然部屋に飛び込んできた!


「梨紗!お前、何をしてるんだ!」


松本真紀が思わず身を縮める。


紀康は梨紗の前に数歩で詰め寄り、彼女を乱暴に突き飛ばした。その勢いで、梨紗は床に激しく倒れ込んだ。


「信じられない!おじさんとだけじゃ足りなくて、今度はお父さんまで……!」


言いかけたところで、宗一郎が鋭く制した。

「紀康!何を言っているんだ!」


自分の息子が、こんなひどい言葉を口にするなんて——。


紀康は怒りに満ちた目で梨紗と父を睨みつけ、恐ろしい疑念に囚われる。


「お父さん……本当は信じたくなかった。でも今、二人の様子を見て……まさか……」

「バシッ!」


宗一郎の平手打ちが、紀康の頬を叩いた。


紀康は呆然とした。これまで父が手を上げたことなど、一度もなかった。


「梨紗!」


宗一郎はふらつく体で梨紗を助けようとしたが、松本真紀が先に彼女を抱き起こした。


梨紗は全身が凍えるように冷たく、空腹すら感じなかった。ただ、深い屈辱に飲み込まれていた。静かに立ち上がり、冷ややかに言った。

「部屋に戻ります。」


紀康はその背中を、毒のこもった目で睨み続けていた。今にも刺し殺しそうな勢いだ。


「紀康!」宗一郎が怒鳴る。


紀康ははっとして振り向く。


「そこに座りなさい!」


紀康は怒りを押し殺し、ぎこちなく席についた。


宗一郎も椅子に座り、荒く息をつく。松本真紀は慌ててキッチンに下がり、梨紗と拓海の食事を用意しに行った。


「紀康、お前は何も知らずに好き勝手なことを言ったな!私への侮辱はまだ許す。しかし、梨紗をここまで貶めて……彼女は私に腎臓をくれ、命がけでお前の子を産んでくれたんだ!お前にとっては、私の体が弱いのが悪で、無理やり結婚させられたと思っている。子どもも彼女の策略だと……悪いのは私たちだと?」


「お父さん……」紀康が口を挟もうとする。


宗一郎はその手を制して、冷たく言い放つ。


「言い訳は不要だ。さっきの発作も、梨紗が薬を持ってきてくれたから助かった。でなければ、今ごろ私に会えるのは葬式だけだ!」


紀康は苦しげに眉をひそめる。


「梨紗はお前に何一つ借りていない!どうしても借りがあるとすれば、お前なんかを愛してしまったことだけだ。私はさっき、外に女がいるのかと彼女に聞いたが、梨紗は一言も責めなかった。こんな時でさえ、お前を庇っているんだ!それなのに、お前は……!」


紀康はさらに顔をしかめる。


「外で誰と付き合っていようが、今すぐきっぱり縁を切れ!神崎宗一郎は梨紗以外、嫁とは認めない!」

「お前が本気で梨紗と離婚したいなら——いいだろう。しかし、その女だけは——」


宗一郎の声は鋼のように強く、決意が滲んでいた。


「絶対に神崎家の敷居はまたがせない。私が死ぬまで、絶対にだ!」


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