若菜はずっとこの業界の輪に入りたくて、みんなに認められることを願っていた。将来自分が監督をするとき、彼らに後押ししてもらいたいからだ。
紀康はかなり苦労して、ようやく招待状を手に入れてやった。
若菜は梨紗が恥をかく場面を楽しみにしていたが、予想に反して梨紗は裕亮と一緒に、何の問題もなく会場に入っていった。
中村は顔をしかめて言った。
「まさか紀康が病気で、梨紗がこっそり招待状を持ち出したんじゃないだろうな?」
「ちょっと電話して確認してみるよ。」
中村は紀康に電話をかけ、状況を伝えた。
紀康は体調こそだいぶ良くなったものの、まだ力が出ず、手元の招待状を見て言った。
「ここにある、取られてないよ。」
「そんなはずないだろ?もう一度確認してみてくれ。」
紀康は招待状を手に取って、再度確かめた。「間違いない。」
「本当か?じゃあ、裕亮が梨紗のために招待状を用意したのか?」
紀康にも分からず、それ以上話さなかった。
電話を切ると、中村は青石と若菜の方を見た。その視線からは「梨紗の力は思ったより大きいかもしれない」という気持ちが読み取れた。
だが、こういう場には名の知れた人しか集まらない。梨紗が入れたとしても、注目されるとは限らない。
「とにかく、私たちも入ろう。」
会場に入ると、梨紗と裕亮が何人かの大御所俳優と談笑しているのが目に入った。
まるで裕亮が梨紗を連れてきたのではなく、逆に梨紗が裕亮を紹介しているかのような雰囲気だった。
「そういえば、一ノ瀬真治さんの同級生にこの業界の人がいたよね。きっと中に知り合いがいるんだろう」と中村が言った。
若菜はほっと胸をなで下ろした。彼女もその話を覚えていたから、梨紗が本当にこの人たちと親しいわけではない、と自分に言い聞かせた。
若菜は一人の著名な大御所俳優――いや、「芸術家」と呼ぶべきだろう――に目を止めた。
近づこうとしたその時、その芸術家が隣の人に話しかける声が聞こえた。「暁美帆先生も今夜来ているそうだ。」
「ええ、私も聞きました。あちらにいらっしゃいませんか?」
皆が一斉に梨紗の方を見やった。
「こんな才能ある脚本家が後輩にいるなんて、芸術界も将来が楽しみですね。」
「本当に。ちょっと話をしに行こう。」
「暁美帆先生?」
中村がぽつりとつぶやいた。
「君と紀康、ずっと一度会ってみたいって言ってたよね?前に暁美帆先生が現れた場所を、紀康がいくら調べても分からなかったのに、まさかここで会うとは。」
青石が口を挟んだ。
「彼女が来てても不思議じゃないよ。前の三作はNHKでも宣伝してたし、特例で国家二級脚本家に認定されたって話だ。あのレベルは並じゃない。」
中村は梨紗の方を見ながら、ふと妙な考えが頭をよぎった――まさか梨紗が暁美帆先生なのか?
だが、そんなはずはない、と首を振った。梨紗はあそこにいるじゃないか。暁美帆先生のはずがない。
そもそも、みんな暁美帆を男性だと思っていたが、実は女性だったと後で分かった。
紀康も若菜もずっと彼女を探していたのだから、本人なら気付かないはずがない。
若菜は梨紗の周りに集まる人々を見て、心穏やかではいられなかった。だが、明らかに皆が自分から梨紗の方へ寄っているのは事実だった。
きっと一ノ瀬真治さんの知り合いが中で助けているのだろう、そうでなければ梨紗にこんなチャンスはないはず。
梨紗が暁美帆先生かもしれないと疑ったことはあるが、あり得ないと思い直した。
本当にそんな実力があるなら、なぜ自分の代役なんか引き受けたのか?
一ノ瀬真治さんのつてでこの世界に入り、人脈作りに必死なだけだ。
もし本当に演技力があるなら、他の監督にとっくに見出されているはずだし、こんな場所に来る必要もない。どんなにあがいたところで無駄だ。
すると中村が言った。「若菜、君もあそこへ行ってみたらどうだ?君が行けば、みんな梨紗から離れるはずだよ。」
若菜はその気になった。自分こそが注目されるべきだと、梨紗に見せつけてやりたい。
若菜は皆の方へ歩み寄り、声をかけようとしたとき、例の芸術家がまた隣の人に話しかけていた。「こんな後輩がいてくれれば、芸術界の未来は明るいですね。」
「本当ですね。ちょっとお話しに行きましょう。」
何人かが梨紗の方へ歩み出した。
若菜も慌てて後を追い、笑顔で挨拶した。
「皆さん、初めまして。早乙女若菜と申します。こうしてお目にかかれて光栄です。」
言った瞬間、場の空気が一気に凍りついた。
誰も返事をせず、居心地の悪い沈黙が流れる。
やがて、誰かが先に反応し、にこやかに言った。
「君の芝居、見たことあるよ。なかなか良かった。」
他の芸術家たちも続く。
「そうそう、若手の中では抜きん出てるよ。素晴らしい。」
「ところで、今日はお一人で?神崎社長はご一緒じゃないんですか?」
最初の言葉には嬉しかった若菜だが、後半の一言に違和感を覚えた。まるで紀康の力で今の地位がある、と言われているような気がしたのだ。
とはいえ、表では大御所に逆らうわけにはいかない。
「紀康は体調を崩してまして、今日は中村さんと高橋さんがご一緒です。」
今夜の宴には実業家は招かれておらず、中村と青石の存在は少し場違いに見えた。
だが、この業界のベテランは皆、言葉を選んで話す。
「神崎社長は本当に早乙女さんを大事にしているんですね。ご本人が来られなくても、お二人をお連れになるなんて。でもここは交流会ですから、中村さんや高橋さんはきっと退屈でしょうね。」
「行き届かない点があれば、中村さんも高橋さんもどうかご容赦下さい。」
こうしたやりとりに、中村と青石の表情は曇ったが、表立って怒ることはできなかった。
今夜の会は国が主催し、定期的に開かれている。華美な商業パーティーとは違い、質素で芸術交流が主な目的だ。
若菜は、そんな言葉の裏を読み取れないはずがない。これまでどんな場でも、紀康がいようがいまいが、誰よりも持ち上げられてきたのに、今夜はまるで自尊心を踏みにじられたようだった。
きっと梨紗が何か言いふらしたに違いない――
若菜は丁寧に挨拶すると、その場を離れた。
梨紗の周りには、まだたくさんの人が集まっていた。
中村は若菜の視線を追いながら言った。
「もし梨紗が本当にあの大御所たちの前で君の悪口を言ったなら、俺は絶対に紀康に伝えるよ。」
青石は淡々と答えた。
「あの方々の前じゃ、梨紗が小細工できるはずないよ。」