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第86話 まさか外に女がいるんじゃないでしょうね


青石はほんの少し眉をひそめた。

梨紗が特に反応を見せず、表情も変わらないのを見て、彼は少し意外に思った。


中村はっと何かを思い出したように口を開いた。


「そうだ、夜はあまり食べてなかったでしょう。紀康さんが帰る前に、ちゃんと君の面倒を見てほしいって言ってたよ。何か食べたいものある?ご馳走するよ。」


若菜は微笑み、青石の方を見た。


「青石さんは何か食べたいものある?」

「いや、特に食欲もないし、これからちょっと用事もあるから。中村、君が先に連れて行ってあげて。」


青石がそう言うと、ちょうど彼の車が到着したので、そのまま立ち去った。

中村は青石の様子がおかしいことに気づいたが、特に気にせず、若菜に向き直った。

「じゃあ、行こうか。」


若菜はずっと青石の背中を見つめていた。最初は自分の気のせいかと思ったが、よく考えるとそうでもなかった。


そもそも青石は最初から中村ほどフレンドリーではなかった。元々の性格かと思っていたが、最近になって彼がわざと距離を取っているのだと気づいた。しかも意外な行動も多い。


「若菜?」


中村が返事のない彼女に手を振って気を引いた。

若菜は視線を戻し、中村に向かって言った。

「ちょっと疲れたから、帰って適当に食べるよ。」


「わかった。」


中村はあっさりと了承した。

車が来て、二人はそのまま去っていった。


一方、裕亮と梨紗の車も到着した。

梨紗はすでに宗一郎に電話し、今夜は宴会が長引くので神崎家には戻らないと伝えていた。

その時、宗一郎は「都合が悪ければ運転手を迎えに行かせる」と言ったが、梨紗は「大丈夫、泊まるところはあるから」と断った。

宗一郎はそれ以上聞かず、承諾した。


裕亮は家が遠いので、梨紗を先に送ることにした。


紀康が家に戻ると、宗一郎が怒った顔で待っていた。


「ちょっと目を離した隙に、もう出かけたのか!自分の身体が弱いのに、無理してどうする!」


紀康は淡々と返した。


「大事な用事があったんだ。」

「お前が行かなきゃいけない用事なんてあるか?会社にはあれだけ人がいるだろう。お前がいなくても回る!」


紀康はそれ以上何も言わなかった。


宗一郎はふと思い至ったように紀康を睨んだ。

「まさか外に女がいるんじゃないだろうな?」


「父さん、梨紗が何か言いましたか?」


紀康は警戒した様子で宗一郎を見つめた。


宗一郎は険しい顔になった。

「その態度はなんだ?お前たち結婚して八年になるが、梨紗は一度もお前の悪口を言ったことがない。お前も変な疑いを持つな。」


紀康はわずかに眉をひそめ、黙り込んだ。


「ただの推測だ。結婚してこれだけ経つのに、全く進展がない。どうせ外に誰かいるんだろう。紀康、家族がうまくいけば全てうまくいく。もしそんなことがあるなら、すぐに手を切れ。家の中がめちゃくちゃになって、金も人も失ったら、何も残らんぞ。」


紀康はそれ以上聞きたくなくて、背を向けて部屋に向かった。

「父さん、今日は疲れたから休むよ。」


「そうだ、梨紗から何か連絡あったか?今夜は帰らないって言ってたぞ。」


紀康は一瞬驚いた。


帰ってこない?

彼女はいつも父に気に入られようとしていた。せっかくの機会を逃すとは思えない。


紀康は、梨紗がわざとそう伝えただけで、夜中には帰ってくるのではないかと考えた。

彼女は二日間も床で寝るのを我慢して、ベッドには一度も来なかった。それは彼にとっても意外だった。


翌朝。


紀康が目を覚ますと、部屋はがらんとして梨紗の姿はなかった。

きっと先に起きて朝食の準備をしているのだろう。

宗一郎がいるから、彼女も良いところを見せたいはずだ。


だが部屋を出ても梨紗の姿はなかった。

洗面所にいるのかと思ったが、食事の時間になっても梨紗は現れなかった。


——本当に昨夜は帰って来なかったのだと、紀康はようやく気づいた。


さらに驚いたことに、その後数日間、梨紗は神崎家に戻ってこなかった。


食卓で宗一郎が拓海に尋ねた。

「拓海、お前の家も普段からこんな感じか?」


拓海は首を横に振った。

「違うよ。前はいつもママが家にいて、パパがあまり帰ってこなかった。でもこの二ヶ月は逆で、ママがほとんど家にいなくて、パパがずっと家にいる。」


紀康は息子を止めたかったが、もう遅かった。


彼と宗一郎が目を合わせたが、父は何も言わなかった。


その後、紀康は拓海を学校へ送り届けた。


道中、拓海が突然言った。


「パパ、週末はママに遊びに連れてってもらいたい。」

「自分で電話してごらん。」

「うん。」


拓海は梨紗に何度も電話をかけたが、つながらなかった。


「パパ、ママ電話に出ない。」


紀康はちらりと息子を見た。

「きっと忙しいんだよ。終わったらかけ直してくれるさ。」


だがその日一日、梨紗からの折り返しはなかった。


放課後、紀康が迎えに行くと、拓海はまた同じことを言った。


「わかった。後でパパからもかけてみるよ。」


紀康は最近、若菜と会っておらず、連絡は電話だけだった。

体調もだいぶ良くなったが、今は感染しやすい時期なので、彼女にうつしたくなかった。

若菜も忙しく、彼の元へは来ていなかった。


……


梨紗の携帯は何度も鳴っていたが、彼女は出なかった。

誰からの電話か、わかっていた。拓海と紀康だ。


宴会が終わったあと、国の公式アカウントが梨紗と裕亮のスタジオについて特別に取り上げ、応援を表明した。

これまで協力や投資を渋っていた企業が、一斉に連絡を入れてきた。


梨紗と裕亮は目が回るような忙しさだった。


ようやく一息ついたとき、裕亮は椅子にもたれて言った。

「やっぱり国の力はすごいな!俺たちが重点的にサポートされることになれば、紀康に何かされても怖くない。」


梨紗は、いずれ状況は変わると信じていたが、まさかこんな形で転機が訪れるとは思わなかった。すべては彼女と裕亮自身の実力だ。


国からのタイミングの良い後押しのおかげで、困難なときに救われた。

この「お墨付き」があれば、これからの創作活動も格段にやりやすくなる。


裕亮は、梨紗のスマホがずっと光っているのに気づき、

「誰かから電話だろう?出なくていいの?」


梨紗はスマホを裏返し、画面が見えないようにした。

「大事な電話じゃないから。」


裕亮も何となく察したのか、それ以上は聞かなかった。


「そういえば、青石さんの件はどうなった?」


この話はずいぶん長引いていたが、青石からはっきりした返事がなかった。


「契約しようと思う。」


梨紗はこの前の宴会で青石に会ったことを思い出した。

彼は本当に協力したいようで、資金も今後の創作の支えになる。だから契約を決めた。


「わかった。後で電話して伝えておいて。」


梨紗は頷いた。


スタジオを出てタクシーを呼ぼうとしたとき、一台の車が目の前に止まった。

窓が開き、サヤが顔を出してにこやかに言った。


「梨紗おばさん、家まで送ってあげる!」

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