唐突だが僕のセクシャリティはゲイで、タチ。
社内ではもちろんこのことは誰も知らない。ああ、大学からの同期が一人、彼だけは知っているが、そのくらい。
時々女性社員からアピールを貰うけど、うまくかわすのも慣れたものだ。社内では恋人を作らないと宣言しているおかげで、僕は外でいろんな女性をとっかえひっかえしている罪作りな男ということになっているらしい。
僕が相手をとっかえひっかえしているのは事実だけど、相手は男の子。特定の恋人を作らない主義には、大学からの同期には毎回渋い顔をされている。
「ストライクなんだよなあ」
そういう街のいつものバーのカウンターでグラスを傾けていると、言葉がひとりでに飛び出した。
「どうしました? また目当ての子でも見つけましたか?」
カウンターの内側から、バーテンダーの如月くんが細い指でグラスを拭きながら声をかけてきた。
「はは。会社の後輩なんだけどね。僕好みの綺麗な顔でぱっと見陽キャ系ガテン男子っぽくて、ちょっと怖そうなくらいクールな雰囲気なくせに、中身がめちゃくちゃ可愛いんだよ。教育係してるんだけど、ヒヨコみたいにピヨピヨって後ろをついてきてくれるんだ」
「あなた、きつい見た目で素直な子がお好きですもんね」
「そうなんだよ。第一印象は顔の整った古臭いヤンキーだったんだけど、根が素直な子でさ。凄くストライクなんだ。僕のことは先輩としてすごく尊敬してくれているみたいなんだ。僕の名刺、いい匂いがするって言って持ち帰ったくらいだからね」
「ふうん」
如月くんは相変わらず、人の話を聞いているのか聞いていないのかわからないような様子で、優雅にグラスをひとつ磨き終えるとまた別のグラスを取り上げて磨きだす。
「教育係だから懐いてくれるんだろなとは思うんだけど、彼、ほかの人と仕事以外で喋ってるの滅多に見たことがなくて。あ、別にほかの子と仲が悪いとかじゃないらしいよ。仕事終わったら同期と飲みに行くのは見たことがあるからね。でも社内で、普段からあの子と仲良くしてる子って見たことないんだよねえ」
「そうですか」
「好みは好みで死ぬほど好みだけど、先輩として心配になるよね。仕事ってコミュニケーションで回りやすくなるからさ。アドバイスはしたことがあるけど、仲良しごっこは嫌いだ、ってツンとされて……あー、あれも可愛かったな」
「でも」
如月くんは人形のように整った顔をわずかに傾けながら、手元のグラスを明かりにかざす。磨き残しがないかどうか確かめるように、くるくると器用に回していた。
「ノンケでしょう、その子」
そう言って、ぴかぴかになったグラスを満足げに伏せる。
「そうなんだよねえ……」
僕は手の中のグラスをコースターに乗せてから、肘をついた。
「ノンケに手を出して何度も火傷してませんでしたか、あなた」
「昔ね」
「それに、社内に好みの子がいても手を出さないって誓っていたじゃないですか。榊原に」
榊原というのは大学からの同期で、社内で唯一僕のセクシャリティを知る男だ。如月くんと榊原くんと僕は、大学からの腐れ縁みたいなものだ。
「……昔ね」
僕には不思議な能力がある。相手が何を求めているのか、自然とわかってしまうのだ。
優しい言葉が欲しい人には優しさを、共感が欲しい人には共感を、はっきり言って欲しい人には必要な言葉を。そうすると、なぜか皆、揃って僕に心を開く。
加えてこの見た目だ。生粋の日本人なのに、よくモデルみたいだと言われる。僕という人間に興味を持たないくせに、見た目から勝手に想像して期待する。そんな扱いにはもう慣れた。
だからこの外見と能力を利用しすることにした。
一晩だけの恋人を漁り、狭いゲイコミュニティの中だけでなく、もっと広く、ノンケと呼ばれる人間にまで手を出した。
だけどあの頃の僕は、コミュニティの空気に慣れすぎて、一晩のみの関係に慣れきっていた。誠実なノンケの気持ちを重たく感じてしまい、結果待っていたのが、修羅場だった。
ただちょっと遊びたかった。それなのに本気惚れされる。
愛を欲しがられるのも辛い。愛を与え続けられ、「愛を返してくれない」と嘆かれるのも辛い。
ただ、僕は僕の寂しさを紛らわすために誰かを愛するふりをしたかっただけ。だって人間なんて、いくら本気で惚れても裏切るものだろう?
「だけど、本当に可愛いんだ。禊くんっていうんだけど、心の中では楓真くんって呼んでるくらい、もう最近ずっと彼のことばっかり考えてる。あー、恋煩いかな。胸がきゅんと締め付けられる」
「正直に言ったらどうですか? やりたいって」
如月くんは辛辣だ。敵わない。僕は降参して肩をすくめた。
「ターゲットを決めたらすぐに手を出すのがあなたです。その見た目でタチなんですから」
「最近ずっとご無沙汰だよ。健気だろう?」
「ずいぶんと品の悪い健気もあったもんですね」
はあ、とため息交じりな如月くんはそれでも楽しそうだ。
「さっきの名刺の話だけど、あの子が僕の名刺の匂いを一生懸命嗅いでる姿、名刺にキスしてるみたいに見えたんだよね。熱心に。そんなの見せられちゃ、もうたまらないよ。可愛すぎる」
「ふふ、確かにそんなもの見たら、やれる、って思っちゃっても仕方ないかもしれませんね」
如月くんの上品な顔からギリギリ下品な言葉が出てくるのはなかなか悪くない。そんな僕の下劣な視線に気が付いたのか、少し笑って彼は話題を変えた。
「でもどうせ、落とすつもりでしょう?」
如月くんは空気を読むのも空気を動かすのもとても上手い。そ知らぬふりで、手元のグラスをもう一つ磨き始める。
会った時から思っていたけど、不思議な人だ。この店の居心地がいいのは如月くんが仕切っているからだけど、彼はオーナーの愛人で、ここは暇を持て余した如月くんの趣味の店らしい。籠の鳥の暇つぶしです、と自虐的に呟いたのを聞いたことがある。
「あなたが本気になったら相手が気の毒です。落とせなかった人間を見たことありません」
「落とせなかった子の話はしないからだよ」
「ふふ、落とせなかった人間の方がずっと少ないはずですよ。相手がノンケだろうと容赦しないでしょう? ああ、気の毒。もうその子、逃げられませんね」
くすくすくす、と小さな声。悪い笑顔をしている。楽しんでいるのだ。
「わかんないよ。賭けようか?」
「いいんですか? 僕、あなたが落とす方にしか賭けませんよ」
「それは嬉しいけど、賭けにならないね」
残った酒を一息で飲み干す。お替わり、とグラスを取り上げると、如月くんは黙ってシェーカーを取り出す。
如月くんの言う通りだ。僕はこれだけ愚痴なのかノロケなのかわからないことを喋ってるけど、僕の中では次の行動は決まっている。
あの子を手に入れたい。
どうやって攻めようか。それを想像すると、ちょっとわくわくしてくる。きっと今の僕も悪い笑顔を浮かべているだろう。
如月くんがシェーカーからグラスの中に透明な液体を注ぐ。いくつか飾りを乗せて整えると、僕の目の前に供してくれた。
「ありがとう。君もどう?」
ことり、と置かれたグラスは相変わらず美しい。如月くんのたおやかで華やかな美しさがそのまま形になったようだった。
「そうですね、その後輩さんとの成就の前祝いでもしますか?」
グラスを持ち出して手早く水割りを作る。
「じゃあ、成功を祈って」
「乾杯」