恋煩いといえば聞こえのいい単なる欲望を悶々と抱えたまま、あの子との別れが着々と近づいてくる。時間は無慈悲だ。けれどこのままバイバイするなんてもったいない。
僕の計画はこうだ。
来週から、彼は念願の技術部に異動になる。技術部は、営業部がある本社とは遠く離れた工場内にある。彼が異動になってしまえば、社内で顔を合わせることはまずない。
だから彼と仕事をする最終日、二人きりで飲みに行って、「思い出」を作ろうと思う。
よくある手だ。アルコールを使って、酔ったところを介抱する。その後に「思い出」を作るのだ。彼と会うことはもう二度とない。よっぽどのへまをしない限りサヨナラできる。ちょっとだけ残念だけど、僕はうまくやれる自信がある。
「禊くん」
彼は今日も魅力的だ。振り向いた強い視線は、学生時代に剣道をやっていたせいかもしれない。しなやかな体躯は無駄がなさそうだ。一緒に出た外回りから戻ってきて、暑い、といってジャケットを脱いだ時の色気は忘れられない。伏し目がちな視線と汗で髪の毛が貼りついた首筋にドキリした。ああ、いけないいけない。僕は頭を横に振って妄想を追い出す。
普段の彼の言動から、彼はどうやら食べることが好きらしいことがわかった。昼休みのうちに、いくつか店をチョイスしておいた。間違いなく美味しいお店をね。
「金曜日、終わったら飲みにいかないか?」
飲みに行くのは嫌いではないはずだ。仲良しごっこは嫌いだと言いつつも、催される歓迎会には律儀に出席していたし。
時々ランチを一緒にすることはあるけれど、僕と二人きりで飲みに行くのは初めてだ。誘うのは少しだけ緊張する。
「金曜日ですか」
「そう。君と最後だしね。急だったかな」
「いえ……」
少しだけ急いた様子でスマホを取り出すと軽く操作して、予定を確認する。指を何度か往復させてから、一つ頷いた。
「はい、お供します」
営業に行く時と同じ返事を返された。
彼は不器用だから言葉が上手くない。けれど、僕をまっすぐ見つめ返す静かな表情の中、目だけがちょっとキラキラしている。どうやら彼にとって、僕と一緒に飲みに行けるのは嬉しいことらしい。ひっそりほくそ笑む。
「あはは、困ったな、別に義務じゃないし、仕事の延長気分だったら断っていいんだよ。君と僕は先輩後輩だけど、一昔前みたいに飲み会の強要はしたくないからね。単純に、君と飲みたいだけなんだ。お酒は楽しく飲みたいだろう?」
「え……」
肩をすくめて、一歩だけ引いてみる。引いてみて、彼が食いついてきてくれればこちらの勝ちだ。ほら、思った通り、困惑した彼は眉を下げて落ち着かない。
「……そんなつもりでは、なかったんですが」
「一応いくつかお店はチョイスしてるけどね。焼き鳥とか、おでんとか、普通の居酒屋だとか。立ち飲みのお店もチェックしてあるよ。そうだな、もし君の好きなお店があればそこでも構わないけど?」
引いてから、今度は少し押してみる。すると、当惑した様子で、あ、だとか、う、だとか口の中で呟いている。
「行きます。行きたいです」
「本当?」
「俺も先輩と、飲みに行ってみたいと思っていました」
「本当に? 無理しなくてもいいんだよ?」
ちょっと不機嫌そうなのは多分照れ隠しだ。わかっていながら意地悪な言い方をしてしまう。
「……おでんがいい、です」
小さい声だ。ズボンの縫い目を指先で辿る落ち着かない仕草。
「おでんか。ちょっと変わったお店だけど、大丈夫かな? OK、じゃ、金曜日は残業はなしだよ。終わったらすぐに出ようか」
伝えると、彼は僕に向かって礼儀正しい仕草でぺこりと頭を下げた。自分のデスクに向かう様子は、少し浮かれているようだった。