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第4話

「嬉しいな。本当は僕も君ともう少しいろいろ話してみたかったんだよね」

 おでんの店は変わった店だとは伝えたが、料亭のような佇まいは彼の想像とかけ離れていたらしい。敷居が高い、と引きつった顔に書いてある。店の前でまず立ち止まった。

 どうしたの? と手招いて、背を押して暖簾をくぐらせる。小さな鹿威しがしつらえてある中庭を落ち着かない様子で見ている。

「先に靴脱いでいいよ」

「は、い」

 靴を脱いで中に入り、彼は脱いだ靴を丁寧な仕草でそろえた。見た目の割に育ちの良さがにじみ出る、彼のこういうところがとても好きだ。

 着物を着た女性に案内されて畳敷きの座敷に通されてからも、そわそわしながら周りを見回す。

「おでん、屋?」

「変わってるだろう? 総務部の榊原くんに教えてもらったんだ。大学からの腐れ縁なんだけど、詳しいんだ。こういうところ、あんまり慣れてない?」

「おでん屋と聞いたから、もっと庶民的なのを想像していて……俺みたいなのが来ていいのかと……緊張して……」

 歯切れの悪い口調で答える表情は、少し幼い。普段無口で落ち着きがあるように見えるけど、中身は去年まで学生だった、僕に言わせれば子供だ。

「あはは、こういうところの空気、少しでも慣れた方がいいよ。仕事の接待で使ったりするからね。技術部だとそんなことも少ないかな? まあいいや、何頼む? ビールでいいかな。ほら、正座くずして」

 手近にあったメニューを取り上げて、飲み物のページを開く。テーブルの上に置いてある、筆文字でさらりと書かれている今日のおすすめに目を走らせながら。

「は、はい……」

借りてきた猫のような様子で縮こまる差し向かいの彼が、幼くて可愛らしい。つい吹き出した。

「早めにお酒飲んで緊張ほぐした方がよさそうだね。ビールでいい? あとは適当に頼むよ。あ追加してもいいしね」

 現れた店員に、ビールを二つ注文する。ついでに今日のおすすめからいくつかをチョイスした。その間も彼はぴくりともしない。飾り窓に活けられている花なんて見つめている。

 この店を選んだのは失敗だっただろうか。店構えはともかく、個室に入ってしまえばリラックスしてくれると思っていた。

 ごめん、正直、個室でちょっとエッチな感じになればいいな、という下心が完全に裏目に出た。素直にガード下の居酒屋で楽しく飲むのが正解だったんだろう。スケベ心は計算を狂わせる。

「花、好き?」

「え?」

「生花を一つ一つの個室に活けるのってどのくらいの手間がかかるんだろうね」

 花のことはまるでわからないけど。さっきから視線をずっと花に向けている彼に声をかける。話題が思い浮かばないのだ。

「りんどうが、好きで」

「りんどう? って、この紫色の花かい?」

 唐突な話題。つい戸惑ってしまったが、彼がふと目を緩ませて、飾り窓の生け花に右手をそっとかざすのが見えた。

「そうです。これ、この真ん中の花。祖母が、りんどう好きで」

 ちょっと驚いた。どうやら本当に彼は花が好きだったらしい。懐かしそうに、嬉しそうに、花の周りの空間を指で覆うように辿る。

「へえ」

「俺、祖母に育てられたんです。花好きの祖母の影響を受けて、子供のころは花屋になりたいと思ってて。幼稚園のときに『なりたい仕事』の絵で花屋を描いたら、周りから笑われました」

 ふふ、と微笑みながら。

 工業系出身で武骨なイメージがあったけど、じっとりんどうを見つめる綺麗な横顔は、それこそりんどうのように愛らしい。なんとなくその横顔をに見とれていると、店員がビールとお通しを持って現れた。

「乾杯しようか」

 冷えたジョッキを彼に渡す。一か月お疲れ様、とジョッキを触れ合わせ、同時にビールを流し込む。ふ、とビールで気持ちの緩んだ彼が、ほんのすこし、ばつの悪そうな表情を見せる。

「……すいません、いきなり自分の話はじめて」

「君に似てるね、その花。りんどう」

 まるで定番の口説き文句みたいな言葉が出てきた。口に出してから慌ててしまった僕に、彼がちょっと目を見開く。

「凛としてるけど、よく見ると可愛くて親しみやすい。……なんて、気に障ったらごめんね」

「鷹司さんはバラですね。赤バラだ」

 すると、思いもよらない返事が返って来た。

「華やかでその場の空気を作る花だ。一つだけでも存在感があるけど、色々な花と束になっても調和する。けれど、大体いつも主役になる」

 そういって一口お通しを口に運ぶ。

 口説き返された。……彼にそんなつもりはないだろうけど。

「バラの花は、好き?」

 こんなことをノンケから言われて、どう返すのが正解なのか一瞬迷った。彼の思いが純粋過ぎて、僕の欲望が思考を鈍らせる。笑うべきなんだろうか、ありがとう、とお礼を言うべきなんだろうか。

「……花なら何でも好きだ」

 返って来たのはすげない返答だったが、僕はちょっと楽しくなった。一ヶ月一緒に仕事をしたけど、思っていた以上に面白い子だ。僕はメニューを取り上げる。

「ねえお花屋さん、りんどうとバラって合うのかい?」

「そうだな……」

 考える仕草で首を傾ける。メニューを広げて見せると、猫のように身を乗り上げてメニューをのぞき込んできた。柔らかそうな髪の毛が目の前で揺れる。これとこれが食べたい、と指さしたあと、彼が少し早口で話し出す。

「りんどうとバラだけだと色が濃いかもしれない。他の何かを組み合わせたらまとまりがいいな」

「へえ。例えばどんな花だい?」

「カスミソウはなんにでも合うから、素人が花束を作るのならカスミソウを使うといい」

「りんどうとバラだけだと合わない?」

「そんなことはない。ただ、バラは種類が多い。もちろんりんどうと合う種類もあるだろう。だが、……俺の中でイメージしていたバラは、大輪で、真っ赤で、華やかなやつだ。あんたみたいな」

 そこまで言って目を合わせてきたからどきりとした。

 けれど彼は、はたと口を押さえ、合わせた視線を宙に浮かせ、謝って来た。

「……すいません、先輩に失礼な口の利き方を」

 この子天然なんだろうか? これ絶対僕のこと口説いてるよね?

 ダメだ、動揺していつもの感覚が取り戻せない。願望が邪魔をする。取り繕うように苦笑した。

「あはは、お酒の席だからね。あんまり気にしないよ。花の話は君が敬語を忘れるくらい夢中になるってことだろう? 面白いから、もっと続けてほしいな」

 けれど悪い傾向じゃない。あの無口な彼がここまで饒舌になるのなら、もう少し飲ませてみたらいろんなガードが溶けてなくなるに違いない。僕の今までの経験がそう語る。

 もっと教えてよ、と言えば、はにかみつつ、時折敬語を忘れつつ、話を続ける。

 饒舌な彼は少年の顔をしていた。僕は自分の話も織り交ぜつつ、彼の身の上話へと話を流してゆく。今の彼、少し前の彼、高校の時、中学の時、小学生のころ。

 彼の時間を遡って、彼の中にどんどん入り込んでゆく。このあたりは慣れたものだ。気づけばそのうちまた花の話題に戻る。

「赤バラで、サムライっていうのがある。あんたに会った時バラみたいな男だと思ったが、イメージしたのは、サムライだ」

 彼はあまりお酒が強くないらしい。ビールを猪口に持ち替えて、熱燗をもう二本ほど空にしている。完全に敬語を忘れた彼は、口調はともかく失礼な態度をとるわけではない。

「サムライ? 変わった名前だね。どんな花?」

「大き目で落ち着いた華やかさのある、バラらしいバラだ。凛としてて格好いいぞ。ちゃんとしたのを買おうとすると一本数千円する。そういうところもあんたっぽい」

 そう言って猪口を煽ると、彼が徳利に手を伸ばした。遮るように僕が取り上げて、彼に差し出す。けれど、次の言葉で僕の手が止まった。


「バラの中で、俺が一番好きな花だ」


「お、……っと」

 溢れそうになるのをぎりぎり止める。

「おい、大丈夫か、俺よりも飲んでないだろうあんた」

 はは、ごめん、と謝ったけど、これじゃあ完全に僕が口説かれてるみたいじゃないか。なかなかグッと来た。天然だとしたら彼はなかなか才能がある。もしかしたら僕よりも。

「楓真くんは彼女いないの?」

「いない」

「好きな子は」

「いないな」

 彼の意外な返事に、僕は本当に口説かれたんじゃないだろうかという疑問がわいた。願望が止まらない。

 見た目の良さなら今年の新入社員で一、二を争うだろうが、見た目に反する生真面目な性格のおかげなのだろうか、彼は現在フリーらしい。真面目そうだから学生時代から付き合ってる彼女でもいそうだな、と思っていた。

 経験上、女の子は彼氏持ちの方が存外落としやすいけど、男の子はフリーの方が落としやすい。テーブルの下でぐっと拳を握りしめた。

「そんなに格好いいのに?」

「別に格好よくはない。あんたに言われたらただの嫌味だ」

「最後に彼女と付き合ったのは? 入社した時に誘われてたのは見たよ」

「大学時代に自然消滅だ。女はわからない。本当にわからない。苦手だ。今は女と付き合う余裕もないから丁度いい」

 そう言って、くそ、と顔を覆った。ああ、見た目に反した真面目な性格が災いしたって顔だ。

「女の子は難しいからね」

 フォローのつもりで無難な言葉を選んだけど、それが悪かったのか、もしかして良かったのかもしれない。

「あんたは、……先輩はモテるんでしょう。女をとっかえひっかえしてる、って噂を聞いた。俺の耳にまで入るってことは相当遊んでるんだろ?」

 酔っぱらって上気した目が、上目遣いで覗き込んでくる。いつもの鋭い視線はどこへやら、とろん、とアルコールで蕩けた瞳は完全に無防備だ。

「なんだ君、絡み酒なの?」

「羨ましい……」

 呟いて手を伸ばしてきたから何事かと思ったら、猫のような動きで僕の前髪をかきあげてきた。少しだけ眩しくて目を細める。

「そんな顔してもイケメンだな。おいイケメン、最後にセックスしたのはいつだ」

 ぐ、と顔を近づけてきた。酔っぱらって半目になった上目遣いなんて、このままキスしたくなる。とんでもなくかわいらしい。

 予定では、今日これから君とセックスすることになるんだけどね。そんな言葉を飲み込んで、にっこりと微笑んだ。

「最近はご無沙汰だよ。ひと月くらいは。本当だよ」

 だって君のことばっかり考えてるからね。すると彼が面白くなさそうな顔で、僕の目の前に指を二本びしりと立てて見せた。

「二年」

「……なんだい?」

「俺なんて二年だ。にねん。ずっと人肌に触れてない。二年もあったら赤ん坊が人の言葉をしゃべりだす」

「詳しいね」

「常識だ」

 目の前に突き付けられた二本の指を掴んで、ゆっくりテーブルに引き下ろした。

「セックス好きかい?」

「嫌いなわけがないだろう」

「だろうね。僕も大好きだよ」

 さりげなく、彼の手を握ったまま。握った手は、アルコールのせいか驚くほど熱かった。

 いつもだったら手を握った後に指と指の間に指を差し込んだり、指の股をエッチに触ったりしてアピールできるのに、もどかしい。彼の手のひらをぽんぽん触れるのに留めて、名残惜しい彼の体温を手放した。けれど彼はそんな僕に気づく様子もなく、勝手に酒を煽って潰れはじめる。

 ねえ、どんなプレイが好き? リードしたい? リードされたい? 責めるのが好き? 責められるのが好き? 声は上げる方? 縛るのは好み? 激しいのが好き? 僕はね、甘やかしてとろとろにしてから食べちゃうのが好きだよ。

 にこにこしながら彼の話に相槌を打って、彼の猪口に日本酒を注ぐ。いい加減彼も呂律が回らない。着々と僕の計画通りに進んでいる。さて、彼をどんなふうに頂こうか。脳内ではこれからのシミュレーションで忙しい。 そして、気づけば朝だった。

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