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第二話 魔性の王子の役目

 翌日の深夜、アイシュリング王城の離れ。

 第二王子ルークの寝室の前で、アシムは佇んでいた。


 アシムは衣越しに自身の太ももに触れ、感触を確かめるようになぞる。ソレは、すべらかなアシムの肌とは正反対の冷たく固い手触りであった。宝石で飾られたベルトは、一見するとただのガーターリングであったが、変形して短剣にもすることができる隠し武器。短剣の先端には、数時間後には体内で分解される痺れ薬が塗られている。


 ベルトの存在を確認してから、アシムは国を出る前に国王――父から申し渡されためいを思い返す。


 ◇


 二週間前。アシムはイース王国の宮殿で床に膝をつき、首を垂れた状態で父王の話を聞いていた。


「それでは、私の狙いは第一王子のヴィクターですね」

「いや、ヴィクターは女好きな放蕩者だ。捨て置いても構わない。脅威となるのは、第二王子のルーク。武勇にも優れ、将来有望だと聞く。まだ十八になったばかりだが、今のうちに始末しておくに越したことはない」


 アシムは頭を下げたまま、父の話を黙って聞く。


「お前の手練手管を用い、第二王子をたぶらかして国の機密を聞き出せ。十分に情報を抜き取ったら、隙を見てルークを――殺せ」


 そう言い捨てた父の声には、何の感情も感じられない。


「承知いたしました」


 アシムは少しもためらわず、父に言葉を返す。


 自分と二つしか年の変わらないルークという人物がどんな人間かは、関係ない。

 イース王国の最高権力者である父の命令は絶対だ。一国の王子であるアシムとはいえ、父の思い通りに動く操り人形の一つにしか過ぎない。つまり逆らうなんて選択肢は、これまで父の言う通りに生きてきたアシムには最初から思いつきさえしなかったのだ。


 ◇


 アシムは音を立てないように息を吐き、ルークの寝室へと続くドアノブにかける。


 ベッドの近くの小さな明かりしかついていないルークの部屋は、薄暗かった。

 青いベルベッドのカーテンがかかった部屋はシンプルだが、広く、高級感のある机やクローゼットが置かれている。ブルーの壁のそばにある大きな木製のベッドには、ルークが寝息を立てて眠っていた。


 王子であるにも関わらず、部屋の前には見張りさえもいない。それに、人が入ってきたことにも気づかず、のんきに眠っているなんて。


 これが王子だなんて信じられず、アシムは太ももに手を伸ばす。まだ機密情報を聞き出せていないが、今なら簡単に殺せそうだ。


 アシムはいつでもベルトに手をかけられるようにしつつ、ルークのベッドに忍び寄る。至近距離まで近寄っても、ルークはまだ眠っていた。


 起きる様子もない、か。

 アシムはふむと頷き、ベッドに上がろうとする。


 しかし、その瞬間。ルークはカッと目を見開き、飛び起きる。そして、身体の下に敷いていた長剣を抜いて、アシムに銀色の刃を向けた。


「……。お待ちください、ルーク殿下。私ですよ、アシムです」


 のほほんとした王子様かと思ったが、そんなに甘くはないらしい。父上が危険視するだけはある――アシムは油断していたことを自省し、自分の太ももから素早く手を離した。それから、ルークのベッドからゆっくりと降りる。


 ルークは部屋の明かりを強め、ベッドから下がったアシムに視線をやった。


 しばらくしてアシムだと認識したのか、ルークの険しかった顔が緩んでいく。


「なんだ、びっくりした……。アシム様か……」


 ルークは剣を下ろし、全身の力を抜いた。

 だが、ほどなくしてルークはアシムを二度見すると、ぎょっとした表情をみせる。


「……て、ええ!? え? え? な、なんでアシム様がここに!? ここは僕の……、私の寝室ですよ!?」


 先ほどまでの凛々しかった姿が嘘のようにルークは狼狽し、ワタワタと手を大きくばたつかせた。


 一筋縄ではいかないように見え、やっぱりちょろそうだ。アシムはなんだかルークが可愛く思えてきて、思わず笑みをこぼしてしまう。


「アシム様!? 何を笑って……」


 アシムは一度は降りたベッドに再び上がり、誘惑するような動きでルークとの距離を詰めた。


「ルーク殿下も今年で十八になったと伺いました。もう大人の男性なのですから、この時間に私が寝室に訪れた意味が分かりますよね?」


 限界までベッドのふちに避難しているルークにジリジリと近づき、壁際まで彼を追い詰める。


「えっ、ちょ、な、何をおっしゃっていらっしゃるのか全く分かりませんが……!」


 部屋の明かりに照らされたルークの白い肌は、初対面の時よりもさらに赤くなっていた。アシムは妖艶な笑みを口元に貼り付けたまま、ルークの耳に口を寄せる。


「男はお嫌いですか? 女性とするよりも、ずっと気持ち良くして差し上げますよ」


 聞いているだけでとろけそうなくらいのとびきり甘い声で、アシムは囁く。アシムの耳元で銀色の耳飾りが揺れ、ルークの部屋に来る前につけてきた香油の匂いがふわりと香る。


 鼻からはアシムの官能的な匂いを感じ、耳からはゾクゾクするような甘い声を流し込まれ、ルークは可哀想になるぐらいに身を硬くした。


「だ、ダメですよ……! 大切な客人とそんなこと……!」

「客人だなんて」


 アシムはフッと鼻で笑い、ルークの腕をそっとなぞる。あどけなく可愛い顔とは違い、彼の腕にはしっかりと筋肉がついていて、歴戦の騎士にも負けない身体つきであった。


「表向きはそうでも、本当の意味が分からないほど殿下は子どもではないでしょう? 敵国から来た私は、ていのいい人質。殿下たちの好きにされても、文句は言えない立場なのですよ」


 それを聞いた途端、今までは完全にうろたえていたルークの顔色が少しだけ真剣なものへと変わった。


「父上たちの思惑は存じません。ですが、私は……。アシム様の国の人々とも仲良くしたいですし、いつまでも相手の腹を探り合うような真似はしたくないんです」


 想定外の発言をされ、アシムは一瞬呆けてしまった。しかし、すぐにハッとして、つぶやく。


「甘いな」


 血の繋がった家族でさえ殺し合うのが王族の――いや、人間の定め。肉親でさえそうなのに、他国で育った人間なんて、どれだけ疑ってかかっても足りないぐらいだ。


 こんなにも甘い考えでは、敵国どころかそのうち自国の人間に寝首をかかれるのが関の山。アシムは呆れてしまっていたのに、どこかでルークの純粋さをまぶしく感じていた。


「え?」


 聞こえなかったのか、ルークが聞き返そうとする。


「いえ。ただ、ルーク殿下にその気がないのなら、私は他の方に身体を捧げなければいけませんね。もしも誰かに好きにされるのなら、せめてルーク殿下にと思っていたのですが……」


 アシムは悲しい表情を浮かべ、不幸な王子を演じてみせた。


「そ、そんなことはさせません! 私がアシム様をお守りしますから!」


 ルークは身を乗り出し、力強く言いきる。


「ルーク殿下が? それは頼もしい」


 アシムはふふっと笑ってから、再びルークの耳元に口を近づける。


「ではお礼に、ルーク殿下に私を捧げます」


 甘い甘い声で、アシムはルークに息を吹きかける。すると、ルークの青い瞳がキョロキョロと居心地の悪そうに動いた。


「僭越ながら、ルーク殿下を悦ばせる方法はそれなりに心得ているかと存じます。ですが、私はまだ最後の一線だけは他の者には許していません。私の全てを――ルーク殿下の好きにしてもいいのですよ」


 しっかりとルークの耳に誘惑の音を流し込んでから、アシムはキスができそうなくらいの距離まで顔を近づける。端正なルークの顔は、唇にも艶があった。


 ゆっくり、ゆっくりと顔を近づけていき、アシムとルークの唇が今にも重なろうとしている。けれど、すんでのところで、ルークがとっさに顔を背けた。


「ア、アシム様! あなたはさっきから何を……! そういうことは、……その! 好きな人同士でないと」


 ルークはアシムから必死で顔をそらしながら、両手を突っ張り、迫ってくるアシムから距離をとる。


「ルーク殿下は、私がお嫌いですか?」

「き、嫌いだなんて、まさか!」


 叫ぶように言ってから、ルークはベッドの上で姿勢を正す。


「正直に申し上げると、一目惚れしました。どこか寂しそうなあなたの金色の瞳に惹かれて……。心からの笑顔が見たい、僕が笑顔にしてあげたい――そう、思ったんです」

「それは……なんというか……ずいぶん正直ですね」


 まさかこう来るとは思わず、アシムは不覚にも面食らってしまう。必要に駆られて誰かを誘惑したことは何度もあったが、アシムが王族ということもあり、面と向かって口説いてくるような勇気がある者はそうはいなかった。


 だから、こんなにも純粋に気持ちを伝えられるのは、案外アシムは慣れていないのだ。それに、美しいと言われることはよくあっても、寂しそうだなんて初めて言われた。自分はそんな風に見えるのだろうか? アシムは首を傾げたくなった。


「ですが、だからこそ、あなたを大切にしたいというか。その、お互いによく知ってからの方が……。け、決してあなたを拒絶しているわけではないんですよ? ただ、私は……あ! たとえば、もっとお話ししたり、一緒にお茶をしたりして、仲を深めるのはいかがでしょうか? それで、その、十分に親しくなってからでも、アシム様が言われているようなことをするのは遅くはないかと……!」


 言葉につっかえしどろもどろになりながらも、ルークは自分の考えを伝える。


 策略家の父が危険視するほどの男なのに、ここまで奥手で初心だったなんて。アシムと寝ない理由を一生懸命並べ立てているルークがなんだかおかしくて、アシムはつい素で笑ってしまった。


「だから、どうして笑うんですか!?」

「申し訳ございません。殿下があまりにも可愛くて」

「またそういう……」


 からかわれていると思ったのか、ルークがジトリとした目でアシムを見る。アシムはクスクス笑いながら、ルークを見つめ返した。


「分かりました、殿下。あなたのおっしゃる通りにしましょう。たくさんお話しして、私に色々教えてください」

「は、はい! 私でよろしければ! アイシュリング王国のことでも何でも教えますよ!」

「私が興味があるのは、あなたのことですよ。ルーク殿下」


 アシムは金色の瞳を細め、誘うような目つきで笑みを浮かべる。


 ルークは照れたように口元をモゴモゴさせて、何とも言えない表情で目をそらした。


 目的を達成するのには、もう少し時間がかかりそうだ。時間をかけてしまい、父には申し訳ないが、存外楽しめそうだとアシムは思う。こんなにも心が躍るのは久しぶり――いや、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。


 それは、いつ自分がスパイで刺客であることを見破られるかどうか分からないというスリルからくるものなのか。それとも、ルーク自身に特別な何かを感じているからなのか。アシムにさえ、どちらなのかははっきりしなかった。


 ただ一つ言えることとしては、アシムは間違いなくルークに興味を持ち始めている。それだけは、唯一断言できることであった。

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