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第15話 氷の指先

「武器を捨てろ!」


鋭い怒声と共に、黒く長い銃影が病室の出入り口に伸びた。

徹が顔を上げると、現れたのは二人の黒い戦術スーツに身を包んだ男たちだった。

顔はマスクで隠されているが、その眼光は猛禽のように鋭く、構えたオートマチック拳銃の銃口は、既に病室内を正確に捉えている。


神宮寺千雪の私設護衛。

徹の視線は彼らの銃口を越え、その後ろから静かに病室へと足を踏み入れた女に注がれた。


神宮寺千雪。


彼女は淡いグレーの最高級カシミヤのセットアップに着替え、氷の彫像のように冷淡な表情のまま立っていた。

その視線が、すぐさま浅田葵の胸元に添えられた手――震える指先で地面の刃物を指している――に突き刺さる。


葵はその冷気を孕んだ圧にひるみ、小さく項垂れた。

千雪の視線は一拍だけ葵に止まり、すぐにその怯えた顔をなぞるように移動し、まるでごみ溜めを一瞥するかのように、温度のない目で徹へと向けられた。


徹は静かにその視線を受け止める。

彼は気づいた。千雪の右手人差し指には、鷹の爪を模したプラチナ製のナックルリングがはめられていた。

そこには乾ききっていないような赤黒い汚れ――まるで血痕のようなものが付着していた。


彼女は徹のそばを通り過ぎる際、彼を見ることもなく、気配さえも与えず、まるで存在ごと無視するように歩き去る。

だが、その足音の合間に、微かに、ほとんど幻聴のように聞こえた。


「……汚れたわ。」


それは誰に向けられたわけでもない囁き。

場所が、秩序が、彼女の中の“何か”が冒されたことへの、生理的な拒絶――。


血の気が引いていく。

体が再び冷え切っていく中、システムの警告が鋭く響いた。


《ピン!》

【神宮寺千雪:領域潔癖の重大侵害を検知。好感度ポイント -5】

【警告:SSS級個体の心理防御機構が発動。好感度ポイントロック防衛モードへ移行。現在値:+35(固定)】


つい先程まで+45あった値が、一気に10も落ちている。


たったこれだけで?


千雪は窓際に立ち、温泉庭園を見下ろす。背筋は真っ直ぐ、背中から放たれる威圧感に、部屋の空気すら凍てつく。

後方では、護衛たちが倒れた襲撃者たちを拘束し始めていた。


葵は動けずに立ち尽くし、徹と千雪の背中、そして足元の刃物とを交互に見ていた。

そのとき――


千雪が突然振り返る。


彼女の眼差しが徹の右腕へと注がれる。

廉価な包帯テープが血に染まり、あらわになった傷口が露出している。


「手……やられたの?」


それは問いかけというより、壊れ物を確認する機械のような無感情な言葉だった。

徹が返答する前に、彼女は動いた。


突如、彼女は右手を動かし、自分のカシミヤのパンツの裾を……裂いた。


――ビリィィッ!!


葵の目が見開かれる。徹の心臓も一瞬止まったように感じた。


彼女はあの指輪で、高級なパンツの裾を迷いなく切り裂いた。

あたかも無駄な図面を破り捨てるように――一切のためらいも、感情も、存在しない動作。


その切れ端を取り出すと、千雪は左手で徹の肘をがっちりと掴んだ。


「ッ……!」


激痛に思わず声を漏らす徹の腕を、彼女は機械のような精密さと非人間的な冷酷さで、縛り上げていく。


鋭く、速く、冷たい。

包帯代わりの布は血を吸いながら、徹の上腕に食い込んでいった。


葵は完全に言葉を失った。


十数秒で処置が終わると、千雪は手を離し、すぐさま取り出したハンカチで血が付いた自分の指を拭き始めた。

その仕草は、まるで汚物に触れてしまったあとの除菌作業のようだった。


「……汚れたバッグ、」


彼女はふと、ぼそりと呟き、


「……弁償してもらうわ。」


とだけ告げて、あとは一切こちらを振り返ることなく、ゴミ箱へハンカチを投げ捨てると、護衛に手信号で合図を出す。


「片付けて。」


それだけ言い残し、彼女は静かにその場を去っていった。

白い照明の中、破れた裾が揺れる姿はまるで亡霊のように淡く、冷ややかだった。


残された病室には、血と消毒液の臭い、そして一条の灰色の布が残った。

徹の腕に巻き付いたその布は、千雪の体温と香り、そして彼女という存在そのものの圧力を伝えていた。


そして――


《ピン!》

【神宮寺千雪 好感度ポイント:+35(ロック中)】

【状態:SSS級対象が宿主の行動原理に初動探知反応(フラット評価)。任務ライン維持確定。リスク:極高/報酬ポテンシャル:SSS】

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