遠山エリカが車のドアを開けて降りると、ハイヒールの音が軽やかに地面に響き、その音がやがて遠ざかっていく。車内にはかすかな冷たい香りだけが残った。
ハンドルを握る手に、自然と力が入る。
リモート・インターナショナル・グループ――関西の不動産業界を牛耳る巨大企業だ。
星野家も東京ではそれなりの力を持つが、彼らと比べれば小川が大海に流れ込むようなものだ。
そんな雲の上の存在である遠山エリカが、どうして星野黎子と関わることになるのか。
昨夜の彼女の言葉が、今も耳の奥に残っている。あの時はただの冗談だと思っていたが、今はその重みを感じずにはいられない。
この女性と星野黎子は、やはり相容れない存在だ。
エンジンが低く唸りをあげ、車は流れに乗って病院へと向かう。
車内の薄暗がりでスマートフォンの画面が何度も光り、星野黎子からのメッセージが次々と届く。文字には、抑えきれない嫉妬と苛立ちが滲んでいた。
「ふざけんな!今どこにいるの?」
「まさかアイツと寝たんじゃないでしょうね!?」
「警告するわ、絶対に手を出さないで!電話に出なさい!」
「このクズ!電話にも出ないの?あの女も出ない!二人で私の知らないところで何してるのよ!」
荒れたメッセージを眺め、思わず口元が歪む。
遠山エリカは、黎子の反応を完全に読んでいたようだ。
だが、このまま彼女が引き下がるはずもない。
明日の朝は嵐になるだろうと、容易に予想できた。
案の定、翌朝。
オフィスのドアを開けると、すでに星野黎子が席についていて、その表情は今にも雨が降り出しそうなほど険しい。
まるで大切な玩具を奪われた子供のような、独占欲と羞恥が入り混じった怒りが溢れていた。
「昨夜、何してたのよ!」彼女は勢いよく立ち上がり、数歩で私の前に詰め寄ると、腕を掴み、爪が食い込むほどの力で自分のオフィスへと引きずり込んだ。ドアがバタンと閉まる。
「何もしてないよ。」私は淡々と答える。
「じゃあ、なんで電話に出なかったの!」彼女の声は一段と高く、怒りに震えている。
「疲れて寝てたんだ。」私は、怒りで歪んだその顔をじっと見つめる。
「アイツと寝たんでしょう!!」彼女は私の目を睨みつけ、息を荒げ、顔を真っ赤にして今にも飛びかかりそうな勢いだ。
私は黙ったまま目をそらす。
その沈黙が、彼女をさらに逆上させた。
皮肉なものだ。
外では私を犬呼ばわりし、泥の中に蹴落とすことも平気なのに、
二人きりになると、彼女の歪んだ支配欲がむき出しになる。
きっと、私を完全に自分のものにしなければ、彼女の空虚な心は満たされないのだろう。
「出ていきなさいよ!」突然、彼女は私の足を強く蹴り飛ばした。
私は素直にオフィスを後にし、少しだけ肩の力が抜けた。
その日は、意外にも彼女から何も言われることなく、静かに過ごすことができた。
夕方近く、星野会長から電話がかかってきた。
「健太、黎子を連れて別荘に来なさい。今晩は家族で食事だから。」
「分かりました。」と答え、黎子に伝えに行くと、彼女は氷のような視線で私をにらみつけながらも、無言で車に乗り込んだ。
道中、会話は一切なかった。
助手席の彼女の視線が、まるで氷の針のように私の横顔に突き刺さる。
私はそれを無視し、前方の流れる車のライトに目を向けた。
十七日。心の中でその数字を静かにカウントする。
やがて車は星野家の別荘の敷地に到着する。
ドアを開けた瞬間、思いがけない人物が目に入った。
「またお会いしましたね。」
遠山エリカが、見事な黒のドレスに身を包み、優雅に歩み寄ってくる。微笑みを湛えた彼女の姿は、成熟した曲線を見事に引き立て、照明の下、肩と首筋のラインが美しく際立っていた。
その場に立つ彼女は、まるで磨き抜かれた芸術品のように圧倒的な存在感を放っている。
その隣に立つ星野黎子は、彼女の光に押されて幼さと戸惑いが際立って見えた。
「遠山さん?」黎子は顔色を曇らせ、驚きと敵意を隠しきれない声で言った。「どうして、うちに?」
エリカの視線は黎子を素通りして、まっすぐ私に向いた。唇に笑みを浮かべて、「もちろん、森川健太に会いに来たのよ。いけなかったかしら?」
その何気ない一言に、黎子の顔はみるみる青ざめていく。
「ふん。」彼女は鼻で笑い、わざとらしい軽蔑を込めて言った。「ただの犬よ。私が飽きたおもちゃに、遠山さんも興味あるなんて、変わった趣味ね。」
エリカはその言葉にも動じず、むしろ楽しそうに微笑み、「なるほど。だからうまく調教できてないのね。あっちの方も、まあ普通よ。」
あまりに露骨なエリカの言葉に、私は思わず唖然とする。
黎子は怒りで息を荒げ、今にも爆発しそうだった。
「みんな揃ってるかい?」その時、落ち着いた声が場の空気を和らげた。
星野会長が年配の男性とともに現れ、緊張した空気を断ち切る。
「さあ、夕食の準備ができたよ。席に着こう。」