美月の荷物はそれほどの多くはない、スーツケース二つにすべてが収まった。大学に進学してからは、叔父の家を出て寮生活を始め、その後は一人暮らしをしていた。誠司が帰国してからは、彼がこの小さなマンションを買ってくれて、美月はそこに住むことになった。
その頃、美月はまだ水野清夏という女性の存在を知らず、誠司との結婚前の同棲生活が始まることに胸を躍らせていた。けれど、誠司は「結婚するまでは手を出さない」と言い、その優しさに感動していたが、後になってその言葉の裏にある意味に気づいた。
それは、誠司が「他の女性には触れない」という決まりごとだった。
もう終わりにすると決めたからには、絶対に振り返らない。美月は部屋を隅々まで掃除し、自分の痕跡をすべて消した。スーツケースを引きずりながら、ひとまずホテルに向かうことに決めた。数日間だけホテルで過ごし、その間に新しい部屋を探すつもりだった。
ようやく落ち着いた頃、親友の藤原悠から電話がかかってきた。
「美月、こないだ誠司さんとウェディングドレスの試着に行ったんだよね?まだ決めてなかったら、友達がやってるスタジオ紹介するよ!この前、海外帰りのデザイナーを迎えたばかりで、以前は大手ブランドのオートクチュールを手掛けてたんだよ……」
悠は楽しそうに話していたが、美月の反応があまりにも静かだったため、ようやく異変に気づいた。
「どうしたの?また誠司さんに何かされた?」
美月は小さな声で答えた。「私、彼と別れた。結婚もしないし、ドレスももう必要ない。」
悠はしばらく沈黙した後、驚いた声で言った。「え、あと一ヶ月で結婚式だよ?招待状も出したのに、本気で言ってるの?」
「本気だよ。」美月は静かに答えた。
悠はしばらくの間、驚きと戸惑いを隠せないようだったが、すぐに深いため息をつき、慎重に言った。「また水野清夏のせいでしょ?美月、気持ちはわかるけど、今回は絶対に折れちゃダメだよ。あっちが謝ってくるまで待ってみて!」
美月は自嘲気味に笑った。あの日、誠司に別れのメッセージを送り、連絡先を削除してから、彼からは何の音沙汰もなかった。これまでにも何度か別れ話をしたことはあったけれど、誠司はいつも冷静で、数日もすれば美月が戻ってくると思っていたのだろう。
美月は八歳の時に両親を亡くし、親戚の家で肩身の狭い思いをしていた。その時から支えてくれたのは誠司だった。みんなが美月が誠司を深く愛していると知っていて、離れることはできないだろうと思っていた。だから、誠司が心変わりしても、水野が何度挑発してきても、美月はずっと耐えてきた。誰も、そして悠さえも、彼女が本当に誠司を手放すなんて思っていなかった。
その瞬間、美月はようやく気づいた。誠司の前で常に怯え、プライドを捨てていたのは、結局すべて自分のせいだったのだと。
「悠ちゃん、今回は本気。もう、馬鹿なことはしない。」
悠は数秒黙った後、パッと明るい声で笑い出した。「本当に?よかった!やっと目が覚めたんだね!東京で美月よりきれいな人なんていないんだから、なんで誠司にこだわるの?今度会ったら、私が思いっきり文句言ってやるからね!」そう言いつつ、美月の沈んだ様子に気づいて、優しく声をかけた。「男なんていくらでもいるよ!一人のことで落ち込む必要ない!今どこにいるの?家?」
「家じゃないよ。」美月は荷物をまとめながら答えた。「あの部屋は誠司のものだから、もういたくない。今はホテルにいる。」
その言葉を聞いた悠は、美月が本気だと察し、嬉しそうに言った。「そんな大事なこと、どうして早く言ってくれなかったの?ホテルなんてやめて、うちにおいでよ!この間リフォームしたばかりの別荘、今空いてるんだし!」
美月はやんわりと断った。「数日休みを取ったから、その間に新しい部屋を探して引っ越すつもり。」
「そうなんだ。」悠は美月の性格をよく知っているので、無理に誘うことはなく、すぐに話題を変えた。「ねえ、星見クラブが新しくオープンしたんだって。中のホスト、みんなイケメンなんだよ!ダメ男を捨てたんだから、今を楽しんだ方がいい!私が案内するから、華やかな世界を一緒に見てみようよ!」
美月はすぐに断ったが、悠のしつこい誘いに根負けしてしまった。ホテルの場所を伝えると、悠はすぐにやってきて、美月を半ば無理やり連れ出してバーに向かうことになった。