小早川家を出た美月は、そのまま不動産会社へ向かった。あの家族に気持ちをかき乱されたくなくて、誠司や小早川家との関わりをきっぱり断ち切ると心に決めていた。今はまず部屋を借りて落ち着くことが先決だ。休暇も一週間しか取っていないし、仕事ではデザインの納品も待っている。
不動産会社の担当者といくつかの物件を見ていると、悠から電話がかかってきた。
「この前、星見クラブであんまり遊べなかっただろ?今夜はもっと雰囲気のいいところに連れてく!」
美月はため息をついた「ごめん、今日は無理。部屋探しで忙しいの。」
悠はすぐに声を荒げた。「霧島のケチ!あんな金持ちのくせに部屋ひとつ用意できないの?慰謝料でももらってきなよ!何年付き合って、あいつからまともなプレゼントもらったことある?一体何が良かったの?」
美月は息を呑んだ。そう、何が良かったのだろう。彼女はいつも誠司に贈り物を選ぶのに、何ヶ月分もの給料を惜しまなかった。それなのに、今年の誕生日にもらったのは一万円もしないブレスレットだけ。
けれど、霧島は水野のためなら、何千万円もする世界に一つだけのルビーのネックレスを海外まで買いに行った。水野がそのネックレスを自慢げに身につけて現れたとき、美月は思わず彼女を叩いてしまった。誠司はその場で水野の肩を持ち、美月に謝罪を強要し、さらには水野を庇おうとした……。悠が止めてくれなければ、どうなっていたかわからない。
今思えば、自分は本当に馬鹿だった。誠司が留学中、水野と同棲していたと知った時点で、きっぱりと身を引くべきだったのだ。
「もういいよ、全部かっこのこと。まだ物件見なきゃいけないから、切るね。」
電話を切ると、気持ちは沈んだまま。その後に見た物件も、ほとんど頭に入ってこなかった。本当は貯金で即金購入もできたけれど、リフォームする時間もないし、とりあえず賃貸で落ち着こうと思い直した。
不動産会社を出て、ホテルが近いことに気づき、歩いて戻ることにした。
ちょうどそのとき、街角に黒い高級車メルセデス・ベンツSクラスが静かに近づいてきた。
後席には、上質なスーツを身にまとった男が座っていた。彼は経済ニュースに目を落とし、少し疲れたように眉間を揉んでいた。その視線がふと窓の外に向けられると、柔らかな斜陽に照らされた細身の女性の後ろ姿が目に入った。
美月はクリーム色のニットカーディガンに白いスカートを合わせ、肩までの長い髪を優しく揺らして歩いている。風にスカートの裾が揺れ、白いソックスにフラットシューズから覗く足首が細く美しい。車越しでも、その白く透き通る肌がはっきりと見て取れた。
九条司は、昨夜星見クラブで初めて彼女を見かけた瞬間を思い出した。あの時も、自然と彼女の脚に目が留まっていた。声をかける暇もなく、すぐに友人に連れて行かれ、そのまま淡い心残りが残った。
「ゆっくり走ってくれ。」と司が静かに指示する。
運転手がスピードを落とすと、助手席の秘書高橋が美月に気づいた。彼女が腕を抱えて少し寒そうにしているのを見て、控えめに提案した。
「九条様、外は風が出てきました。あの方、少し薄着のようですが、お送りしましょうか?」
司はしばらく黙っていたが、「いや、大丈夫だ。」とだけ答えた。
高橋はさらに、彼女が不動産会社から出てきたことに気づく。「さっきのお方、不動産会社から出てきたみたいですが、賃貸を探しているんでしょうか……?」
「停めてくれ。」司が突然言った。
車が路肩に止まると、高橋はてっきり司が降りるのかと思ったが、「君が不動産会社に行って、彼女が賃貸なのか購入希望なのか確かめてきて。」と指示された。
「かしこまりました。」。
メルセデスはそのままゆっくりと美月の後を追い続け、彼女の姿が見ないまで見届けた。司が視線を戻したタイミングで、ちょうどビジネスパーティーの催促のメッセージがスマホに入る。
「行こう」と運転手に告げた。
しばらくして、高橋から電話がかかってきた。「九条様、確認できました。あのお方は賃貸希望で、いくつか物件を見たものの満足していないようです。明日また来ると話していました。かなり急いでいるようです。」
「賃貸?一人で?」司は眉をひそめる。
「はい。すべて一人暮らし用の物件でした。」
ふと、司の胸の奥にある思いが芽生える。美月は来月結婚するはずなのに、なぜ一人で部屋を探しているのか…?
「彼女に合いそうな物件を探して、明日推薦してくれ。」