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第8話 境界線を引く

夜が更ける中、水野清夏は霧島誠司の腕の中でスマートフォンをいじっていた。ぶどうの粒を一つつまんで、誠司の口元に差し出す。「誠司、ぶどう食べて?」


「いらない。」誠司は素っ気なく答え、視線はスマホの画面に釘付けになっていた——そこには美月とのメッセージ画面が表示されており、「ここまで」とだけ書かれていた。誠司はその画面をじっと見つめていた。


清夏はその内容を知っていた。数日前の深夜、二人がベッドで寄り添っていたとき、彼女は美月からのメッセージを横目で見て、わざと誠司の気を引いてスマホを触らせなかった。


後でこっそり確認したところ、それは別れのメッセージだった。本気で美月が身を引くとは思っていなかった清夏は、ここ数日、誠司を束縛するように甘えて、彼が美月に連絡する隙を与えなかった。


しかし、四日が過ぎても美月からの連絡はなかった。逆に誠司のほうが落ち着かなくなってきていた。


清夏は不安を押し殺し、そっと彼の腰に腕を回して、少し拗ねたような声で言った。


「誠司、美月はまだ私のこと怒ってるのかな?謝りに行こうか……もうすぐ結婚するんだから、私で気まずくなるのは嫌だよ。私にただあなたのそばにいてほしい……」目にうっすらと涙を浮かべ、タイミングよくこぼれ落ちた。その姿が、誠司に美月との「例の事件」を思い出させた。


誠司は苛立った様子でスマホを放り投げた。「気にするな。どうせすぐ機嫌直すさ。」


清夏は内心ほっとし、さらに誠司に身を寄せて、指先で彼を誘うように触れ始める。誠司もその誘惑に応じ、美月のことを一時的に忘れてしまった――


シャワー室。誠司はシャワーを浴びていると、洗面台の上に置いたスマホが鳴り始めた。すぐにシャワーを止め、口元に薄い嘲笑を浮かべながらスマホを手に取る。


——どうせ美月が我慢できずに連絡してきたんだろう。わざとゆっくりとした動作でスマホを持ち上げるが、発信者は母親の霧島美和だった。


「もしもし、母さん?」


「ウェディングドレス、もう決めたの?もうすぐ結婚なんだから、ちゃんとしておきなさい!」


「わかったから。」誠司は不機嫌そうに返事をする。


美和は息子の態度に気づき、声を潜めて叱る。「最近、少しは落ち着きなさい!美月と結婚するのは本当に大切なことです。外で遊んでる女の子とは、早くきっぱり別れなさい!」


誠司は黙り込むん間に美和はさらに追及する。「まさか、またあの女のせいでで美月と喧嘩してるんじゃないでしょうね?」


別れのメッセージが頭をよぎり、誠司は苛立ちを隠せなかった。「そんなことない。」


「明日、美月を連れて帰ってきなさい!」お母さんは一方的に電話を切った。


誠司はますます気が滅入り、洗面台を思いきり蹴りつけたものの、裸足だったことを忘れていて、痛みに顔をしかめる。「くそっ!」


翌日、誠司はひとりで霧島家の本家に戻った。


美和は仏頂面で迎えた。「美月は?」


「残業だって」と誠司はごまかすことにした。


食事の時、美和が何度もあの女とは手を切るよう説得した。誠司は上の空で、珍しく反論もしなかった。隣の真美子が小声でつぶやく。


「清夏お姉ちゃんの方が美月よりずっといいのに。海外の名門大学出身だし、両親も東大の教授よ。美月は親もいないし、小早川家も衰退してるし、兄さんには釣り合わないわ!私だったら、とっくに婚約解消してる。」


「やめなさい!」美和が箸をテーブルに叩きつけると、真美子はすぐに黙り込んだ。


ずっと無言だった父・正義が箸を置き、重い口調で言う。「外に誰がいようが構わんが、招待状はもう出した。結婚式に問題が起こることは許されない。お前たちは幼い頃からの婚約者だ。あの時は霧島家が小早川家より格下だったが、今は逆だ。今さら婚約破棄など、裏切りにも等しい。」


誠司は苛立ちを隠さず、「わかったよ。」とだけ答えた。結婚をやめるつもりはなかった。美月は自分にとって「妻」――だが、それはあくまで名目上だけの存在だ。


霧島美和は心から美月を気遣っていた。「私はあの子の母親と親友だった。あの子がひとりぼっちなのを見ると、胸が痛むの、もうあの子を傷つけるのはやめて、外の女とは、きっぱり縁を切りなさい!」


誠司は適当に頷き、家を出ると美月にメッセージを送ることにした。「仕事終わった?今から会いに行く。」


だが、送ったメッセージには一向に返信がなかった。昔ならすぐに返信が来るはずなのに……。「もしかして、私のLINEをブロックしたのか?」


数分間、画面を見つめたまま固まる。さらに「?」とだけ送ってみるが、やっと自分がブロックされたことに気づく。これまでずっと美月が自分を追いかけていたのに、まさかLINEをブロックされるなんて想像もしなかった。すぐに電話をかけるが、二度かけても応答はなかった。


思わずハンドルを叩き、車を急発進させて美月のマンションへ向かった。インターホンを押しても反応はない、予備の鍵でドアを開けると、部屋の中は真っ暗で静まり返っている。二度見渡しても人の気配はなく、クローゼットも空っぽだった。


「くそっ!」誠司は悪態をつき、リビングのテーブルで一枚のキャッシュカードを見つけた。


その上には黄色い付箋が貼ってあった。


――ここ二年分の家賃。パスワードは886886。


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