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第30話 ずっと好きだった相手――

司はすぐに体勢を整え、運転席にきちんと座り直した。


「好き?」と彼が尋ねる。


美月はやっとの思いで声を出した。「うん、好き……」


実は、首にかけられたネックレスがどんなふうに見えるのか、彼女自身もよく分かっていなかった。


司は微笑んだ。「それならよかった。」


彼の視線は美月の膝に置かれた指輪のケースに移る。


「俺がプレゼントしたんだから、君も何かお返ししてくれるんじゃない?」


美月は一瞬戸惑い、申し訳なさそうに言った。「何も用意してなくて……数日後でもいい?」


「それじゃこっちが損した気分になるな。」司は指で指輪のケースをトントンと叩いた。「これを俺にくれない?」


「え?」


美月は渡したくなかった。これは母から受け継いだ大切な指輪で、大事にしまっておきたかったのだ。


ケースを開けると、中にはサファイアの指輪が静かに収まっていた。


司の目が一瞬暗くなる。「これ、いいね。」


美月は言った。「だいぶ前のデザインだし、そんなに高価なものでもないよ。せいぜい数十万円くらいだし、やめておこうよ。」


「でも俺は気に入った。」


司は淡々とした表情で、特に強引に求める様子はなかった。しかし、一度口にした以上、美月が断ればケチに見えてしまう。


美月が迷っていると、司がまた言った。「もし後日お返ししたいなら、それでも構わないよ。無理しなくていい。」


美月は横目で彼を見た。表情は変わらないが、どこか寂しそうな雰囲気が漂っている。


思い切った美月は指輪を差し出した。


「じゃあ、気に入らなくても文句言わないでね。」


「もちろん。」


司はそれを受け取り、自分の薬指にはめた。


本当は美月に着けてもらいたかったが、無理に頼んで彼女を困らせたくなかったのだ。


司の指は長くて綺麗で、彼の顔立ちと同じく見惚れるほどだ。だが、指輪は少し大きかった。


美月は唇をかみながら言った。「……ちょっと大きいみたい。人差し指にはめたら?」


司は手を挙げて指輪を見つめた。


「いや、ちょうどいいよ。」


美月は言葉を失った。


車はすぐに走り出し、美月は司に「カラフルジュエリースタジオまで送って」と頼んだ。


道中、美月は言った。「もう“小早川さん”って呼ばなくていいよ。」


司は「じゃあ、何て呼べばいい?」と返した。


美月は「名前で呼んで」と答えた。


「わかった。」司はうなずき、低く澄んだ声で「美月?」と呼んだ。


その呼び方に美月は全身がじんと痺れるような感覚を覚えた。


どうしていつも司はこんなに誘惑してくるんだろう……。


車が半分ほど進んだところで、司が聞いた。「結婚式、どうするつもり?」


「結婚式?」美月は一瞬驚き、「やらないほうがいいと思うよ」と答えた。


二人は条件付きの結婚で、互いに感情があるわけでもなく、いずれ離婚する予定だ。余計な人に知られるべきではないし、離婚した後もお互いに影響が出ないようにしたかった。


それに、司の立場を考えれば、結婚を発表すればきっと週刊誌の表紙を飾ることになる。


司は少し黙ったあと、「分かった。君の希望どおりにしよう」と答えた。


今はその時じゃない――


いつか必ず、美月のために盛大な結婚式を挙げてみせる。


スタジオに近づいたとき、美月は結婚証明書を取り出し、何枚か写真を撮った。


司が横目で見ていると、美月は気まずそうに笑って言った。「悠に送るんだ。証明書をもらったらすぐ知らせるって約束してたから、さっき忘れてて。」


「うん。」


車が会社の前に止まり、美月が降りると、司も自分の結婚証明書を取り出してしばらく眺めた。


美月が友達に写真を送るのを見て、自分も誰かに自慢したくなった。


彼は携帯をいじり、拓海に電話をかけた。「今夜、飲みに行こう。」


夜9時、六本木の高級会員制クラブ。


拓海は何杯か飲んで退屈そうに愚痴をこぼした。


「昨日誘った時は来なかったのに、今日は呼び出して。二人で酒飲んでるだけじゃつまらないから、ほかの人でも呼んで麻雀でもする?」


「いいよ。」


麻雀卓を囲んで、司は拓海の左側に座った。


彼はわざと右手を卓の上に出し、指輪を拓海の目の前で見せびらかす。


「その指輪、やけに大きくないか?」と拓海が関西弁混じりに気軽に尋ねた。


司はその質問を待っていた。


「今日、もらったばかりでまだサイズ直してないんだ。」


拓海は牌をいじりながら、何気なく聞いた。「誰からもらったんだ?」


「妻から。」


「妻? 誰のこと……?」


拓海は一瞬で反応し、椅子から飛び上がりそうになった。「は?お前、いつ結婚したんだよ?!俺が熱でもあるのか、お前がどうかしてるのか?!」


司の口元には、どうしても抑えきれない微笑みが浮かんでいた。


結婚証明書を出して、拓海の前に見せつける。


拓海は数十秒固まり、ぎこちない手つきで証明書の表紙をめくった。


もう一方の手でオーバーに額を押さえ、白目をむいて叫んだ。「うそだろ、気絶しそうだ!薬くれ、誰か!」


「小早川美月……」拓海は証明書の名前を一語ずつ読み上げた。


頭が真っ白になり、「俺、字読めなくなったのか?幻覚かな?」とつぶやく。


司は一瞬だけ証明書を見せると、すぐにしまい込んでポケットに大切そうに収めた。


「間違いないよ。」


拓海は叫んだ。「お前、本当に結婚したのかよ!?」


司は冷静に、「なに?うらやましい?」と返す。


「うらやましいわけないだろ!衝撃的すぎてビビってるんだよ!」拓海は椅子の背にしがみつき、司をじっと見た。


「頭打ったのか?みんな知ってるぞ、美月は誠司と色々あったって。それをお前が嫁にもらうなんて!」


「お前は一生独り狼でいると思ってたのに、こっそり役所で婚姻届出してきたのかよ!?」拓海の声は信じられないほどだった。


司は一瞥して、「彼女は誠司ともう別れてるし、婚約も解消した。いつまでも誠司のために生きなきゃならない理由はないだろ。」


「まあ、そうだけど……」拓海は机の上の水を一気に飲み干し、動揺を抑えた。「それで、どうやって美月とくっついたんだ?騙されたんじゃないのか?まさか呪術でもかけられたんじゃ……」と司の顔をじっと見つめる。


「騙されたんじゃない。」司は指輪を撫でながら、さらに深く微笑んだ。「俺が騙したんだ。」


「は?」拓海は司の言葉が信じられず、声が裏返った。


「家族から早く結婚しろってせかされてるって言ったんだ。」


拓海はまた大声で叫び、卓を叩いた。「お前の家族でお前に強く言えるやつなんていないだろ!お父さんだって逆らえないのに!純粋に美月を騙しただけじゃないか!罪悪感はないのかよ!」


司は気にした様子もなく、笑顔で言った。「それに、おじいさんが重病で私の結婚式が見てみたいだって言ったんだ。」


拓海は目を見開いて、「確かにおじいさんは体調良くないけど、そんなに危ないわけじゃないだろ!この前会った時も元気そうだったし!」


「必要な時は“重病”にもなるんだよ。」司は天気でも話すような口ぶりだった。


「……」拓海は呆れ果てて、司を指差しながら手まで震えた。「お前、完全にイカれてるな!詐欺で捕まるぞ!婚姻届を不正に出したって役所に通報してやる!」


司は鼻で笑い、全く取り合わなかった。


拓海は椅子にぐったりもたれかかり、こめかみを揉みながら言った。「前から不思議だったんだよ。お前、好きな人がいたんじゃなかったっけ?イギリスにいた時もずっと忘れられないって言ってたのに、どうして急に結婚するんだ?まるで電撃戦だな!」


司は口元を満足そうに緩め、薬指の指輪を見つめて、静かに、はっきりと答えた。


「それが美月なんだ。」


初めて、司は拓海に本心を明かした。


「俺がずっと好きだった相手――それが美月だよ。」


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