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第33話 幼い頃から自分で選んだ妻だから

霧島家の本邸を後にした誠司の胸中には、どうしようもない苛立ちが渦巻いていた。

頬に残る熱い痛みが、その感情にさらに火をつける。


すべては美月のせいだ――。


なぜ彼女は、何も言わずに他の男と結婚してしまったのか。別れると決めたなら、せめて自分から言い出すべきだった。どうして先に去ることができたのか。


婚約を解消するにしても、本来は自分――この霧島家の御曹司である霧島誠司が先に言い出すべきことだったはずだ。

もし美月が彼を怒らせたくてやったのなら、まさしく彼女の思惑通りになってしまった。


今さら清夏と別れることはできない。しかし、父親からの注意もあり、しばらくは目立たないようにしなくてはならなかった。


清夏と一緒に住んでいるマンションへ戻ると、誠司は口を開いた。


「しばらく会社には行かず、海外でゆっくりしてきてくれ」


清夏は驚き、問い返す。「どうして?」


「今は大人しくしていた方がいい。家族も最近私たちのことを見ているから」 と、誠司は苛立たしげに答えた。


清夏の唇に浮かんでいた微笑みが、次第に消えていった。


美月はすでに婚約を解消し、しかも他の誰かと結婚したというのに、なぜ誠司は自分を妻に迎えようとしないのか。


美月さえいなくなれば、自分が霧島家の嫁になれると信じていた。美月が婚約を解消したと聞いたときには、来月の結婚式の花嫁が自分に変わるのだと夢見てすらいた。招待状も名前だけ変えればいい、と。


なのに誠司は自分を海外に送り出そうとしている。それが納得できるはずもなかった。


だが、不満を押し殺し、素直に応じた。「うん、ちょうどフランスに行きたいと思ってたの」

誠司は清夏の頬を軽くつまみ、「素直でいい子だな」と笑った。


二人で少しミカンを食べただけなのに、誠司が急に胃に鋭い痛みを感じた。

元々胃が弱かったが、こんなに頻繁に胃が痛むことはなかった。今日の出来事や美月への怒りが重なり、ついに痙攣を引き起こしてしまったのだろう。


胃を押さえて苦しそうにしている誠司を見て、清夏は慌てて薬を取りに行った。


「早く薬飲んで!まだ痛いなら病院行こうよ!美月って本当にひどい、あなたを困らせるために、知り合って間もない男と結婚するなんて……」


誠司は薬とコップを受け取ると、ふと過去のことを思い出した。

かつて胃が痛いとき、美月はいつもそばで看病してくれた。


美月も薬を用意してくれたけれど、彼女はもっと切羽詰まった表情で、丁寧に錠剤を取り出し、口まで持ってきてくれ、水も唇まで運んでくれた。ほかのことは心配せず、ただ横になって薬を飲めばよかった。


だが今、清夏は薬も水もただテーブルに置いただけだった。


こんな些細なことを責めるつもりはなかったが、誠司の心には妙な違和感だけが残った。


痛みに耐えながら自分で薬を飲んでいると、初めて気づいた――こんな細やかな気遣いは、美月の方が上手だったのだと。


当たり前のように受けていた優しさを、今になって失いかけていることに、ふとした喪失感を覚えた。


清夏がシャワーを浴びに行った隙に、誠司は携帯を手に取り、美月の番号を押した。


彼女が謝罪さえすれば、結婚のことも水に流すつもりだった。離婚すれば、霧島家の嫁としての立場は彼女のものになる。幼い頃から自分で選んだ妻だから。


だが、呼び出し音が鳴らず、通話はすぐに切れた。


その瞬間、誠司は初めて美月に着信拒否されていることに気づいた。


彼女が家を出てから、どこに住んでいるのかも知らない。


苛立ちまぎれに悠に電話をかけたが、ワンコールで切られ、再度かけても呼び出し音すら鳴らず、通話は終了した――こちらも着信拒否されていた。


「ふざけんな!」誠司は低く呟き、怒りに任せて携帯を床に叩きつけた。スマホの画面は無残に割れ、粉々になった。


翌日、誠司は部下に「カラフル」スタジオの前で美月を張り込ませ、彼女の帰宅ルートを調べさせた。


情報を得ると、すぐに車を飛ばして、コネを使ってオートロックとエレベーターのカードを手に入れた。


夜、美月はソファでスマホをいじっていた。突然、ドアの外から荒々しいノックの音が響く。


出前も頼んでいないし、今日は悠も来ない。エレベーターのカードがなければ、この階には来られないはず――まさか、誠司…?


ドアを開けると、険しい顔をした誠司が立っていた。


美月は反射的にドアを閉めようとした。


しかし、誠司の方が早く、無理やり足を挟み込んできた。


「逃げるなよ。話があるんだ」と強い口調で言った。


美月は深いため息をつき、苛立ちを抑えてドアを大きく開けた。


「何の用?」


誠司は言った。「美月、結婚で俺を怒らせたいなら、もう十分だ。今こうして来てやってるんだから、そろそろやめろ」


美月は思わず笑いがこみ上げた。「もう他の人と結婚してるのに、まだ私がふざけてるとでも?」


「そうじゃないのか?」誠司は首を突っ張りながら言った。「お前は昔から俺のことが好きだっただろ?そんな簡単に気持ちが変わるわけがない。そういう駆け引き、分かってる」


美月は首を振った。「清夏を連れて私の前で見せびらかしたとき、もう気持ちは消えたの。今までのは私の勘違いだった。今日、わざわざ来てくれたから、はっきり言うよ」


「誠司、私はもう他人の妻よ。あなたとは何の関係もないし、もうあなたを好きじゃない。それで分かった?あなたの妄想はこれで終わりにしてよ。」


誠司はその場で呆然と立ち尽くし、肩を落とした。


「好きじゃない」――その言葉は重く、胸にのしかかり、息が詰まり、理由もわからない焦燥感に苛まれた。


「……そんなはずない!お前が俺を愛してないなんて信じられない!九条と結婚?お前、バカだ!あんな男、本気でお前を大事にするわけない。今はいいように扱われてるだけで、そのうちどうなるかわからない!」


美月は苛立たしげに髪を耳にかけながら、誠司との会話がこんなにも疲れるものだとは、今まで気づかなかった。


もう言うべきことは言った。無駄なやり取りはしたくない。


「もう二度と私に関わらないで。」


そう言って、さっと部屋に戻り、ドアを強く閉めた。


だが、誠司の足がドアに挟まれ、「バンッ」と鈍い音が響き、その後、彼の絶叫が上がった。


「うあっ!!!足が!美月!殺す気かよ!!」


美月は冷ややかな目で、ドアの隙間から見える誠司の靴の甲を一瞥した。


「足をどけて。もっと強く閉めたら骨が折れるわよ。」


「どかさない!」誠司は痛みに耐えながらも、ドア枠をしっかり握って離さなかった。そして怒りのままに美月の手首を掴み、力ずくで彼女を部屋の外に引っ張り出した。


「話が終わってないのに、勝手に閉めるな!」


「離して!」美月は必死に抵抗した。手首が痛み、骨が砕けそうなほどだった。「誠司、やめて!痛い!」


誠司は彼女の叫びも無視し、そのまま力任せにエレベーターに引っ張ろうとした。


「一緒に帰るぞ!」


「離して!帰らない!」


二人がもみ合っていると、背後で「ピン」とエレベーターの到着音が鳴り、ゆっくりとドアが開いた――。


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